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SNS監視網  作者: 黒瀬智哉
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第四話 決意の夜

 (きら)めく夜景が広がる結衣(ゆい)のタワーマンションの一室。宝石を散りばめたような光は、これから闇へと身を投じようとする二人を、今はまだ優しく照らしていた。朝倉結衣(あさくらゆい)神崎彰(かんざきあきら)。その顔には決死の覚悟が交錯(こうさく)していた。


 先に狼狽(ろうばい)を見せたのは神崎だった。国際的テロ組織という巨大な壁を前に、彼の心は凍りついていた。だが、結衣の優しい眼差しと、右手を彼に差し出すという行動が、彼の中に眠っていた勇気を呼び覚ました。言葉を交わさずとも、二人の間には確かな強い絆が生まれていた。


 しかし、出発の刻が秒読みに入る今、揺らいでいるのは結衣の方だった。じっと神崎を見つめたまま、彼女はゆっくりと(まぶた)を閉じた。彼女の柔らかな(くちびる)が差し出された。


 それは、『キスして』という合図だった。


 結衣はわずかに震えていた。彼女は、自分が神崎に勇気を与えた手前、ここで弱音を吐くわけにはいかないと感じていた。せっかく彼の中に灯った勇気の炎を、自分の不安で消してしまうことを恐れていたのだ。


「え?なに…?」


 可愛らしい結衣からの、思いがけない誘いに、神崎は内心激しく動揺していた。好意を抱いている彼女の(くちびる)がすぐそこに。しかし、出会って間もない。こんな急展開は許されるのだろうか? 彼の心は、期待と戸惑いの間で激しく揺れていた。


「ほら、こういう時どうするの?」


 結衣の問いかけに、神崎は目を丸くし、わずかに後ずさった。


「え…? あ、あの…その…どうするって…?」


 彼の(ほお)がほんのり赤く染まっているのが、結衣には分かった。


 結衣の声は、普段の(りん)とした響きとは裏腹に、どこか挑発的だ。


「え?し、しかし…その…まだ知り合って間もないですし…こういう甘い雰囲気は、終わってからの方が…」


 神崎は、動揺を隠しきれず、言葉を(にご)した。(しび)れを切らしたように、結衣は神崎の襟首(えりくび)を掴んだ。強い力で引き寄せられ、彼の顔が急接近する。驚きで彼の瞳が大きく見開かれ…。


 彼女の柔らかな唇が彼の唇と重なった。


 それは、躊躇(ためら)いを許さない、断固とした接触だった。彼女は、彼との間に確かに存在するはずの、言葉を超えた繋がりを、この熱で確かめたかったのかもしれない。


 初めて触れる温かさが、電撃のように神崎の全身を駆け巡る。予期せぬ近さに心臓が跳ね上がると同時に、結衣の微かな吐息が彼の唇を優しく撫でた。見慣れたはずの彼女の唇が、今は熱を帯び、ほんの少し震えている。


 その繊細(せんさい)な震えが、彼の胸に不思議な 衝動 を与えた。長いキスの中、二人は互いの存在を深く感じ合った。言葉など必要なかった。離れた唇には、熱と湿(しめ)り気が残り、短い沈黙が二人の間に流れた。


 その時、神崎は初めて、結衣の肩が小さく、小刻みに震えていることに気づいた。彼女の強引なキスは、強がりや(あせ)りの裏返しだったのだと、彼は悟った。


「結衣…? 怖いのか…?」


 神崎の声は、深い(うれ)いを帯びていた。さっきまで彼に勇気を与えていた彼女が、今、(もろ)くも震えている。


 その事実に、彼の胸は締め付けられた。同時に、彼女の行動の理由を理解したことで、彼の中に今までとは違う感情が芽生え始めていた。それは、共に困難を乗り越えようとする同志としての意識を超えた、もっと深い繋がりへの予感だった。


「当たり前じゃない……」


 結衣の声は、今にも消え入りそうだった。普段は決して見せない、弱々しい一面。


「もしかしたら…本当に、死んじゃうかもしれないのに……」


 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたように、彼女は本音を漏らした。


 そんな結衣の、隠しきれない恐怖の色を見た神崎は、何も言わずにそっと彼女を抱きしめた。彼の腕は、彼女の小さな体を優しく、しかししっかりと包み込む。彼の温もりだけが、今の彼女にとって唯一の支えのように思えた。


「結衣…」


 神崎の低い声が、彼女の耳元で響く。


 結衣は、彼の胸に顔を埋め、生きているという確かな証を求めるように、彼の心臓の鼓動(こどう)に耳を()ませ、静かに目を閉じた。神崎は、ゆっくりと結衣の肩から手を離し、少しだけ顔を上げた。


 その時、タワーマンションの窓から差し込む月明かりが、彼女の(うれ)いを帯びた横顔を静かに照らし、彼は先ほどの彼女の言葉を振り返っていた。


 それは、二人が唇を重ねる少し前のことだった――。




「お前……いや、君たちは……一体、何者なんだ……?」


 彼の声は、先ほどよりもさらに小さく、深い疑問の色を帯びていた。


 結衣(ゆい)は、神崎の問いに静かに向き直り、その瞳に強い光を宿した。背後の夜景が、彼女のシルエットを縁取る。


「私たちは、日本で小さなシステム会社を経営していました。」


 彼女は、窓の外の無数の光を見つめながら続けた。


「私たちは、日々の業務の中で、既存の技術の限界、そして、それがもたらす社会の課題を肌で感じていました。」


「異常気象による災害、新型コロナウイルスの蔓延(まんえん)…それらは、私たちの想像を遥かに超えるスピードで進行し、既存のシステムでは、その予測も、対策も、後手に回るばかりでした。」


 結衣は、神崎に視線を戻した。


「このままではいけない。私たちは、もっと早く、もっと正確に未来を予測し、人類を守るための技術が必要だと痛感したのです。」


「しかし、小さな一企業である私たちの力だけでは、限界がありました――。」


 彼女は、自嘲気味(じちょうぎみ)に微笑んだ。


「そこで、私たちは、無謀にも国連に掛け合ってみたのです。」


 神崎は、驚きで目を見開いた。


「国連に…あなたたちが、そんな…まるで、石ころを月に投げつけるような…。」


 彼は言葉を失い、首を振った。


「ええ。最初は、相手にすらされませんでした…。」


「小さな日本の、名もないシステム会社の提案など、相手にされるはずもありません。」


「それでも、私たちは諦めませんでした。」


「自分たちが信じる技術の可能性、そして、それが人類の未来を救うと信じて、何度も何度も、資料を作り、説明を繰り返し、各国の専門家たちに訴えかけたのです。」


 結衣の声は、静かだが、強い信念を宿していた。


「私たちの熱意は、少しずつ、しかし確実に、人々の心を動かし始めました。」


「そして、最終的には、当時の国連事務総長の目に留まり、彼の強力な後押しを得て、『Global Future Initiative』が発足することになったのです。」


 彼女は、誇りを滲ませた。


「私は、国連直轄の特別機関、『Global Future Initiativeグローバル・フューチャー・イニシアチブ』、略して……」


「GFIの最高技術責任者(CTO)です。」


「GFIは、地球規模の未来の課題に対し、世界が協力して主導的に取り組むために設立された機関で、運営資金は全て国連が受け持っています。」


「私たちは、その中枢となる技術部門を担い、私は、その責任者であるCTOとして、この機関の運営に携わっています。その昔、この国では、スパコンの開発について、『2位じゃダメなんですか?』と発言した政治家がいたと聞きました。」


 結衣は、射抜くような視線で神崎の目をまっすぐに見つめた。彼女の瞳には、強い光が宿り、奥底にある揺るぎない決意を物語っていた。


「彼女は何もわかってない!」


 結衣の言葉は、張り詰めた静寂(せいじゃく)を破り、確かな熱を帯びて部屋に響いた。それは、抑えきれない怒りにも似た、強い感情の発露(はつろ)だった。彼女は、手のひらをわずかに握りしめたかもしれない。


「私たちが目指す世界一のスパコンは、単に計算速度の優劣(ゆうれつ)を決めるものではありません。」


 神崎は、その激しいまでの情熱に息を呑み、結衣の真剣な表情をじっと見つめていた。彼女の言葉一つひとつが、重い石のように彼の心に沈んでいく。その言葉の奥にある、計り知れないほどの努力と覚悟を感じ取っていた。


「それは、人類が抱える共通の課題に立ち向かうための、唯一無二の希望の光です。」


 結衣は、一瞬だけ窓の外の夜景に視線を移した。(きら)めく光の群れの中に、彼女が見据える未来の姿が重なっているようだった。その横顔には、強い決意と、ほんのわずかな憂いが入り混じっていた。


「気候変動の予測、難病の治療法開発、宇宙の深淵(しんえん)の解明。それらは全て、一国の力だけでは成し遂げられない、全人類の未来に関わる重要なテーマです。」


 彼女の語る壮大な目標は、彼にはまだ遠い世界の出来事のようだ。


「最高峰のスパコンは、その研究を加速させ、より早く、より確実な解決策を見つけ出すための礎となる。もし私たちが2位で甘んじてしまえば、その歩みは鈍り、多くの人々が苦しみ続けることになるかもしれません。」


 神崎は、固唾(かたず)を飲んで結衣の言葉に耳を傾けていた。


「私たちの仕事は、最先端の技術を追求することで、人類全体の平和と幸福に貢献すること。世界一を目指すのは、その使命を果たすための必然なんです。」


 結衣の言葉には、揺るぎない決意が宿っていた。


「彼女の言葉は、その重みを全く理解していない。私たちは、未来のために、決して立ち止まるわけにはいかないんです!」


 結衣の強い断言を聞き終えた神崎の表情には、先ほどの戸惑いは消え、静かな覚悟の色が宿っていた。


 神崎は、結衣から語られた驚愕の事実に、まだ完全に理解できていなかった。


「……GFI、ですか。」


 神崎は、先ほどの結衣の言葉を反芻するように呟いた。彼女が語った壮大な計画、そしてその中心にいるという事実に、彼はただただ息を呑むばかりだった。


 結衣は、神崎の反応を静かに見つめていた。彼女の表情には、先ほどの激情は収まり、再びいつもの冷静さが戻っていた。


「ええ。Global(グローバル)は『地球規模の』、Future(フューチャー)は『未来』、Initiative(イニシアチブ)は『主導』や『率先行動』という意味です。」


「ですから、Global(グローバル) Future(フューチャー) Initiative(イニシアチブ)を直訳すると、『地球規模の 未来 主導』という意味になります。そして……。」 


 結衣は、少し間を置いて、言葉を続けた。


「GFI発足後、世界中から、まさに選りすぐりのエキスパートなシステムエンジニアたちが集められました。」


 彼女の声は、夜の静けさの中で、低いトーンで響いた。神崎は、その言葉に、彼女がどれほどの重責を担っているのかを改めて感じた。世界のエリートたちが集結した組織。その中で、彼女は最高技術責任者なのだ。


「そして彼らと共に、人類の英知を結集したスーパーコンピューターの開発に着手しました。私も、その技術者の一人として、スーパーコンピューターの設計に直接参加したのです。」


 結衣の言葉には、かすかな誇りが(にじ)んでいた。彼女の才能が、世界レベルで認められている証拠だ。


 神崎は、彼女の横顔をじっと見つめた。華奢(きゃしゃ)な外見からは想像もできないほどの、強靭(きょうじん)な精神力と知性が宿っているのだろう。


幾度(いくど)となく試行錯誤(しこうさくご)は繰り返され、文字通り寝食(しんしょく)を忘れるような日々でした。そうして、ようやく……。」


 結衣は、窓の外の夜景に目をやった。無数の光の一つ一つが、人々の営みを象徴しているようだ。


「そうして誕生したのが、スーパーコンピューター『テセッラクト004GR』です。」


 その名前を口にする時、彼女の表情はプロフェッショナルの顔に戻った。神崎は、その響きに、人類の未来を託された巨大な機械のイメージを重ねた。


「その後、私が草案コードを書いた高性能AI、《クロノス・アナリティカル・システム》。それを元に、集められたエキスパートたちと共同で開発を進め、『テセッラクト004GR』に導入し、そうして――クロノスが誕生しました。」


 結衣(ゆい)は、ゆっくりと神崎に向き直った。彼女の瞳には、深い知性と、ほんのわずかな(うれ)いが宿っているように見えた。


「表向きは、私一人で開発したことになっていますが……。」


 彼女は、そこで言葉を切った。神崎は、彼女の言葉の裏に何か複雑な事情があることを察した。


「そうしておいた方が、都合が良かったのでしょうね。」


 結衣は、自嘲気味に微笑んだ。その笑顔は、先ほどの強がりとは違い、どこか寂しげだった。


 神崎は、彼女の言葉に込められた重さを感じ、何も言えずにただ彼女を見つめていた。彼の胸には、彼女の才能への敬意と、彼女が抱える孤独に対する同情が入り混じった、複雑な感情が湧き上がっていた。


「じゃあ私、ちょっと着替えてくるわね。」


 結衣がそう言って奥の部屋へ消えると、残された神崎は、宝石箱をひっくり返したような夜景に目をやった。


 タワーマンション最上階の窓ガラスに映る光の粒は、これから二人で足を踏み入れるであろう暗闇の世界とはあまりにも対照的だった。遠くの喧騒(けんそう)は届かず、聞こえるのは空調の(かす)かな音だけ。この静けさが、これから始まる激しい出来事を、どこか遠い世界の出来事のように感じさせた。


 やがて、静かにドアが開き、結衣が戻ってきた。


 その姿を見た瞬間、神崎は息を呑んだ。


 全身を覆う黒のレザースーツが、彼女の身体のラインを際立たせ、まるで第二の皮膚のように吸い付いている。無駄を削ぎ落としたそのシルエットは、機能美という言葉がふさわしい。


 室内の(わず)かな光を捉え、彼女の身体は(かす)かに青白く輝いているようにも見えた。特に、胸元から腰にかけての曲線は確かに目を引くが、それ以上に神崎の視線を奪ったのは、その異質なまでの存在感だった。


 (かた)(ひじ)(ひざ)といった要所には、細い青いLEDのラインが埋め込まれ、まるで生きているかのように淡く脈打っている。背中にはGFIのロゴが刻まれていた。


「そ、その恰好は…。」


 神崎は、言葉少なに問いかけた。


「どう?似合う?」


 彼女は照れくさそうな笑顔を神崎に向ける。普段の柔らかな表情とは異なり、その笑顔にはどこか覚悟のようなものが滲んでいた。


「これはアラミド繊維という特殊な繊維で作られた生地で作られた服なの。この上からなら少々のナイフで切りつけられても平気だわ。」


 彼女は、自分の腕を軽く叩いてみせた。その動きは機敏で、躊躇(ためら)いがなかった。


「あとこれ。」


 結衣はレザースーツの上に、漆黒のフード付きロングコートを羽織った。床に届きそうなその丈は、彼女の全身をすっぽりと(おお)い隠す。コートの背中にもGFIのロゴが刻まれている。重厚な生地は光を吸収し、周囲の夜景さえも拒絶しているかのようだ。


「このコートは私たちの機関で独自に開発されたものなの。」


「この上からならマシンガンで撃たれても平気。耐火性能も優れているので、火の中に飛び込んでも多少は耐えられるわ。」


 黒のレザースーツの上に黒のロングコートを羽織った彼女の姿は、まるで夜の闇そのものだった。タワーマンション最上階の(きら)びやかな夜景を背に立つ彼女は、これから危険な任務に身を投じる戦士のようだった。


 その姿は、先ほどまでの知的な研究者という印象を(くつがえ)し、静かで強い意志を宿したヒロインを彷彿とさせた。神崎は、その変貌(へんぼう)ぶりに改めて息を呑んだ。


「じゃあ、あんたもこれに着替えて。」


 そう言って、結衣は神崎に手慣れた様子で折り畳まれた男性用のスーツと、自身が羽織っていたものとよく似た漆黒のロングコートを差し出した。神崎は言われるままにそれを受け取り、奥の部屋へと向かった。


 しばらくして、神崎が着替えを済ませて戻ってきた。全身を黒で統一したその姿は、普段の彼からは想像もできないほど精悍(せんかん)に見えた。


 鏡に映る見慣れない自分を見て、神崎は内心で小さく息を吐いた。まるで別人のようだ。この重厚な生地が、これから身を守ってくれるのだろうか。不安と、(かす)かな期待が胸の中で入り混じる。


「おおー、結構見合うじゃん。なかなか、カッコイイよ。」


 結衣は目を輝かせ、率直な感想を口にした。


「そ、そうか?なんか照れるな。」


 神崎は少しばかり居心地悪そうに、襟元(えりもと)を緩めた。見慣れない自分の姿に、気恥ずかしさを覚えているようだった。


 漆黒のコスチュームに身を包んだ二人は、まるで深夜に舞い降りた影のようだった。互いの姿を見ていると、どこか非現実的な、映画のヒーローとヒロインのような雰囲気が漂う。


 結衣は、そういった手の映画が好きなようだった。彼女は突然、ポケットからスマートフォンを取り出すと、嬉々とした表情で神崎にレンズを向けた。


「おいおい。何はしゃいでんだよ。これから戦場に(おもむ)くって時に。」


 神崎は苦笑しながらも、その申し出を拒否することはなかった。


「いいじゃない。ちょっとぐらーい。」


「思い出作りよ。ね?二人ともこんなカッコイイ格好してるんだから、記念に残しておきたいじゃない?」


 彼女はまるで子供のように興奮し、はしゃいでいる。


 お揃いの恰好で並んで立っているのが、どこか無邪気に楽しそうだった。その姿は、先ほどの冷静沈着な表情とは打って変わり、年相応の少女のような一面を見せていた。


「はいはい。ったく、しょうがないな。」


 神崎はそう言いながらも、どこか優しい眼差しで結衣を見つめた。


 そうして、二人はタワーマンションの窓辺に歩み寄り、眼下に広がる宝石を散りばめたような夜景をバックに向かい合って立った。スマートフォンの画面には、漆黒の装いに身を包んだ二人が、都会の夜を背景に浮かび上がる姿が映し出された。


 その刹那、束の間の平穏と、これから始まるであろう激しい戦いの予感が、二人の間に静かに漂っていた。


 しばらく二人は見つめ合ったまま静寂な時が流れた――。




 タワーマンションの地下駐車場。結衣が乗り込んだ漆黒のランボルギーニは、エンジンが唸りを上げ、まるで地を()う獣のように低い姿勢で構えた。


ブオォォォォン!


 次の瞬間、爆音と呼ぶべき轟音(ごうおん)が狭い空間に反響し、周囲の静寂を打ち破って、その異形のスーパーカーはアスファルトを蹴り上げた。


「おいおい。この車なんだよ!」


 助手席でシートに押し付けられながら、神崎は思わず叫んだ。


「知らないの?ランボルギーニよ。センサーを取り付けたりちょっと改良してるけどね。」


 結衣(ゆい)は涼しい顔でアクセルを踏み込む。信じられない加速に、神崎は背もたれに深く押し付けられた。急な車線変更、そしてありえないスピード。


「うわわっ! 危ないだろ! もっとゆっくり走れないのかよ!」


 その時、車内のスピーカーから、滑らかで落ち着いたクロノスの声が響いた。


「結衣、あなたの運転は少々乱暴です。私が操縦を代わりましょう。」


「あら、 じゃあお願いするわ。」


 そう言うと、結衣はあっさりとハンドルから手を離した。神崎が目を見張る中、ステアリングはまるで意志を持つかのようにひとりでに動き出し、ランボルギーニは滑らかに加速を続けながらも、安定した走行へと変わった。


「へえ。もう車の自動運転が実現してたのか…。」


「まあね」結衣は少し得意げに言った。


「でも、これは高性能AIクロノスあってのもので、非公開よ。」


 神崎は納得したように頷いた。


「なるほど。だけど 警察に見られたらヤバくないか?」


「ご心配には及びません。外部認識センサー群からの情報を統合解析し、周辺環境に合わせた擬似映像をリアルタイムで生成、車体外装に投影しております。」


 クロノスは冷静に説明した。


「具体的には、外部からは結衣様が常にハンドルを握り、法規(ほうき)に遵守した速度で走行している映像を多層的に重ねて表示しております。手放し運転であるという認識を外部に与えることはありませんので、ご安心ください。」


「外からは結衣が運転してるように見える、ってことか…。まるで、光学迷彩みたいだな。」


 神崎は感嘆(かんたん)の声を漏らした。


「類似の概念とご理解ください。」


 クロノスの声は静かに響いた。


 結衣は前方を(にら)みつけ、低い声で(つぶや)いた。


「待ってなさい!ライノス。必ずあなたの(ゆが)んだ野望を打ち砕き、囚われた少女たちを解放してみせるわ。」


 その言葉には、静かな怒りと強い決意が宿っていた。


 結衣と、最新鋭のテクノロジーに驚きを隠せない神崎を乗せたランボルギーニは、漆黒のボディを夜の闇に溶け込ませながら、高性能AIクロノスの完璧な制御によって、女子高生たちの監禁場所である東京湾沿岸の廃倉庫へ向けて、静かに、しかし確実に、都内の夜の幹線道路を滑走していった。




第四話 完


第五話に続く

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