第18話 初ゴブリン戦と「しびれる半歩」
曲がり角の向こうから、かすかな足音がした。
じ、じ、じ。
石と爪が擦れる、乾いた音。
人間よりも軽く、けれど獣とも違う、妙なリズム。
ハヤトは、無意識に呼吸を浅くした。
通路は、少しだけ広い。
人が二人、ぎりぎり並べるくらいの幅。
その手前で、《エレキ・ストライド》は足を止めていた。
「数は?」
セレスが小声で問う。
「三つです」
ハヤトは、指先に静電気を集めながら答えた。
角の向こうの空気に、微かな“ざわつき”がある。
岩肌から返ってくる反応が、一点ではなく複数に分かれている。
「一番前が少し大きい。
たぶん、三体中の一番強い奴です」
「じゃ、指揮役っぽいやつから落とす」
リアナが、短剣の柄に指を添える。
「合図したら、角のすぐこちら側に《エレキ・バインド》。
足が止まったところを、一歩で斬る」
「了解」
ハヤトは、曲がり角から数歩手前の位置にしゃがみ込み、
床に静電気を薄く染み込ませた。
角の向こう――
カサリと何かが動く音。
鼻を鳴らす、低い声。
「ギャ……」
ハヤトは頭の中で数えた。
九、八、七――
足音が、じりじりと近づいてくる。
「六、五……」
『よいか』
教授の声が、落ち着いた調子で割り込む。
『敵との距離が半分になれば、力は四倍。
クーロンの法則じゃ』
四、三――
リアナが、腰を落として重心を前へ預ける。
「二」
曲がり角の向こうに、灰緑色の耳がちらりと見えた。
「今!」
セレスの鋭い声。
「静電拘束!」
ハヤトは床を通じて、曲がり角のすぐ手前に電気を集めた。
ぱん、と小さな火花。
角を曲がろうとした先頭のゴブリンの脚が、ぐっと止まる。
筋肉が一瞬だけ逆方向に引っ張られ、膝がカクンと折れた。
「っしゃ!」
リアナが、踏み込み一歩。
短剣が、ゴブリンのむき出しの首筋を斜めに薙ぐ。
緑がかった血が、壁に細く飛び散った。
先頭の一体は、その場で崩れ落ちる。
「ギャッ!?」
後ろのゴブリンが短剣を振り上げながら飛び出してきた。
リアナは体をひねり、倒れる先頭の死体を踏み台にしてもう一歩踏み込む。
その動きに合わせて、ハヤトは地面にもう一度静電気を流した。
ゴブリンの踏み込みと、リアナの一歩が同じ場所を狙う。
タイミングを合わせ、ハヤトは
「そこ」
に、静かな押しをかけた。
「《エレキ・バインド》……!」
ぱち。
軽い火花。
ゴブリンの足首が少しだけ絡まり、バランスを崩した。
「がっ」
体勢を崩したゴブリンの肩を、リアナの横薙ぎが抉る。
が、そこでハヤトは、嫌な違和感を感じた。
電気が、予想よりも強く跳ね返る。
ゴブリンとリアナの距離が、想定より半歩近かった。
クーロンの法則。
距離が半分なら、力は四倍。
押し引きの線は、ゴブリンの足だけでなく――
そのすぐそばを踏み込んだリアナの足にも、触れていた。
「っ――」
ぶち、と筋肉が痺れる感触が、ハヤトの指先に伝わる。
「うわっ!」
リアナの声。
彼女の足首がびくんと震え、次の一歩が妙な方向へ転がった。
「リアナさん!?」
ミナの悲鳴混じりの声。
「ちょ、足……しびれ――」
体勢を崩したリアナの背中側から、三体目のゴブリンが躍りかかる。
短剣を高く振り上げ、背中を狙って――
「させるか!」
セレスが一歩前へ出る。
「《フレア・ショット》!」
小さな火球が、ゴブリンの顔面めがけて飛んだ。
ぼん、と半端な破裂音。
火力は抑えてある。
皮膚を焼くほどではないが、目と鼻を直撃し、ゴブリンが叫び声を上げてのけぞった。
「ギャァッ!」
「ミナ!」
「はい、《ブレス・ブースト》!」
ミナの祈りがリアナの脚へ届く。
痺れた筋肉に、温かい光が染み込んでいく。
「うっ……!」
リアナは、痛みを噛み殺しながら踏ん張った。
痺れで力の入らない足を、強引に地面に叩きつけるようにして踏み直し――
「おりゃああっ!」
振り向きざまに、残ったゴブリンの首を薙いだ。
鈍い感触。
骨をかすめる重み。
ゴブリンの体が、ぐらりと揺れて倒れる。
石床に、血の匂いが広がった。
◇
「……ふぅ」
リアナが、大きく息を吐いた。
「ミナ、ありがと。マジで助かった」
「足、大丈夫ですか?」
ミナが、心配そうに足首を覗き込む。
革ブーツの上から、もう一度治癒の光を流した。
「まだ少しジンジンするけど、もう動くよ。
というか――」
リアナの視線が、じろりとハヤトに向いた。
「ちょっと、ハヤト?」
「す、すみません!」
ハヤトは、床に頭を擦りつけたい気分だった。
「今の電撃、思ったより近くて……」
「足、しびれたんだけど!」
リアナが腕を組んで足を踏み鳴らす。
「踏み込みの途中でビリってきてさ、“あ、これ転ぶやつだ”って思ったもん!」
「ごめんなさい……」
『いまのは、距離の読み違いじゃな』
『力を弱めるか、範囲を狭めるか。
どちらかを、その場で判断できるようにならんとな』
「でも」
セレスが、倒れたゴブリンの死体を見下ろしながら言った。
「結果としては、先頭三体をまとめて処理できた。
初戦としては、上出来よ」
「それは、そうなんですけど……」
ハヤトは、リアナの足元を見た。
「味方を巻き込むのは、絶対に良くないです」
「まあ、そうね」
リアナがため息をつく。
「今のは、私も踏み込みすぎたのが悪いかも。
ハヤトの“射程”を、まだちゃんと身体で覚えきれてないし」
「射程……」
「“ここまでなら敵だけ効く”“ここから先は味方にも来る”ってライン。
それを、私も覚えないと」
リアナは、ゴブリンの血で汚れた床をつま先で軽く蹴った。
「さっきのは、“敵にかける距離”まで詰めすぎた感じだったね」
『その通りじゃ』
教授が口を挟む。
『クーロンの法則では、距離が半分になれば力は四倍。
逆に、二倍になれば四分の一じゃ』
『うむ。
今のお前は、“ちょうど効きやすい距離”に敵も味方も入っておった』
『だからこそ、射程の“内側”と“外側”をはっきり区別せねばならん』
「ハヤト」
セレスが、静かに呼ぶ。
「自分の“効き始め距離”と、“効きすぎ距離”、どれくらいだと思う?」
「えっと……」
ハヤトは、さっきの感覚を思い出した。
先頭のゴブリンが角を曲がってきたとき。
距離は、おそらく四歩分。
そのときの《エレキ・バインド》は、敵の足だけを捕まえた。
二体目と三体目のとき。
リアナとの距離が、思ったより近かった。
ゴブリンとリアナの足が、ほぼ同じ円の中に入ってしまっていた。
「三歩以内は、“敵も味方もまとめて痺れる”可能性が高いです。
五歩くらいなら、狙いを絞れば敵だけに効かせられる。
七〜八歩以上離れると、もうほとんど効かないと思います」
「なら、今後の目安としては――」
セレスが、簡易的な図を指で床に描いた。
「敵とハヤトの距離:四〜五歩。
リアナの位置:敵から一歩以内。
ミナと私は、敵から六歩以上後ろ。
こういう形を基本にしましょう」
「了解です」
ミナが、こくりと頷く。
「回復が必要なとき、“前に出すぎない”ことを意識します」
「私は、“敵に近づきすぎない一歩”を覚えなきゃだね」
リアナが、痺れの残る足を軽く振った。
「さっきのも、“もう半歩手前で止まってもよかった”んだろうな」
「それはそれで難しそうですけど……」
『難しいからこそ、訓練する価値がある』
教授が言う。
『距離の感覚は、“頭”ではなく“身体”が覚えるものじゃ』
ハヤトは、倒れたゴブリンの身体に目を落とした。
肌は薄汚れた灰緑色。
骨格は人間より小柄だが、筋肉は案外しっかりしている。
自分の静電気が、その筋肉をどう痺れさせたか――
触れた瞬間の感覚を、もう一度なぞる。
「ひとまず」
セレスが、杖の先でゴブリンを軽く突いた。
「第一階層の“ゴブリン三体”を正面から倒せたのは事実。
初戦としては合格点よ」
「うん」
リアナが、口角を上げる。
「びりっと来たけど、あの“半歩のズレ”さえどうにかすれば、かなり戦えるよ。
静電気も悪くないね」
「……ありがとうございます」
ハヤトは、小さく頭を下げた。
最弱と言われた静電気が、
初めて“パーティの武器”として本格的に使われた戦い。
成功と、失敗。
敵を倒せたことと、味方を巻き込んでしまったこと。
その両方を、指先のじんじんとした痺れが教えてくる。
『覚えておくのじゃ』
教授の声が、静かに言う。
『クーロンの法則は、ただの“計算式”ではない。
お前にとっては、“半歩の重さ”を教えてくれる感覚そのものじゃ』
ハヤトは、痺れの残る手をぎゅっと握った。
距離と、力と、半歩。
静電気の一撃が、“誰に届くのか”。
それを間違えないための戦いが、ここから始まるのだと、
ハヤトは痛いほど理解していた。




