第6話:発明家の通信簿
訓練場を支配していたのは、奇妙な静寂だった。
数分前まで、そこにいたはずのゴーストは、光の粒子となって消え去った。
後に残されたのは、半壊した訓練用の壁と、傷つき、倒れた仲間たち。
そして、その中心で、一枚の、ありえないカードを手に、呆然と立ち尽くす、俺の姿。
「おい…ホムラ…」
ジンが、瓦礫の中から身を起こし、信じられないものを見るような目で、俺が手にするカードを見つめている。
「お前、一体、何をしやったんだ…? ゴーストが…カードに…?」
俺には、答えられなかった。
俺自身、何が起きたのか、全く理解できていないのだから。
脳内に、イグニスの、どこまでも冷静なシステムログが表示される。
《カードNo.001:嫉妬深き剣士》を、『ソウルデッキ』に保存しました》
ソウルデッキ…?
その、聞き慣れない言葉の意味を問う前に、訓練場の入り口から、嵐のような気配が吹き込んできた。
アッシュ教官だ。
緊急任務から帰還したのだろう、その戦闘服は、まだ新しい硝煙の匂いを纏っている。
彼は、半壊した訓練場と、俺が手にする『ソウル・カード』を、その鋭い瞳で一瞥し、全てを察した。
そして、誰にも聞こえない声で、戦慄と共に呟いた。
「…まさか。魂の継承…? ヒュウガですら、辿り着けなかった領域に、この落ちこぼれが…?」
***
厳戒態勢が敷かれた、アッシュの研究室。
そこに、俺たち…ジン、シズク、ゴウキ、カオルが集められていた。
カオルが、治癒師のエルザ先生からもらってきたポーションを、ジンとゴウキに手渡している。
「…ったく、ツイてねえぜ。俺の自慢の顔に傷がついたらどうすんだよ」
ジンは、悪態をつきながらも、素直にそれを受け取った。
「…無茶をするからですわ。あなたも、ゴウキも」
シズクは、腕を組み、溜息をついた。
その指先が、ほんの少しだけ震えていることに、気づいた者はいなかった。
アッシュは、そんな俺たちの様子には目もくれず、ただ、厳しい顔で、俺に命じた。
「ホムラ。もう一度、やってみろ。《スキルNo.1:点火》だ」
「え…で、でも…」
また、暴走したら…。
俺の脳裏に、これまでの失敗の記憶が、蘇る。
「…大丈夫だよ、ホムラくん」
カオルが、静かに、しかし、力強い声で言った。
「あの時みたいに。あなたの優しい光を、信じて」
あの、瞬間…。
俺は、言われるがままに、目を閉じた。
思い出すのは、ゴーストの哀しみ。
そして、その哀しみを、どうにかしたいと願った、俺自身の魂の温かさ。
俺は、その感覚を頼りに、恐る恐る、掌に意識を集中させた。
ぽっ。
信じられないことに、俺の掌に、小さな、しかし、確かに安定した火花が、灯った。
暴走しない。
いつものような、全てを焼き尽くすような熱量ではなく、ただ、温かいだけの、優しい光。
「…できた…」
「おお! すげえじゃんか、ホムラ!」
ジンが、自分のことのように、声を上げた。
「なるほどな」
アッシュは、腕を組み、深く頷いた。
「あの発明品…《魂の燭光》は、貴様の魂の蛇口を、少しだけ締めることができるようになった、そういうことか」
その時、脳内に、イグニスの解説が表示された。
《スキル No.101:魂の燭光- 詳細ログ》
《効果①:自己制御。マスター自身の感情のノイズをフィルタリングし、魂の波形の精度を、EランクからCランク相当まで、一時的に引き上げる》
《――おい、三流マスター。聞こえるか》
脳内に、イグニスの、不機嫌そうな声が響く。
《いつまでもウィンドウを凝視するな。キモいだろうが。このポンコツが》
「う、うるせえな! 俺の頭ん中で話すな!」
俺は、思わず声に出して叫んでしまい、仲間たちから「どうしたんだ?」と、怪訝な顔を向けられた。
《――手のかかるやつだ。それよりももっと下をみろ》
脳内に、イグニスの、かったるそうな、そして呆れていそうな声が響く。
下…?
そして、そこには、俺も知らなかった新しい能力が、追記されていた。
《効果②:ゴースト波形の感知。半径500m以内のゴーストの出現位置、及び残留思念を把握可能》
ゴーストを、探せる…?
俺の力が、レーダーに…?
「…イグニス」
俺は、心の中で、相棒に問いかけた。
「あのカードのことも、教えてくれ」
イグニスに『ソウルデッキ』を開くよう、命令した。
俺の視界にだけ、半透明のウィンドウが表示される。
そこには、一枚だけ。あの剣士の肖像が描かれたカードが、静かにセットされていた。
俺が、そのカードに意識を向ける。
すると、その詳細が表示された。
《カードNo.001:嫉妬深き剣士(R)》
《継承スキル:No.501:劣等の一閃》
《パラメータ補正:SPEED +5》
《自我侵蝕率:1%/秒》
レアリティ…R…。
パラメータ補正…。
そして、スキルナンバー501。『起源の書』の外側の、未知の力。
そして謎の自我侵蝕率という数字。
ウィンドウから得た情報を、俺はみんなに伝えた。
「なるほどな…」
俺たちの様子を見ていたアッシュが、何かを決意したように、立ち上がった。
そして、彼は、俺の父の名を、口にした。
「…ホムラ。お前の父、ヒュウガは、最強の『アンカー』だった。だが同時に、彼は、誰よりもゴーストの謎に憑りつかれた、『学者』でもあった」
「そして、その禁断の研究の果てに、彼は消えた。…お前が、今、手にした力と、無関係だとは思えん」
アッシュの、真剣な眼差し。
それは、もはや落ちこぼれを見る目ではなかった。
未知の可能性を秘めた、一人の戦士を見る目だった。
「明日、俺の部屋に来い」
アッシュは、静かに、しかし、有無を言わさぬ力強さで、告げた。
「貴様が井の中の蛙だということを、教えてやる。そして、その上で、貴様がこれから何をすべきなのかを、叩き込んでやる」
父の謎。
手に入れた、新しい力。
俺の退屈な日常が、終わりを告げ、
本物の物語が、始まろうとしている。
その、確かな予感に、俺の魂は、打ち震えていた。




