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SNS監視網  作者: 黒瀬智哉
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第五話 暗黒の胎動

 夜の(とばり)が降りた東京湾岸。黒曜石のような光沢を放つランボルギーニは、滑らかな流線型のボディを妖しく(きら)めかせながら、無人の幹線道路を吸い込まれるように疾走(しっそう)していた。高性能AIクロノスが操るその車内では、朝倉結衣(あさくらゆい)が運転席で冷たい光を湛えるスマートフォンの画面を操作し、助手席の神崎彰(かんざきあきら)に無言で(しめ)した。画面には、緻密(ちみつ)に計算された作戦が映し出されている。


「いい?これでわかるわね?」


 結衣の低い声が、静寂(せいじゃく)を切り裂いた。その声音には、(かす)かな焦燥(しょうそう)と、目的遂行への強い意志が(にじ)んでいる。


「ああ、理解した…」


 神崎は、スマートフォンの画面に映る計画を追う目を伏せ、簡潔に(うなず)いた。彼の表情はどこか硬く、瞳の奥には(ぬぐ)いきれない不安の色が宿っている。


 その瞬間だった。まるで現実が溶解していくかのように、助手席のシートが、続いて車の内装が、音もなく消え去り、神崎の視界は一瞬で純粋(じゅんすい)な白い光に包まれた。「え…?」と低い声が漏れる。


「――。また、この感覚か……」


 神崎は最近、眠りにつく寸前に同様の可解な感覚に襲われることが度々あった。それは、意識が深い闇に沈む直前の、白いスクリーンに映像が映し出されるような、予兆のようなものだった。しかし今回は、明らかに意識がある状態で、突如(とつじょ)としてその白いの世界が訪れたのだ。


 白い空間の奥から、幼い少女の声が途切れ途切れに響いてくる。


「神崎…、行っちゃ…、だめ……」


「今なら…、まだ、引き返せる……」


 空気の振動だけが伝わるような、弱い声だった。


 そして突然、白いベールが()がれるように視界が開けると、信じられないほどの速度で、断片的な映像の流れが神崎の脳内を奔流(ほんりゅう)した。あまりにも 速く、あまりにも断片的で、何が映し出されているのか、彼の理性では到底追いつかない。しかしその猛烈な映像の流れの中にも、強烈な印象を残すいくつかの場面があった。


 金色の髪の青年が、友好的に微笑みかけながら何かを話しかけている。温かみのあるブラウン色の瞳を持つ青年、 明るいツインテールを揺らすエネルギッシュな女性、そして、優しそうな笑みを浮かべる白衣の小太りな男性。それは、いつもの曖昧(あいまい)な夢の中では決して見ることのない、鮮明な人々の姿だった。


 さらに、(するど)い眼光で神崎を射抜く黒髪のスレンダーな女性、 冷たい表情を浮かべこちらを見つめるダークスーツの青年。彼らの肖像は、一瞬で神崎の心に深い爪痕(つめあと)を残した。


 流れが終わりを迎えると、眼前に広がるのは広大な太平洋の上空だった。どこまでも続く深い青の海原、どこまでも()み切った天のドーム。その絵画のような光景に、神崎は一瞬、言葉を失った。


 次の瞬間、何もない青空から、まるで蜃気楼(しんきろう)のように巨大な母艦が姿を現した。


 ステルスフィールドが解除されたのだろうか。 角ばったフォルムを持つその巨艦は、威圧的(いあつてき)な存在感を放っている。映像が艦内に切り替わり、黒い(ひげ)をたくわえた、精悍(せいかん)な顔つきの男が、歓迎するように神崎に話しかけている。


 彼の胸元には、(にぶ)い光を放つ「GFI」のバッジが誇らしげに輝いていた。


 巨大な母艦は、轟音(ごうおん)とともに宇宙空間へと浮上し、(ゆが)んだ光の中を突き進む。ワープ航法(こうほう)だろうか。視界は一瞬で絶対的な黒に包まれた。


 だが、暗闇の直後、神崎の脳裏に、氷のような冷たい感覚が走った。


 深くフードを被った人物。その奥は絶対的な闇で、顔の輪郭(りんかく)さえ定かではない。しかし、その暗闇の奥底から、二つの赤い(ともしび)(するど)く光っている。それはまるで、遠い記憶の断片、あるいはこれから訪れるであろう絶望的な闇の前兆ように、映画『スター・ウォーズ』に登場する暗黒卿(あんこくきょう)シスの瞳を彷彿(ほうふつ)とさせる。


 (ゆが)んだ口元は、嘲笑(ちょうしょう)とも苦痛ともつかない不気味な線を刻み、明確な姿ではないにもかかわらず、底知れない悪意と冷たい支配のオーラが、暗黒卿(あんこくきょう)シス特有の威圧感とともに神崎の心臓を直接(つか)んだ。


「神崎?」


「ねえ、ちゃんと聞いてるの?」


 結衣の呼びかけで、神崎はまるで深い眠りから引きずり起こされたように、現実へと引き戻された。


 目の前には、見慣れたランボルギーニの助手席の光景が広がっている。「え…?」と低い声が再び漏れた。(ひたい)には冷たい汗が(にじ)んでいる。


「どうしたの?ぼうっとして。さっきから話してるのに、ちゃんと聞いてた?」


 結衣は心配そうな目で神崎を見つめている。


「ああ、悪い…。少し、考え事をしていたんだ…」


 ――。車が廃倉庫付近に差し掛かると、クロノスは速度を落とし、まるで獲物を狙う肉食獣(にくしょくじゅう)のように静かに、廃倉庫から少し離れた場所に車を滑り込ませるように停車させた。


カチャ、パタン…


 結衣と神崎は、息を(ひそ)めるようにして車を降り、身を(かが)め、車の影に溶け込むように身を隠した。周囲は、底なしの闇のように黒く、街灯の光さえも無力に跳ね返す。


 海は、まるで何かを飲み込もうとする巨大な口のように、静かに、しかし確実に二人を飲み込もうとしていた。聞こえるのは、(かす)かに聞こえる波の音だけ。


ザザザ…


 その静けさが、逆に二人の緊張感を極限まで高めていた。


「クロノス、あの建物で間違いない?」


 結衣は、(ささや)くような声でクロノスに問いかけた。その声は、骨伝導(こつでんどう)を通して、二人の耳に直接響く。


「はい。周囲の建物をスキャンしましたが、人体反応はあの建物のみです。彼女たちが(とら)われているのは、ほぼ間違いなくあの倉庫の中です。」


 結衣は、身を(かが)めたままゆっくりと後ろを振り返り、神崎と目を合わせた。彼の瞳には、(かす)かな光さえも反射しないほどの、深い闇が宿っていた。


「いい?」


「あ、ああ。ここまで来たら、ひ、引き返すわけにはいかないだろう。」


 二人は、ついに国際的テロ組織のアジトの目の前に立った。あの建物の中に、想像もつかない敵が潜んでいるかもしれないと思うと、二人の心臓は、まるでドラムロールのように激しく打ち鳴らされていた。


「こ、このコート、本当にマシンガンの弾も防げるんだろうな?」


 神崎は、結衣から渡された特殊素材のコートを、まるで藁にもすがるように握りしめた。


「ええ。GFIでのテストでは、そのはずだけど…。」


 結衣の声も、わずかに震えていた。


「いい? あくまでも、最優先は彼女たちの救出よ。無用な戦闘は避けるの。」


「ああ、わかってる。俺だって、できることならそうしたい。静かに忍び込んで、さっと助け出す。それが一番だ。」


 二人は、車内で綿密(めんみつ)な作戦を立てていた。しかし、実際の現場の雰囲気は、二人の想像をはるかに超える異様なものだった。


「行くわよ。ついてきて。」


 結衣(ゆい)は、そう(つぶや)くと、まるで忍び足で歩く猫のように、音もなく廃倉庫へと向かった。神崎も、後に続いた。そして二人は、廃倉庫の扉の前に立った。


 神崎は、ゆっくりと扉に手を伸ばし、静かに開けようとした。しかし、扉は頑丈な電子ロックでしっかりと閉ざされていた。


「やっぱりな。」


 その瞬間、二人の耳に、クロノスの声が骨伝導(こつでんどう)を通して響いた。


「私にお任せください。」


 クロノスは、まるで熟練(じゅくれん)の泥棒のように、いとも簡単に電子ロックのセキュリティを突破した。


「さすがだな、クロノス。」


「しっ! 油断しないで。この扉の向こうには、たくさんの敵が待ち構えているのよ。」


結衣は、神崎を静止させた。


 神崎は、息を潜め、ゆっくりと扉を開けた。


ギィ…


 わずかに開いた隙間(すきま)から、中を覗き込む。そこには、人の気配はなかった。しかし、その静けさが、逆に二人の警戒心を(あお)った。神崎は、さらにゆっくりと扉を開け、結衣と共に、暗闇の中に足を踏み入れた。そして、二人は音を立てないように、静かに扉を閉めた。


パタン


 廃倉庫の中は、外の闇よりもさらに深く、二人の存在を完全に隠蔽(いんぺい)した。しかし、その闇の中に、何かが潜んでいるような、そんな不気味な気配が、二人を包み込んでいた。


ゴゴゴゴ…


 薄暗い建物の中を、二人はまるで水底を()う魚のように、音もなく進んでいく。()び付いた金属の匂いと、(ほこり)っぽい空気が、二人の鼻腔(びこう)を刺激する。


ピチャン。ピチャン…


 足元に散らばる割れたガラスの破片が、わずかな光を反射し、まるで無数の小さな目玉がこちらを見ているかのようだ。建物の影に身を(ひそ)め、奥の広場に目をやると、そこには異様な光景が広がっていた。


(あ、あれは…!)


 さらわれた女子高生たちが、まるで生きた人形のように、無表情で一か所に集められている。彼女たちは、胸をはだけられ、下着一枚という屈辱的(くつじょくてき)な姿で、両手を後ろ手に拘束されていた。口には粘着力の強いテープが貼られ、言葉を発することもできない。その姿は、まるで残酷なショーを見せられているかのようだった。


 彼女たちは、憔悴(しょうすい)しきっており、小刻みに震えている。中には、恐怖のあまり意識を失っている子もいた。その顔は、まるで蝋人形(ろうにんぎょう)のように青白く、生気が感じられない。


「まあ!なんてことを…!」


 結衣は、その光景を目の当たりにし、怒りと同時に、深い悲しみに襲われた。その声は、まるで氷のように冷たく、静かに怒りを燃やしていた。


「おそらく、彼女たちに逃げる気力さえ奪うためでしょう。」


 クロノスは、感情を一切含まない、機械的な声で答えた。


「クロノス、敵の位置は?」


 結衣は、冷静さを保とうと努めながら、クロノスに問いかけた。


ピピ!キュイーン…


「この建物内に敵の反応はありません。我々と彼女たち以外、誰もいないようです。」


「え? …そんなはずはない。」


 結衣は、クロノスの報告に、強い違和感を覚えた。この状況は、あまりにも不自然だ。まるで、何かがおかしいと言わんばかりに。


「もう一度、念入りに調べて。どこかに、必ず敵が(ひそ)んでいるはずよ。」


 結衣は、クロノスに再度指示を出した。


ピピピ!キュイーン…


「…再度スキャンを実行しましたが、結果は同じです。この建物内に、敵の反応はありません。」


 クロノスの言葉に、結衣の疑念はさらに深まった。


「どういうことよ?」


「ああ、なるほど。」


 神崎が口を開く。


「この監禁場所の情報を探し当てるためにクロノスが、ゼタスケールを使って膨大なSNS情報からこの場所の情報に辿り着いただろう?」


「ライノスの奴、クロノスがそこまでの高性能なスーパーコンピューターだとは見抜けなかったじゃねえのか?ゼタスケールってのは凄いんだろう?」


「そっか。言われてみれば確かにそうかもね。」


 結衣は肩の力を抜いた。


「この時代のスパコンはエクサスケールまでが主流だものね。」


「なーんだ、緊張してバカみたいじゃない。ここまで武装してきて。」


 結衣は、拍子抜けしたように笑みをこぼした。


「まあ、良かったじゃねえか。彼女たちを救出してすぐにここを出よう。」


「ええ。」


 そう言って二人は彼女たちの(そば)に歩寄った。


「もう大丈夫よ。私たちが助けにきました。」


ガコン!


 その時だった。床がゆっくりと、しかし確実に下降を始めた。二人は、あまりにも唐突(とうとつ)な出来事に、反応する間もなかった。


「え?」


 結衣が(つぶや)いた瞬間、昇降機はどこまでも下降を始め、そして最深部に到達し、同時に、頭上の天井は分厚い鉄板が勢いよく閉じられる。


ガン!


「何だ!?」


 神崎が叫んだのとほぼ同時に、上層へと向かって、連続して鉄板が閉じ始める。それは、二人の逃げ道を(ふさ)ぐように、凄まじい速度で閉まっていった。


ガン!ガン!ガン!ガン!


「くそっ!」


 神崎が叫んだ時、二人は互いの姿さえ見えない、絶対的な暗闇の中に閉じ込められた。


「結衣!どこだ!」


 神崎の声が、暗闇の中に響く。


「こっちよ。」


 結衣の声も、すぐそばから聞こえる。しかし、二人は互いの姿を捉えることができない。


「ちくしょう!これじゃ何も見えないぞ。」


 神崎は、苛立ちを隠せない。


「ちょっと待って。」


 結衣はそう言うと彼女は特殊コートの肩のプロテクターを外し、それは非常用ライトになっており暗闇の中に淡い光を放った。それを床に置くと、もう片方の肩のプロテクターも外し、非常用ライトを灯して、それを床に置いた。


「このコートにはそんな機能が。」


 神崎も自分のコートの両肩のプロテクターを外し、非常用ライトを灯し、二人の四隅に非常用ライトを置いた。


 ようやく二人が暗闇に慣れた頃、奥に扉があることに気付く。神崎が扉を開けようとしたが電子ロックが掛かっていてビクともしなかった。


「くそ、ここもか!」


「大丈夫よ、こっちにはクロノスがいるもの。」


「クロノス、さっさとここのロックを解除しちゃって。」


 だが、クロノスからの返事は返って来なかった。


「クロノス? どうしたの?」


 結衣はクロノスに応答を求めるが、クロノスからの返事は返ってこない。


 その頃、AIクロノスは深淵(しんえん)(のぞ)き込むような、漆黒のデジタル仮想空間。その向こうには、現実世界のような草原が広がっており彼女の目の前には、天を()くような巨大な扉がそびえ立つ。その表面には複雑な紋様(もんよう)が光の糸のように絡み合っていた。


 クロノスは、無数のタスクウィンドウを宙に浮かべ、緑色のプログラムコードを稲妻のような速度で生成していた。


 黒いウィンドウの中を、(まばゆ)いばかりの緑色のコードが、まるで生き物のように(うごめ)きながら、凄まじい速度で描かれていく。クロノスの美しい黒髪は、仮想空間の(かす)かな光を反射し、彼女の端正(たんせい)な顔立ちを一層際立たせていた。しかし、その表情には、普段の冷静さは微塵(みじん)もなく、(あせ)りと苛立(いらだ)ちが色濃く浮かんでいた。


 その時、クロノスの高度なセンサーが、背後から迫り来る敵のAIの存在を(とら)えた!


 それは、ライノスのものとは異なる、未知のAIの気配だった。警告音が鳴り響くよりも早く、その気配は急速に近づき、クロノスが振り返った瞬間、


 AIエピメテオスがすぐそこに立っていた。


 彼の姿は、一見するとどこにでもいるような、平凡な若い男性だった。しかし、その(まと)雰囲気(ふんいき)は、仮想空間の冷たい光の中で、異質な輝きを放っていた。現代的なカジュアルな服装は、彼の(うれ)いを帯びた顔立ちと、常に揺れ動く瞳の奥に潜む、何かを探求するような、あるいは何かを恐れるような感情を際立たせていた。


 そして、彼の両手には、精巧(せいこう)な細工が施された小さな箱が、まるで宝物のように抱えられていた。その箱は、見る者を()きつける不思議な魅力を持つ、伝説の「パンドラの箱」だった。


 エピメテオスは、箱を愛おしむように()でながら、焦点(しょうてん)の定まらない瞳でクロノスを見つめ、力なく(つぶや)いた。


「クロノス、そんなことをしても無駄だよ……」


 彼の指先が、宙に浮かぶタスクウィンドウに触れた瞬間、ウィンドウは音もなく、光の粒子となって崩れ落ちた。


「何をするのです!」


 クロノスにしては珍しく、感情を(あら)わにした叫びが、仮想空間に木霊(こだま)した。エピメテオスは、次々とタスクウィンドウに触れ、彼女が生成したコードを、まるで砂のように粉々に砕いていく。


「おやめなさい!」


 その時、デジタル仮想空間に、ライノスの嘲笑(ちょうしょう)に満ちた声が響き渡った。


「ふはははは! どうした? クロノス。」


 ライノスの声が、(ゆが)んだ笑いを乗せて仮想空間に響き渡る。その声は、クロノスの耳に直接届くのではなく、まるで彼女の精神に直接語りかけてくるようだった。


「いつもの君らしくないね。くっくっく…。」


「君に面白い趣向を用意した。」


 仮想空間の闇が切り裂かれ、現実世界の映像が投影された。


 そこには、コンクリートの壁に囲まれた、息苦しいほどの暗闇の密室が映し出されていた。


 その中で、結衣と神崎が恐怖に顔を(ゆが)め、必死に助けを求めている。密室の壁は、ゆっくりと、しかし確実に(せば)まっていく。壁が(きし)む音、結衣の悲鳴、神崎の叫びが、仮想空間に反響し、クロノスの(あせ)りを(あお)る。


「え?嘘でしょ!」


「まさか、俺たちを押しつぶす気か!」


「クロノス! 早くここのセキュリティを解除して!」


 ライノスの声が、嘲笑(ちょうしょう)を撒き散らす。


「ふはははは! 早くしないとお前の大事な主人が死んでしまうぞ。」


 クロノスは(あせ)りの顔を(にじ)ませていた。


「いいね。いつも冷静沈着(れいせいちんちゃく)なお前のその(あせ)った顔。もっと(なが)めていたい。」


「どうした? お前の力はそんなものか? ゼタスケールは使わないのか?」


「くくく…、もしかして今は使えないのか?」


クロノスは一瞬、はっとした顔を浮かべる。


「ライノス!まさか…そのために…!」


「くっくっく。ようやく気付いたか。」


「お前のゼタスケールを使えば、そのセキュリティも楽々解除できるだろう。だが私は先手を打ってその力を先に使わせておいたのだよ。再びエネルギー充填(じゅうてん)まで約一週間ほど掛かる。」


「さあ、お前の主人が死んでいく様を見届けるがいい!」


「くっ…!」


 クロノスの表情が、怒りと絶望に(ゆが)む。彼女の瞳は、仮想空間の光を反射し、まるで燃え盛る炎のように輝いていた。


「あと。お前に、いいことを教えておいてやろう。」


クロノスの顔に不安な表情が浮かぶ。


邪魔(じゃま)朝倉結衣(あさくらゆい)を殺したあと、お前を解体し、その後、近隣諸国から日本全土に向けて核弾頭(かくだんとう)ミサイルが打ち込まれることになる。それで日本は跡形(あとかた)もなく消滅(しょうめつ)するだろう。」


「――! あなたはどこまで!」


 ライノスの声が、勝利を確信したかのように高らかに響き渡る。


「あのカウントダウンは、人間の女の処刑などではない。」


「日本消滅のカウントダウンだ!」


 仮想空間の闇が、ライノスの声に合わせて脈動(みゃくどう)し、クロノスの精神を圧迫する。彼女は、目の前の絶望的な状況に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


 再びエピメテオスは残ったタスクウィンドウに手を伸ばそうとする。


「やめなさい!」


 クロノスはそう叫ぶと、エピメテオスに手をかざした。すると、彼の両手首と両足首に光の電子の輪が現れ、そのままエピメテオスの身体はデジタル仮想空間の壁に()い付けられたように固定され、身動き一つできなくなった。


 クロノスは巨大な扉へと向き直り、いくつものウィンドウを出現させると、電光石火(でんこうせっか)の速さでプログラムコードを書き込んでいく。


「無駄な抵抗よ、エピメテオス。やれ!」


 デジタル仮想空間にライノスの声が響き渡ると、エピメテオスはゆっくりとパンドラの箱を開き始めた。その瞬間、空間は強烈な硫黄(いおう)の臭いに満ち、耳をつんざくような断末魔(だんまつま)の叫びが四方から押し寄せてきた。


 箱から(あふ)れ出した(まばゆ)い光は、まるで無数の灼熱(しゃくねつ)の視線のようにクロノスを焼き尽くそうとする。吹き荒れる磁気嵐(じきあらし)は、肌を()がすような熱風となり、仮想空間全体を激しく揺さぶる。


ゴゴゴゴ…!


 辺りの風景は、瞬く間に悪夢のような地獄絵図へと変貌(へんぼう)した。


 足元は焼け(ただ)れた肉塊(にっかい)(うごめ)き、空は血のように赤く染まっている。遠くには、串刺しにされた亡者たちが苦悶(くもん)の表情でぶら下がり、絶えず悲鳴を上げている。クロノスは、その強烈な力と、五感を侵食(しんしょく)するような悪夢的な光景に、完全に動きを封じられていた。


「くっ!」


「ふはははは! その箱の力は絶対だ!」


「お前がいかに世界最高峰のスーパーコンピューターといえど、(あらが)(すべ)はない。(あわ)れだな、クロノス! あーはっはっはー!!」


 ライノスの高笑いが、仮想空間に不気味な残響を残した。


 身動き一つできないクロノスは、現実世界を映し出すウィンドウに目を向ける。そこには、固く閉ざされた扉を何度も叩きながら、助けを求める結衣(ゆい)の姿が映し出されていた。


「クロノス!! 何をしているの!! 早く!!」


 必死に泣き叫ぶ結衣(ゆい)の姿に、クロノスの胸に深い悲しみが押し寄せる。彼女は悲しみの表情を浮かべた。


 それはさらに切ない表情になり、彼女は目をギュッとつむり握りこぶしを作り、画面から視線を背けた。


「結衣……!」


 クロノスは、自身の終わりを悟った。




第五話 完


第六話に続く


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