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SNS監視網  作者: 黒瀬智哉
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第三話 涙の誓い - 乙女の強さ

 AIクロノスは、分解されたピクセル情報を詳細に解析し、高度なステガノグラフィー解読アルゴリズムを瞬時に実行した。彼女の指先がホログラム映像を繊細に操作すると、監禁場所を示す座標と、敵のAI、ライノスからの挑戦状とも言えるメッセージが浮かび上がった。


「東京湾沿岸、古びた廃倉庫。座標は〇〇、〇〇。さあ、間に合うかな?」


 神崎は、そのメッセージを読み終えると、豪華な調度品に囲まれた結衣の部屋の中で、憎らしい敵の挑発的な言葉を反芻(はんすう)し、険しく(まゆ)をひそめた。磨き上げられた大理石の床に、ホログラムの淡い光が不気味な影を落とし、先ほどまでそこにいたライノスの残像を思わせる。


「くそっ、そんなところに…!」


 クロノスは、神崎の低い(うな)りを拾うと同時に、(きら)めくホログラム映像をさらに鮮明に投影した。眼下に広がる夜景を背景に、青い光点が東京湾沿岸の暗闇の一角を(するど)く指し示す。


 間髪入れずに、その座標を含む詳細な地図がホログラム映像に展開され、さらにその場所にあると思われる廃倉庫の、様々な角度からの鮮明な写真や最新の衛星画像が、レイヤーのように次々と重ねて表示された。


 それは、一刻も早く最悪の事態が起こりうる現場に急行するための、周到(しゅうとう)かつ迅速(じんそく)な準備の証だった。


「おい、どうすんだよ? 結衣(ゆい)!」


 神崎は、隣に立つ結衣(ゆい)に声をかけた。彼女の白い(ほほ)は、先ほどの恐怖と怒りでかすかに紅潮(こうちょう)し、普段は冷静な瞳が、今もなおホログラムに残るライノスの嘲笑(ちょうしょう)を焼き付かせているかのように、深く険しい光を宿している。小さな肩は、目に見えないほどの怒りでわなないていた。


「もう、あったま来た!」


 結衣(ゆい)は、まるで氷の刃を研ぎ澄ますような低い声で言い放ち、ホログラムに映し出された廃倉庫を(にら)みつけた。タワーマンション最上階の静寂を破るその言葉には、抑えきれない怒りと、必ず敵を追い詰めるという強い決意が込められていた。


「どうするって、彼女たちを、助けに行くに決まってんじゃない!」


 結衣は、迷いのない強い眼差しで神崎を射抜いた。その瞳には、確固たる決意が宿っている。


「お、おい。わかってんのか!」


 神崎の声は心配げだった。眉根(まゆね)を寄せ、結衣の熱意に気圧されたように、わずかに後ずさる。


「え?」


 結衣は(まゆ)をひそめた。神崎の言葉の意味を測りかね、(いぶか)しむように首を(かし)げる。


「相手は、ただのチンピラじゃない。国際的なテロ組織だ!」


 神崎の言葉が、重い石のように結衣の心に落ちた。彼女の表情から、一瞬、血が引いたように色が消える。息をすることさえ忘れたかのように、瞳の奥に、 自覚と、それに伴うわずかな悲しみが滲んだ。


「そんなところに、たった二人で乗り込んで行って、どうなるっていうんだ…。」


 神崎は続けた。 まるで自分に言い聞かせているように、声は弱々しい。彼は視線を彷徨(ただよ)わせ、磨き上げられた床の自分の頼りない姿を見つめながら、神崎は過去の苦い記憶を(よみが)らせていた。


(そうだ、いつもこうだった…)


 幼い頃から優しさと正義感を抱いていた彼だったが、肝心な場面で一歩を踏み出せない臆病(おくびょう)さも持ち合わせていた。例えば、クラスメイトがイジメられているのを見ても、見て見ぬふりをすることしかできなかった。勇気を出せない自分を、彼は深く嘆いていたのだ。


「みすみす、敵の罠に飛び込むようなものだ。」


(また、逃げるのか…?)


「こういうのは、警察に…。」


 結衣(ゆい)の悲しげな表情は深くなった。彼女の唇は、悲しみと怒りで小さく震えていた。


「どうして…?あなたは、彼女たちが可哀想じゃないの…?」


 結衣の声は、 今にも壊れてしまいそうなほど震えていた。 彼女の大きな瞳は(うる)み始め、神崎の目を 痛みと訴えかけるように見つめる。


「そりゃ、俺だって、可哀想だと思うけどさ…。」


 神崎は目を泳がせた。結衣の純粋な瞳から逃れるように、視線は部屋の(すみ)へと彷徨(ただよ)う。彼の指先は、心許(こころもと)なく空気を切り、まるで(つか)むべき言葉を見つけられないでいるようだ。


「だったら!」


 結衣は語気を強めた。それまで押し殺していた感情が爆発したように、彼女の声は(するど)く部屋に響く。


「助けに行きましょう!」


「しかし…」


 神崎の言葉は、結衣の決意に圧倒され、(のど)の奥でやっと絞り出されたように途切れた。彼の表情には、今までの不安に加え、予期のようなものが浮かぶ。


「どうしてよ!」


 結衣は、すでに幾滴(いくてき)もの涙を(たた)えた瞳で神崎を射抜いた。その透明な(しずく)は、彼女の純粋(じゅんすい)な心を反映しているようだ。


「きっと彼女たち、暗くて寒い倉庫で、次は自分が殺される番だって震えてるよ? 想像してみてよ!」


 その声は、犠牲者(ぎせいしゃ)への痛切な同情に満ちていた。神崎は、その真っ直ぐな眼差しから逃れるように、重く(まぶた)を閉じた。結衣の言葉が、彼の脳裏に冷たい流れ作業のような映像を呼び起こす。


「あんた、男でしょう!」


 結衣は畳み掛けた。彼女の声には、わずかながらも失望の色が(にじ)み始めている。その言葉は、神崎の奥底に眠るであろう自尊心(じそんしん)を呼び覚まそうとしているかのようだ。


「男なら、こういう時、どうするのよ! 見て見ぬふりをするの?」


「助けを求めている人がいるのに!」


「男、男ってな!」


 神崎は顔をしかめて言い返した。結衣の感情的な圧力に、彼の表情には苛立(いらだ)ちと自己防衛の色が濃くなる。


「お前は、怖くないのかよ!」


 彼の声にも、焦燥(しょうそう)と恐怖が以前よりも露骨(ろこつ)に混じっていた。彼は無関心に自分の両手を握りしめ、その関節はわずかに白んでいる。


「そりゃあ、怖いけど!」


 結衣(ゆい)は真剣な顔を彼に向けながら涙をこぼしながら言った。頬を伝う熱い(しずく)は、彼女の恐怖と決意が矛盾しながらも共存していることを示すようだ。


「だから、何だって言うのよ!」


「こんな状況で、彼女たちを見殺しにするつもり!?」


 結衣の言葉は、(するど)い刃物のように神崎の胸に突き刺さった。彼の呼吸は一瞬詰まり、顔には明らかな苦痛の色が浮かぶ。


「だから、警察に…。」


 神崎は、まるで唯一の希望にすがるように、同じ言葉を繰り返した。彼の目は彷徨い、助けを求めるように部屋の様々な点をさまよう。


「警察なんかに言ったところで、信じてくれるはずないわよ!証拠もない、時間もない。そんな悠長なことをしている間に、彼女たちの命は…!」


 結衣は、絶望的なまでの危機感を訴えた。


「こうしている間にも、彼女たちの死のカウントダウンは、刻一刻と進んでいるのよ!」


 神崎は再び彼女から視線を外し、固く目を閉じた。彼の心の中でも、助けに行きたいという強い衝動と、危険を恐れる本能的な感情が、激しくぶつかり合っていた。拳を握り締め、歯を食いしばる。額には、冷たい汗が滲んでいた。


(くそ…!俺はどうしていつも……)


 しばらくの沈黙が、重苦しい空気となって二人の間に漂った。その沈黙を破ったのは、結衣の、断固たる行動だった。彼女はゆっくりと右手を上げ、神崎に向かって、そっと差し出した。


 その温かい感触に気づき、神崎はゆっくりと顔を上げた。


 結衣の顔には、まだ涙の跡が残っていたが、その表情は、先ほどの激しさとは打って変わって、信じられないほど優しく、そして断固たるものだった。


 その透き通った瞳に見つめられていると、神崎の胸の奥に、これまで感じたことのないような、温かい光が灯るのを感じた。それは、絶対的な信頼と、無条件の勇気が宿った眼差しだった。


(そうだ、俺はこれまでの人生で、いつも大事な局面で逃げてばかりだった……もう、そんな自分とは決別するんだ!)


 神崎は、自分の弱さを痛感した。


 そして、差し出された結衣の小さな手を、自分の震える手を重ね、力強く握り返した。その瞬間、温かい光が、まるで 器を満たす液体のように、結衣の手を通して彼の全身へと流れ込んでくるのを感じた。


 同時に、これまで感じたことのないほどの平穏と、内面からの力が湧き上がってくるような感覚に包まれた。彼女の心強く、優しく、そして何よりも真剣な眼差しと、その不思議な光が、彼の背中を力強く押してくれたのだ。



「わかったよ。」



 神崎の顔にも、以前のような苦悶(くもん)の色はなく、穏やかな、しかし確固たる決意を宿した表情が浮かんだ。


 見つめ合う二人の間には、言葉を超えた強い絆と、光に満ちた 希望が満ちていた。それぞれの胸には、犠牲者救出という唯一の目標に向けた、揺るぎない覚悟が刻まれた瞬間だった。


 その時、結衣は少し赤くなった目元で、しかし柔らかな笑顔を神崎に向けた。


 素の状態でも彼女は可愛いのだが、感情を(あら)わにした後の笑顔は、どこか庇護欲(ひごよく)をそそるような危うさを(ふく)んでいて、神崎は先ほどまでの緊迫感から解放され、胸がじんわりと温かくなった。


(か、可愛い…。なんて、可愛いんだ…。)


 もう一度結衣(ゆい)の笑顔を確認すると、その優しい光に彼は安堵感(あんどかん)を覚えた。しかし、三度目に目が合った時、彼は(わず)かな違和感を覚えた。彼女は微笑みを(たた)えたまま、じっとこちらを見ている。


「ん…?」


 微かな戸惑いを覚えたその時だった。神崎は、先ほどまで握っていた彼女の右手が、まだ温かいのを感じていた。その温もりを感じている最中、まるで足元が急に崩れたかのように、体勢がぐらつき、片膝が床に吸い付いた。


「え?」


 何かに強い力で押し付けられているような、抗えない感覚が全身を襲う。起き上がろうとしても、身体にまるで力が入らない。神崎は、温かい感触が残る彼女の右手を掴んだまま、為す術もなく体勢を崩し、翻弄(ほんろう)されてしまう。


「うわわ…! な、なんだ…?」


 そして彼は、結衣を背にして、高級な絨毯(じゅうたん)が敷かれた床に完全に押さえつけられてしまった。結衣の息遣いが、すぐ背後から聞こえる。


「さっき、私のこと『結衣(ゆい)』って、呼び捨てにしたわね?」


「え? わ、悪い…。興奮してたからつい…。」


 結衣は力を込めずに、しかししっかりと彼の拘束を解いた。


「それは別にいいのよ。みんな私のこと『朝倉様』とか『朝倉氏』とか、堅苦しく呼ぶから新鮮だったわ。」


 結衣は、先ほどの涙の跡が嘘のように、屈託(くったく)のない笑顔で答えた。タワーマンションの窓から見える夜景が、彼女の横顔を優しく照らしている。


 神崎は「彼女はお嬢様か何かなのか?」と、心の中でそっと呟いた。


「クロノス以外で、私のこと下の名前で『結衣』って呼ぶ人っていないから、乙女心が少しときめいちゃった。」


 結衣は、いたずらっぽくクスリと笑う。


「あのなぁ? 乙女が国際的テロ組織のアジトに乗り込む奴がいるかよ?」


 神崎は、まだ少し痺れる腕を(かば)いながら、笑顔で返事を返した。窓の外の夜景は、無数の光が瞬き、二人の間にある種の静けさをもたらしているようだった。


「あら? あんた女をわかってないのね? 乙女は強いのよ?」


「乙女は、悪には決して負けないの!」


 結衣は、真剣な表情でそう言い切った後、一転してキョトンとした顔で返事をする。彼女の横顔には、背後の夜景の光が強く当たり、その瞳の奥には、都会の喧騒とは裏腹の、強い光が宿っているようにも見えた。


「そうなんか?」


「そういうもんよ。」


 彼女は、先ほどまでの険しさの欠片もない、穏やかな微笑みを彼に向けた。


「ところで、さっきのあれはなんだ?」


 神崎は、まだ理解が追い付かない、不思議な体験について結衣に尋ねた。


「私、こう見えて合気道の有段者なの。師範の資格だって持ってるわ」


 曇りなき瞳で、彼女はそう答えた。背後では、クロノスのホログラムが、二人の会話を静かに見守るように淡い光を放っていた。


「合気道?」


「そう。合気道は日本の古代から伝わる武術の一つで、空手とかに比べれば地味だけど、習得すればさっきみたいな芸当が出来るの。」


「へえ~。」


 神崎は、純粋に関心したように答える。高級な絨毯(じゅうたん)の感触が、まだ手のひらに残っている。


「合気道は、相手の力を無力化する武術。『体捌(たいさば)き』や『呼吸の一致』ってのを使ってるんだけど、相手の力を利用して使う技なので、力のない女性でも大男を押さえつけることだって出来るの」


「へ、へぇ~…。」


 神崎は、改めて彼女の底知れなさに驚嘆(きょうたん)した。眼下の夜景は、まるで宝石を散りばめたように(きら)めいているが、彼らがこれから向かう場所は、そのような美しさとはかけ離れた危険な場所なのだという現実が、ふと頭をよぎった。


「じゃあ、まったく勝算がないわけでもないんだな。」


「まあね。でも、相手は国際的テロ組織よ? 私の合気道がどこまで通じるか…」


「でも、いざとなったら私が投げ飛ばしてあげるわ。」


 神崎は、彼女の言葉に、ほんの少しだけ心強さを感じた。窓の外の夜景は、ゆっくりと色が変化しているようだった。


「あと、こちらにはクロノスという心強い味方がいるわ。そうでしょ?」


 結衣(ゆい)は、ホログラムのクロノスに笑顔を向けた。まるで本物と見間違えるほど精密なホログラムのクロノスは、柔らかな光を放ちながらそこに立っていた。


 感情の起伏を感じさせない声で性能を説明するその瞳は、光学的な冷たさを湛えながらも、二人を静かに見守っているようだった。


「はい。私は実体のないAIですので、物体を掴むということは出来ませんが、私の本体は、世界最高峰を誇るスーパーコンピュータ『テセラックト004GR』です。」


「高性能AI《クロノス・アナリティカル・システム(Chronos Analytical System)》で稼働していますので、瞬時に敵の位置を把握し、次に相手がどんな行動を仕掛けてくるのかをその場で解析して、最適な指示を出すことができます。」


 クロノスは、感情の起伏のない声で、自身の性能を淡々と説明する。窓の外の夜景は、無数の光を瞬かせ、二人の間に静寂をもたらした。


「ライノス追跡に使用したゼタスケールは今は使用できませんが、エクサスケールであれば使用できます。敵の動きを解析して戦略を立てる程度なら問題ありません。」


「そっか、ゼタスケールを使っちゃったんだ。無理もないわね。」


「クロノス、再びエネルギー充填完了までどれぐらい?」


「はい。今、エネルギー充電を急いでいますが、MAXまで約一週間ほど掛かります。」


「まあ、ざっと見積もってそんなところね。」


 結衣は腕組をして、タワーマンションの高い天井を見上げながら答えた。


「おい。さっきからお前らが話してる、その。ゼタスケール?とか、エクサスケールってなんだよ?」


 神崎は、素朴な疑問を結衣にぶつけてみた。


「そっか、あんたコンピューター雑誌の記者のくせに、コンピューターのこと何も知らないのね?」


 結衣は、先ほどの真剣な表情から一転、楽しそうにクスリと笑う。


「どうして、あんたがコンピューター雑誌の記事を書いてるのか不思議だわ。」


 結衣は、さらに肩を揺らして笑った。


「ま、まあ。それは成り行きで…。」


 神崎は、苦笑いを浮かべる。


「スーパーコンピュータは知ってる?」


「ん~。聞いたことぐらいなら…。」


「やれやれ、どこから説明すればいいのやら…。」


 結衣(ゆい)は腕組をしたまま、窓の外に広がる夜景に目をやり、少し考え込んだ。その横では、クロノスのホログラムが神崎を微笑みながら佇立している。


「あのね、神崎。スーパーコンピューターって言うのは、簡単に言えば、ものすごく高性能なコンピューターのことよ。普通のパソコンとかスマホとは比べ物にならないくらいの計算能力を持っているの。」


「計算能力が、すごい…?」


 神崎は、夜景を見つめる結衣の横顔を見ながら、ぼんやりと呟いた。


「そう。例えば、天気予報の複雑な計算をしたり、新しい薬を作るためのシミュレーションをしたり、宇宙の研究で大量のデータを解析したり…とにかく、人間が何年もかかるような計算を一瞬で終わらせることができるの。」


「へえ…そんなにすごいんだ。」


「ええ。そしてね、そのスーパーコンピューターの性能を表す単位の一つに、『FLOPSフロップス』っていうのがあるの。これは、一秒間にどれくらいの計算ができるかを表す単位なんだけど…まあ、難しいことは置いといて」


 結衣はクスリと笑った。


「えっと、そのフロップスっていうのは、速さの単位ってことでいいんですか?」


「まあ、簡単に言えばそういうこと! 一秒間に何回計算できるかの回数ね。そのFLOPSの単位がどんどん大きくなってきてね。ギガFLOPSとか、テラFLOPSとか、ペタFLOPSとか…聞いたことあるかしら?」


 神崎は首を横に振った。


「まあ、無理もないわね。で、そのペタFLOPSのさらに上が、エクサFLOPSなの。エクサっていうのは、10の18乗を表す言葉で、ペタの1000倍もすごい単位なのよ。」


「例えるなら、もしペタFLOPSが町くらいの計算速度だとすると、エクサFLOPSは地球全体の情報処理速度くらいかしら。クロノスの本体、『テセラックト004GR』も、普段はそのエクサスケール級の能力で動いているわ。」


 結衣はそう言って、ホログラムのクロノスを一瞥した。


「で、さっきクロノスが言ってた『ゼタスケール』っていうのは、そのエクサスケールのさらに上なの。ゼタは10の21乗。もう、とんでもないレベルの計算能力よ。ゼタスケールがどれくらい凄いか、具体的に説明するわね。」


「2025年現在、世界のスーパーコンピュータの性能ランキングで1位の『エルキャピタン』の性能は約1.74エクサFLOPS、2位の『フロンティア』は約1.35エクサFLOPS、3位の『オーロラ』でも約1.01エクサFLOPSなの。」


「エクサスケールはペタスケールの1000倍だから、普段のエクサスケール級の能力を持つ『テセラックト004GR』も、これらの世界最高峰のスパコンと比べても遜色(そんしょく)遜色(そんしょく)ない、あるいは凌駕(りょうが)するポテンシャルを持っていることになるわ。」


 神崎は目を丸くし、額に(しわ)を寄せながら結衣の言葉を追いかけた。


「そして、ゼタスケールはエクサスケールのさらに1000倍…つまり、『テセラックト004GR』がその真の力を発揮すれば、現時点の世界最高性能のスパコンの数百倍から千倍以上もの計算能力を持つことになるのよ。まさに、想像を絶する力だってことがわかるでしょ?」


 神崎は、あまりにも途方もない数字を頭の中で反芻(はんすう)し、しばらく言葉を失った。


「これを使うためには、例えるなら、東京都内全域で使うくらいの電力が一瞬で必要になるのよ。」


「東京都内全域の電力…!」


 神崎は目を丸くした。想像もできないほどのエネルギーだ。


「そう。だから、そう簡単には使えない力なの。でも、私たちの『テセラックト004GR』は特別でね。そのゼタスケールを使うために必要な電力を、スーパーコンピューターのすぐ傍に、常に大容量で確保してあるの。」


「そんなことが…どうやって?」


 神崎は驚きを隠せない。


「それは、色々な特殊な技術が使われているから、私も詳しくは説明できないんだけど…まあ、いざという時には、その途方もない力を使うことができるってことよ。ライノスを追跡した時は、その力を使ったの。」


「なるほど…普段のエクサスケールでもすごいのに、さらにそんな力まで…。」


「ええ。まさに切り札みたいなものね。普段のエクサスケールでも十分強力なんだけど、どうしても、って時にはゼタスケールが使える。まあ、滅多なことじゃ使わないけどね。でも、それを使うと、電力の備蓄もかなり減っちゃうから、そう頻繁(ひんぱん)には使えないのよね」


 結衣は少しだけ真剣な表情になった。


「ちなみに、そのゼタスケールのさらに上には、ヨタスケール(10の24乗)とか、ロナスケール(10の27乗)、クエタスケール(10の30乗)っていう、もう本当に想像もつかないような単位も理論上は存在するのよ。少なくとも、私たちが観測できている宇宙の法則の中ではね。」


 結衣(ゆい)は、窓の外の星空を一瞬見つめ、意味深な表情を浮かべた。


「まあ、それは本当に未来の話ね」


 結衣は肩をすくめて笑った。しかし、その笑顔には一瞬、何か(うれ)いを帯びたような影が見えた気がした。


「とにかく、私たちが今頼りにしているクロノスは、普段でもエクサスケールっていう、とんでもない能力を持っているスーパーコンピューターだってこと。」


「そして、いざという時には、東京都内全域分の電力を使って、さらに強力なゼタスケールの力も使える。だから、あんまり悲観しないでちょうだいね」


 結衣はそう言って、神崎に安心させるような微笑みを向けた。しかし、その瞳の奥には、ほんのわずかな警戒の色が宿っているようにも見えた。


「スーパーコンピューターは性能を上げれば上げるほど、大量の消費電力が必要になり、ロナスケールともなれば、全世界の消費電力の15倍もの電力が必要になるのよね」


 結衣は少し溜息をつく。


「まあ、それを扱うために、新たな未知のエネルギーを作り出すための研究開発を、私たちの機関で進めているんだけど。なかなか、そう簡単にはいかないのよね。」



「お前……いや、君たちは……一体、何者なんだ……?」



 彼女の語る「機関」という言葉は、普通の組織ではない、より大きな使命を暗示しているようだった。




第三話 完


第四話に続く

私が描こうとしているオリジナル小説『SNS監視網』は、文学的に奥深いものを目指しています。


第三話では、単純に悪い奴がいたからといって、短絡的に「よし、助けに行こう!」とはなりません。そこには人間同士の葛藤があって然るべきでしょう。それでは少年漫画の延長になってしまいます。


怒りに任せて「助けに行きましょう!」と前のめりになる結衣に対し、神崎の待ったが入ります。作中では神崎の心の弱さでそれを表現していますが、ここで女性と男性の心理の違いが働きます。


一般的に、女性は感情が高ぶると直情的な行動に走りやすい傾向があります。それに対して男性は、激しい怒りを感じていても、どこか冷静な心理が働くことがあります。ですから、この場面における神崎の言動は、彼に限らず他の男性にも起こりうることなのです。


人間というものは、男性と女性それぞれの特性によってバランスが保たれていると言えるでしょう。


直情的な女性の言動に対し、男性の冷静な言動が働き、「それで本当にいいのか?」と立ち止まって考えることで、より正しい判断へと導かれることがあります。


したがって、この神崎の言動も決して間違いではありません。しかし、そうした中でさえ、時には女性の判断が男性を力強く引っ張り上げ、事態を好転させることもあるのです。


そして第三話の作中、結衣が神崎に右手を差し伸べるシーンですが、結衣は神崎の心の弱さを理解し、それを受け入れ許した上で、彼に足りないものに気づきます。


短いやり取りと彼の仕草から、彼が心優しい正義感の持ち主であることを結衣は見抜きます。そして、彼に欠けているのは、一歩踏み出す勇気だと悟るのです。


だからこそ結衣は優しい表情で彼に右手を差し出します。その彼女の行動が彼の心を動かし、神崎に勇気を与えるのです。


しかし、先ほどまでの煮え切らない神崎を見て、「男のくせに!」と、結衣は一瞬いら立ち、彼を合気道で投げ飛ばしたくなります。


もっとも、彼女も理性を失っているわけではないので、すぐに拘束を解くわけですね。

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