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6)噛みつき魔1

 羽賀美智から連絡があったのは、それから実に三週間後のことだった。私の準備ができたら連絡しますので、と電話番号を交換して解散してからは何の音沙汰もなかったため、彼女との会話は全て夢だったのではないかと疑うほどだった。やはりからかわれただけなのでは、と鳴らないスマホを眺める日々だったが、実際に液晶に彼女の名前が表示された時は飛び上がるほど驚いた。

 待ち望んでいた着信なのに、僕はなかなか手を出せずにいた。彼女は吸血鬼の友達を作る手伝いをして欲しいと言っていた。それはつまり、彼女とはまた別の吸血鬼と接触するということだろう。今まで普通の人間として生きてきた僕にできることなどあるのだろうか。それに人間の血を食糧とするということは、定期的に人間を襲っているということではないのか。だとすれば相手は裏で人を殺しているかもしれない。

 くるくると頭を回る疑問の答えは、自分の中には存在しない。気になるのなら確かめるしかないのだ。


「もしもし、榎本です」

「やっと出た。今お忙しいですか?それとも私と話すのが怖かったとか?」


 スピーカーから聞こえるのは美智の溌剌とした声だ。お前の心は読めているぞ、と僕にはそう聞こえたが、なるべく動揺が伝わらないよう平坦な声に努める。


「忙しくないよ。準備とやらは終わったのかい?」

「ええ、そうなんです。私の友達になれそうな吸血鬼の情報を集めていたのですが、ようやく見つかりまして」

「どんな人なんだい?」

「まだ分かりません。ある大学の近くで、肩口に噛みつかれる傷害事件が起こったんです。大した傷ではなかったので警察沙汰にはしなかったようですが、私はこれを吸血鬼の仕業だと考えています。なのでこの犯人を見つけ出して、話をしてみたいと考えています」

「それだけの情報しかないのに探せるのかい?それに、急に噛みついてくる人が友達に適しているのかな」


 彼女のくぐもった笑い声が聞こえた。僕は真剣に話しているのに、彼女にとっては笑い話のようだ。


「いいですね、あなたの反応はまさに普通の人間という感じがして私には新鮮です。とにかく、事件の現場を見てみたいので今から来れますか?」

「今日はバイトが休みだから行けるよ」

「では後ほど」


 ぶつりと通話が切れる。なるほど、彼女は礼儀を重んじるタイプではないらしい。

 スマホが振動して、事件現場のマップがメッセージで届いた。僕のアパートからは徒歩と電車で四十分ほどだ。爽太にも伝えようかと思ったが、わざわざ危険かもしれない場所に彼を連れて行く必要はないだろう。吸血鬼なのは僕の問題なのだから、僕ひとりで解決すべきだ。

 身支度を整え、テーブルに投げてあった鍵を引っ掴んで家を飛び出した。



 初夏の日差しが肌を刺す。南の空に昇った太陽に炙られる通行人たちは、僕を含めて全員が暑さに顔をしかめ、夏を恨むように目を細めていた。

 重い足取りでたどり着いた事件現場は、大学から最寄駅へ向かう途中の河川敷であった。

 羽賀美智の姿はすぐに見つかった。黒い日傘にサングラス、長袖のシャツに手袋と、ありとあらゆる日焼け対策を講じているようだ。草地に入って近づくと、彼女は赤い唇で笑みを作った。


「遅いですよ。灰になってしまうところでした」

「吸血鬼ってやっぱりそうなのかい?太陽が当たると灰になって消えてしまうとか」

「嘘ですよ。でも、太陽に当たりすぎると皮膚が爛れたり、体調を崩す人が多いですね」


 個体差はありますが、と彼女は僕の軽装を見ながら言った。


「これでも日焼け止めくらいは塗っているよ。肌が赤くなりやすいタイプなんだ」

「その程度で済むのは羨ましい限りですね」


 美智はつまらなそうに鼻を鳴らし、河川敷の傾斜を降りて橋の下の日陰に入った。


「被害者はすぐそこの国立大学の学生で、帰宅途中だったようです。駅に向かうこの辺りで、突然背後から肩に噛みつかれたと言っています」


 彼女は僕にスマホを向けた。表示されているのはセンダーの知らない青年のプロフィール画面だった。国立大学の三年生で、テニスサークルに所属していることが分かる。美智に促されて画面をスクロールすると、三日前の投稿に「やばい酔っ払いに肩噛まれたんだが」というコメントとともに血の滲む左肩の写真が載っていた。その後に「病気怖いから病院行ったけどなんともなかったわ」や「めんどいから警察呼んでない」という投稿が続く。


「彼に話を聞いてみましょう」

「警察でもないのにどうやって」

「それはもちろん、大学に潜入するんですよ」


 彼女は至って真面目な顔をしている。


「それに協力すれば、吸血鬼について少しは教えてもらえるんだね?」


 僕はまだ何も教えてもらっていない。本格的に行動するのなら、報酬を要求してもいいだろう。


「五百年前後と言われています」


 聞き返そうとして、僕ははたと気づいた。吸血鬼の彼女に一番初めに投げかけた質問だ。


「私たちが普通に老いて死ぬまで、その寿命は大体五百年です。何事もなければ、あなたはあと四百年生きていかなければならない。どうです、私が吸血鬼の友達を欲しがる理由を少しはご理解いただけましたか」


 首筋を伝う汗は暑さのせいだけではない。僕が今まで懸命に歩いてきた道は、まだ五分の一にも達していなかった。手の届く位置にあると思っていたゴールが今ではずいぶんと遠く、突然路傍に放り出されたような心細さを感じる。

 勘弁してくれ、と呟いた声は掠れて彼女に届く前に地面に落ちた。

お読みいただきありがとうございます!

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