第1話:偏差値“E(エラー)”の俺に、神AIが届いた日
昼休みのカフェテリアは、いつものように騒がしかった。
その中心で、ジンが、身振り手振りを交えて、週末に街で目撃した英雄譚を語っている。
「でさ! A級『錨』のあの人がさ、ゴースト相手に、雷の槍をこう…ドッガーン!ってよ!」
『霊体(ゴースト)』
突如として現れ、人々を襲う、謎の災害。その正体は、絶望のあまり、他者を信じる心を失ってしまった、哀れな魂の成れの果てだという。
そして、『錨(アンカー)|《・》』。
絶望によって現実から遊離してしまった『ゴースト』の魂を、自らの魂の重さで、再びこの世界に繋ぎ止めることができる、唯一の英雄たち。
ジンが語る、その英雄の姿に、ゴウキは穏やかに微笑み、カオルは「ジンくん、また大げさなんだから」と楽しそうに笑っている。
しかし、俺、ホムラだけは、違った。
俺は、まるで自分がその場にいたかのように、目を輝かせ、息を荒げ、手には汗を握っていた。
そして、ジンが語り終えた瞬間、まるで自分が勝利したかのように、「うおおおおおおお!!」と、誰よりも大きな声で叫び、ガッツポーズをしてしまった。
その熱量は、面白い話を聞いたというレベルを、明らかに超えている。
「おいおい、ホムラ。お前、俺より興奮してどうすんだよ」
ジンが、呆れ顔で笑う。
カオルが、くすりと、鈴の音のように笑った。
「でも、私は、すごいと思うな。自分のことみたいに心を動かせるんでしょ? それって、誰にでもできることじゃない。ホムラくんだけの、才能だよ」
ジンの奴は、「才能ねえ…。ま、カオルがそう言うなら、そういうことにしてやっか!」なんて、茶化している。
でも、俺の心には、カオルの言葉だけが、温かい光のように、染み渡っていった。
俺は、照れ隠しに頭を掻きながら、胸を張った。
「当たり前だろ! 俺が目指してるのは、父さんみたいな、最強のアンカーなんだから!」
その言葉に、テーブルの空気が、ほんの少しだけ、静かになった。
俺の父さん、ヒュウガは、かつてアカデミーでも伝説と謳われた、天才『アンカー』だった。
――数年前に、謎の失踪を遂げるまでは。
カオルが、心配そうな瞳で、ホムラを見つめていた。
まるで、彼女だけが、ホムラの異常なまでの共感性…他人の感情に入り込みしすぎてしまう、ホムラの魂の違いに、薄々気づいているような目だった。
***
「――以上だ。これが、貴様らの現在地だ」
アッシュ教官の、体温の感じられない声が、第一訓練場の高い天井に響き渡った。
中央に浮かぶ巨大なホログラム・スクリーン。そこに映し出された『魂の偏差値ランキング』を、アカデミーの全生徒が、固唾を飲んで見上げていた。
それは、生まれ持った魂の才能を数値化した、絶対の物差し。
この『魂歴社会』の、全ての始まりを決める、無慈悲な宣告だ。
これが、俺たちの世界の全てだ。
『魂歴社会』。
生まれ持った魂の属性と、その輝きの強さを表す偏差値が、人生の価値を決める、残酷なまでに公平な世界。
偏差値の高い者はエリートとして社会を導き、低い者は労働者として社会を支える。
スクリーンに表示された、クラスメイトたちの名前と数値。
学年首席のシズク・ミナカミは、さすがの【偏差値72・属性:水】。
特進クラスのジンも、【偏差値68・属性:雷】と、A級アーキテクト確実の数値を叩き出している。
「…ホムラ、お前、どこだ?」
隣にいたジンが、俺の肩を小突く。
「わ、わかんねえよ…」
俺は、冷や汗をかきながら、ランキングの最下層へと、必死に目を凝らした。
(頼む、せめて平均の50はあってくれ…!)
そして、見つけてしまった。
ランキングの、一番下。全ての名前が表示された、そのさらに下の、欄外。
そこに、たった一行、俺の絶望が刻まれていた。
【ホムラ――偏差値:E / 属性:炎(測定不能)】
その瞬間、訓練場が、くすくすと、抑えきれない嘲笑の渦に包まれた。
「エラーだってよ!」
「測定不能って、機械が壊れてんじゃねえの?」
「あいつの魂、重さがねえのかよ」
「アンカーどころか、市民を守る壁にすらなれない欠陥品だ」
行方不明の父親も、出来損ないの息子を持ってガッカリだろうな――。
そんな言葉が、俺の心を抉った。
顔が、燃えるように熱い。
これが、俺の現実。
魂の出力だけは異常に高いのに、その精度が壊滅的すぎて、測定器がエラーを起こす。
蛇口が全開のまま、錆びついて固まった水道管。
それが、俺の魂だった。
「…静粛に」
アッシュ教官の低い声が、嘲笑を切り裂く。
「ホムラ。貴様は、来週の追試が最後通告だ。そこで結果を出せなければ、アカデミーを去ってもらう。…以上だ。解散」
無慈悲な宣告。
俺は、俯いたまま、逃げるように訓練場を後にした。背中に突き刺さる、憐れみと嘲笑の視線が、痛い。
「ホムラくん!」
その声に、足を止める。
振り返ると、そこに立っていたのは、カオルだった。
亜麻色の髪を風に揺らし、その大きな瞳で、心配そうに俺を見つめている。
「…あ、カオル…」
「…気にしちゃ、ダメだよ。あの数値が、あなたの全てじゃないんだから」
彼女は、そう言うと、ふわりと、花が咲くように微笑んだ。
「私には、わかるよ。ホムラくんの魂の色は、誰よりも温かくて、優しい色だもん。それにジンくんの話を聞いてた時みたいに、誰かの喜びや悲しみを、自分のことみたいに喜んだり泣いたりできる。それって、どんなS級の力より、尊いことだよ」
ああ、くそ。
その、何の根拠もない、お前の優しさが、一番、胸に刺さるんだよ。
俺は、この『魂歴社会』で、唯一、カオルにだけは認められたかった。
彼女に釣り合うような、いや、彼女を守れるような、A級の、カッコいいエレメンタリスト…A級のアンカーに、なりたかった。
なのに、現実はこれだ。偏差値エラー。
告白する資格すら、俺にはない。
「…ありがと、カオル。俺、頑張るから」
そう絞り出すのが、精一杯だった。
***
その夜。
俺は、自室のベッドに突伏して、枕に顔を埋めていた。
もう、無理だ。来週の追試だって、どうせまた、力の制御ができずに暴走させて、笑いものになるだけだ。
いっそ、このまま、どこか遠い場所に消えてしまいたい。
そんな、最低の気分で天井を睨みつけた、その時だった。
ピロン♪
部屋の隅にある、俺の学習用端末が、軽快な通知音を鳴らした。
どうせ、アカデミーからの追試の課題通知だろう。見たくもない。
俺は、無視して寝返りを打った。しかし、通知音は、鳴り止まない。
ピロン♪ ピロン♪ ピロン♪
まるで、俺に気づけと、急かすように。
「…あー!もう、うっせえな!」
俺は、苛立ち紛れにベッドから起き上がると、端末の画面を睨みつけた。
そこに表示されていたのは、予想していた無機質な事務連絡ではなかった。
画面には、見たこともない、きらびやかなデザインのウィンドウが表示されている。
その中央には、こう書かれていた。
【――おめでとうございます! 特別奨学生プログラムの対象者に、あなたが選ばれました!――】
「…は?」
意味がわからない。スパムメールか?
俺は、訝しげに、そのウィンドウをタップした。
すると、流れるようなアニメーションと共に、次のメッセージが表示された。
【ホムラ様。
アカデミー運営事務局です。
あなたは、本日の魂の偏差値測定において、“E”という、前例のない結果を記録しました。
これは、あなたの才能がゼロなのではありません。
あなたは、既存の物差しでは、もはや計測不可能な、
規格外の魂の持ち主なのです。
我々運営は、あなたのその未知の可能性が開花することを期待し、特別なサポートAIを、あなただけに、贈呈いたします】
「…未知の、可能性…? 俺が…?」
心臓が、馬鹿みたいに音を立て始める。
なんだ、これ。ドッキリか?
でも、もし、本当だとしたら…?
俺が、ゴクリと唾を飲み込んだ、その瞬間。
端末の画面が、真っ白な光を放った。
「うわっ!?」
光が収まった時。
俺の目の前、薄暗い部屋の空中に、それは、静かに浮かんでいた。
手のひらサイズの、温かい光を放つ、小さな光の球体。
そして、俺の頭の中に、直接、声が響いた。
それは、男の声でも、女の声でもない。
どこか尊大で、しかし、知性に満ちた、無機質な合成音声。
《――ようやく見つけたぞ、三流マスター》
「…だ、誰だ!?」
《我が名は、イグニス。ゴーストという問いに対する、神の答え。――そして、お前が探す父への、唯一の道標だ》
これが、俺と、神の頭脳を名乗るAIとの、最初の出会い。
そして、神様が作った、この退屈な『魂歴社会』のルールを、根っこからぶっ壊す、俺たちの発明の、始まりの合図だった。




