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「仕方がない」と諦めた令嬢

作者: 河谷 奈佳。

初投稿です。

「仕方がないわよね・・・」


今日の講義が終わり、人が居なくなった講義室の窓際からセルビアは学園の中庭を眺めていた。

目に入ってくる景色に思わず独り言をこぼすと、

返ってこないはずの相槌が背後から返ってくる。


「またジルとフォルレーゼ嬢のことを見ているのか?」


後ろからした声に振り向けば、呆れ顔をしたレオンが近づいてきていた。

セルビアの横まできたレオンは、セルビアが眺めていた中庭を窓際の棚に肘をつきながら覗き込む。


「まぁ・・・目に留まってしまうのでこればかりは仕方がないですね」


レオンにそう返しながら、セルビアは再び中庭に視線を落とす。

そこには仲睦まじく話をするトスカータ王国第二王子のジルヴァーノ・トスカータと聖女シル・フォルレーゼの姿があった。


「表情筋が死滅したと噂のジルが笑っているのがここからでも分かるな。流石は聖女様と言ったところか」


窓の外を見ながら可笑しそうに話すレオン。

中庭では丁度、シルが何かジルヴァーノに話をしているようで、話に耳を傾けているジルヴァーノが静かに微笑んでいた。


「あまり失礼な物言いをするものではありません。ご令嬢の間ではあの無表情がさらにジルヴァーノ様の魅力を爆発させていると評判なのですよ」


「魅力が爆発ってなんだよ」


「さぁ私はお話を小耳に挟んだだけですので」


「セルビアもジルに似て堅物だもんな、そんな噂話には加わらないか」


明らかに誉め言葉ではないそれに怪訝な視線を向けると、窓の外を見ていたはずのレオンと目が合った。

少し驚いた顔をすると、レオンはいたずらが成功した子供のように笑いながらまた中庭へ視線を落とした。


トスカータ王国第二王子であるジルヴァーノ・トスカータは「笑顔のない第二王子」と呼ばれている。

白い肌に深海のような濃い青の瞳、現国王と同じシルバーの髪は笑わないジルヴァーノの印象をより冷たく感じさせる。


ちなみに、セルビアの横で中庭を覗き込んでいるレオンはトスカータ王国の隣国であるイブレーナ王国の第二王子だ。

人当たりがよく、頭も回るが王位には興味がないと幼い頃から自由奔放に暮らしているらしい。

14歳になるタイミングで留学生として学園に入学し、現在はセルビアやジルヴァーノの学友でもある。


先ほどからジルヴァーノのことを「ジル」呼びしているが、同い年で幼い頃から交流があったため自然とそう呼ぶようになったそうだ。


「二人とも、学園の中でくらい少し羽目を外してみたらどうだ?君らを見ていると肩がこって仕方がない」


「なぜレオン様の肩がこるのですか。そもそも学園には羽目を外すために入学したわけではありませんよ」


レオンが軽口を叩くが、セルビアには通じなかった。


セルビアが高等部に上がった14歳の時、学園に留学してきたレオンと同じクラスになった。他国の王子と自国の公爵令嬢ということでレオンの世話係のようなものに任命され、気がつくと自由気ままなレオンのお目付け役になっていた。

出会ってから2年、セルビアとレオンは学友として良好な関係を続けている。


「敵に塩を送るつもりはないが、そんなに気になるなら中庭に行ってセルビアも会話に交ざってくればいいじゃないか」


「・・・それができていれば、苦労しないですね」


中庭で談笑しているシルとジルヴァーノに少し羨むような眼差しを向けながら、セルビアは静かに答えた。


「私には、あのお二人の会話に交ざる権利はありませんから」


「・・・ヴィスロンティ公爵令嬢様は少々真面目すぎるようだな」


レオンは来た時と同じ呆れ顔をしながら、中庭を見つめるセルビアの横顔を見つめた。


セルビア・ヴィスロンティ公爵令嬢はジルヴァーノ・トスカータ第二王子の「婚約者候補」の一人だ。


そう、「婚約者」ではなく「婚約者候補」。

数年前までは学園に入る11歳、早ければ5歳前後で婚約者が両家によって決められ、遅くとも学園卒業の1年前、15歳が婚約のボーダーラインとされていた。


しかし、現在は最終学年になったセルビアを含めジルヴァーノやレオン、学園に通う全ての学生の「婚約者」の席は埋まっていない。


なぜそんなことになっているのか、それはとある事件をきっかけに制定された「婚約者候補」制度の影響だ。

この制度の内容を簡単に言ってしまえば、『16歳の学園卒業まで一切の婚約を認めず、あくまで「婚約者候補」とし、候補から外れることや加わることは学園卒業まで自由に行われるものとする。そして、婚約者は学園卒業のタイミングで「婚約者候補」から決定するものとする。』というものだった。


この制度に則り、現在学園の最終学年であるセルビアやレオン、ジルヴァーノには婚約者がいない。

ただ、制度の通り「婚約者候補」を作ることは許容されており、人数の制約もなかったのでジルヴァーノなどの王族や高位貴族には「婚約者候補」の打診が後を絶たず、5~6名の「婚約者候補」がいる人も珍しくなかった。


ジルヴァーノにはもともと4名の「婚約者候補」がいたが、最近そこに加わったのがシル・フォルレーゼだ。


シルはもともと平民として生活を送っていたが、15歳の時に突然聖女の力に目覚めた。

聖女の力はその国を災厄から退け、繁栄をもたらすとされている。

先代の聖女が亡くなってから次代の聖女を探していた国がシルの話を聞きつけ、保護。フォルレーゼ家の養子に入るように手引きした。


その後、貴族となったシルは貴族の義務を果たすために学園に入学。

同い年ということもあり、ごくごく自然な流れでジルヴァーノの「婚約者候補」5人目の席に着いた。


セルビアは公爵令嬢だったため、幼い頃にジルヴァーノにとって最初の「婚約者候補」となった。関係も悪い訳ではないが、セルビアはジルヴァーノが自分を選ぶことはないだろうと思っている。

それは今眼下にいるジルヴァーノとシルの表情を見れば明らかだった。


セルビアと話すとき、ジルヴァーノは一度も笑顔を見せたことが無い。

いや、婚約者候補となった当初はジルヴァーノもまだ心を閉ざしていなかったのでよく笑顔を見せてくれていた。

しかし、ジルヴァーノが王位継承権争いに巻き込まれ始めてから、ジルヴァーノがセルビアの前で笑うことは無くなった。


「ジルもそうだが、セルビアももっと笑ったらどうだ?令嬢として微笑んでいるのはよく見かけるが、セルビア自身が笑っているとこはほとんど見たことがないぞ」


中庭を眺めることに飽きたのか、窓に背を向け棚に寄りかかりながらレオンがセルビアに話しかけた。


「レオン様にお会いした当初から、いつも本心で笑っていますよ」


「嘘だね」


セルビアが否定すると被り気味に否定し返してきた。


「私が見ている限り、セルビアが本当に笑ったのは留学1年目の学期末テストの時が最初で、その後も数えるほどしかない」


「学期末テスト・・・あぁ・・・レオン様がテスト用紙に名前を書くのを忘れて他の記載忘れの学生と一緒にテスト用紙を掲示された時ですね」


セルビアは当時のことを思い出して頬を緩めた。


「そうだ。名前の記載を忘れただけで、採点済みのテスト用紙が掲示板に張り出されていて驚いた。しかも勝手に剥がすことはできず、教員が回収に来るまでに署名しない場合は0点扱いって、とんだ公開処刑ルールを作ったもんだよな」


「急にレオン様に引っ張られて『いじめに遭っている!』と掲示板まで連れていかれた時は驚きました。しかも、レオン様のテスト用紙全て100点満点でしたものね」


「あの時の私には0か100の選択肢しかなかった」


「学園のテストルールをお伝えしたら、用紙に赤ペンでご自身の名前を書かれたのもレオン様らしかったですね。他の皆さんは小さく薄っすら書いていらしたのに」


「恥ずべき結果ではなかったからな!どうせなら見せびらかそうと思っただけだ」


ふふっとセルビアから小さな笑い声が漏れる。

自分から漏れた声に、はっと手で口を塞ぐセルビア。ちらりとレオンの方を見れば、満足気な顔をしていた。


「久しぶりに笑ったな。なぜ悪いことをしたような態度をとるんだ」


セルビアは口元にあてた手をゆっくりと下ろしながら、レオンに向けていた視線を再び中庭に移す。


「・・・丁度6歳の頃、私はジルヴァーノ様の婚約者候補となりました。当時は私以外婚約者候補はおらず、いつも二人でお茶をしたり、勉強をしたりしていました」


「私も当時、ジルから婚約者候補が決まったと聞いていたな、嬉しそうに話していたのを覚えている」


レオンからの意外な事実に少し驚いたが、セルビアはそのまま話を続けた。


「その頃のジルヴァーノ様は私と一緒におられる時もよく笑ってくださりました。状況が変わったのは、ゼノン王太子殿下との王位継承権争いが始まってからです」


ジルヴァーノは7歳になった時、反第一王子派閥の上流貴族たちに半ば強制的に担ぎ上げられ、第一王子ゼノンとの王位継承争いの渦中に放り込まれた。

心無い言葉や視線、言動は厳しく制限され、仲の良かった兄と会うことも許されず、ジルヴァーノは次第に心を閉ざしていった。


「仲が良かったお二人がすれ違う際にも目を合わせなくなり、ジルヴァーノ様の口からゼノン王太子殿下の名を全く聞かなくなりました。

それに比例するように婚約者候補が次々と増えていき、私はジルヴァーノ様とほとんど会えなくなりました」


元々セルビア以外に婚約者候補のいなかったジルヴァーノは、反第一王子派の貴族達から押し切られ、新しく婚約者候補を迎えた。

その令嬢達との茶会が増えると、ジルヴァーノは更に精神をすり減らしていった。


「・・・そして、久しぶりに会ったジルヴァーノ様は全く笑わなくなっていました」


セルビアはそっと目を閉じると瞼の裏に当時の情景が鮮明に浮かび上がる。

久しぶりのお茶会、ジルヴァーノよりも早く部屋に着いたセルビアは浮足立つ気持ちを抑えて椅子に座っていた。

コンコンコンとドアがノックされゆっくりと扉が開いていく。

待ち人の到着にセルビアは椅子から降りて彼が姿を現すのを待った。

そして、現れたのは以前会った時よりも少し背丈が伸び、俯いてセルビアの顔を見ようとしないジルヴァーノだった。


「私も変わってしまったジルヴァーノ様に衝撃を受けすぎて上手く話せず、何度か勇気を出して話しかけてみましたが、ジルヴァーノ様は手元のティーカップを見つめながら一言返事をするだけでした。結局、久しぶりのお茶会でジルヴァーノ様は一度も私のことを見ることなく部屋を出ていかれました」


淡々と話すセルビアの顔を、レオンは苦しそうな顔で見つめた。

それに気が付いたセルビアは困ったような笑顔を向ける。


「レオン様がそのようなお顔をなさらないでください。当時は確かに辛かったですが、仕方のないことでしたので」


当時は幼心にジルヴァーノの変化に傷つき、お茶会から自宅に帰る馬車の中でセルビアは静かに涙を流した。

会えば笑顔で挨拶をしてくれていたのに、その日は目を合わせる以前に一度も顔を上げなかったジルヴァーノ。

自分が何かしてしまったのか、必死に考えても答えは見つからず、自宅に到着するまで涙が止まることはなかった。


「屋敷に帰宅してお父様に最近のジルヴァーノ様についてお聞きして驚きました。ゼノン王太子殿下とのことで心を病んでしまわれたと・・・恐らく笑わなくなったのではなく、笑えなくなったのだろうとお父様は仰っていました」


話を初めて聞いたときは、幼心にジルヴァーノの傷の深さを思い何も言うことができなかった。


「ただ、婚約者候補に対しては誠実にあろうとされ、令嬢とのお茶会の場では笑わないなりに顔を見てお話を真剣にお聞きしたりお話ししていると伺って驚きました」


自嘲気味にセルビアは笑う。

ヴィスロンティ公爵の話が本当であれば、ジルヴァーノは自分の時にだけ、あえて顔を背け会話もしないようにしていたという事実は当時のセルビアにとってあまりにも残酷だった。


「そのまま大泣きして、泣き疲れて眠ってしまいました。そして次の日、少し落ち着いて思ったんです。今の自分にできることはジルヴァーノ様の負担を減らすことだけだ、と。そのためなら自分の心は押し殺すべきだと」


自分の成すべきことを明確にした矢先、ジルヴァーノの婚約者候補が現在の4名に落ち着き、今後は隔週1人とのお茶会を回していくことが知らされた。

その知らせを聞いたセルビアは、自分とのお茶会の回数を候補者の半分にするよう打診した。


「なんでわざわざそんなことを?」


レオンが疑問を口に出す。


「私といるとジルヴァーノ様に負担がかかってしまうので、それを考慮してみたのです。結局、『みな平等に』とジルヴァーノ様が望まれて、お茶会の回数を減らすことはできませんでしたが・・・。

せめて時間は短くしていただくようお伝えし、お茶会の時間は短くしてもらいました」


当時のセルビアはジルヴァーノの負担をなくすことは自分にはできないと考えた。

自分に会うことを負担に感じているジルヴァーノに対し、その負担をゼロにするには婚約者候補から外れるしかないが、これは家を巻き込むことになってしまうため難しい。

であれば、少しでも負担が減るように自分と会う機会を減らす、これが当時のセルビアが出した結論だった。


「お茶会も2、3言お話して、その後はお互いに黙ってお茶を飲んで二人とも飲み終わったら解散する、というのが習慣になっていましたね」


「なんとも苦痛なお茶会だな」


苦い顔をしているレオンにセルビアは曖昧に笑った。

確かに最初こそ、話したい相手と話せないことや顔を上げない相手に笑顔を向け続けることが辛かったが、何度も繰り返すうちにセルビア自身がその状況に慣れていった。


「当時は仕方がないと思っていましたし、学園に入る頃には他の婚約者候補の方々と同じような対応になっていましたので、ずっと続いていたわけではないですよ」


「それでも学園入学って言ったら11歳だろ?7歳からと換算しても4年間・・・私には耐えられないな・・・」


「当時のジルヴァーノ様にレオン様もお会いになっていましたよね?」


「手紙のやり取りはしていたが、7歳から14歳ぐらいまでは直接は会えていなかったな。流石に王位継承権争い中の隣国に遊びに行く許可はもらえなかった」


当時を思い出しながら、レオンは拗ねたように答えた。


「手紙では割と普通だったから、学園への留学で久しぶりにジルに会って驚いたな。それと同時に、ああなるまでバレないように隠され、ジルの異変に気づけなかった自分に心底腹が立ったのを覚えている」


レオンは留学手続きで久しぶりにトスカータ王国へ訪問したとき、ジルヴァーノの変わりようを見てひどく驚いた。

すぐにジルヴァーノを問いただし、ことの経緯を知るとジルヴァーノの後ろに控えていた当時の反第一王子派閥筆頭貴族に殴り掛かろうとしたそうだ。

もちろん傍で控えていた従者たちが全力で止めたそうだが。


「ジルヴァーノ様は良き友人をお持ちになりましたね」


「まぁその後すぐにジルが王位継承権を破棄したから、私の騒ぎ損だったけどな・・・」


そう、ジルヴァーノは14歳の時、第一王子が立太子となる式典が1年後に控えているタイミングで自ら王位継承権の破棄を宣言したのだ。

ジルヴァーノは第一王子を支持し、兄を支えると自ら宣言することで約7年間にも及ぶ継承権争いに終止符を打った。


「王位継承権の破棄を宣言された時のジルヴァーノ様は今でも覚えています。とても立派なお姿でした」


数年前のジルヴァーノの姿を思い出し、セルビアは頬を緩めた。


「・・・・・」


急にレオンが黙ったので、レオンの方を向くと先ほどと同じ拗ねた顔をしていた。


「ジルの話ばかりなのも気に食わないが・・・そもそも『ジルの良き友人』と言うがな、私はジルとセルビアの友人でもあるし、セルビアの『婚約者候補』でもあることを忘れるなよ」


人差し指をピッとセルビアの鼻先に向けながら、レオンはまっすぐセルビアを見つめた。


「・・・どちらかというと私がレオン様の婚約者候補なのですが・・・」


「細かいことを言うな!」


レオンは寄りかかっていた棚から腰を上げるとそのままセルビアの背後まで回り、肩に手を置くとくるっと180度方向転換させる。

窓に背を向ける形になったセルビアは自然と目の前にいるレオンを見上げた。


セルビアが真っ直ぐレオンを見ると、レオンは満足したのか愛おしいものを見るように柔らかく笑った。

170センチと令嬢としては身長が高めのセルビアだが、レオンは190センチあるためどう頑張っても見上げる体勢となる。


セルビアは改めて目の前に立つレオンを見る。

レオンはジルヴァーノとは対照的で健康的な肌に深紅に染まった瞳をしており、その瞳と同じ色の髪は短めにすっきりと整えられている。


「いつ見ても綺麗な髪色ですね」


素直に褒めてみるが、レオンはまた拗ねた顔に戻った。


「気に入っているのは髪色だけか?私はセルビアの髪色も髪型も瞳の色も顔つきも体つきも性格も全部好きだぞ?」


「・・・体つきはやめてください。セクハラで訴えますよ」


「また話を逸らそうとしているな・・・まぁそういう素直に好意を受け取れないところも可愛らしくて好きだが」


やれやれと手を額に当てながら呆れているが、再びセルビアを見たレオンの瞳は変わらずセルビアを愛おしそうに見つめる。

セルビアはレオンから向けられるこの視線に未だに慣れず、すっと視線を逸らした。


セルビアがレオンの婚約者候補となったのは聖女としてシルが学園に入学しジルヴァーノの婚約者候補となった頃だった。


当時、留学してきた自分に付きっ切りだったセルビアに世話になっているお礼としてイブレーナ王国の特産品であるルージュがあしらわれたアクセサリーをプレゼントした。

しかし、「私はジルヴァーノ様の婚約者候補なので、ジルヴァーノ様以外の殿方からのプレゼントはお受け取りできません」とセルビアにばっさりと受け取りを断られたのだ。


その時すでにセルビアのことをかなり気に入っていたレオンは「世話になっている奴にお礼のアクセサリーも気軽に渡せないのか!」と怒りを見せつつ、どうすれば受け取って貰えるのか、考えを巡らせた。

その結果、翌日には「セルビアを私の婚約者候補にする」と宣言していた。


当時はみなレオンの急な発言に驚いていたが、その後の迅速な根回しなどもあり2ヵ月後にはセルビアはレオンの婚約者候補になっていた。


セルビアは父親が自分をジルヴァーノ以外の婚約者候補とする気がなく、縁談の話を全て断っていることを知っていたため、当時はとても驚いた。

レオン曰く、「ジルのフォルレーゼ嬢への入れあげ具合で娘の将来が心配になってたようなので、それを利用させてもらった」ということだった。


「ジルはあの通りフォルレーゼ嬢に入れあげているんだ、目の前にいる男に鞍替えする気はないのか?自分で言うのもなんだが、そこそこの優良物件だぞ?」


自分の胸に左手をあて、セルビアの顔を覗き込むように見つめるレオン。


レオンは「そこそこ」などと言っているが、一国の第二王子の婚約者候補が「そこそこ」の優良物件なわけがない。かなりの優良物件だ。

その地位だけでなく、明るく陽気なレオンの性格も合わさると今まで婚約者候補がいなかったことが不思議なくらいだ。


「自他ともに認める優良物件なのでしたら、私よりも良いご令嬢を指名することもできるでしょうに」


「おっ優良物件ってのは認めてくれているんだな」


セルビアの言葉に嬉しそうな顔をすると、レオンはセルビアの右手を左手ですっと持ち上げ、手首につけられているブレスレットを愛おしそうに触る。


「誰でもいいわけじゃない。留学してから2年間、ずっとセルビアを見てきて、セルビアと結婚したいと思った。私は、セルビアがいいんだよ」


セルビアを自分の婚約者候補にしてからというもの、レオンは毎日セルビアに自分の好意を伝え続けている。


飾らず、すっと降ってくるその言葉にセルビアの心が安らいでいるのも嘘ではない。

そして、今セルビアが手首につけているブレスレットは、婚約者候補になる前にセルビアが一度受け取りを拒否したものだ。


婚約者候補となることが正式に決定した次の日、「これで受け取ってもらえるな!」と笑顔で改めて渡してきた。


「私には勿体ないお言葉ですね・・・」


自分の右手を見ながら、セルビアは困ったように笑った。


「自分を卑下するな、私の贔屓目を抜きにしたってセルビアは素晴らしい女性だ」


レオンはブレスレットを触っていた右手をそっとセルビアの右手に重ね、視線をセルビアに向ける。


「セルビアがその辺の令嬢と同じだったら、ジルの婚約者候補を続けられないし、私も婚約者候補にしていない。二国の王子の婚約者候補様が何を卑下しているんだ」


自分を下げる言い方をしたセルビアに、若干の不満を滲ませながらレオンはその言葉を否定する。


「ジルヴァーノ様の婚約者候補は、事実上お一人の状態になってしまいましたがね・・・」


「なら、ジルの婚約者候補から外れて私だけの婚約者候補になってくれるか?」


セルビアは困った顔をすると、一度振り返って中庭のジルヴァーノ達へ視線を向ける。

だが、すでにシルやジルヴァーノの姿はなくなっていた。

誰も居なくなった中庭を見つめ、少し寂しさをを感じながら、セルビアはレオンに向き直ってゆっくりと口を開いた。


「・・・正直、自分でもどうしたらいいのか分からないのです。幼い頃からずっと、ジルヴァーノ様の妻となると思って生きてきました。それこそ、私の初恋はジルヴァーノ様だと断言できるほど、お慕いしていたのも事実です」


それはセルビアの本心だった。

自分が政略的な意味を持った候補者であったことはセルビアもわかっている。

それでも、幼い頃から大切に積み上げてきた二人の時間は、確かにあったのだ。


「ですが、当時と同じ気持ちなのか、今胸に抱いている感情は何なのかと言われると、よく分からなくなってしまったんです。確かに、フォルネーゼ嬢と一緒にいる姿を見ると、寂しい気持ちになります。でも、同時にほっと安心もするのです」


「安心・・・?」


「はい。あぁこの方はまだ笑うことができたのだ、と。心安らぐ場所があったのだと、安心するのです。それは、私が差し上げることのできなかったものですから」


中庭でシルと話していたジルヴァーノの笑顔を思い浮かべ、セルビアは少し微笑んだ。

彼の心の傷が、ゆっくりと癒えているのが分かる。その癒し手が自分でないとしても、その笑顔を再び見ることができただけでセルビアの心は満たされていた。


俯きがちに微笑むセルビアをレオンはじっと見つめた。


「・・・ジルも馬鹿な男だ」


セルビアに聞こえないほどの声でつぶやくとレオンはぱっとセルビアに重ねていた手を離した。


「全く、婚約者候補の話というよりは息子の話をしている母親のようだな。どちらにしろ、目の前で他の男の話をされるのは気分のいいものではないが」


レオンがわざとらしく不機嫌なふりをすると、セルビアは呆れた顔をレオンに向ける。


「レオン様がわざと言わせたのではないですか」


「まぁな。というか、ジルへの気持ちが分からなくなっているなら、私にチャンスをくれてもよくないか?」


「チャンス?」


セルビアが聞き返すと、レオンはにやっと笑って先ほどと逆の手をすくい上げる。


「あと半年もすれば私たちも卒業だろ?だったら、その卒業までの間、セルビアに私という男を知ってもらうチャンスがほしい」


遠回しに「口説かせろ」と言ってくるレオンにセルビアは少したじろいだ。


「約2年間、一緒にいたので結構色々知っているつもりですが・・・」


「それは学友としての私だろ?そうではなく、君の婚約者候補としてのレオン・イブレーナをもっと知ってほしいんだ」


レオンは握っていたセルビアの左手を胸の高さまで持ち上げると、セルビアから視線は逸らさず、ゆっくりと自分の顔を近づけた。

セルビアの手にレオンの吐息がかかるほどの距離になると、「しっかり見ておけ」とでも言いたげに視線を下に向け、レオンはそっと薬指にキスをした。


2人しか居ない講義室が静寂に包まれた。


キスをしたまま動かなくなったレオンのつむじを見つめ、セルビアは気恥しさを感じて手を引っ込めようとした。

しかしレオンはそれを許さず、逆に握る力が強くなってしまった。


長めのキスを終え、レオンはゆっくりと顔を上げてセルビアを見る。

すると、先程までより頬がピンクに染まったセルビアが、さっと顔を逸らした。一瞬ムッとなったが、頬と同じ色に染まった耳を見つめ満足そうに微笑んだ。


「・・・意地が悪いです」


セルビアは精一杯文句を言うが、レオンは全く気にしていない。


「何を言っている。私は愛する者に対して、愛していることを伝えているだけだ」


自分がキスをした場所を握っている手の親指で優しく摩る。


「セルビアに似合う指輪があるんだ。きっと、この指にぴったりはまる。・・・この指を美しく彩る指輪を送るチャンスを私にくれないか?」


レオンは改めてセルビアと視線を合わせ、真剣な表情でそう言った。


「・・・どのみち、私がジルヴァーノ様の婚約者に選ばれなければ、自動的に私はレオン様の婚約者になりますよ?」


相手が求めているものがそれではないと分かっていながら、セルビアはレオンの真っ直ぐな気持ちに戸惑い、はぐらかす。


だが、そんなことはお見通しのレオンは、握っていたセルビアの左手をグイッと引き上げた。

セルビアは急に手を持ち上げられ、バランスを崩す。


「きゃっ」


よろけたセルビアの腰にレオンがそっと右手を添え、グッと自分の方へ引き寄せる。


「それじゃ駄目だ。私はセルビアの心も欲しいんだから」


ダンスを踊るような、いつもよりも近い距離にセルビアはドキッとしてレオンを見上げる。


「残りの半年間、ジルを眺めているだけなんてもったいないだろ?それに、ジルと私は同じ婚約者候補なんだ。『平等に』幼い頃から一緒にいたジルと同じぐらい、セルビアの時間を私にくれないか?」


優しい笑顔でセルビアに問いかけるレオンだが、その両手はセルビアが「はい」と言うまで離す気はないようだ。


「・・・レオン様は物好きですね、こんなに話を逸らしてはぐらかしいている相手を真剣に口説くなんて」


「私はセルビアのそれがただの照れ隠しだと知っているからな。それに、なんでも『仕方がない』と諦めてしまうご令嬢だ。私が積極的にいかないと、どこぞの男に取られてしまうかもしれないだろ?」


レオンはそう言いながら、握っている手をさらに強く握り、腰にあてた手をさらに自分の方へ引き寄せる。自分への気持ちを隠す気もなく真っ直ぐに伝えてくるレオンに、セルビアは確かにあの頃ジルヴァーノに抱いていた気持ちと同じものが自分の中に芽生えていることを感じた。


(きっともう、諦めてしまった方が早いのでしょうね・・・)


レオンの深紅に染まった瞳を見つめ、セルビアは微笑みながら、今までとは違う思いでその言葉を口に出す。


「仕方がないですね」

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― 新着の感想 ―
再会のお茶会でジルヴァーノがずっと俯いてたのって、もしかして「変わってしまった自分を見られたくない」という気持ちだったのでは。 幼い頃を知られてる相手だからこそ、会えば今の自分の有り様を突きつけられる…
ジルはセルビアにだけはとりつくろわず、笑えなくなった自分を晒していた…まぁ甘えていたのかもしれませんが、それをまだ幼い相手に察しろといっても無茶だよなぁ…とも思えます。 この先彼等はどう変わっていくの…
望遠鏡で月の満ち欠けを見つめていた時を思い出しました。 光と影が移ろいとともに形を変えていくクレーターの稜線を不思議な気持ちで眺め続けていました。 蜻蛉や蝉や蝶の羽化を見守っていた時を思い出しました。…
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