13)吸血鬼のお友達2
まばらに歩く大学生たちとすれ違いながら、僕は真夏の生ぬるい空気を深く吸っては吐いていた。傾いた日に照らされたオレンジ色の河川敷を通り過ぎ、いよいよ校門が見えるというところで立ち止まり、息を整える。
年甲斐もなく緊張していた。誰かと喧嘩をしたのはもう何十年も前の話だ。仲直りの仕方などとうに忘れてしまった。ためらう僕を急かすように、日差しが背中をじりじりと焦がす。
心を決めて歩を進めれば、いつものように黒い日傘を広げた羽賀美智が校門前に立っていた。彼女の顔は陰に隠れてその表情は読み取れない。慎重に近づきながら声を掛ける。
「待たせて申し訳ない」
「待ってないですよ」
顔を上げた彼女の口角は上がり、目は細められて完璧な笑顔が形作られていた。対して僕の表情が気まずさでひきつっていたのは、鏡を見なくても分かる。
あのさ、と僕は謝罪の言葉を口にしようとしたが、それを察してか美智が先に話し出す。
「待ち合わせに来たということは、もうしばらく私の友達作りに付き合ってくれるということでしょう。私にはそれで充分です」
いつもは僕をまっすぐ見つめてくる彼女の大きな瞳は、今は明後日の方向を向いていた。仲直りの仕方を忘れていたのは僕だけではないのかもしれない。
「君も連絡をくれてありがとう。呼んでくれたということは、もう少し僕に吸血鬼の情報を分けてくれるということだよね。僕もそれで充分だ」
自然な笑顔を作れただろうか。仲直りに相応しい表情はそれしかない。
美智はこれにて解決、と区切りをつけるように日傘を持ったまま器用に両手を合わせて音を鳴らした。さて、と息を吐いてから本題に入る。
「実は遠山サヨコがキル名簿に載りました」
「キル名簿ってなんだっけ?」
「この前見せた、懸賞金のついた吸血鬼たちが載っているサイトの通称です。本当は唐橋一門指定指名手配吸血鬼一覧名簿という名前がありますが、正式に呼ぶ者は存在しないので。とにかく、キル名簿に載れば懸賞金稼ぎが遠山サヨコを狙って大学に現れるかもしれません」
「待って、噛みつき事件を起こしているのは遠山じゃなくて、五十川だろう?どうして遠山が名簿に載るんだい?しかもまだ警察沙汰になっていないだろう?」
美智のことをオニヒメちゃんと呼んで話しかけてきた遠山サヨコの姿を思い出す。噛みつき魔と呼ばれていたのは彼女の幼馴染である五十川トバネのはずだ。それに、名簿に載るのは警察も動くような凶悪な吸血鬼ばかりと聞いた。
「五十川は純血一族です。我々混血の吸血鬼とは身分が違う。彼らが何をしようと、キル名簿に載ったことはありません。遠山は五十川の身代わりでしょうね。そして、身分の高い者は身内の不祥事に敏感です。警察が動き出して大事になる前に、火消しにかかったと見るのが妥当でしょう」
卑怯だなんだと僕が言っても仕方がないだろう。
「僕たちはこれから何をすればいいのかな。五十川と遠山に近づいたのは友達になるためだと思うけど、それって何がゴールなの?」
ずっと気になっていたことだ。本来、友達とはなろうと思ってなるものではなく、少しずつ距離を詰めて、気がついたら親しくなっているものではないか。美智の想定する友達とは違う可能性がある。
彼女は日傘の陰から僕を見つめてきた。
「私の言う友達とは、困った時に助け合える関係のことです。例えば怪しい人物からダイレクトメッセージが来たときに、その方の素性を調べてもらったり、知らない吸血鬼に接触するときに、一緒に行動してくれたりする人のことを言います」
「それは、友達というより協力者とか仲間って感じかな。何かに立ち向かうときに手伝ってほしいということか」
「もちろん、一般的に言われている友達も欲しいのは確かですよ。けれど今回のお二人、特に五十川は純血一家です。純血の知り合いがいるだけで物事がうまくいくこともありますので、ぜひ知り合っておきたいというのが本音です」
ようやく彼女の目的が明らかになって、僕は安堵していた。彼女の答えは想定内のものだったし、僕の素性を調べた者のことを友達と呼んでいた時点で想像はしていたことだ。
「今は絶好のチャンスなんですよ。キル名簿に載った遠山をどうにか助けることができれば、彼女は我々に恩義を感じるでしょう。もし五十川が遠山のことを大切に思っていれば、彼も感謝するはずです。そうすれば、今後私のお願いも聞き入れてくれると思いませんか」
「なるほどね。もし五十川が遠山のことを何とも思っていなかったら?自分のために犠牲になるのが当然だと思っていたらどうするの」
「そんな奴は私の友達に相応しくはないですね」
笑みを浮かべた美智の瞳は鋭い。彼女の意見に僕も同意する。幼馴染を見捨てる男に協力を求めても、裏切られるのがオチだろう。
「とにかく、彼らを監視しましょう。もうすぐ出てくるはずです」
「君に従おう」
美智とともに校門の隅に寄った。周辺に駄弁る大学生も何人かいるので目立たないだろう。
「五十川と遠山はキル名簿のことは知ってるのかな。知ってたら大学なんて来なさそうだけど」
「存在は知っていると思いますが、チェックはしていないでしょうね。あのサイトに繋ぐには特別な手順が必要ですし、滅多に更新されないので、私みたいに毎日確認している方は少ないと思います」
僕が警察の指名手配犯ポスターなど確認しないのと同じ感覚なのかもしれない。ある日突然警視庁のサイトに自分が掲載されていても、全く気が付かないだろう。
太陽は半分ほど地平線に沈み、景色はオレンジ色に染まっていた。気温はまだ高く、立っているだけでも首筋に汗が滲み出てくる。飲み物でも持ってくるんだった、とポケットのハンカチで汗を拭う。
「ねえ善君」
日傘の下から聞こえる声は細かった。周囲の話し声に紛れてしまいそうで、僕は少し腰を屈めて傘の中を覗き込む。
「あの居酒屋であなたが出て行ってしまった時、私はもうあなたに会うことはないかもしれないと思ったんですよ。実際、私の知る吸血鬼たちはそうでした」
夕日で赤く染まった美智の顔は決して僕を見ようとしない。
「勇気を出して連絡して良かった。あなたみたいな吸血鬼に出会えて、私は運がいい」
予想もしなかった言葉に、僕は動揺して頭を美智の日傘に引っ掛ける。傘の骨に髪の毛を巻き込まれたまま口を開くが、気の利いた言葉が出てくるはずもない。
「あ、僕も出会った吸血鬼が美智さんで良かったかも」
ちょっとキモくない?と、頭の中の爽太が唇を歪めた。異常に汗が流れ出てきて、僕は慌ててそれを拭う。
あたふたと一人で汗だくになっている僕の脇腹を、美智が軽くこづいた。
「二人が来ましたよ。追いましょう」
五十川トバネと遠山サヨコが校門を出てくるところだった。吸血鬼の二人はやはり美しく、歩いているだけで絵になる。日傘に巻き込まれた髪の毛を無理やり引き抜き、僕たちも後を追う。
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