第10話 距離と力と「くすぐったい」実験
その夜。
ハヤトは部屋の床に、細長い棒状の木片をずらりと並べていた。
拾ってきた木の枝をナイフで削り、長さの違う棒を十本。
一本目は指先から一歩分の距離。
二本目はそこから半歩分さらに遠く。
そんなふうに、少しずつ間隔を変えて床に置いている。
「……見た目だけだと、怪しい儀式にしか見えませんね、これ」
『儀式みたいなもんじゃよ。
“距離”と“力”の関係をこの世界に刻む儀式じゃ』
机の上の
『電気回路入門』
──教授が、くつくつと笑う。
『クーロンの法則の、まだ教えておらん大事な部分じゃ。
同じ性質は押し合い、違う性質は引き合う──までは良いの』
「まだあるんですか」
『あるとも。
“どれくらい押し引きするか”を決めるものが、二つある』
ページの上に、淡い文字が浮かび上がる。
──電荷の大きさ
──距離
「電荷……?」
『お前の中の“量”と思えばいい。
同じ静電気でも、ちょっとだけ出すときと、どっさり出すときがあるじゃろう?』
「ああ、はい。
マッサージのときと、あの冒険者を本気でビリっとさせたとき、全然違いました」
『それが“電荷の量”の違いじゃ。
もうひとつが、“距離”』
教授の声が、少しだけ真面目になる。
『同じ電荷を持った二つのものでも、近くにあれば強く押し引きし、
遠くに行けば、あっという間に力が弱くなる』
「なんとなく分かりますけど……
ちゃんと、どれくらい弱くなるか決まってるんですか?」
『決まっておる。
距離が二倍になれば、力は四分の一。
三倍になれば、九分の一。
──“距離の二乗に反比例する”というやつじゃ』
「……に、二乗」
その言葉に、ハヤトの頭の奥がちくりとした。
以前、算術の本でちらっと見て、意味がよく分からず閉じたページ。
それが、ここで出てくる。
『難しく考えんでよい。
“ちょっと離れただけで、力は思った以上に弱くなる”
そう覚えておくだけでも、戦い方は変わる』
「思った以上に、ですか」
『そうじゃ。
だからこそ、お前の静電気は“距離を詰めてから使う”ほうが効く。
逆に、遠くから同じことをしようと思うと、途端にしょぼくなる』
スライムの群れを思い出す。
近づいてきたところで静電拘束を使うと、はっきりと止まった。
さっき練習がてら、部屋の端にある瓶に試してみたときは、ほとんど反応がなかった。
「……距離のせいか」
『そういうことじゃ。
だから今日は、“距離と力の感覚”を身体に叩き込む』
教授が言うが早いか、ページの上に簡単な図が浮かび上がる。
○──○──○──○
距離が2倍、3倍、4倍と離れていく丸印。
『一本目の棒の先にある石に、いつもの力で“引き寄せ”をかけてみい。
どれくらいの感覚で動くか、身体で覚える』
「了解です、教授」
◇
ハヤトは一番近くの木片の先に、小石を一つ置いた。
指先に魔力を集め、石の表面と自分の指に逆の性質の静電気を与える。
──同じ性質は押し合い、違う性質は引き合う。
石と指先を、見えない糸で結ぶイメージ。
「……えい」
指を、触れないギリギリまで近づける。
ふわっ、と小石が少しだけ浮いて、こちらへ転がってきた。
「うん、これはだいたい分かってきました」
『よし。では、同じように二本目、三本目……と、距離を増やしていけ』
二本目。
三本目。
距離が増えるごとに、石が動くまでの時間が伸びる。
動いても、さっきより小さく転がるだけ。
「……四本目、ほとんど動かないですね」
『魔力の出し方は変えとらんのじゃぞ?』
「そうですね。同じくらい流してるつもりなんですけど」
『それでも、距離が伸びると、押し引きする“力”はあっという間に小さくなる。
これが、“距離の二乗”というやつじゃ』
教授の声は淡々としていた。
『今は細かい数字はどうでもいい。
“近いとき”“ちょっと離れたとき”“かなり離れたとき”で、
どれだけ効き方が違うか、感覚で刻み込め』
ハヤトは、十本目まで繰り返し実験した。
距離が遠くなるほど、石は動かない。
魔力を強めると、かすかに揺れるくらい。
逆に、近い距離で同じように魔力を強くすると──
「うわっ」
石が思った以上に勢いよく跳ね、ハヤトの額に当たった。
「いってぇ……」
『ふむ。近距離で出力を上げ過ぎると、こうなるわけじゃ』
「戦闘中にこれやったら、味方に当たりそうですね……」
『だからこそ、“距離と出力”の組み合わせを覚える必要がある。
近ければ少なく、遠ければ多く──ただし、遠くなり過ぎると効かない』
「……近接戦向きってことですね、俺」
『そうじゃな。
弓のように遠くから一方的に撃つのには向かん。
だが、その分近くでの“細かい調整”は得意になる』
リアナの踏み込み。
セレスの火球の射程。
ミナの支援範囲。
それらと、自分の静電気の距離感。
それを、きちんと頭に入れておく必要がある。
「明日、リアナたちにも協力してもらって、距離の感覚合わせたいですね」
『それが良い。
電気は、“回路全体”を見てこそ活きる』
「回路全体……」
教授の口癖のようになってきた言葉を、ハヤトはそっと繰り返した。
◇
翌日。
ギルド裏の訓練場。
「で。なんで私はこんな格好なんですか」
リアナが、半分呆れたような顔で自分の服をつまんだ。
上半身はいつもの軽鎧ではなく、分厚い革鎧。
腕と脚には、擦り切れた古い布が何重にも巻かれている。
「ごめんリアナ。教授が“実験台”が欲しいって……」
「ちょっとその言い方なんなの?」
リアナの隣では、セレスが腕を組んで見守っている。
ミナは端のベンチに座り、怪我に備えて小さく祈りを捧げる準備をしていた。
「今日は、距離と静電気の効き方を見るって話だったわね」
「はい」
ハヤトは、地面に白い粉で目印を描いていく。
リアナから一歩分、二歩分、三歩分……と、円状にラインを引き、
それぞれに数字と印をつけていく。
「おお、なんか魔法陣っぽい」
「魔法陣じゃなくて“距離の目印”です」
『よい図じゃ。
これで、距離ごとの効き方を、目で見て確認できる』
教授の声を聞きながら、ハヤトは一番近いラインに立った。
「じゃあまず、ここから軽く“ビリッ”と」
「お手柔らかにね?」
リアナが腕を差し出す。
ハヤトは、指先に静電気を集め、リアナの前腕に触れないギリギリまで近づける。
「静電刺激」
ぱちん。
「ひゃっ」
リアナの肩がびくっと跳ねる。
「どうですか?」
「……うん、くすぐったい。ちょっと強めのくすぐったさ」
「じゃあ同じ出力で、二歩分下がってください」
「はいはい」
リアナが、二歩下がる。
ハヤトも線の上に立ち、同じように指先を向ける。
出力は、さっきと同じ。
押し引きする力も、同じイメージ。
ぱち。
「……お?」
「どうですか?」
「さっきより軽い。くすぐったさ半分以下って感じ」
『ほれ、距離が二倍になれば、力はだいぶ弱く感じるじゃろう』
教授の言葉に、ハヤトは内心で頷いた。
「じゃあ今度は三歩」
同じように繰り返す。
距離が伸びるごとに、リアナの反応が鈍くなっていく。
「今の、ほとんど感じないですね」
「全然、とは言わないけど……“あ、来た?”くらい」
「じゃあ、三歩の位置だけ出力を三倍に」
今度は、魔力の量を増やしたうえで、同じ距離から指を伸ばす。
ぱちん。
「うわっ」
リアナが思わず腕を振る。
「どうですか」
「さっきの“二歩のくすぐったさ”と同じか、それよりちょい強いくらい」
ハヤトは地面の印を見つめた。
(一歩でこのくすぐったさ。
二歩で半分。
三歩でほぼなし。
三歩で出力三倍だと、二歩と同じくらい……)
頭の中で、ぼんやりと数字の関係が浮かび上がる。
それがきちんとした式になるには、まだ時間がかかりそうだが。
『今はそれでよい』
教授が、満足げに言う。
『大事なのは、“この距離なら、これだけ出せばこう効く”という感覚。
式は後からついてくる』
セレスが、腕を組んだまま口を開いた。
「つまり──近距離での足止めは、少ない魔力で済む。
遠距離で同じことをしようとすると、魔力をかなり食うってことね」
「そうですね。三歩離れると、急に効かなくなります」
「じゃあ、“静電拘束の得意距離”は、私の踏み込み一歩分くらい、ってことかな」
リアナが、靴の先で一歩ぶんの印を軽く蹴る。
「これくらいの距離なら、あんたの足止めが一番効く。
二歩、三歩離れたら、“ずらす”くらいしかできない」
「“ずらす”でも十分よ」
セレスが言う。
「踏み込みが半歩ずれただけで、剣の軌道は変わる。
あとは、そのズレに合わせて、私たちが動き方を変えればいい」
「……合わせる」
ハヤトは、その言葉を繰り返した。
剣の距離、火球の射程、治癒の届く範囲。
そこに、自分の静電気の“得意距離”を重ねていく。
「ミナさんの治癒って、どれくらい離れてても届くんですか?」
「そうですね……」
問われたミナは、そっと自分の胸に手を当てた。
「本当は、触れたほうが一番よく繋がります。
でも、少しだけなら離れてても、枝が伸びるみたいに届きます」
「試してみる?」
リアナがミナの前に立ち、軽く自分の腕を掻き切る仕草をしてみせた。
「ちょっとだけ傷つけて、どの距離までなら治せるか──」
「リアナ、訓練場で自分から傷つけるのやめて」
セレスが即座に突っ込む。
「でも、この子らしいじゃないですか」
ハヤトは笑いながら、ふと気づいた。
セレスの火も、ミナの治癒も。
“届く距離”がある。
その距離と、静電気の効く距離を重ねていけば──
『そうじゃ』
教授が、すかさず言葉を挟む。
『それぞれの“届く範囲”が重なったところが、お前たちパーティの“最も強い場所”になる。
そこに敵を引きずり込めれば、勝ちに近づく』
『クーロンの法則は、ただの小石遊びではないのじゃよ』
リアナがハヤトの肩をぽんぽん叩く。
「ねえ、ハヤト」
「はい?」
「私が一歩踏み込んだところで、“最大限足止め”できるように──
その距離、ちゃんと覚えといて」
その瞳は、いたずらっぽさと同時に、頼もしさも宿していた。
「そしたらさ。
あんたの静電気、私にとって“最強の一歩”になるから」
ハヤトは、一瞬言葉が出なかった。
静電気しかない自分の一歩が、誰かの“最強の一歩”になる。
そんなふうに言われる日が来るとは思っていなかった。
「……分かりました」
ぎゅっと拳を握る。
「俺も、自分の距離、ちゃんと覚えます。
リアナさんの踏み込みと、セレス様の射程と、ミナさんの届くところ──
その全部が重なる場所を、逃さないように」
「言うじゃない」
セレスが、わずかに口元を緩める。
「じゃあ、あとは実戦で確かめるだけね」
「え」
「スライムの次は、もう少し骨のある相手になるかもしれないし」
セレスの視線が、ギルド本館のほうに向いた。
「近いうちに、“新人パーティ向けのダンジョン調査”の依頼が出るって聞いたの。
浅層だけどね」
「ダンジョン……!」
リアナが目を輝かせる。
「出よう、絶対出ようそれ!」
「リアナさん、興奮し過ぎです……」
ミナが苦笑しながらも、どこか不安と期待が混じった目をしていた。
ハヤトの胸も、高鳴る。
ダンジョン。
街の近くに口を開けた、魔物と宝と危険の巣。
そこは、今まで本の中でしか知らなかった世界だ。
『クーロンの法則を、より深く試す場所になるじゃろうな』
教授の声が、静かに言う。
『距離、力、押し引き。
それを理解するほど、狭い通路や、足場の悪い場所での静電気は、“武器”になる』
ハヤトは、訓練場の白い印を見下ろした。
今ここで測っている距離が、そのまま命を守る距離になるかもしれない。
逆に、ここで曖昧にした感覚が、そのまま死に繋がるかもしれない。
「……もっと練習しましょう」
自分から、そう口にしていた。
「もうちょっと、距離増やして試してもいいですか。
斜め方向とか、動いてる相手とか」
「いいよ。どうせ今日は空いてるし」
リアナが肩を回す。
「動きながら“くすぐったい”のと“効く”のの違い、試してみたいしね」
「……ほどほどにしてくださいね?」
ミナの心配そうな声に、セレスが小さく笑った。
「大丈夫よ。
もし誰かが倒れたら、そのときはそのときで──“どこまで静電気が効き過ぎたか”のいい目安になるわ」
「セレス様、そういうところだけ怖いです」
軽口を叩き合いながらも、四人の視線には同じものが宿っていた。
その一歩を踏み出すために。
ハヤトは、指先にそっと静電気を集めた。




