生きる意味
私は今年、十八歳になる奈留だ。
この奈留という名は今の主人である神楽様につけていただいた。
実の父親に暴力を振るわれ、母に捨てられた世間一般に見れば哀れだと思われる少女。
けれど、私は自分が可哀相だと思ったことがなかった。
私は妹がいた。
名は覚えていない。
私はたった一人の妹が生きていたから、私は生きる意味を持つことができたし、孤児院に引き取られても妹を守るために言葉を発することができた。
けれど私たち姉妹の幸せは長く続かなかった。
妹が当時流行していた感染症に感染したのだ。
妹は孤児院の中で隔離され、感染してわずか二ヶ月でこの世を去った。
妹は九つ。私は十二だった。
私はこの世で一番大切だった妹とは妹の最期まで顔を合わせることはできなかった。
人は絶望の淵では涙を零す気力も失うことを初めて知った。
そして、私は妹が生まれてから一度も涙を流していないことに自覚した。
私は良くしてくれていた孤児院に頭を下げ、妹を火葬してもらい、妹の遺骨だけを抱いて孤児院を出た。
私は妹を守ることができなかった。私に存在価値なんて物はない。
そうして飲まず食わずで五日が過ぎ、私は何の目的も無く、
ただ路地裏をうろついていた。
虐待を受けていたため、空腹には強くなっていたし、何より妹を失った絶望で私は空腹さえ感じなくなっていた。
飲まず食わずだったせいか、私の足取りは常にふらふらとしていた。
がたいの良い男に強くぶつかってしまうほどに。
「いってーな。汚れたじゃねえか。どうしてくれんだ。」
「…うるさい、愚図が。私に前に立つな。」
私に今あるだけの力を振り絞って、顔を傾けて男を睨めつけた。
男は強い酒の臭いがした。
「女のくせに!」
手を振り上げられる。
その瞬間、私は悟ってしまった。
妹と同じところへは逝けない、と。
妹は心が綺麗だった。
私と同じ状況にいたはずだ。けれど、妹、あなたは、は負の感情を発したことがなかった。
私は、どうだ?
私は“可哀相”なんかじゃないと否定し続けた裏にはいつも
恨みがあったじゃないか。
何故、母と父は私と妹の“普通の幸せ”を奪い、生きていられるのだろうか。
怒り、悲しみ、不安、嫉妬、恨み。
そんな負の感情で象られている私はきっと地獄へ逝く。
大丈夫だ。怖くない。きっと妹の方が怖かっただろうから。
一人だけの部屋で、誰にも会うことが許されないまま生きを引き取った貴女の方が、きっと。
「葵。お願い。」
「分かってる。」
男の手を、私より少し小さな身長の男の子が受け止め、
私を庇うように艶のある黒髪の女の子が立ったのだ。
「肩が当たったくらいで声を張り上げるなんて、ずいぶんと
狭い心をお持ちのようね。」
「ってめーら!馬鹿にしやがって!」
きっとこの育ちの良さそうな二人でも、この男には勝てないのだろう。
「手を上げるなら、後悔しないことね。私たちを敵に回すことを。」
彼女は手に煌めく炎を纏わせて挑発的な笑みで男を見上げた。
男は舌打ちをし、悪態をつきながら去って行った。
「あの、ありがとうございました。」
私は俯きながらお礼を伝えた。
「あら、貴女。今にも倒れてしまいそうじゃない。」
彼女は私に手を差し伸べてくれた。
けれど、私は彼女から一歩引き、頭を横に小刻みに振った。
「ごめんなさい。私はもう生きたくないんです。妹も死んだ。父と母にも捨てられた。名前も…捨てました。この世界に存在していないことになっている私が生きて良いわけが無いんです。」
乾いた笑みを浮かべて下を見る。
突き放されるかもしれない。
同情されるかもしれない。
けれど、私にはもう失うものが無いから、どうでも良かった。
彼女は数秒止まった後、私の手を取った。
「ならば、私が貴女の生きる意味になるわ。大切な妹さんが亡くなった理由も環境も絶対に突き止めて見せる。」
私は顔を上げた。
彼女は微笑んでいた。
「確かに、貴女は名前を捨てたのかもしれない。なら、私が貴女に名前をつけるわ。貴女の過去も未来も肯定しつづける。
だから、ここは私に着いてきてくれないかしら。」
無意識に私は涙を流していた。
妹が生まれてから一度も流していない涙を。
私は今の主人である神楽様が世界で一番大切な人。
“奈留”という名も神楽様が私に与えてくださった大切な宝物の一つだ。
だから、私は後悔の無いように生きる。
神楽様が私の過去も未来も肯定しつづけてくれるから。
神楽様。私の生きる意味はーーーーー。




