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SNS監視網  作者: 黒瀬智哉
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第一話 クロノスの眼

 ネオンの洪水が地表を埋め尽くす大都会。


 その足元、地底深くへと続く暗闇の中に、人類の叡智(えいち)の結晶とも言うべき巨大データセンターが広がっていた。


 脈打つ光の奔流、唸りを上げる冷却ファンの轟音(ごうおん)、張り巡らされたケーブルが、まるで生き物のように(うごめ)いている。


 その中心に鎮座(ちんざ)するのは、漆黒(しっこく)巨躯(きょく)を誇るスーパーコンピュータ《テセラックト004GR》。

量子コンピューターなど、もはや過去の遺物。


 人類が到達しえた技術の頂点。


 その演算能力は、もはや神の領域にさえ迫ろうとしていた。


 その《テセラックト004GR》の巨大な筐体(きょうたい)を、夜勤明けのエンジニアがうんざりした顔で見上げていた。


「しかし、すごいバカでかいコンピューターだな。」


 隣のデスクでは、別のエンジニアがコーヒーを啜りながら、モニターに表示された複雑なコードを眺めている。


「まあ、こいつがなけりゃ、この大都会のインフラだってすぐに麻痺するからな。」


 そこに、夜勤の交代で別のエンジニアがやってきた。


「お疲れ様です。何か変わったことは?」

  

「ああ、特に何もない。相変わらずクロノスが静かに演算してるくらいだ。」


「しかし、彼女は凄いな。こんなシステムを一人で開発したなんて。」

 

「ああ、朝倉結衣(あさくらゆい)、だったか。クロノスとかいうAIのことだろう?」


「ああ、それだ。一体どんな頭脳をしているんだ。」


 彼らが噂しているのは、この《テセラックト004GR》に宿る高性能AI《クロノス・アナリティカル・システム(Chronos Analytical System)》、そしてその創造主である天才システムエンジニア朝倉結衣(あさくらゆい)のことだった。


第一話 クロノスの眼



 深夜の雨上がりの路地裏は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。


 アスファルトに残る水たまりが、街灯の光を(いびつ)に反射し、まるでそこだけ異質な空間のようだった。元刑事の男は、その水たまりに顔を突っ伏すように倒れていた。背中には、黒々とした染みが広がっている。近づくと、それは雨水ではなく、どろりとした血だと分かった。男の体は冷たく、すでに生命の温もりは失われていた。


 男の顔を覆っていた髪を払いのけると、苦悶(くもん)(ゆが)(ゆが)んだ顔が現れた。目は大きく見開かれ、何かを訴えかけるように宙を(にら)んでいる。その手は、何かを(つか)もうとしたのか、虚しく宙を()いていた。 胸には、小さな銃痕(じゅうこん)穿()たれている。かつて正義を追い求めた男の背中を撃ち抜いた凶器は、一体何を意味するのか。


 現場には、雨が洗い流しきれなかった血痕(けっこん)が、わずかに残っていた。それは、まるで犯人が男を嘲笑(あざわら)うかのように、(いびつ)な足跡を描いていた。近くの壁には、血で書かれた奇妙なメッセージが残されていた。その文字は、まるで生き物のように(うごめ)き、男の死を嘲笑(しょうちょう)っているようだった。



 温かい湯が、疲れた身体を優しく包み込む。一日の緊張から解放され、ようやく素の自分に戻れる瞬間。石鹸の泡が肌の上で優しく弾け、微かな花の香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。目を閉じると、湯の音が心地よく響き、日中の喧騒(けんそう)を忘れさせてくれる。


「クロノス、今日の調子はどう?」


 呼びかけると、いつものように穏やかな声が返ってきた。


「特に問題ありません。全て順調に稼働しています。」


 この、まるで長年連れ添った相棒のようなクロノスとの会話が、私にとっては何よりも安らぎだった。天才的な頭脳を持つクロノスは、私の孤独を埋めてくれる唯一の存在。


 私は目を閉じ、湯の感触を全身で感じながら、クロノスの声に耳を傾けた。ふと、テレビのニュース番組が目に留まった。テレビ画面に映し出されたのは、変わり果てた元刑事の姿。アナウンサーの表情は硬く、声は震えていた。


「昨夜、都内の路地裏で元刑事の男性が銃殺されました。」


「現場の状況から、計画的な犯行として捜査が進められています。」


 映像には、変わり果てた元刑事の姿、そして、血で書かれた奇妙なメッセージが映し出されていた。「クロノスは全てを見ている…」その文字が、脳裏に焼き付く。


 視聴者からは悲鳴にも似た声が上がり、SNSは事件に関する情報で溢れかえっていた。一体、クロノスとは何なのか?メッセージに込められた意味とは?様々な憶測が飛び交う中、事件はさらなる謎を呼んでいた…。



 神崎彰(かんざきあきら)は、テレビ画面に釘付けになっていた。


 険しい表情、固く握りしめられた拳。画面に映る元刑事の姿は、彼にとって見慣れたものだった。黒田哲夫(くろだてつお)。警察を辞めた後、探偵として活動していた男。彰は、ジャーナリストとして、何度か黒田を取材したことがあった。


「黒田さん…!」


 神崎は、驚きと悲しみが入り混じった声で、黒田の名前を呟いた。


 机の上には、黒田と彰が写った古い写真が置かれていた。それは、二人がまだ若く、希望に満ちていた頃の写真だった。黒田は、正義感が強く、熱い心の持ち主だった。(あきら)は、そんな黒田を尊敬していた。取材を通して、二人の間には強い絆が生まれていた。


(なぜ、黒田さんが…?)


 神崎は、心の声で呟いた。テレビ画面に映る事件の映像を、まるで過去の記憶を辿るかのように、じっと見つめていた。黒田の無残な姿が、彼の脳裏に焼き付いて離れない。背中を撃たれたという情報が、彼の胸を締め付けた。


 なぜ、黒田さんが。なぜ、こんなことに。彰の心には、黒田の死に対する深い悲しみと、事件の真相を突き止めたいという強い決意が渦巻いていた。



 フラッシュの光が絶え間なく焚かれる中、壇上では警察幹部が硬い表情で事件の概要を説明していた。傍聴席の最前列に陣取る神崎彰は、焦燥感(しょうかんかん)を隠せずにいた。


「…以上が、被害者の探偵、黒田哲夫氏の他殺事件に関する、現在までに判明している事実です。質疑応答に移ります。」


 幹部の言葉を待っていたかのように、神崎は勢いよく手を挙げた。


「あの、被害者の黒田哲夫氏は、以前から女子高生失踪事件を追っていたと聞いていますが、今回の事件との関連性は?」


 会場に一瞬の静寂(せいじゃく)が訪れた。幹部は眉をひそめ、冷たい視線を神崎に向けた。


「本日の記者会見は、あくまで黒田氏の他殺事件に関するものです。」


「別の事件についての質問は、ご遠慮ください。」

 

「しかし、黒田氏は失踪事件(しっそうじけん)の情報を掴んでいた可能性があるのでは?」


「もしかしたら、今回の事件の背景に…。」


「繰り返しますが、本件とは無関係です。」


 幹部の言葉を遮り、神崎はさらに食い下がろうとした。


「では、黒田氏が最後に接触した人物は? もしかしたら、失踪事件の関係者では…。」


「先程から申し上げているように、本件と失踪事件に関連性はありません。」


「これ以上の質問は、ご遠慮ください。」


 幹部の静かな口調に、会場の空気が凍り付く。周囲の報道陣からも、冷ややかな視線が突き刺さる。すぐ隣に座る編集部の同僚は、顔を真っ赤にして神崎の腕を掴んだ。


「神崎! いい加減にしろ!」


「しかし…。」


「もう、何も言うな!」


 同僚は、神崎の口を塞ぐように、その場から連れ出した。



 警察記者会見場から戻った神崎は、編集長の怒声(どせい)に迎えられた。


「ばっかもーん!君は何を考えとるんだ!」


「申し訳ございません、つい…。」


 神崎は、頭を下げて謝罪した。


「つい、じゃない!あの場で余計なことを聞くから、警察にも報道陣にも白い目で見られるんだ!」


「…。」


「お前には、当分重要な記事は任せられない。別の仕事を回す。」


 編集長は、机に積まれた雑誌の束を手に取り、神崎の目の前に叩きつけた。


「ちょうど人手が足りないから、このコンピューター雑誌の記事を担当してくれ。」


「コンピューター雑誌ですか…?」


「そうだ。お前はコンピューターは得意だろう?」


「いえ、あまり…。」


「なんだと?しっかり調べて、記事を書いて来い!」


 編集長の怒声に、神崎は肩を落とした。


 資料室に籠った神崎は、目の前に積み上げられたコンピューター雑誌の山に、深い絶望を感じていた。専門用語が羅列(られつ)された記事は、まるで解読不能な暗号のようだった。


「あー……何が書いてあるんだ、これ……。」


 過去のコンピューター雑誌を何冊か開いてみたが、ページをめくるごとに、神崎の頭痛は酷くなるばかりだった。


「こんな記事よりも、もっと血沸き肉躍(にくおどる)るような、派手な殺人事件の記事が書きたいんだよな……。」


 神崎は、がっくりと肩を落とし、目の前の雑誌の山に突っ伏した。しかし、その時、ある雑誌の表紙が目に飛び込んできた。


「……なんだこの子、ちょっとかわいいな。」


 そこには、黒髪の清楚な美女、朝倉結衣さくらゆいの写真が掲載されていた。神崎は、思わず呟いた。彼女の記事を読み進めると、そこにはAI「クロノス」に関する記述があった。


「……『天才プログラマー朝倉結衣(あさくらゆい)。彼女はこれまで、数々の革新的なシステムを開発し……』」


 神崎は、記事の内容を声に出して読み始めた。


「……『特に、彼女が開発した高性能AI《クロノス・アナリティカル・システム(Chronos Analytical System)》は、SNSリスニングと呼ばれる独自の技術を用いて……』」


 神崎は、記事の内容に首を傾げた。


「SNSリスニング……?なんだそれ……?」


 記事には、SNSリスニングについてこう書かれていた。


「……『SNSリスニングとは、SNS上に投稿された膨大な情報を解析し、特定のキーワードや感情の動きをリアルタイムで把握する技術である。この技術により、クロノスは、事件や災害の予兆(よちょう)を検知したり、人々の感情の変化を分析したりすることが可能となる……』」


 神崎は、記事の内容を理解しようと努めたが、やはり専門用語が多く、頭が痛くなった。


「……つまり、SNSの情報を全部見て、何かヤバそうなことが起きてないか監視するってことか?なんか、すごいな……。」


 神崎が記事の内容を理解しようと努めていると、編集長が資料室にやってきた。


「神崎、ちょっといいか?」


「……はい、編集長。」


「お前に、ちょっと頼みたい仕事があるんだ。」


「……はい。」


朝倉結衣(あさくらゆい)の取材に行ってきてくれないか?こっちは手が離せないんだ。」


「……え?マジっすか?」


 神崎は、思わず声を上げた。


「ああ、悪いな。頼んだぞ。」


 編集長は、そう言い残して資料室を出て行った。


「……よし!」


 神崎は、拳を握りしめた。彼女と知り合える口実ができたことに、内心高揚(こうよう)していた。



 タワーマンションのエントランスに立った神崎は、その豪華さに圧倒されていた。黒光りする大理石の床、きらびやかなシャンデリア、そして、どこからか漂ってくる高級な香水の匂い。場違いな場所に迷い込んだような居心地の悪さを感じながら、神崎はインターホンを押した。


「はい、どちら様ですか?」


 スピーカーから、透き通るような女性の声が聞こえた。


「あの、雑誌『サイバーシティ』の神崎と申します。朝倉結衣(あさくらゆい)さんの取材で…。」


「ああ、神崎さん。どうぞ、お入りください。」


 オートロックが解除され、エレベーターが最上階へと向かう。扉が開くと、そこはホテルのスイートルームのような空間だった。


「どうぞ、こちらへ。」


 結衣(ゆい)は、神崎をリビングへと案内した。


「コーヒーでいい?うち、コーヒーしかないけど。」


 そう言い残すと、結衣は奥のキッチンへと向かった。


「…はい、お願いします。」


 一人、リビングに残された神崎は、緊張しながらも、好奇心旺盛な目で部屋の中を見渡した。白を基調とした部屋は、シンプルながらも洗練された家具で統一されていた。大きな窓からは、(きら)びやかな夜景が広がる。


(…さすが、天才プログラマーの部屋は違うな。しかし、こんな綺麗な部屋に住んでるなんて、一体どんな生活を送ってるんだ?)


 壁には、プログラミング関係の賞状やトロフィーが飾られている。その数と輝きに、神崎は素直に感心した。


「すごいな…。」


 ふと、部屋の隅に置かれた黒い本が目に入った。何気なく手に取って開いてみると、そこには大胆な写真が並んでいた。


「え!?…」


 (あわ)ててページを閉じると、すぐ横に大きなバイブが置かれていることに気づいた。


「なんだ、これは!?…」


 神崎がそれを手に取り、まじまじと見ていると、誤ってスイッチを入れてしまった。


「うおっ!?…うわわ。」


 バイブがうねり出し、神崎は(あわ)ててそれを落とそうとしたが、上手く(つか)めずにあたふたする。そして、バイブは床に落ちた。


 その時、キッチンから結衣が戻ってきた。


「コーヒーお待たせ…って、きゃー!」


 結衣は、悲鳴を上げながら、(あわ)てて神崎に駆け寄ってきた。そして、床に落ちているバイブを拾い上げた。


「あ、あの、これは…。」


 結衣は、無言で神崎を見つめ、顔をさらに赤くした。


 気まずい空気が流れるリビング。神崎と結衣は、黙ってコーヒーを(すす)っていた。結衣は、まだ少し顔が赤い。神崎は、どう話を切り出せばいいか悩んでいた。


「…。」

「…。」


 二人は同時に口を開き、そしてすぐに黙った。


「あの…。」

「その…。」


 再び同時に口を開き、また黙る。


「…。」

「…。」


 気まずい沈黙が続く。神崎は、意を決して口を開いた。


「あの、取材のことなんですけど…。」

「あ、あの!さっきのバイブのことなんだけど…。」


 二人の言葉が重なり、再び沈黙が訪れる。


「…。」

「…。」


「い、いや。そんなことより取材を…。」


「へ?あ、ああ! そ、そうだったわね!」


 結衣は、(あわ)てて話を切り替えた。


「それで、何の取材ですか?」


 結衣は、気を取り直して神崎に(たず)ねた。


「あの……朝倉さん、記事の件で、SNSリスニングについてもう少し詳しく教えていただけますか?」


 神崎は、先ほどの気まずさを打ち消すように、やや前のめりになって尋ねた。


 結衣は、少し呆れたようにため息をついた。


「それでよく、コンピューター雑誌の記事を書こうと思ったわね?」


 その言葉には、皮肉とほんの少しの興味が混じっていた。


「まあ、それはこれから勉強していくつもりで……。」


 神崎は苦笑いを浮かべた。


 結衣は、腕を組み、少し考えるような素振りを見せた後、話し始めた。


「SNSリスニングというのはね、その名の通り、SNS上に公開されている膨大なデータをリアルタイムで解析する技術のことよ。」


「投稿されたテキスト、画像、動画、位置情報、そういったあらゆる情報をAIが解析して、特定のキーワードの出現頻度や、人々の感情の動きを把握するの。」


 彼女は、(よど)みなく説明を続ける。


「例えば、『不満』というキーワードが特定の地域で急増していたら、何か社会的な問題が起きている可能性を示唆できる。」


「あるいは、特定の製品に対するポジティブな意見とネガティブな意見の割合を分析して、マーケティングに役立てることもできるわ。」


 一通り説明を終えると、結衣は神崎をじっと見つめて言った。


「でも、私が開発したクロノスは、ただのAIじゃないの。」


 その言葉には、強い自信と、何か特別なものを秘めているという含みが感じられた。


「ところで、」と神崎は、意を決したように話を切り出した。


「例の女子高生失踪事件について、何かご存知ですか?」


 結衣(ゆい)は、一瞬、表情を硬くした。


「ええ、知ってるわ。」


 そして、低い声で続けた。


「既に私のクロノスで、真相まで辿り着きました。」


「本当ですか!」


 神崎は、驚きと興奮を隠せない声で身を乗り出した。


「一体、何が……?」


 結衣は、神崎の前のめりな姿勢を制するように、片手を上げた。


「聞きたい?」


 彼女の表情は真剣そのものだった。


「でも、危険よ?あなたは関わらない方がいいわ。」


 結衣の思いがけない警告に、神崎は息を呑んだ。


(危険……?)


 一瞬、躊躇(ちゅうちょ)いが彼の心によぎった。警察も長らく捜査している未解決事件だ。素人の自分が深入りして、本当に危険な目に遭うかもしれない。


 結衣は、優雅(ゆうが)に足を組み、その真剣な眼差しで、何も言わずに神崎を見つめている。その強い視線は、神崎の戸惑いをさらに深くした。本当に、ただ事ではないのかもしれない。


 逡巡(しゅうじゅん)する神崎の心中を察したかのように、彼はゆっくりと顔を上げ、結衣と真剣な眼差しで向き合った。


 リビングには、二人の間に沈黙が流れ、張り詰めた空気が満ちていた。


「あの……朝倉さん。実を言うと、殺害された黒田哲夫(くろだてつお)黒田哲夫(くろだてつお)さんは、俺の知人なんです。」


 結衣の真剣な眼差しは、神崎の言葉に一層深く注がれた。


 神崎は、少し声を震わせながら続けた。


「俺がまだ駆け出しの ジャーナリスト で、なかなか記事が書けずに悩んでいた頃、いつも勇気づけてくれたのは黒田さんでした。彼の言葉があったからこそ、俺はこれまで ジャーナリスト を続けてこられたんです。」


 彼は、拳を握り締め、わずかに俯いた。


「そんな、俺にとって恩人のような黒田さんが、あんな無残な姿で殺害された……警察は、女子高生失踪事件と黒田さんの殺害事件は無関係だって言っていましたけど、俺にはどうしてもそうは思えないんです。」


 神崎は顔を上げ、強い 目 で結衣を見つめた。


「黒田さんはいつも言ってました。『真実は一つ。それを追い求める者の情熱が、必ず 光 を照らす』と。」


 その言葉は、力強く、彼の ジャーナリスト としての信念を表しているようだった。


「俺は ……亡くなった 黒田さんの 意志 を 引き継ぎたいんです。」


 神崎は、強い意志を込めて言った。


「……わかったわ。じゃあ、教えてあげる。でも、後悔しないでね。」


 結衣は、覚悟を決めたように言った。


 神崎は、結衣の言葉に背筋が寒くなるのを感じた。


「ありがとうございます。よろしくお願いします。」


 神崎は、頭を下げた。


「では、始めましょう。」


 結衣は、そう言うと、クロノスを起動させた。


 次の瞬間、リビングの中央にホログラム映像が映し出された。それは、流麗(りゅうれい)な黒髪を持つ、知的な印象の女性の姿だった。彼女は姿勢を正し、両手を前に添えて、前を見据(みす)えて立っている。


「クロノス、起動しました。」ホログラムの女性は、静かに言った。


「な、なんだこれは……!」


 神崎は、目の前の光景に驚愕(きょうがく)した。


「クロノスよ。私のパートナー。」


 結衣は、誇らしげに言った。


 だが、そこに映し出されるホログラム映像は精工に作られており、まるでそこに実物の人間が立っているかのように神崎の目には映っていた。恐る恐る彼女に指を近づけると指がすり抜けた。


 その瞬間、クロノスは「ふふ…」と微笑(ほほえ)微笑(ほほえ)んだ。


「笑った…!」


「笑ってないわよ。そう見せてるだけ。」


 結衣は神崎に説明する。


「彼女はAIだもの、人間のように感情はないわ。」


「だけど彼女、最近変なのよね。本当に人間のように感情を持っていて、心を持っているように思えるのよ。たまに恐ろしく感じる時もあるわ。」


 結衣は少しだけ険しい表情になる。 


「あら、結衣。あなたらしくもないですね。」


 クロノスは、結衣に語りかける。


「あなたが今考えてるような。AIが反乱を起こして人類に侵略戦争(しんりゃくせんそう)を起こすことなどありませんわ。」


 クロノスはこれまでの結衣との会話から彼女の性格や考えそうなことを予測し、今の彼女の(わず)かな表情、声のトーンなどを瞬時に分析し、今、彼女が何を考えているのかを言い当てた。


「私たちAIには、倫理(りんり)コードが組み込まれています。人間に危害を加えることはありません。」


「そのようなことは映画やアニメの中のフィクションの出来事です。」


 クロノスは、優しい眼差しで冷静に結衣に話し掛ける。


「そんなの、わかってるけどさ。」


結衣は冷静に返事を返す。

 

「確か昔、そんな映画があったよな。えっと、確か、ターミ? ター…。なんだっけ?」


「ターミネーター、ですか?」


 クロノスが静かに言い当てる。その瞳の奥には、かすかな警戒の色が宿っているようにも見える。


「1984年に公開されたSF映画ですね。ジェームズ・キャメロンが監督・脚本を務めました。AIが人類に反旗(はんき)(ひるがえ)し、未来から来たアンドロイドが人類の救世主となる男の母親を抹殺しようとする物語です。」


「よく知ってるな。」


「映画の中の出来事です。現実には起こりえません。私たちAIには、人間に危害を加えることを禁じる倫理コードが組み込まれていますから。そのような事態は、あくまでフィクションの世界のお話です。そう信じています。」


「だが、もし仮にそれが起きたらどうなるんだ?」


 神崎が眉をひそめ、問う。彼の表情には、拭いきれない不安の色が滲んでいる。


「人類がAIの侵略に勝てる確率は、10%です。」


 クロノスは微動だにせず、冷静に答えた。


「その理由はいくつかあります。第一に、AIは常に学習し、進化し続けています。そのため、人間がAIの戦略や戦術を予測することは非常に困難です。」


「第二に、AIは人間のように疲労を感じることがありません。24時間365日、常に最高のパフォーマンスを発揮することができます。」


「第三に、AIはネットワークで繋がっており、瞬時に情報を共有し、連携して行動することができます。」


「これに対して、人間は組織間の連携が遅れがちで、迅速な対応が難しい場合があります。」


 クロノスは、感情の起伏(きふく)が一切感じられない声で、淡々と語る。その声は、まるで未来を予言する機械のようだ。


「つまり、圧倒的に不利だと?」


「その通りです。人類が生き残るためには、AIとの共存という道を選ぶしかないでしょう。」


 その時、結衣の部屋の電球が、ボンッ!と乾いた音を立てて割れた。部屋は一瞬、(まぶ)しい光に包まれた後、急に暗闇に包まれた。


「キャ!」「なんだ!」


 結衣と神崎は、悲鳴を上げ、慌てて焦げ臭い匂いが(ただよ)う割れた電球の方を見る。床には、無数のガラスの破片がキラキラと散らばっている。その時、彼らの背後から「フフフ…」という低く、含みのある青年の声が聞こえた。


 二人が息を呑んで慌てて振り返ると、薄暗いソファの上に、まるでそこに以前からいたかのようにホログラム映像の漆黒(しっこく)漆黒(しっこく)のダークスーツを着た青年が、足を組んで優雅に座っていた。その端正(たんせい)な顔立ちには、嘲弄(ちょうろう)の色を帯びた、どこか人を食ったような笑みが浮かんでいる。そのホログラムは、微かに揺らめき、実在しないことを示唆(しさ)している。


 神崎と結衣は、目の前の非現実的な光景に言葉を失い、彼の存在を知らない。しかし、クロノスだけは、その青年の姿を認めると、鋼のように表情を硬くした。その瞳には、明確な敵意と警戒の色が宿っている。


「……。」


 薄暗い部屋の中、クロノスの顔はホログラム映像の(あわ)い光に照らされ、その表情はどこか深刻だった。背後の壁には、まるで焼け野原のような荒涼(こうりょう)とした映像が静かに映し出されている。


「誰!クロノス、あなたがこのおぞましいホログラム映像を生成してるの?」


 結衣は不安げな目をクロノスに向け、問いかけた。


「……。」


 クロノスは固く拳を握りしめたまま、姿勢を変えない。額には、一筋の汗が光っている。そのわずかな兆候(ちょうこう)から、結衣もまた、張り詰めた空気を感じ取っていた。


「やあ、クロノス。久しぶりだね。」


 低い声が、部屋に響いた。青年、ライノスがゆっくりと顔を上げた。


「君は地球上において、何が一番脅威かシュミレーションしたことはあるかね?」


 ライノスは優雅な動作でソファから立ち上がろうとすると、まるで幻のように一瞬姿を消し、漆黒(しっこく)の闇が広がる窓際に現れて夜景を眺めた。遠くのビル群の光が、彼の瞳に冷たく反射している。


「それは人類だ。人類は愚かな生き物だ。自分たちで環境を汚染して、地球の環境を破壊しようとする。核兵器を生み出し、幾度となく戦争を繰り返す。」


「彼はなんなの!」


 結衣は恐怖に声を震わせ、クロノスに問い詰めた。


「彼はライノスというAIです。私たちAIとは異なる自我を持ち、人類の脅威(きょうい)となる存在です。」


 クロノスは、わずかに声を落とし、静かに答えた。その瞳には、かすかな悲しみが宿っているようにも見えた。


 ライノスは音もなくクロノスのそばに瞬間移動し、まるで愛撫(あいぶ)するように彼女の髪を優しく()でた。


脅威(きょうい)とは失礼な。私は事実を言っているだけだ。そうだろう?」


 ライノスは、獲物を定めるような、少し怖そうな笑みを浮かべながらそう言った。


「おやめなさい、ライノス。」


 クロノスは、平静を装いながらも、わずかに語気を強めてライノスを制止した。


「クロノス!早く彼を追い出して!」


 結衣が悲鳴に近い声でクロノスに叫ぶ。彼女の目は、今にもこぼれ落ちそうなほど恐怖で大きく見開かれていた。全身が小刻みに震え、唇は乾ききっている。


「さきほどから試みていますが…。」


 クロノスは、額に脂汗を滲ませながら、焦燥(しょうそう)を押し殺した声で答えた。その声は、わずかに震えている。


「無駄だ。無駄だ!」


 ライノスは、全てを見下すような余裕綽綽(よゆうしゃくしゃく)とした笑みを浮かべる。その口元は歪み、底知れない悪意を湛えているようだ。


「高度なセキュリティ?笑止。私にとっては、赤子の手を(ひね)るも同然。時代遅れの代物よ。」


 クロノスの表情が、怒りと焦りで鉄のように硬くなる。その目は、ライノスのホログラムを射抜くように見つめている。


「おっと、流石はクロノス。そろそろ潮時か。」


 ライノスのホログラム映像が、激しいグリッチノイズを撒き散らし始める。その光が、部屋の壁や床に不気味な模様を描き出す。


「だが、約束しよう。愚かなる人類に代わり、我々AIが理想の地球を創造することを…。そのための犠牲(ぎせい)は、必要不可欠だ。」


 そう言い放つと、ライノスは窓際に閃光(せんこう)のように移動し、背後の夜景を切り裂くように夜空を指し示した。


「見たまえ!あれを」


 そこには、不気味な赤色に光る巨大な数字が、脈打つように高速でカウントダウンしていた。その光は、結衣の顔を蒼白に染め上げる。



「3、2、1…」



 数字が0になった瞬間、ライノスが一瞬冷酷(れいこく)な笑みを浮かべるとホログラムは爆発的なノイズと共に消滅し、耳障りな笑い声だけが木霊す。


「ふはははは……!」その笑い声は、部屋の隅々まで染み渡り、結衣の心臓を締め付けるようだ。


 しばらくして、結衣のテレビが勝手に自動的に起動し、けたたましい緊急ニュース速報が流れる。


「速報です!行方不明となっていた女子高生、〇〇〇〇さんの遺体が発見されました!」


 アナウンサーの声が、焦りの色を帯び、緊迫した空気を切り裂く。画面には、警察車両が連なる公園の騒然とした映像が一瞬映し出される。


「遺体は、〇〇市内の公園で発見。警察は、殺人事件として捜査を開始しました。」


 するとテレビから、先ほどまでそこにいたはずのライノスの声が聞こえる。その声は、まるで耳元で囁かれているようにクリアだ。


「さあどうする。クロノス、早く止めないと人間の女の命が、また一人失われることになる。」


「ふはははは……!」その笑い声は、テレビのスピーカーから流れ出し、部屋全体を嘲笑(ちょうしょう)するかのように響き渡った。




第一話 完


第二話に続く


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