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嘉内の将棋~幕末の天才棋士~

作者: 橋村一真




 文政十二年(一八四九年)、白田嘉内(かない)は江戸の片隅で産声を上げた。玉のように愛くるしい子であった。目には、すでに知性の兆しがあり、いずれは大人物になるぞ、と両親は嘉内を猫可愛がりした。

 しかし、そんな幸せも束の間、嘉内がようやく一歳になったころ、両親は流行の麻疹に倒れ、世を去った。


 そして、天涯孤独となった嘉内を引き取ったのは、父方の祖父、治兵衛(じへえ)であった。


 治兵衛はかつて、将棋御三家の一つ、橋詰家の門を叩いた棋士だった。並々ならぬ才能を持ちながらも、不世出の天才と謳われた天谷宗飛(あまやそうひ)に完膚なきまでに打ちのめされ、将棋の道を諦めたという過去を持つ。

 その後、商いをしながらも、将棋への情熱を完全に絶つことはできず、商売の傍ら、在野で将棋を打つ日々を送っていた。


 嘉内はそんな祖父の背中を見て育った。夕暮れ時、薄暗い部屋で、祖父が盤面を睨みつけている姿を何度も目にした。盤上には無数の駒が配置され、静かな戦いが繰り広げられていた。

 幼い嘉内には祖父が何をしているのか分からなかったが、祖父の真剣な表情だけは強く印象に残った。治兵衛は枯れ木のように痩せていて、頬が削げていたが、目はいつも温かく、優しかった。その治兵衛が真剣な目をするのは、将棋のときだけである。


 ある日、三歳にもならない嘉内は、舌ったらずな口調で祖父に尋ねた。


「じいちゃん、なにしてるの?」


 治兵衛は優しく微笑み、嘉内を膝に乗せた。


「これは将棋ってえ遊びだ。お前さんも興味があるのかえ。血は争えないね」


 それから、治兵衛は嘉内に将棋の手ほどきを始めた。嘉内は幼いながらも、将棋の奥深さに魅了されていった。

 嘉内は二歳にして漢字を理解するほど発達が速く、将棋のルールを覚えるも、さほど時間がかからなかった。


 五歳になる頃には、簡単な詰将棋ならば、治兵衛が手助けせずとも解けるようになっていた。


「お前さんは天才だよ。さすがはあたしの孫だ」と治兵衛は目を細めた。


 治兵衛は何枚も駒を落として、毎日孫と対局してやった。嘉内は負ける度に悔しがり、泣くことも珍しくなかった。

 そして、「じいちゃん、どうすればもっと強くなれる?」と真っ赤な目で尋ねた。


 治兵衛は、嘉内の真剣な眼差しに、かつての自分を重ね合わせた。


「何より大切なのは、諦めない心だよ。何べん負けても、そこから学び、次の一局に活かす。そうすりゃ、必ず強くなれる。かくいうあたしもね、よく負けては泣いたもんさ」



 平穏な日々は、長くは続かなかった。


 嘉内が六歳になった年、安政二年(一八五五年)十月二日、未曾有の大地震が江戸を襲ったのだ。


 それまで穏やかだった空に、鳥たちが一斉に騒いで飛び立ったかと思うと、大地が激しく波打ち始めた。

 家々は悲鳴のような音を立てて軋み、瓦が雨あられと降り注いだ。治兵衛の長屋も、容赦なく揺られ、あちこちから異音がした。


 嘉内は恐怖で身を竦ませ、祖父にしがみついた。


「じいちゃん……! こわいよう!」


 治兵衛は嘉内を抱きしめ、必死に庇おうとした。


 その時、天井を支えていた太い柱が音を立てて傾き、二人の頭上に向かって倒れてきた。

 治兵衛は咄嗟に嘉内を突き飛ばした。轟音と共に土煙が舞い上がる。


 床にもんどり打った嘉内は、揺れが収まった後、不安そうな面持ちで祖父の姿を探した。


 そのとき、足元から微かな呻き声が聞こえた。


「嘉内……、無事か……?」 


 そこには、瓦礫の下敷きになった治兵衛の姿があった。


「じいちゃん!? いま、助ける!!」


 嘉内は血相を変えて駆け寄り、小さな体で精一杯、瓦礫を持ち上げようとしたが、びくともしない。

 治兵衛の顔色がみるみるうちに悪くなっていく。


「嘉内……、橋詰家へ、行け……。そして、あたしの孫だと、言いな……。きっと、あいつなら……」


 それが、嘉内が祖父から聞いた最後の言葉だった。治兵衛の体から力が抜け、顔が下を向いた。


「じいちゃん! 起きてよ! じいちゃんッッ!!!!」


 しかし、祖父はもう二度と目を開けることはなかった。嘉内はむせび泣いた。



 祖父の遺言を胸に、嘉内は麴町にある橋詰家へと向かった。神田の焼け跡を後にし、見慣れない景色の中を、嘉内は一人とぼとぼ歩いた。家から持ち出せたのは、祖父の思い出の詰まった将棋の駒だけであった。嘉内は駒を胸に抱き、泣きながら歩いた。

 麹町へ行くには、いくつか大きな通りを渡らなければならなかった。道行く人に何度も道を尋ねながら、子供の足で二時間も歩いた。喉はからからに乾き、腹も空いた。


 麹町に入ると、それまでの町並みとは明らかに違うことに気づいた。道幅は広く、通りには立派な武家屋敷が建ち並んでいた。門構えも高く、中を窺い知ることはできなかった。


(ここが……武家屋敷……)


 嘉内は圧倒されながらも、通りを行き交う武士たちに道を尋ね、ようやく橋詰家の屋敷を見つけた。

 立派な門構えの屋敷である。長屋住まいだった嘉内には気後れがする。しかし、祖父の遺言である。嘉内は、覚悟を決めて門を叩いた。



 橋詰左門は、煤で薄汚れた嘉内をまじまじと見つめた。年は五十前後、身体には年相応に肉が付いていて、大師匠の風格である。鼻が立派であり、高く隆起している。若い時はさぞ美男であったろう。

 地震で倒れた家財はそのままであり、箪笥の中身が乱雑に散らばっていた。だが、左門は家人から治兵衛の孫と聞いて、会ってやることにしたのだ。


「おお、よく来たね。おめえさんが治兵衛さんの孫かい。賢そうな目元が、よく似てらあ。で、今日は一体どうしたんだい?」左門は江戸弁で早口にまくし立てた。

「はい。私は嘉内と言います。祖父の下で育ったのですが、地震で亡くなりまして……」嘉内は賢く、言葉遣いは達者だったが、内面はまだ年齢相応で、涙を堪えきれずにぼろぼろとこぼした。「亡くなる寸前に、ここに行けと言われたのです」


 左門は煙管を吹かしながら話を聞いていたが、急に神妙な顔になった。事態を飲み込んだのである。


「おいらぁ、治兵衛さんには随分世話になったんだよ。一肌脱ぐ……と言いてえところだが、お前さん、将棋は指せるのかい?」


 将棋御三家は、弟子入りするにも高い基準があった。幕府から扶持(ふち)を頂く家門なだけに、権威ある場所だった。

 身内同然の嘉内とはいえ、試験なしには入れられないのだ。


「祖父に、少しばかり教わりました」

「よっしゃ、なら話は早えや。いまからひとつ、お前さんに入門試験ってやつをやってもらいてえ。でもな、落ちたとしてもよ、おいらが身の振り方を考えてやっから、気負いせずにやってくんな」



 左門が用意したのは、難易度の異なる五十問の詰将棋だった。

 嘉内は小さな体で盤の前に座り、真剣な眼差しで盤面を見つめた。


 最初の三十問は三手詰め・五手詰め・七手詰めの各十問であり、小手調べである。これはひと目で詰みを見つける基礎力を測る意味合いがあり、速度を重視している。

 嘉内はひと目見るなり、迷うことなく駒を動かし、どれも鮮やかに解き切った。ほとんど考える間もない。


 左門は内心舌を巻いた。まだ字を書けるかどうかすら怪しい六歳児が、すらすらと解いていくのだ。

 それも、たった数時間前に祖父を亡くした子が、である。


「おめえさん、いくつから将棋をやってるんだい」

「三つになるか、ならないかの頃からです」

「てえしたもんだよ、本当に」


 当主の感嘆の声を聞きつけ、兄弟子たちが集まって来た。三十代や四十代の大弟子もいたが、野次馬根性が旺盛なのは、やはり十代の若い男どもである。


「なに集まってやがんだすっとこどっこいども!! 片付けをしやがれい!!」と左門が怒鳴るも、みな将棋好きだから尻が重い。左門はそれを黙認して、嘉内に視線を戻す。


 次の十問は、九手詰めだった。これもほぼ瞬時に解いた。

 これには、左門だけでなく、年かさの大弟子たちも沸いた。一方で、十代の兄弟子たちは、面白くなさそうな顔をし始めた。特に、体格のいいあばた面の柴田弥助は、腕を組みながら不機嫌そうに嘉内を睨んでいた。

 

「けっ。ガキに将棋のなにがわかる」


 次の十問は、十一手詰めだった。十一手詰めは、単に手順を追うだけでなく、ある程度の構想力と読みの深さが必要となる。相手の玉を詰ますまでの道筋を、数手先まで見通す力が問われるのだ。


 嘉内は、それまでと変わらぬ真剣な眼差しで盤面を見つめた。これまで、ほとんど考える間もなく鮮やかに解いてきた嘉内だったが、さすがに少し考える時間が増えた。

 小さな指で顎を撫でたり、盤面をじっと見つめたりする仕草を見せる。しかし、それでも嘉内の指は迷うことなく駒を進めていく。


 全て解き終えた時、全員が、息を呑んだ。彼らの間には、明らかに動揺が走っていた。この才能は、自分たちを脅かすだろう、と誰もが確信したのだ。とくに、十代の弟子たちは、戦々恐々である。年齢が近いぶん、競う相手として否が応でも意識せざるを得ない。


 左門は、嘉内の入門をこの時点で決定した。こいつは、ただ詰将棋が得意なだけじゃねえ。将棋に対する天性の感覚、そして何よりも集中力がずば抜けていやがる。


 そして、いよいよ最後の十問。左門が用意したのは、二十一手詰めだった。これは、段を許された棋士にも容易には解けない、難問だ。


 嘉内は、それまでとは明らかに違う表情で盤面を見つめた。眉間に皺を寄せ、小さな体を前後に揺らしながら、必死に考え込んでいる。しかし、なかなか糸口が見つからない様子だ。

 時間が経つにつれ、嘉内の表情には焦りの色が濃くなっていった。額には汗が滲み、呼吸も少し荒くなっている。


 十問のうち、二問まではなんとか解けた。しかし、三問目で完全に詰まってしまった。六歳の体力・集中力には、限界があったのだ。


 やがて、嘉内の目から大粒の涙が溢れ出した。小さな手で目を擦りながら、声を上げて泣き出してしまった。


「わからないよぉ……! 詰まないよぉ……!」


 それまで涼しい顔で難問を解き続けてきた嘉内が泣き出したことで、周囲はむしろ、ほっとした。とてつもない神童とはいえ、まだ六歳なのだ。


 左門は、嘉内の肩にそっと手を置いた。


「嘉内、おめえさんの入門を許可する。なに、こりゃあ大人でも難しい問題よ。泣くこたあねえやな」


 嘉内はさらに大きな声でわんわんと泣いた。入門を許され、居場所が見つかったという安堵と、祖父の死によって張り詰めていた不安と緊張とが、弾けたのだ。



 しかし、それは安寧の日々の始まりではなかった。嘉内を待ち受けていたのは、兄弟子たちからの容赦ないいじめだった。


 とくに、あばた面の柴田弥助の態度は露骨だった。力任せに嘉内の肩を掴んで引きずり回したり、「小僧」と見下した言葉を浴びせたりした。

 稽古が終わると、弥助はいつも嘉内に雑用を押し付けた。嘉内が少しでも遅れると、「のろま」と罵声を浴びせた。


 痩せ型で目の細い黒田四郎は、陰湿な言葉で嘉内を追い詰めた。


「あーあ、なんでこう指すかね。おい、おめえには才能ってのがかけらもねえな。詰将棋はたまたま解けただけだな、こりゃ」


 嘉内の自信を折り、脅威を減じようという猪口才(ちょこざい)なやり口である。

 さらに、嘉内が大切にしていた祖父の形見の将棋駒を隠したこともあった。


 安藤喜作は、嘉内に聞こえるように大きな声で陰口を言うのを好んだ。自分の才能に不安を感じていた喜作にとって、輝かしい才能は目の毒であったし、苛立ちのもとであった。


「やっこさんは乞食同然よ。お情けで拾われただけ。身分をわきまえて、自重したらどうなんだい、ええ?」



 孤独な日々の中で、嘉内にとって唯一の救いは、将棋盤と向き合う時間だった。

 一日中、嘉内は将棋に没頭した。油を使えないので、夜はひたすら脳内で将棋をした。


 いじめられた悔しさ、孤独、不安……、あらゆる感情を将棋にぶつけた。

 盤面の上だけが、嘉内にとって自由な場所だった。


「絶対に見返してやる……!! 誰にも何も言わせないくらい、強くなってやるッッ!!!!」


 毎日、朝早くから、嘉内は詰将棋に取り組む。最初は簡単な三手詰めから始め、徐々に手数を増やしていく。

 集中力が途切れると、兄弟子たちの嘲笑が耳の奥でこだまする気がした。

 そのたびに、嘉内は「なにくそ」と歯を食いしばり、盤面と向き合い続けた。


 午後は、棋譜並べの時間に充てた。古今東西の名局を集めた棋譜集を広げ、先人たちの指し手を追体験していく。

 盤面に駒を並べ、一手一手、その意味を考え、なぜそのような手を指したのかを想像する。

 時には、理解できない手もある。そんな時は、何度も何度も盤面を見返し、自分なりに解釈しようと試みた。


 ある夜、嘉内が熱心に棋譜を並べていると、背後から声が聞こえた。


「おう、やってるな、嘉内」


 振り返ると、左門が立っていた。左門は嘉内の隣に腰を下ろし、盤面を覗き込んだ。


「こいつは……天谷宗飛の棋譜か。おいらもこの人には随分負かされたもんだ。もう強いのなんのって」と左門は笑った。

「祖父が、並べるなら天谷宗飛だ、と言っておりました」

「おう、間違いねえ。この人ぁ、血筋の問題で名人にはなれなかったけどよ、実力は十三段だ」


 それから左門は、嘉内がわからなかった一手の意図などを、丁寧に解説してくれた。

 嘉内は、左門の言葉を一つ一つ噛み締めながら、熱心に耳を傾けた。


 それからも左門は、嘉内に様々な棋書を与え、時には自ら手本を示し、熱心に指導してくれた。

 厳しい言葉もあったが、その奥には嘉内への深い期待と愛情が込められていることが、嘉内にも伝わっていた。



 八歳のある夜、嘉内は難しい詰将棋に挑んでいた。何時間も考え続けたが、なかなか解けない。疲れ果ててうとうとし始めた時、祖父の声が聞こえた気がした。


「嘉内、あたしだったらもっと全体を見るよ」


 嘉内はハッと目を覚ました。改めて盤面を見つめると、今まで見えなかった手が、まるで啓示のように見えてきた。


「そうか!!」


 そして、難問を見事に解いた。それは大人でも容易に解けない問題である。

 嘉内は翌日、左門にそれが解けたことを報告した。


「こりゃすげえ。いや、まったくてえしたもんだ。おめえさんには将棋の神様がついているよ」

「神様はどうか知りませんが、祖父の声が聞こえてきたんです」

「……ああ、そうかい」


 左門は目元を抑えた。人情に(あつ)い男なのだ。


「治兵衛さんもな、きっとお前のことを誇りに思ってるだろうよ。絶対にそうだ」ハナをすすりながら左門が言った。

「ありがとうございます。もっと、精進してみせます!」


 それからの嘉内は、一層将棋に打ち込んだ。


 朝は誰よりも早く起き出し、夜は寝落ちするまで脳内で駒を動かした。

 詰将棋を解き、古今の棋譜を暗記し、頭の中で幾度となく盤面を再現した。



 兄弟子たちとの稽古将棋でも、最初は一方的に負けてばかりだったが、徐々に互角に戦えるようになっていった。


 柴田弥助は相変わらず嘉内を目の敵にしていた。

 嘉内の将棋の腕が上達するにつれ、苛立ちはいや増していく。左門の寵愛を一身に受ける天才児が、小憎らしくてたまらぬのだ。


「小僧、将棋だけが人生ではないぞ!! 俺と立ち会え!!」


 そういって、嘉内を鍛えるという名目で、まだ年端も行かぬ子供を、したたかに殴りつけるのであった。


 だがしかし、激しいしごきにも関わらず、嘉内がめきめきと将棋の腕を上げていくので、弥助は焦った。

 自分も勉強せねばならぬ、と弥助も将棋に打ち込むようになると、暴力は次第に少なくなっていった。


 黒田四郎は、嘉内の実力が伸びていくにつれ、さらにとげとげしさを増した。

 年上の将棋指しに負けるのは悔しいが、まだ追い抜いてやろうと思える。だが、年若の嘉内が自分に追いつこうとしているのが、どうしても許せぬ。焦燥感が、四郎を焼いた。

 相変わらず、「才能がない」「熟慮が足りない」とねちねちいじめたが、嘉内が起爆剤となり、自身も将棋に対して、さらにのめり込むようになった。

 俺には将棋しかない、なのに、その将棋で、若い嘉内に負けてたまるか、というプライドである。


 安藤喜作は、より一層陰口を大っぴらに言うようになった。一度それが左門の耳に入り、こっぴどく叱られた。左門はそういったことは許せぬ性質であった。

 喜作はそれを逆恨みし、また嘉内への敵意を燃やした。どうしようない小物である。

 弥助や四郎は抜かれてたまるか、と将棋の勉強に打ち込んだが、喜作は、嘉内の足をいかに引っ張るかしか考えていないのだった。



 嘉内は、こうした兄弟子たちの迫害を受けながら、歯を食いしばり、将棋に打ち込み、将棋に溺れ、将棋に明け暮れた。


 僕には努力しかない。勝ち負けは時の運だが、努力だけは自分で加減できる。——僕は努力を信じる。


 嘉内はそれを貫いた。



 桜が咲き、散るなかなで、盤に向かった。

 蝉が鳴き、汗が盤にしたたるほどの暑気のなかで、棋譜を並べた。

 庭の木々が色付き、散っていくなかで、詰将棋を解いた。

 雪が降り積もり、駒を持つ手がかじかむなかで、兄弟子たちたちと対局した。


 雨の日も、風の日も、寝食を忘れ、ひたすらに将棋に打ち込んだ。


 夢の中でも将棋を指した。

 対局相手はさまざまであったが、祖父が出てくることもあった。夢の中で嘉内が妙手を打ったときには、治兵衛は目を丸くしたり、逆に目を細めたりして、その手を喜んだ。


 嘉内は、細胞のすべてが将棋であった。



 そして数年が経った。


 嘉内は、十二歳になっていた。その棋力は、いまや相当なものである。

 かつて嘉内を散々いじめていた弥助も、今では嘉内との対局を避けるようになっていた。弥助もかつては将棋の神童と呼ばれていたが、いまやその座は嘉内のものだ。

 戦えば、負けるという予感、いや、確信があった。まだ声変わりもしていないような子供に負けるのは恥であると考え、対局をする際は、駒落ちのハンデを過剰に与えた。負けたのは駒落ちのせいだと言いたいがためである。

 弥助だけでなく、ほかの兄弟子たちも同様であった。


 ある日、嘉内が戦型の複雑な変化を研究していると、左門が訪ねてきた。弟子の中でも、最も若く、才能のある嘉内が、かわいくてたまらぬのであった。

 そして、弟子の成長を窺いがてら、嘉内の研究成果を何の気なしに聞いた。孫の成長を楽しみに見守る老爺の気分である。


 しかして、予想外に左門は唸った。


 盤面に繰り広げられる変化、それは新手でありながら、隙がない。

 これまでの将棋の常識、定跡を塗り替える構想だったのである。


 かわいい孫を見つめるような目が、伏龍の存在を知った虎の目に変わる。


「おめえさん、いったい、いくつになった」

「十二になります」

「ほう、もうそんなになるか。おいらも年を取るわけだな」



 翌日、左門が、嘉内と年の近い兄弟子たちを集めて言った。近いといっても、嘉内がまだ少年なのに対し、兄弟子たちはもう立派な若衆であったが。


「さあ、おめえら。逃げも隠れもせず、嘉内と手合わせをしな。自分の実力ってやつをよ、しかと確かめるんだ」


 最初に名乗りを上げたのは、喜作だった。いつも陰口を言い、嘉内を乞食だと揶揄する不届き者である。ただし、性根は腐っていても、将棋の腕だけは確かである。御三家の内弟子とは、それほど高い資質と技量が求められるからだ。ゆえに、年若のころの嘉内は、喜作に勝つことが難しかった。

 しかし、今の嘉内は違った。序盤から積極的に攻めに出て、喜作を圧倒した。喜作は必死に受けを試みたが、嘉内の猛攻を防ぎきれず、最後は力尽きた。


「クソッ!! いい気になるんじゃねえぞ!!」喜作は動揺して礼を失した。

「バーロー!! 礼だけはきちっとやりやがれ!!」左門が怒鳴った。


 次に嘉内と対戦したのは、四郎だった。嘉内に対し、重箱の隅を楊枝でほじくるような揚げ足取りを繰り返す、陰湿な男である。しかし、これも喜作と同様、腕はあった。とくに読みの深さは尋常ではない。

 四郎は緻密な読みで嘉内を追い詰める。


「やれやれ、嘉内よ。そんな将棋じゃ、駒が泣くぜ?」

「俺には四郎さんの駒の泣き声が聞こえてくるけどな」


 嘉内は、十二になり、気が強くなっていた。言われっぱなしの嘉内では、もうない。


 事実、嘉内の読みは四郎のそれを上回っていた。調子に乗っていた四郎は徐々に追い詰められ、血の気が引いていく。そして、嘉内の放った勝負手に絶句した。万事休す。手が震え、口があわあわと動く。そして、聞こえるか聞こえないかの微かな声で投了した。

 散々才能がないと馬鹿にした嘉内に負け、それまでの罵詈雑言のすべてが、自分の身の上に降りかかってきたように感じた。他人を攻撃することは、結局は自分の身に返ってくる。四郎は将棋を辞めるしかないと思い詰め、勝負の終わった盤をじっと見つめた。


 そして、最後に嘉内と対峙したのは、弥助だった。弥助は嘉内を睨みつけ、荒々しく駒を握りしめた。そして力任せに攻め立てた。しかし、嘉内は冷静にそれを受け止め、的確に反撃した。弥助は焦り、次第に指し手が雑になっていった。最後は、嘉内の鮮やかな詰みで、勝負は決した。


「……負けました」


 嘉内は、兄弟子全員にさしたる苦もなく楽勝し、積年の恨みが一挙に晴れたような気がした。格の違いを思い知らせてやることほど美しい復讐はない。


 そして嘉内は左門の方を向いた。


「お師匠さま、せっかくですから、私と指してくださいませんか?」


 左門はにやっと笑った。


「そうこなくっちゃな! おめえさんの棋力は、あいつらじゃ測れなかったしな。……手合いは飛香落ち、段位を測る真剣勝負といこう」


 飛香落ちとは、上手(うわて)が飛車、左側の香車を落として指すハンデ戦のことだ。じつに、五段の差が埋まるほどの大きなハンデである。


 当時の段位は、九段がたった一人の名人、八段が準名人としてこれもたった一人であり、現代とは基準が違う。七段もたった三人しかいなかった。


 将棋御三家、橋詰家の当主・左門は、七段の棋士であり、名目ともに棋界有数のトップ棋士、天下で五本の指に入る上手(じょうず)である。

 飛香落ちで対等に戦えれば、二段の実力は固い。


 そして対局が始まった。


 駒を落とした左門が先手である。飛香落ちは攻め駒の飛車と香車を欠いているため、自然と受け将棋になる。無鉄砲に攻めていけば、下手(したて)に逆に食い破られるのは必定だからだ。左門はまず自陣の整備から始めていく。受けに強い雁木という戦型である。

 逆に、嘉内の方は悠長なことをやっている暇はない。左門が力を溜める前に、速攻を仕掛ける必要がある。相手の弱点は明確、香車が不在の端だ。嘉内は端歩を突き、さらに馬を作るべく角道を開けた。


 真剣勝負で向き合う左門の圧は凄まじく、左門の姿が、二倍にも三倍にも大きく見える。嘉内は目をこすりながら、幻視を追い払った。


(これが、お師匠さまの本気か……!)


 左門は、嘉内の実力を見極めるために、全力である。少しの油断もなく、気迫が炎のように全身から湧いて出ている。


(気持ちで勝たなければ、将棋で勝てるわけがない)


 嘉内は深呼吸をすると、深い集中に入った。長年将棋に明け暮れていた嘉内は、いつしか、雑念も周囲の雑音も耳に入らぬほどの、超集中力を身に着けていた。

 昇段という重圧のかかった将棋は、嘉内にとって初めてだったが、そんなこともすべて頭から捨て去った。


 左門は、常々、将棋とは精神の遊戯であると説いていた。精神が乱れれば、将棋も乱れる。不動の心を持て、と口を酸っぱくして繰り返し言った。

 そして、目の前にいる十二歳の少年が、目つきを変えたのを見て、不動の心を育てたことを理解した。


(やっぱりおめえさんは将棋指しの血が流れてるよ)


 かつて兄弟子であった治兵衛と何度も対局したが、嘉内の姿は、治兵衛とよく似ていた。

 涙腺がゆるみかけるが、左門は不動の心を肝に銘じ、頭を冷やしながら駒を打つ。


 師匠として、弟子に厳しい戦いも教えなければならない。ときに、重圧を与えることで、成長を促す。

 嘉内は、左門の厳しい視線を感じながらも、これまで積み重ねてきた努力を信じ、精一杯指した。


 戦況は大激戦、乱戦となり、駒があちこちでぶつかる、途方もない局面に差し掛かった。

 状況は左門が優勢であり、嘉内は苦しい展開である。

 詰めろがかかっていて、手番を渡せば負けてしまうほどに追い詰められていた。


 しかし、嘉内はその展開をも読み切っていた。読み抜けしていればその限りではないが、自信が、あった。


(じいちゃん、俺の将棋を見てくれ!!)


 嘉内は、必殺の一手を放った。風雲を断つ快刀乱麻の一手である。


(そんな手があるのか!? それで通るわけ……いや、さっきの緩手に見えた歩が、ここにきて働いていやがるだと!?)


 左門は額に汗を浮かべながら、脳内の将棋盤であれこれと検討を始める。

 しかし、どの手を打っても、絡め取られてしまう、魔性のような一撃であった。


 そこから嘉内の逆転劇が始まった。猛攻に次ぐ猛攻、火を噴くような厳しい手の連続。


 そして、ついに左門は頭を下げた。大激戦のすえ、一手差の投了である。


「嘉内、強くなりやがったな。おめえさんの才能は本物だ。二段を許す。これからも精進しろよ」


 嘉内は、放心状態であった。そして、我に返ると、涙を流して喜んだ。


「お師匠さま、ありがとうございます……!」



 このとき、一八六一年。その前年に安政の大獄や桜田門外の変が起き、世は幕末の熱気に沸き立っていた。

 幕府から扶持を貰う将棋所、御三家も、その時代の動乱に否応なく影響されたのは言うまでもない。

 左門は、弟子たちのために、あちこちを奔走した。将棋だけを打っていられる時代ではなくなったのだ。

 

 一八六七年には、江戸城で行われる御城将棋も廃された。

 そして一八六八年、幕府が倒れるのと同時に家元制度が崩れ、棋界は群雄割拠の時代となった。

 血統や権威ではなく、実力で幅を利かせられる時代になったのだ。


 巷には将棋指しがわんさと溢れ、時代の変わり目にも関わらず、誰も彼もが将棋を指していた。

 そのなかで光芒を放ったのが、御三家の弟子たちであった。彼らが現代将棋の基礎を創ったのだ。


 嘉内も、激動の時代を、将棋とともに生きた。

 その輝かしい無類の才能をもって、将棋の新世界を切り拓いた。


(おわり)

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― 新着の感想 ―
嘉内の逆境にも負けずに腐らず直向きに将棋を指す姿に 心が洗われました! シャブさんヘロさんの後に読んだから余計(笑)
盤面で武士道精神をぶつけ合う時代劇。 身内を失った才気煥発な主人公がめきめきと頭角を現し成り上がる──少年ジャンプ的な王道展開を踏みつつも筆者特有の熱い描写で駆け抜けた情熱作品。 必殺の一手を打つクラ…
短い話の中にも主人公の成長があって引き込まれる作品でした。すごく良かったです。
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