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第20話 滑る床とミナの「ベトベト大惨事」

スライムの巣になっている小部屋は、想像以上に厄介だった。

 床も壁も、一部が半透明の膜で覆われている。

 足を踏み出すたびに、ぬるり、と靴底が滑りそうになる。



「うわ、気持ち悪っ」



 リアナが、つま先で床を突つく。



「こいつら、踏んでも踏んでも形戻るんだよね。

 外でやったときより、だいぶ数多いよ」



「踏み潰すというより、“居場所を減らす”くらいの感覚で」



 セレスが、指先に小さな火を灯す。



「広がりすぎたところを炙って、床を“安全地帯”に変えていく。

「了解です」



 ハヤトは、足裏から静電気をじわりと広げた。

 石だけのところは、“ざらざら”とした手応え。

 薄いスライム膜があるところは、“ぬるり”とした重たい抵抗。

 どろっと厚く溜まっている場所は、電気そのものが鈍くなる。



「リアナさん、このラインなら、まだ走れます。

「OK」



 リアナが指定されたラインに立ち、腰を落とす。



「じゃ、軽く散らしていこっか!」













戦闘は、一見すると地味だった。

 リアナが、滑らないライン上を小刻みに動きながら、

 “踏んでも平気な薄いスライム”だけ踏み潰し、濃い部分は避ける。

 セレスは、小さな火球を床に落とし、膜が厚いところだけを狙って炙る。

 焦げたスライムは、ぺちゃんこになって動きを止め、床が一部“乾いた岩”に戻っていく。



「ミナ、私の火が飛びそうなラインには、絶対入らないでね」



「分かってます」



 ミナは後衛の位置を守りながら、滑りそうなところを避けて移動する。

 しかし、どうしても足場が限られているため、動ける範囲は狭い。



「ハヤト君、ここ、ちょっと怖いです」



 少し先の床を指さす。



「さっきから何度か足を取られそうで」



「見ます」



 ハヤトは、ミナの足元のラインに静電気を流し込んだ。

(このあたり、表面だけヌルヌル。

 でも、その先は“どろっ”とした厚みがある)



「ミナさん、その一歩先はやめましょう。

 右足だけ半歩引いて、“こっち側”に体重を」



「はい」



 指示どおりに体重を移した――その瞬間だった。

 天井から、ぴちゃん、と音を立てて何かが落ちてきた。



「え?」



 ミナの肩に、冷たい感触がのしかかる。

 天井から垂れていたスライムが、一塊のまま、彼女の上半身にべちゃっと落ちたのだ。



「きゃっ!? つ、冷たっ!」



 透明な塊が、ローブと髪と肌の上で、じわりと広がる。

 ぬるぬるとした感触が、肩から胸元、背中へと流れ込んでいく。



「ミナさん!」



 ハヤトは、反射的に手を伸ばしかけて――寸前で止めた。

 スライムの膜が、ローブの布にまとわりついて、じりじりと染み込んでいくのが見える。



『良く見ろ』



 教授の声が飛ぶ。



『あれは、“水”ではない。

 粘り気を持った液体で、布の繊維の中に入り込もうとしておる』



『冷えと重みだけでなく、布の強度も落ちる可能性があるな』



「ミナ、動かないで!」



 セレスが即座に前へ出た。



「その場で固まって。

 変に走ると、布全体に広がる」



「は、はいっ!」



 ミナは、肩と胸元に広がる冷たさに、震えそうになるのをこらえて立ち尽くした。

 ぬるぬるした液体が、布を通じて肌に触れてくる。

 冷たさと気持ち悪さで、勝手に身体が身震いする。



「リアナ、あの天井の残りも落として!」



「任せて!」



 リアナが足場を選びながら前に出て、小さなスライム塊を次々斬り落とす。

 落ちてきた残骸は、床の“乾いた岩”部分に落ちるよう、ハヤトが静電センサーで道を示した。



「ハヤト」



 セレスが短く呼ぶ。



「ミナのローブの“外側”に電気を流せる?」



「外側?」



「スライムの粘膜だけに、軽くショックを与えたいの。

 布を焼いたり、ミナを痺れさせたりしない程度に」



『だが、やる価値はある』



 教授の声が、淡く熱を帯びる。



『電気は、導体を選ぶ。

 スライムの水分とイオンは、布よりもよく通る。

 “表面だけをなぞる”イメージでかけてみろ』



 ハヤトは、ミナの正面には立たず、少し斜め後ろ側へ移動した。

 直接、胸元や肩を触らない位置。

 それでも、指先から伸ばした静電気が、ローブの表面とスライム膜に届く距離。



「ミナさん、ちょっとだけ我慢してください」



「……はい」



 ミナは、ぎゅっと目を閉じた。

 ハヤトは、指先に小さな電気を溜め、それを“布の外側”だけに沿わせるように流した。

 ぱち、ぱち、と細かい火花が、スライム膜の中で弾ける。



「ひゃっ……!」



 ミナが、小さく肩を震わせる。

 冷たい粘膜が、じりじりと縮んでいく感触。

 ローブに染み込んでいた水分が、微妙に引き締まるような不思議な感覚。

 同時に、スライムの一部が、ぺろりとローブの表面から剥がれ落ちた。



「今!」



 セレスが片手をかざす。



「《フレア・スパーク》!」



 布から少し離れた位置に、小さな火花を散らす。

 剥がれたスライム片だけを、最小限の火で炙って潰す。



「……ふぅ」



 ミナが、震えた息を吐いた。

 ローブはまだところどころ濡れているが、べったり覆っていたスライム膜はだいぶ薄くなっている。



「染み込みは止まったわね」



 セレスが、濡れた部分をじっと観察する。



「このままなら、布が溶けるまではいかないと思う。

 冷たいだろうけど」



「冷たいです……あと、気持ち悪い……」



 ミナは、胸元をぎゅっと押さえた。

 布越しに伝わるひやっとした感触が、まだ消えない。

 ローブの下で、肌に張り付くような感覚が居座っている。



「ミナ、動ける?」



 リアナが、心配そうに覗き込む。



「無理そうなら、ここで一度戻るって手もあるよ」



「動けます……ただ、その……あんまり大きくは動きたくないです」



「じゃ、一旦ここで“掃除タイム”にしよっか」



 リアナが肩を竦める。



「こんな状態で突っ込んだら、集中できないでしょ」



「ハヤト」



 セレスがまた、小さく呼んだ。



「さっきの“表面だけショック”。

 もう少し弱めて、残りの粘膜を剥がすのに使えそう?」



「やってみます」



 今度は、ローブの裾や袖口、背中側にも静電気を薄く滑らせる。

 べったり貼りついていたスライムが、ぺろり、ぺろりと剥がれていく。

 重さが少しずつ減り、ローブの布がもとの軽さに戻り始める。



「妙な使い方ね」



 セレスが、感心したように息を吐く。



「静電気で、“汚れだけを剥がす”なんて」



『実際、異世界のどこかには“静電クリーニング”の研究者もおるかもしれんぞ』



 ある程度スライムが落ちたところで、ミナが恐る恐るローブの裾をつまんだ。



「……だいぶマシになりました。

 でも、中は冷たいです」



「帰ったら、お風呂直行だね」



 リアナが笑いながらも、すぐに真面目な顔になる。



「今は――これ以上かぶらないように、上だけでも何か羽織ったほうがよくない?」



「そうね」



 セレスが、自分の予備の外套を取り出した。



「ミナ、一旦これを上から羽織りなさい。

 ローブの濡れが乾くまでは、直接風に晒さないほうがいい」



「ありがとうございます」



 ミナは外套をぎゅっと締めた。

 少し大きめのそれは、濡れたローブをすっぽりと隠してくれる。

 冷たさは残るものの、露出している感じはかなり減った。



「ハヤト君」



 ミナが、少し赤い顔でこちらを見た。



「さっき、すぐに電気で剥がしてくれて、助かりました。

 もしあのまま染み込んでたら……想像したくないです」



「いえ……とっさにやっただけなので」



 本当は、もっと細かく制御できればよかった。

 でも、ミナの表情を見る限り、“最悪の事態”は回避できたらしい。



『悪くない判断じゃ』



 教授の声が静かに言う。



『電気の通りやすさの違いを利用して、“布と粘膜”を分けた。

 立派な応用じゃ』













周囲のスライムを一通り片付け、床の“安全地帯”を広げたあとは、

 いったんその場で小休止を取ることにした。



「ミナ、冷えはどう?」



「だいぶマシになりました。

 少し動けば、体も温まってくると思います」



「でも、あまり無理はしないで」



 セレスが釘を刺す。



「身体が冷えると、判断も鈍るから」



「はい」



 ミナはこくりと頷いた。

 外套に包まれた姿は、いつもの修道服よりも少し小さく見える。

 スライムまみれの大惨事だったが、なんとか“悪い意味での被害”は避けられた。



「とりあえず――」



 リアナが、スライム片で汚れた床を見渡す。



「天井スライムがいる場所では、“真下に長時間立たない”ってことね」



「それも静電センサーで分かりますか?」



 ミナが、少しだけ冗談めかしてハヤトを見る。



「上からの“違和感レベル”とか」



「……やってみます」



 ハヤトは、試しに指先から微かな電気を、天井に向けて伸ばしてみた。

 岩だけの部分は、固い反応。

 スライムが膜を作っているところは、柔らかい抵抗。

 滴になって今にも落ちそうな場所は、特に“揺れ”が大きい。



『良いか、ハヤト』



 教授が、穏やかな口調で説明する。



『電気は、“水分の多い場所”を好む。

 天井のうち、“やたらと水分を含んで揺れている部分”は、スライムの溜まり場じゃ』



『そうじゃ。

 床と壁と天井、三方向を同時に感じられるようになれば、

 この階層で死ぬことはまずなくなる』



「やること、どんどん増えますね……」



 ハヤトは苦笑した。

 でも、増えた“やること”の中には、

 さっきミナを守れたような場面も含まれている。

 静電気で罠を避ける。

 静電気で敵を止める。

 静電気で汚れを剥がす。

 静電気で、上からの危険も感じる。

 ハヤトは、指先をぎゅっと握った。

 そう思いつつも、心のどこかで、その“多すぎる仕事”が少しだけ誇らしく思えていた。


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