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第1話 最弱魔法としゃべる本

第1話 最弱魔力としゃべる本





 ──パチッ。

 乾いた音とともに、男のふくらはぎがびくりと跳ねた。



「うおっ……なんだ今の」



「す、すみません!」



 少年は慌てて両手を引っ込めた。

 まだあどけなさの残る顔立ちに、ぼさぼさの茶髪。痩せた体つきが、着古したシャツの下で頼りなく揺れる。

 名はハヤト。

 ここは王都の外れ、貧民街の片隅にある小さなマッサージ屋《ほぐしの小部屋》。

 ハヤトはこの店で、朝から晩まで客の体を揉み続ける「半人前マッサージ師」



「またビリっときやがったな、坊主」



 ベッドに寝そべっているのは、中年の冒険者らしい男。

 ごつごつとした脚には無数の傷跡が走り、剣の柄を握り続けた右手は太く、節くれ立っている。



「す、すみません。俺の魔力のせいで……」



「静電気だっけか?」



 男はニヤリと口の端を上げた。

 この世界では、生まれつき



「剣術」



「魔術」



「弓術」



のどれか、あるいはいくつかの適性が決まっている。

 魔術はさらに、月・火・水・木・金・土・日──七系統に分類され、その適性の有無で人生の難易度が変わると言っていい。

 ……はずなのだが。



「皮膚でちょろっと弾けるだけの静電気魔力、ねえ」



 ハヤトの魔力は、そのどれにも属さなかった。

 雷のような大魔法ではない。ただの、ぱちぱちする刺激。

 体を少し温め、血の巡りを良くする──それだけの力。



「でも、効くことは効くんだよな。そこ、さっきのとこもう一回頼む」



「あ、はい!」



 言われた場所に両手をそっと当て、ハヤトは息を整えた。

 魔力を、指先へ。ゆっくり、じわりと。

 皮膚の表面を、細かな火花が走るイメージを描く。

 ぱち……ぱち……。

 目には見えない。音もほとんどしない。

 だが男のふくらはぎの筋肉が、じわりとゆるんでいくのが、掌越しに分かる。



「……おお? さっきより軽くなってきやがった」



「本当ですか?」



「ああ。妙なビリビリも、慣れると悪くねえ。こりゃ病み付きになる奴も出るかもな」



 豪快に笑う男の声に、ハヤトの胸が少しだけ温かくなる。

 役立たずと笑われることのほうが多いこの魔力でも、誰かの役に立てる瞬間がある。

 それだけで、今日も一日頑張れた気がした。













日が傾き始めた頃、店主の親父がどさりと椅子に座り込む。



「ハヤト、今日の分だ」



「ありがとうございます」



 布袋の重みが掌に残る。

 その温度が、ふいに“家”を思い出させた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 狭い長屋の一室。煤けた壁、薄い布団、冷めた竈。

 母は笑おうとして、うまく笑えない顔をしていた。



「ハヤト、貧乏でごめんね」

「ハヤト、働かせてごめんね」

「本当は、栄養のあるものをもっと食べさせてあげたいのに……」



 胸の奥が、ぎゅっと縮む。



「いいよ、母さん。俺、稼げるようになるから」



 母は小さく頷いて、少しだけ強い手でハヤトの頭を撫でた


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 渡された小さな布袋。中身は、銅貨が数枚。

 家賃と粗末な食事代を払えば、ほとんど残らない額だ。



「明日は朝からだぞ。冒険者は祭りだか何だかで忙しいからな。肩と腰、揉まれに来るやつが増える」



「はい!」



 明るく返事をして、ハヤトは店を出た。


 貧民街の狭い路地を抜ける風は、少しだけ冷たい。

 石畳の隙間には泥水が溜まり、どこからか酒場の笑い声と、鍋の匂いが漂ってくる。

 そんな中。



「おい、坊主」



 背後から、聞き慣れた嫌な声が飛んできた。

 振り返ると、革鎧にボロボロの剣という、いかにも安物装備な冒険者が三人。

 胸元の木札には、店の雑用係を示す刻印が彫られている。

 ハヤトの胸の奥に、ひやりとした緊張が広がった。



「さっきギルドの前で見たぜ。マッサージ屋のガキだろ?」



「……はい」



「ならちょうどいい。今日一日、クソみたいに歩き回ってよ。脚がパンパンなんだ。タダで揉んでくれよな?」



 取り巻きの二人がゲラゲラと笑う。

 こういう連中は、珍しくない。

 弱そうな相手を見つけては、酒の種にする。

 この街では、

「弱い」

ことはそのまま

「搾り取られる理由」

になるのだ。



「……分かりました。少しだけなら」



「おお、素直でよろしい」



 三人はそこらの木箱に勝手に腰を下ろし、脚を突き出してくる。

 夕陽はもう路地に届かず、空は群青色に染まりつつあった。

 ハヤトは膝をつき、一人目の脚に手を伸ばす。



「……ここ、だいぶ張ってますね」



「おお、さすがマッサージ屋。分かってんじゃねえか」



 ハヤトは、さきほどの客よりも少しだけ強く魔力を流した。

 皮膚の表面で火花が弾けるイメージ。血が勢いよく流れ出すイメージ。

 ──ビリッ。



「っだぁ!? いってぇ!」



 男が脚を引っ込める。



「す、すみません! 俺の魔力、静電気なんで……」



「静電気、ねえ」



 リーダー格の男がニヤニヤと笑った。



「おい聞いたか。こいつの魔力、“静電気”だってよ」



「ははっ、何それ。雷の出来損ないか?」



「最弱魔力じゃねえか。スライム1匹殺せねえだろ、これ」



 三人の笑い声が、狭い路地にぐるぐると反響する。

 胸の奥がじくじくと痛んだ。

 言われ慣れているはずなのに、慣れた覚えは一度もない。



「でもよ……」



 リーダーの視線が、ハヤトの胸元へと下がる。



「マッサージ代ってことでよ。今日の稼ぎ、見せてみろ」



「えっ──」



 布袋がするりと抜き取られる。



「だ、だめです、それは……!」



「うるせえな。貧民街のガキが、銅貨数枚惜しんでんじゃねえよ」



 ハヤトは本能的に男の腕を掴んだ。

 必死に魔力を流す。



 ぱちぱちぱちぱちっ──!



「っ……!」



 男の腕がびくっと震え、一瞬だけ力が緩む。

 その隙を突いて、ハヤトは布袋を奪い返した。

 だが。



「……調子に、乗ってんじゃねえぞ、テメェ」



 体が石畳に叩きつけられる。

  視界がぐにゃりと歪み、鈍い痛みが、耳鳴りと一緒に押し寄せる。



「静電気ごときで逆らおうとか、笑わせんな」



 腹に蹴りが入った。息が、肺から無理やり押し出される。



「がっ──」



「おいおい、死なない程度にしとけよ? 貧民街のガキでも、人ひとり殺したらギルドがうるせえ」



「分かってるよ。ちょっとお仕置きすりゃ十分だ」



 笑い声が、遠くなったり近くなったりする。

 ──痛い。苦しい。悔しい。

 体を丸めながら、ハヤトは歯を食いしばった。

 なんでだ。

 なんで、魔力の強さでなんでも決まるんだ。

 生まれつき決められた



「適性」



が、人生の価値を決めてしまうんだ。

 指先から、かすかな火花が飛んだ。



「おい、まだ魔力残ってんのかよ。しぶといな、静電気坊主」



 リーダーがつま先でハヤトの手を踏みつける。骨が軋んだ。

 そのとき──



「……その辺にしておきなさい、三流」



 冷たい声が、路地に響いた。

 女の声だ。よく通る、高めの声。だが、芯に熱を帯びている。



「なんだよ──」



 振り向いた男が、ピタリと動きを止める。

 そこに立っていたのは、月光を閉じ込めたような銀髪の少女だった。

 上質な布で仕立てられたローブに、腰には細身の剣。

 胸元には銀に輝くプレート──冒険者ギルドEランク以上の証。

 プレートには、火と日を象った紋章が刻まれている。



「セ、セレス様……」



 男の声が裏返った。

 セレス・フォン・アルステリア。

 この街を治める領主家の分家に連なる、高位の火術士だという噂を、ハヤトでさえ聞いたことがある。



「貧民街でなら、何をしてもいいとでも思ったのかしら?」



 セレスの指先に、ふわりと炎が灯る。

 小さな火。

 だが、熱はほとんど感じないのに、見ているだけで肌がひりつくような圧があった。



「べ、別に、その、ちょっと遊んでただけですよ。な、なあ?」



「そうだそうだ。ただのじゃれ合いで……」



「じゃあ、その子から足をどけなさい。今すぐ」



 ぴたりと止まる。

 男の額に、じっとりと汗が滲んだ。



「……は、はいっ」



 ハヤトの手から、重みが消える。

 彼はかろうじて体を起こしながら、息を整えた。



「小袋も返して」



「ど、どうぞ……!」



 小袋が放り投げられる。ハヤトは慌ててそれを抱きしめた。



「次に同じことをしたら、あなたたちの眉毛を先に燃やして、そのあとでギルドに報告するわ。覚悟しておきなさい」



 三人の冒険者は顔を青くして、一目散に路地の奥へと逃げていった。

 残されたのは、ハヤトとセレスだけ。



「……立てる?」



「あ、はい。ありがとうございます」



 ハヤトはふらつきながら立ち上がる。

 足元が少しふわふわするが、歩けないほどではなかった。



「さっき、ちょっと見ていたのだけど」



 セレスの視線が、ハヤトの指先へ向く。



「あなた、静電気を使ったわよね」



「えっ……」



「“最弱魔力”だって笑う奴も多いけど。あの男の腕の動き、一瞬止まってた。あれ、ちゃんと“効いて”たわよ」



「……でも、結局、殴られました」



 思わず本音が漏れてしまう。



「そうね」



 あっさりと同意されて、少し傷ついた。



「ただ──」



 セレスは、ほんの少しだけ口元を緩めた。



「私の目から見れば、あなたの静電気は“ゼロ”じゃない。

 ゼロじゃないなら、伸びしろはある。

 あとは、どれだけ頭を使えるか次第ね」



「頭、ですか?」



「そう。知ろうとするかどうか、ってこと」



 セレスは空を見上げる。

 貧民街の路地から見える空は狭く、夕暮れと夜の境目が細い帯のように伸びていた。



「この世界は、強い魔法と強い剣だけでできてるわけじゃないのよ。……覚えておきなさい、静電気坊や」



 そう言って、セレスは踵を返し、路地の向こうへ去っていく。

 残された火の粉が、夜風に乗ってふわりと散った。



「……強い魔法と、強い剣だけじゃ、ない」



 ハヤトはその言葉を、何度も心の中で繰り返した。













夜。

 六畳ほどの狭い部屋。

 粗末なベッドと、古い木の机。

 窓からは、貧民街の暗い屋根が見えるだけだ。

 ハヤトは机に本を何冊も積み上げ、油ランプの薄暗い光の下でページをめくっていた。

 七英雄の物語、簡単な歴史書、読み書きの教本、安物の算術の本。

 どれも古本屋でかき集めた、安くてぼろぼろな本ばかり。

 それでも、ハヤトにとっては宝物だ。



「知は力なり……か」



 ぽつりと呟く。

 それは、物心つく前に死んだ父が、よく口にしていた言葉だという。

 母の話でしか知らない父。

 顔も声も覚えていない。

 ただ、その言葉だけが、いつも心に刺さっていた。



「知れば、俺でも……」



 静電気しか出せない、貧民街の少年でも。

 知識があれば、少しは強くなれるんじゃないか。

 そんな淡い希望だけが、ハヤトを机に向かわせ続けていた。

 ……やがて、ランプの火が小さく揺らぎ始める。油が尽きかけている。



「今日は、ここまでかな」



 本を閉じ、積み上げようとした──その瞬間。

 世界が、白に塗りつぶされた。



「え──?」



 ランプが爆ぜた? そう思ったが、違う。

 部屋の中心、空中から、まばゆい光が噴き上がっている。

 直視できない。目を閉じても、瞼の裏が焼けるように痛い。

 空気そのものがきしむような音がした。



 パチ、パチパチ……パチパチパチッ──。



 耳慣れた静電気の音。

 だが、桁違いに大きい。

 髪が逆立ち、肌がざわりと粟立つ。



「な、なにこれ……!」



 ハヤトはベッドの上で縮こまり、腕で顔を庇った。

 光はさらに強くなり──やがて、ふっと消える。

 静寂。

 恐る恐る目を開けると、そこには見慣れた六畳の部屋が戻っていた。

 焦げ跡一つない。ランプも無事。

 さっきまでと同じ……ように見える。

 ただ、ひとつだけ。



「……え?」



 ハヤトの膝の上に、一冊の本があった。

 見覚えのない、本だ。

 表紙は深い紺色で、手触りは革とも紙ともつかない。

 中央には金色の文字が刻まれている。



『電気回路入門』



「でん……き、かいろ……?」



 聞いたことのない言葉だ。

 この世界に、



「電気」



なんて言葉は存在しない。

 雷なら“雷撃”や“雷の魔法”と呼ばれるし、静電気なんて正式な名前すらついてない。



「さっきの光は……これ、のせい?」



 そっと表紙を開く。



「…………白紙?」



 どのページも、真っ白だった。

 タイトルも、目次も、本文も、なにもない。

 ただ白い紙が、延々と続くだけ。



「なんだこれ……」



 肩から力が抜ける。

 見たこともない本が突然現れた。それだけでも十分異常なのに、中身が空っぽときた。

 意味が分からない。

 そのとき──



『……おお』



 かすれた声が、どこからか聞こえた。



「っ!?」



 ハヤトは思わず本を落としそうになり、慌てて抱え直す。



『なかなか、いい反応じゃな』



「だ、誰ですか!?」



『誰って……目の前じゃ、目の前。儂はここじゃよ、坊主』



 声は、はっきりと



「本の中」



から響いていた。



「……本が、しゃべってる?」



『うむ。しゃべる本じゃ。珍しいか?』



「じ、じゅうぶん珍しいです……!」



『そうかそうか。まあ、そうじゃろうなあ』



 くつくつと笑う、老人のようなしわがれ声。



『さて。改めて名乗ろうかの。儂は、この本そのもの……とでも言っておこう。お前に“電気”というものを教えるために、ここへ来た』



「でんき……?」



『そうじゃ。お前の指先からぱちぱち飛び出す、あれの正体よ』



 ハヤトは息を呑んだ。



「静電気、ですか?」



『静電気。ふむ、この世界ではそう呼ばれておるのか。悪くない名じゃ』



 本は満足そうに唸った。



『だがのう、坊主。お前はまだ“静電気”のほんの欠片しか知らん。

 だから、この本の中身も見えんのじゃ』



「中身が、見えない……?」



『この世界では、“認識できぬものは扱えぬ”』



 老人の声は、少しだけ真剣味を帯びた。



『お前が知らぬことわりは、お前の力にはならん。

 逆に言えば──知れば、力になる。

 この本は、そういう作りになっておる』



 その言葉と同時に、真っ白だったページの端に、薄い文字がじわりと浮かび上がる。



「……第1章?」



 ハヤトは思わず声に出していた。



「『第1章 クーロンの法則』……?」



『そうじゃ。最初に教えるべきは、引き合う力と、反発する力の話よ』



 老人の声が楽しげに響く。



『静電気の坊主よ。

 お前は、自分の魔力が“最弱”だと思っておるか?』



「……思ってます」



 即答だった。



『そうか』



 短い相槌。だが、そのあとに続いた言葉は、ハヤトの予想を裏切るものだった。



『なら、教えてやろう。最弱だと決めつけておるのは──世界か? 他人か? それとも、お前自身か?』



「……」



『知りたいか? 静電気が、どこまで強くなり得るのか。

 ただのマッサージで終わるか、冒険者を殴り倒せるか。

 七英雄に匹敵するところまで、届くのか』



 喉が、からからに乾く。

 七英雄。

 世界を救った伝説の勇者たち。

 炎、氷、光、闇──伝説級の力で魔王を退けたという物語。

 その中に、電気の英雄など、一人もいなかった。



「……知り、たいです」



 気づけば、口が勝手に動いていた。



「俺の静電気が、本当に何かの役に立つなら。

 最弱じゃないって、証明できるなら──知りたい」



『良い目じゃ』



 ページの向こうで、誰かが笑った気配がした。



『では今日から、儂はお前の“案内役”じゃ。

 この『電気回路入門』

の全てと──』

 一瞬だけ、声の調子が変わる。



『お前のために残されたものを、少しずつ教えてやろう』



「え……誰が?」



 ハヤトは思わず聞き返した。



「これを残した人のこと、知ってるんですか?」



『ふむ。その話は、まだ早いの。

 まずはクーロンの法則からじゃ』



 老人の声は、あっさりとはぐらかす。



『“同じ性質を持つものは押し合い、違う性質を持つものは引き合う”──

 静電気の坊主よ。お前の指先で、それを確かめてみせい』



 白紙だったページに、線と記号が少しずつ浮かび上がる。

 ハヤトはごくりと唾を飲み込んだ。

 最弱魔力「静電気」と、しゃべる謎の本『電気回路入門』


 貧民街の一室から始まる、小さな革命の物語。

 それが、このとき静かに動き出した。

既に最強というよりは、強くなっていく過程をお楽しみください。

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