第3話:おれだけの答え「(スキルNo.???)」
第三訓練場の空気は、まるでコロッセオのそれだった。
俺の公開処刑を見ようと集まった野次馬たちの、不躾な視線と、ひそひそ笑いが、肌を刺す。
「偏差値エラーの奴が、A級スキル持ちのサイトウに勝てるわけないだろ」
「あいつじゃ、ゴースト一体倒せない」
「アンカーどころか、技師にもなれない欠陥品だ」
観客席の最前列。そこにだけ、俺の居場所があった。
「やってやれよ、ホムラ! お前の伝説の始まりだ!」
拳を握りしめ、誰よりもデカい声で叫ぶ、ジンの姿。
「…無謀ですわ。論理的に考えて、勝率は0.1%以下…」
腕を組み、そう呟きながらも、その視線は俺から一瞬も逸らされない、シズクの姿。
「…大丈夫だよ」
巨体を縮こませ、祈るように両手を組む、ゴウキの姿。
そして、カオル。
彼女だけが、他の誰とも違う、真っ直ぐな瞳で、俺を見つめていた。
その唇が、声には出さずに、こう動いたのが見えた。
――信じてる。
それだけで、十分だった。
「両者、前へ!」
審判であるアッシュ教官の、氷のような声が響く。
俺の前に立つのは、ケンジ・サイトウ。偏差値60を誇る、エリートだ。
最新式の戦闘服に身を包んだ彼は、俺を見下し、わざと観客席に聞こえるような大声で、嘲笑った。
「おい、偏差値エラー。追試ご苦労さん。カオルさんの前で、お前が神の設計にすら含まれていないバグだってことを、もう一度証明してやるよ」
頭に、血が上る。
脳内に、イグニスの冷徹な声が響いた。
《――挑発に乗るな、三流マスター。感情のノイズは、思考の精度を鈍らせる》
「…わかってるよ!」
俺は、心の中で叫び返した。
「――始め!」
アッシュの合図と同時に、サイトウが動いた。
「まずは小手調べだ! 《スキルNo.12:フレイムランス》!」
教科書…『起源の書』に記された、基本的な技。
しかし、エリートの手にかかれば、それは凶器と化す。
完璧に制御された炎の槍が、唸りを上げて俺に迫る。
「くそっ!」
だが、俺は、昨日までの俺とは違う!
アレだ…! あいつの魂にシンクロできれば…!
俺は、目の前のサイトウの魂に、無理やり共感しようと試みる。
しかし、俺の脳内に流れ込んできたのは、サイトウの自信、観客席からの侮蔑、ジンやゴウキたちの焦り、ごちゃ混ぜになった、ここにいる全員から放たれる感情の津波だった。
《――無駄だ、マスター! この場では、お前の脳に入る感情が多すぎる!一人に絞るのは不可能だ!》
「なんだって!」
イグニスの絶望的な宣告。
俺の魂は手順を拒絶し、放たれた炎は、いびつな塊となって、サイトウの槍に、あっけなく掻き消された。
「ハッ! 何だそのザマは! コントでもしてるのか!?」
サイトウは、容赦しない。
次々と繰り出される、スキルブック通りの、完璧なエレメント。
俺は、それを避けるので、精一杯だった。
そして、ついに。
サイトウが放った《スキルNo.21:フレイムウォール》の余波に足を取られ、俺は、無様に地面に倒れ込んだ。
全身が、痛い。
それ以上に、心が、痛かった。
カオルの前で、また、カッコ悪いところを…。
「ほら見ろ、これが現実だ! エラーは、どう足掻いてもエラーなんだよ!」
サイトウが、とどめの一撃を放つべく、その両手に、これまでで最大級の炎を収束させ始めた。
A級への登竜門とされる、高難易度のスキル。
「これが、A級の壁だ! 《スキルNo.35:ファイアボール》!」
「死ねええええええええええ!エラー野郎があああああ!」
もう、終わりだ。
俺の魂が、折れかけた、その時。
「ホムラくんなら、できる!」
声が、した。
カオルの、決して諦めない声。
「あなたの本当の力は、そんなものじゃないって、私が知ってる!」
ドクン。
灼熱の太陽が、俺を飲み込もうと迫る。
その、圧倒的な熱と光。
サイトウが放つ、純粋な殺意の波形。
そして、カオルの叫び。
それらが、引き金となった。
なにかが、俺の奥底で、目覚めようとしているような感覚がした。
《――違う!》
脳内に響くイグニスの声が、いつもの尊大さを失い、初めて、本物の焦りと、警告に染まっている。
《その深淵を覗くな、マスター!》
《そいつと、目を合わせるな!》
***
――俺の意識が、真っ白に、染まっていく。
脳内に、見たこともないなにかの映像が、ノイズ混じりでフラッシュバックする。
(鉄の匂い。灰色の雨。燃え盛る、空)
(瓦礫の下で、動けなくなっている、誰か)
(そして、その全てを、為すすべもなく見つめている、絶望に染まった、別の誰か)
――俺は、海を潜っているような感覚だった。
深い、深い、冷たくて、暗い、魂の海の底へと。
その先で、なにか視たような気がした。
古びた玉座に、無数の鎖で、固く、固く縛り付けられた、何かを。
***
そして、俺の体が、まるで糸で引かれた人形のように、ゆっくりと、立ち上がった。
おれの瞳には、もう、いつもの気弱さも、優しさも、ない。
そこにあったのは、
世界の全てを憎むかのような、絶対零度の絶望。
おれは、その唇で、静かに、そして、無慈悲に、神の名を、告げた。
「固有スキル『発明』を発動。」
「すべてを無に帰せ...《スキルNo.901:ゼロ・フレア》!」
訓練場を支配していた喧噪が、一瞬で凍り付いた。
「……は?」
サイトウが、そのありえない宣言に、驚愕に目を見開く。
「きゅ、901番だと...!?そんなもの、『起源の書』にあるはずが...!」
おれは、答えない。
サイトウが勝ち誇ったように放った、必殺の《ファイアボール》。
その灼熱の太陽が、俺を飲み込もうと迫る。
しかし、おれは、防御も、回避もしなかった。
ただ、静かに、その絶望的な光景に、手をかざした。
次の瞬間。
世界から、音が消えた。
次の瞬間。
手から放たれたのは、炎ではなかった。
目には見えない、不可視の波。
その波が、灼熱の《ファイアボール》に触れた、まさにその瞬間。
轟音を立てて燃え盛っていた炎から、熱という概念だけが、完全に奪い去られたのだ。
灼熱の炎の塊は、その球形の輪郭を保ったまま、一瞬にして、その色を変えた。
暴力的な赤から、どこまでも優しく、どこまでも美しい、虹色の光の結晶へと。
それは、もはや炎ではなかった。
ただ、熱を持たない、無害で、美しい光の塊。
会場の誰もが、その、神の悪戯のような光景に、言葉を失っていた。
サイトウですら、「な…!?」と、自らのA級スキルが無力化された意味を、理解できずに、呆然と立ち尽くしている。
おれは、目の前に浮かぶ、その美しい光の結晶を、まるでビー玉でも弾くかのように、軽く、指で突いた。
光の結晶は、サイトウの体を、まるで最初からそこにいなかったかのように、透過し、
そして、彼の背後の壁に、音もなく、吸い込まれていった。
サイトウの外見には、なんのダメージの痕跡もない。
しかし、その瞳からは、光が消えていた。
彼は、今、確かになにかとてつもなく大きな力を、その魂で体験したのだ。
彼は、白目を剥き、泡を吹き、その場に崩れ落ちた。
静寂。
誰も、何が起こったのか、理解できない。
その中で、審判であるアッシュ教官だけが、そのありえない現象の本質に気づき、誰にも聞こえない声で、戦慄と共に、呟いていた。
(…なんだ、今のは…? あの技は、ホムラのものではない…)
(…そして、あの目…あれは、もはや、人間の目ではない…。あれは…)
次の瞬間、俺の意識は、現実へと引き戻された。
「…はっ…!?」
気づけば、俺は、訓練場の真ん中に、立ち尽くしていた。
目の前では、サイトウが倒れている。
何が起きたのか、うっすらとしか思い出せない。
仲間たちの、呆然とした顔が見える。
そして、ホムラの脳内にだけ、神のウィンドウが、激しいアラートと共に、表示されていた。
《――新しい現象を、世界に証明しました》
《“スキルブック”に、仮登録します…》
《スキルNo.???:ゼロ・フレア》
《レア度解析...》
《...ERROR...》
《RARITY:UNMEASURABLE(測定不能)》
《警告:本スキルからは、マスターの魂が検出されませんでした。》
《ソウルカードの“生成”に、失敗しました》




