5)僕らは同胞5
危ないから来るなと伝える前に、爽太はファミレスに飛び込んで来ていた。オニヒメに促されるまま、僕たちは彼女の向かいに並んで座る。
彼女を前にして僕たちは震え上がっていた。どうやったのか分からないが、彼女は僕たちの本名を知っている。それだけで命を握られたような気分になった。
「そう身構えないでくださいよ。別に取って食ったりはしませんから」
追加で注文した珈琲が人数分届く。彼女はミルクと砂糖をたっぷりと投入してスプーンでくるくるとかき混ぜる。
「あなたは本当に吸血鬼なんですか。それに、どうしてオレたちの名前を知ってるんですか」
爽太の声は硬い。それでも、彼女をまっすぐと見つめて怯えを隠そうと努力している。
「仰る通り、私は吸血鬼です。名前については、そういうのが得意な友人がいるんです。善人太郎というアカウントからメッセージが届いた時点で、私はその友人に依頼して情報を集めてもらいました」
彼女は指先をばらばらに動かして、パソコンのキーボードを打つような動作をした。センダーのアカウント情報から抜き取ったのだろうか。
「榎本善さんは、現在九十四歳ですね。でもせいぜい二十代の若者にしか見えません。あなたが想像した通り、まず間違いなく吸血鬼だと思います。ところで、この年齢まで血を飲んだことがないと仰いましたが、それは本当のことですか?」
彼女の言葉に頷く。血を飲みたいと思ったことは一度もないし、普通の食事で問題なく過ごしてきた。僕の身体は米とおかずでできている。
「血への欲求は個体差がありますが、全くないというのは珍しいですね。私は聞いたことがありません」
「じゃあ、吸血鬼じゃない可能性もあるのかい?僕がそうだと証明する術はあるのかな」
「それは簡単です。手を出していただけますか」
素直に右手を差し出すと、彼女は両手でその手を取った。冷たい彼女の手に包まれた瞬間、人差し指にチクリとした痛みが走る。驚いて引っ込めようとした手は強く握られていて、逃げることを許されない。
指先から血が垂れていた。痛みからして、針か何かを刺されたのだろう。彼女はその指を躊躇いもなくぱくりと口に含んだ。強く吸われる感覚がして、すぐに手は解放される。
「いったい何を」
「酷い味です。飲めたもんじゃない」
彼女は赤い舌を出し、顔を顰めた。口直しとばかりに珈琲を飲んでからこう言った。
「我々吸血鬼は、同胞の血は不味く感じるんです。人間の血とは明らかに違うので、吸血鬼に同胞だと示したいのならこれで充分です」
「味なんて、君が勝手に言ってるだけだろう。それが証拠と言われても、僕は納得できないな」
「どうしてもと言うのなら、私の血を舐めてみますか?人間の血の味を知らないあなたには違いは分からないでしょうがね。ただ、私から見たあなたは確実に吸血鬼です。あなたが納得しようがしなかろうが、私には関係のないこと」
「善君、オレの血と比べてみてもいいよ。はっきりさせたいでしょ」
差し出された爽太の人差し指を下げさせる。代わりに自分の指から垂れる血を舐めてみたが、鉄の味が広がるだけで特別な感じはしなかった。爽太の血を舐めれば違いが分かるのかもしれないが、もしそれで彼の血を美味しいと感じてしまったら、僕は今までのように彼と接することができないかもしれない。
ようやく僕は、自分が人間ではないことの意味に気がついた。これ以上彼女の話を聞けば、今までの生活には戻れないのではないか。人間として生きてきた僕の人生が崩れてしまうようで、恐ろしい。
だが、このまま自分だけが歳を取れずにひとりきりで生きていくのはもっと恐ろしい。
「僕が吸血鬼の同胞ならば、教えてもらいたいことがたくさんあるんだ。僕はあと何年、どうやって生きていかなければならないのか。あと何人、大切な人を見送らなければならないのか」
兄や友人を見送った時の悲しさや寂しさは、薄れてはいるもののまだ忘れることができない。ずっとその気持ちを抱えたままで、爽太を見送ることもあるのだろうか。それはとても辛いだろう。
「私が全部教えてあげますよ。あなたのことが気に入ったので」
オニヒメはにっこりと笑った。その笑顔は年相応に無邪気で可愛らしい。
「ただし、条件があります。私はあなたに吸血鬼に関する知識をすべて教えてあげましょう。代わりにあなたには私の友達づくりを手伝ってもらいたいのです」
僕と爽太は顔を見合わせる。何を考えているのか全く分からない。
「私はね、吸血鬼のお友達が欲しいんです。ずっと一人で生きてきちゃったから」
彼女は珈琲を飲み干して、両手を僕たちの前に差し出す。
「これからよろしくお願いしますね、榎本善さんに、水沢爽太さん。私は羽賀美智といいます。どうぞ名前で呼んでください」
いよいよ後戻りはできないぞ、と僕は己に言い聞かせた。九十四年間、目を逸らし続けてきた自分の正体を知る時が来た。
握手を交わした彼女の手は冷たく、僕の不安を煽るようであった。
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