第七話 二人の距離
煌びやかな夜景が広がる高層タワーマンションの最上階。その一室で、男は精密な機械仕掛けのゴーグルを静かに外し、高級なソファに深く腰を下ろした。
その顔は、整ったハンサムな輪郭を持つが、今は怒りに歪んでいた。手にしていたロックグラスには、既に蜘蛛の巣状のヒビが走っている。
「くそ…!ライノスの奴め、またしても暴走しおって…。」
「もう少しで、こちらまで巻き込まれるところだったではないか…!」
男は抑制の効かない苛立ちのまま、ロックグラスを壁へと叩きつけた。砕け散ったクリスタルが、豪華なペルシャ絨毯の上に散らばる。
「おい、プロメテオス。お前はこの事態をどう見る?」
男の視線は、部屋の中央に浮かぶホログラム映像へと向けられた。
そこに映し出されたのは、AIプロメテオス。その姿は、ギリシャ神話に登場するプロメテオスを彷彿とさせるものであった。
知的な眼差し、整った顔立ちには無精ひげが似合う中年男性の姿をしている。服装は現代風にアレンジされ、身体にフィットする漆黒のハイテクジャケットは、彼の筋肉の動きに合わせて発光するラインが走り、足元は光沢のあるメタリックなブーツで締められている。
「ライノスは頭は回りますが、狂気じみた性格故、相手を追い込み過ぎるところがあります。その結果、クロノスを暴走させ、このような事態を招いたものと思われます。」
「お前ならどうする?」
「私ならあのような戦略は取らず、まずは朝倉結衣の味方を演じ、彼女らが完全に油断したところを一気に突くでしょう。」
男は真っ直ぐ前を見つめ、ニヤリと微笑んだ――。
その後、結衣と神崎は、囚われた彼女たちの拘束を解き、警察に通報し、駆けつけた警察官に彼女らは無事保護された。
この事件は、未解決だった女子高生失踪事件を解決に導き、特に、ジャーナリストである神崎のスクープは、社会に大きな衝撃を与えた。
警察は彼女たちを招き、感謝状を授与することになった。
授賞式当日、会場の控室では、結衣が神崎のネクタイを直していた。
「ほら、しゃんとして。ネクタイ曲がってるわよ。」
結衣は、いつものように堂々としている。
「俺、こういうところ苦手なんだよ。」
神崎は、緊張で顔を赤らめていた。
「ほら、行くわよ。」
結衣はそう言うと、控室の扉を開けた。そこには、報道陣が待ち構える一室が広がっていた。無数のフラッシュが二人に浴びせられ、シャッター音が鳴り響く。神崎の顔は、さらに緊張で強張った。
会場の一角では、神崎の同僚たちがモニターに映し出された神崎の姿を見つめていた。
「おい、神崎のやつ、何やったんだよ。」
「まさか、あいつがこんな大スクープを…。」
「信じられない。普段はあんなに冴えないのに…。」
同僚たちは、驚きと羨望の入り混じった表情でモニターを見つめていた。編集部のエースである彼らは、いつも神崎のことを頼りない後輩だと思っていた。しかし、今回の事件で、神崎は彼らの想像を遥かに超える活躍を見せたのだ。
「神崎、やったな!」
モニター越しに、編集長が声をかけた。
「は、はい!ありがとうございます!」
神崎は、緊張しながらも、誇らしげに答えた。
部屋の中央には、警察署長が直立不動の姿勢で立っていた。その背後には、事件解決の功績を称える垂れ幕が掲げられている。
警察署長は、結衣と神崎の前に進み出て、深々と頭を下げた。
「この度は、女子高生失踪事件の解決に多大なるご尽力をいただき、誠にありがとうございます。」
「あなた方の勇気ある行動と、卓越したジャーナリストとしての能力がなければ、この事件は未解決のままだったでしょう。」
署長は、二人に感謝状を手渡した。
「この感謝状は、あなた方の功績を称え、深く感謝の意を表するものです。」
「あなた方の行動は、市民の模範となり、私たち警察の誇りです。」
結衣は、感謝状を受け取り、凛とした表情で言った。
「私たちが行ったことは、当然のことです。」
「困っている人がいれば、誰であろうと助ける。それが、私の信条です。」
神崎は、少し照れながらも、感謝状を受け取った。
「俺は、ただジャーナリストとして、真実を追求しただけです。」
「でも、この事件が解決して、本当によかった。」
署長は、二人の言葉に深く頷き、力強く言った。
「あなた方の勇気と正義感に、改めて敬意を表します。」
「これからも、市民の安全と安心のために、共に力を尽くしていきましょう。」
署長の言葉が終わると同時に、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。報道陣のフラッシュが、二人に向けられ、その光が会場を眩く照らし出した。
神崎は結衣と話し合い、今回の事件をAI犯罪であることを伏せて記事にした。
一方、国連直轄の特別機関、『Global Future Initiative』、略してGFIの最高技術責任者(CTO)の朝倉結衣は、国連とのビデオ会議ではAI犯罪であることを報告。
デジタル仮想空間での詳細は不明だが、近隣諸国から日本全土に向けて核弾頭ミサイルが発射された事実は残っていた。
結衣は核兵器の根絶を訴えたが、各国首脳の協議の結果、受け入れられなかった。
代わりにミサイル防衛システムのセキュリティ強化が検討され、以前よりも強化されたセキュリティが施され、国際的テロ組織と言えども核弾頭ミサイルには容易に手出しできないようになった。
それから一週間後、結衣は今回の神崎との活躍を祝うため、彼女は彼を都内の高級ディナーショーに招待していた――。
神崎は初めて体験するディナーショーに緊張していた。
庶民の彼にとってディナーショーは縁のないものであるが、超資産家の結衣にとっては見慣れたものだった。
「へ、へぇ…。食事をしながら歌を聞いたりするのか。」
「そうよ。美しい歌声を聞きながら優雅に食事を楽しむの。」
テーブルに運ばれてくる料理はどれも高級なものばかりで、初めて口にするキャビアやフォアグラと言った高級食材の味に神崎は驚いていた。
「あ、次の歌が始まるみたいよ。」
しっとりとしたピアノのイントロが流れ、会場の喧騒が静まっていく。スポットライトを浴びたシャンソン歌手が、優しく語りかけるように歌い始めた。
時には昔の
話をしようか…
通い慣れた
馴染みのあの店
会場中が静まりその歌声に耳を傾けていた。
グラスを傾ける人々、目を閉じて聴き入る人々。それぞれの胸に、歌が静かに響いているようだ。
揺れていた時代の
風に吹かれて
身体中で時を感じた
そうだね?
結衣と神崎はその歌声に聴き惚れていた。
「私、この歌好き…。いい歌ね。」
結衣は囁くように神崎に語り掛けた。
「本当だな、なんだか心に染み渡る歌だな…。」
神崎はそっと囁いた。
しっとりとしたピアノの余韻が会場に残る中、一人の上品な物腰の外国人男性が結衣に近づいてきた。彼は穏やかな笑みを浮かべ、結衣に英語で話しかけた。
「Excuse me, madam. That was a beautiful song, wasn't it?」(すみません、美しい歌でしたね?)
結衣は少し驚いた表情を見せたが、すぐに笑顔で答えた。
「Yes, it was. I really enjoyed it.」(ええ、そうでしたね。私もとても楽しみました。)
「My name is Robert. I'm traveling here on business.」(私の名前はロバートです。仕事でこちらに来ています。)
「Nice to meet you, Robert. My name is Yui.」(はじめまして、ロバート。私の名前は結衣です。)
ロバートは軽く頭を下げて微笑んだ。「It's a pleasure to meet you, Yui. This is a lovely venue.」(お会いできて光栄です、結衣。素敵な会場ですね。)
「Thank you. I think so too.」(ありがとうございます。私もそう思います。)
短い会話を終えると、ロバートは丁寧な仕草で結衣の頬に軽く触れるようにキスをした(フォーマルな挨拶)。
「It was a pleasure speaking with you. Enjoy the rest of your evening.」(お話できて楽しかったです。残りの夜も楽しんでください。)
「Thank you. You too.」(ありがとうございます。あなたも。)
ロバートは再び穏やかに微笑み、静かにその場を後にした。結衣は微笑みながら、彼の立ち去る後ろ姿を見送った。英会話が堪能な彼女に神崎は関心する。
結衣は神崎に「少々席を外してもよろしいでしょうか」と控えめに告げ、優雅な所作で立ち上がった。周囲にさりげなく会釈しながら、落ち着いた足取りで会場の奥へと向かう。
――。その頃、建物の外から、黒いサングラスをかけた長身のロングな黒髪の美女が、高いヒールの音をカツン、カツンと響かせながらゆっくりと足を踏み入れていた。
その顔には一切の表情がなく、冷たい光をたたえたサングラスの奥の瞳は、獲物を定めるように奥へと向いている。
女子トイレの洗面台で、結衣は丁寧に手を洗い終え、鏡に映る自分の姿を見つめていた。ふと顔を上げると、鏡の中に信じられない光景が映り込んだ。
背後に、黒いサングラスの美女が、静かに立ってこちらをみている。
「遅いな。結衣のやつ。何してんだ?」
テーブル席では、神崎がグラスを傾けながらのんびりとした様子で呟いていた。
その言葉とは裏腹に、狭い女子トイレの中では、結衣と敵美女の間に一触即発の緊張感が張り詰めていた。
敵美女は次の瞬間、躊躇なく結衣へと襲い掛かった。
彼女の美脚が、一瞬の遅れもなく結衣の顔面を捉えようと迫る。
結衣は紙一重で体を反らし、その蹴りは空を切った。
ドガン!
しかし、直後、鈍い衝撃音と共に、敵美女の踵が女子トイレの木製扉を粉砕する。木片が飛び散り、
「何すんの!」と結衣の怒りの声が響いた。
敵美女は表情一つ変えず、間髪入れずに次の蹴りを繰り出す。今度は横薙ぎの一撃だ。
結衣は再び体を捻り、辛うじてそれを回避するが、敵の足は容赦なく背後のタイル壁を強打した!
バリッという音と共に、白いタイルが蜘蛛の巣状にひび割れ、剥がれ落ちる。
「ちょ、ちょっと!あんた何なのよ!」
結衣の声は、驚きと苛立ちで震えていた。
敵美女の鋭い拳が、今度こそ結衣の顔面を捉えようと迫る。
「いい加減にしなさい!」
結衣の低い声には、抑えきれない怒りが滲んでいた。
その瞬間、結衣の身体が流れるように動き出す。
敵の拳は寸前で受け止められ、信じられない速さで手首を掴み変えられた。結衣が僅かに腰を落とすと、敵美女の重心は一気に崩れ、まるで宙に浮いたように身体が持ち上がっていく。
悲鳴を上げる間もなく、敵美女の背中は女子トイレの大きな鏡に激突した。鈍い破壊音と共に、鏡の中の虚像が蜘蛛の巣のようにひび割れていく。結衣の合気道が炸裂した。
ピシッ!パリンッ!
「くっ…!」
敵美女は背中を強打した痛みに顔を歪めたものの、その動きは一瞬で終わった。
まるで獣のような鋭い眼光で結衣を捉え、再び容赦なく攻撃を仕掛けてくる。
結衣が体勢を立て直そうとした、そのわずかな隙を敵は見逃さなかった。鍛え上げられた美脚が弧を描き、凄まじい速度で結衣の頬を打ち抜く。
ドカッ!
衝撃と共に視界が歪み、「キャ!」という悲鳴と共に結衣の身体は弾かれたように吹き飛び、床に倒れ込んだ。
(狭い空間では、相手の力を利用する合気道は、どうしても動きが制限される…!)
危険を本能的に察知した結衣は、這うようにして立ち上がると、一目散に女子トイレのドアへと走った!
背後から迫る気配を感じながら、廊下を全力で走る。ヒールの音が、背後から追いかけてくる死神の足音のように響いた。
廊下から微かに聞こえる騒がしい音。それは、いつまで経っても戻らない結衣の不在と相まって、神崎の胸に不穏な影を落としていた。
ただの些細な出来事ではない。騒ぎを大きくすることは、結衣の立場を危うくする可能性もある。神崎は、冷静に状況を把握しようとしていた。
ゆっくりと、しかし確かな決意を秘めて、神崎は席を立った。
周囲の楽しげな喧騒は、彼の耳には遠い世界の音のように響く。目的は廊下。結衣のいる場所へ、静かに近づく。歩きながら、彼はジャケットの胸元につけたマットな黒色のGFIのロゴバッチに指先を滑らせた。
それは、国連直轄特別組織GFIの証であり、彼のもう一つの顔を起動させるためのスイッチだった。
ピピピ…!
シュルルル…
バッチに触れた瞬間、彼の身体を覆うスーツに変化が起こり始める。
それは、GFIのナノテクノロジーの粋を集めた特殊戦闘スーツ。
漆黒の繊維が皮膚のように全身を覆い、関節部には柔軟性と強度を両立させる特殊素材が編み込まれていく。見た目はスマートなビジネススーツと変わらないが、その内部には、様々なハイテク機能が搭載されている。
身体能力そのものは常人と大きく変わらないものの、これらのテクノロジーを駆使することで、神崎は危険な状況下でも最大限の力を発揮することができるのだ。
神崎が会場の扉にゆっくりと手を伸ばした、その刹那。背後から冷たい声が響いた。
男は、漆黒の銃を神崎の後頭部に押し当て、英語で囁いた。
「"Hey, boy. If you don't wanna die, get back to your seat."(ヘイ、ボーイ。死にたくないなら、席に戻れ。)」
神崎の動きは凍りつき、額に冷たい汗が滲む。ゆっくりと両手を上げ、目を閉じた。
「おいおい。こんなところで騒ぎを起こす気かよ。」
その瞬間、会場の雰囲気が一変した!
潜んでいたFBI捜査官たちが一斉に立ち上がり、銃を構えて男を取り囲んだ。会場は静まり返り、張り詰めた空気が漂う。
だが、状況はさらに悪化した。物陰から男の仲間が飛び出し、神崎に銃口を向けたのだ!
ドヒュン! カン!
その時、ロバートが床に飛び込み、仲間の銃に正確に発砲した。銃弾は銃身を捉え、男の手から銃を弾き飛ばした。彼の胸元にはFBIのバッチが輝いていた。
「キャー!」
女性の悲鳴が会場に響き渡る。
その音を合図に、神崎は素早く身を屈め、背後の男の銃を裏拳で叩き落とした。
「神崎君!結衣が危険だ!急いで彼女のところへ!」
「え?あなたはさっきの…。」
「ここは我々に任せなさい!君は結衣を!」
「わかった!」
神崎は廊下へ飛び出した。
廊下では、敵美女が執拗に結衣を追い詰めていた。敵美女が廊下を通過するたびに周囲の照明が次々と割れていく、廊下は奥から闇へと変っていった。
パカン! パカン! パカン!
「一体何が!」
廊下で神崎と合流した結衣は、息を切らしながら尋ねた。
「奴らが来たんだ!ここは危険だ!早く逃げるぞ!」
二人は出口へと走り出した。
タッタッタッ…!
その時、外では結衣のランボルギーニが、無人のまま滑り込むように横付けされた。ドアが開き、AIエピメテオスが告げる。
「お二人とも、早くお乗りください。」
二人は車に飛び乗り、ドアが閉まるのを待たずに急旋回し、ランボルギーニは爆音を轟かせ、猛スピードで走り去った。
キキキッー! ブウン!ブウン!
ドォォォーン!
「よりによって、こんな時にクロノスがダウンだなんて…!」
神崎は、苛立ちを隠せない口調でそう呟いた。普段は冷静な彼が、珍しく感情を露わにしている。その表情は、窓の外に広がる夜景の煌めきとは対照的に、険しかった。
「クロノス……。」
結衣は、窓の外に広がる夜景に目を向けながら、静かに呟いた。その表情には、深い悲しみが滲み出ていた。彼女の瞳に映る夜景は、どこか寂しげに輝いていた。
そして、物語は一週間前へと遡る――。
結衣と神崎は、警察署で感謝状を受け取ったあと、その足で結衣のタワーマンションの一室に戻り、今後の対策を話し合っていた。
結衣のタワーマンションの一室は、高級感のある家具が配置され、都会の喧騒から隔絶された、静かで落ち着いた空間だった。大きな窓からは、まるで宝石を散りばめたような煌びやかな夜景が一望できる。しかし、その美しい景色も、二人の険しい表情を和らげることはなかった。
「しかしおかしな話もあるもんだな。」
「日本全土に向けて発射された無数の核弾頭ミサイルがそのまま宇宙に飛び立って爆発するなんてな。」
神崎は、信じられないといった表情で、目の前のコーヒーカップを手に取り、ゆっくりと口に運んだ。
「そうね。システムが誤動作でも起こしたのかしら?」
結衣は、腕を組み、難しい顔でそう答えた。彼女の視線は、窓の外の夜景に向けられたままだった。
「ところでクロノスは大丈夫なのか?」
神崎は、少し心配そうな口調で尋ねた。
「そうね。クロノスの本体であるスーパーコンピューター『テセッラクト004GR』は、ゼタスケールのエネルギーまで耐えられる設計だけど、それ以上のエネルギーを検知した時点で、機械がショートして回路が全て焼き切れていたわ。」
結衣は、GFIの技術者としての顔を見せ、専門用語を交えながら説明した。
彼女の表情は、いつもの冷静さを保っていたが、その瞳の奥には、わずかな焦りが感じられた。
「『テセッラクト004GR』は大破してクロノスは再起不能。」
「ちょうどGFIでは後継機である『テセッラクト005GR』が完成していて、今データを移植してるのだけど。膨大な記憶データだから難航してるのよね。」
「まあ、あとはエンジニアたちに任せておけばいいわね。パワーアップしたクロノスが帰ってくることでしょう。」
結衣は、少し安堵した表情でそう言った。
「そんなことより…。」
結衣は、それまでのクールな表情から一変し、瞳に熱を帯びさせた。
彼女はゆっくりと立ち上がり、股を開いて神崎の膝にゆっくり腰を下ろすと、彼の首に腕を回した。その仕草は、まるで獲物を捕らえる獣のように、官能的だった。
「ゆ、結衣……。俺たちまだ…。」
神崎は、戸惑いを隠せないまま、言葉を紡いだ。しかし、結衣の切ない表情に、言葉を失ってしまう。
「いいじゃない…。私たちあんな死線を潜り抜けたのよ?」
結衣は、囁くように言った。その声には、強い感情が込められていた。
彼女の甘い吐息が、神崎の耳元をくすぐる。
「結衣……あ!」
結衣は、躊躇なく神崎をソファに押し倒した。二人の身体が密着し、互いの鼓動が聞こえるほどだった。部屋の照明が、二人のシルエットを妖しく照らし出す。
「いや、待て。結衣…!」
神崎は、動揺を隠せないまま、必死に言葉を紡いだ。しかし、その声は、もはや結衣には届かない。
結衣は、神崎の唇に自分の唇を重ねた。それは、まるで二人の間の時間を埋めるかのような、激しいキスだった。彼女のとろりとした甘い唾液が神崎の口内に広がり、優しい彼女の舌先が彼の舌を絡めとっていく。
彼女の指先が、神崎のシャツをゆっくりとまさぐり始めた。
「こほん。」
その時、静寂を切り裂くように、控えめな咳払いが響いた。
「あのー、さっきから僕もいるんですけど。」
ソファの上に、いつの間にか現れたホログラム映像が、気まずそうに呟いた。
思わず二人はエピメテオスに視線を移し、慌てて結衣は神崎から離れた。
「それって人間の求愛行動という奴ですか?」
「僕はAIだから愛というものがよくわかりません。」
結衣は真っ赤な顔をして照れながら答える。
「へ?い、いや。これはスキンシップというもので…!」
「て、こいつ何なんだよ?」
神崎はエピメテオスに目を細めて不審な表情を向ける。
「さあ?クロノスのお友達らしいけど。」
「お友達?AIに友達とかできるのか?」
神崎は呆れた顔をエピメテオスに向ける。
「こいつだなんて失礼な。クロノスほどではありませんが、僕も高性能AIなんですよ?」
「まあいいじゃない。私たちに害はなさそうだし。」
結衣は、エピメテオスのホログラムをちらりと見ながら、そう言った。その表情は、どこか諦めたようでもあり、開き直ったようでもあった。
「まあ、結衣が良いって言うなら俺は別に良いけどさ。」
神崎は、まだ少し動揺している様子で、そう答えた。しかし、結衣の言葉に、反論する気力は失せていた。
結衣は、改めて神崎に向き直り、真剣な眼差しで言った。
「ところであんた、明日ここに引っ越してきなさい。」
「え!? なんで?」
神崎は、結衣の突然の提案に、思わず目を丸くした。状況を理解できないまま、間抜けな声が出た。
「なんでって、わかんないの?」
結衣は、呆れたようにため息をついた。
「あんたは今回のことで、国際的テロ組織に命を狙われることになったのよ?」
「あんたのアパートでは、連中にかかれば、あっという間に蜂の巣よ。」
「ここなら、セキュリティは万全。クロノスも、より強固なセキュリティを施してくれたし。」
結衣は、そう言うと、傍らに置いていた高級ブランドのバッグから、分厚い札束を取り出し、神崎に差し出した。
「これくらいあれば、当座の引っ越し費用くらいにはなるでしょう。」
目の前に差し出された札束の厚みに、神崎は息を呑んだ。一瞬、思考が停止する。
(そうだった。この人は、とんでもない資産家だったんだ…)
ようやく現実を理解した神崎は、しかし、すぐに別の疑問が湧き上がってきた。
「て、いいのかよ? 男が女の家に、転がり込むなんて…。」
「あら、何か問題でも?」
結衣は、小首を傾げ、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「それに、ちょうど男が欲しいと思っていたところだし。」
その言葉に、神崎は顔を赤らめた。
「お、男って…。」
結衣の視線に、神崎は思わず目を逸らした。
結衣は、身を寄せ、神崎の太腿に指先を滑らせた。その動きは、まるで獲物を誘う罠のように、ゆっくりと、そして確実に神崎を絡め取っていく。
「ところであんた、あっちの方はどうなの? まさかその歳で童貞なわけないわよね?」
「いやあ。まあ、人並み程度には…って、何言ってんだよ!」
神崎は、動揺を隠せないまま、言葉を紡いだ。しかし、結衣の挑むような視線に、顔が赤くなるのを止められなかった。
「私、並みの男では満足できないの。しっかり相手してもらいますからね。」
そう言って、結衣は満面の笑みを浮かべ、神崎の腕に抱きついた。
「え!!」
「それとも私じゃ、不服?」
「そ、そんなことないけど…。」
「じゃあ、決まりね!」
結衣は、満面の笑みを神崎に向けた。その瞳には、獲物を射止めるような光が宿っていた。
「――。結衣。もうこれ以上は…!」
「何言ってんのよ。まだまだ、これからじゃなーい。あと、2,3発はやってもらわないとね。」
「ひぃぃぃぃ!」
その夜、神崎が結衣に朝までお相手させられたのは、言うまでもなかった。情熱的な彼女はベッドに仰向けに横たわる神崎に跨ると、身体を何度も上下に揺さぶる。やがて二人の動きが止まると、しばらくして彼女は妖艶な笑みを浮かべ、また彼と舌を絡める。彼女が満足するまで、それは止まることはなかったという。
彼女の寝室からは窓の外が明るくなるまで、神崎の悲鳴にも似た声と結衣の激しい声が響いていた。
第七話 完
第八話に続く