10)噛みつき魔5
僕は大学に行っていないから、大学生の飲み会がどういうものなのか具体的には知らない。そんな僕でも、隣の座敷席で行われている飲み会は明らかに異常であると感じた。
盛り上がりすぎているのだ。まだ飲み始めて三十分ほどであるが、参加者の大学生たちは腕を振り上げ、自分の恋愛事情やバイトの愚痴などを好き勝手に言い合っていた。話題に関係なく常に大爆笑が巻き起こり、大声で何かを捲し立て、それぞれの会話はあまり噛み合ってないように思える。よだれを垂らし、虚ろな瞳のまま笑い続ける様は酒のせいだけとは思えず、彼らは正常な状態ではないと思われた。
ここは大学最寄駅前にある安さが売りのチェーン店の居酒屋である。噛みつき魔が参加する飲み会があると美智からメッセージがあった。店舗情報と待ち合わせ時間が書かれたそのメッセージが届いたのは、指定された時間の十五分前であり、家で早めの夕飯を食べていた僕はご飯を喉に詰まらせながらも慌てて駆けつけた。
「善君、遅刻ですよ」
約束の十九時を少し過ぎていた。既に座敷席に着いていた美智は、枝豆の皮を積み上げながら僕を責めた。
「僕だけのせいかな」
靴を脱いで席に上がりながら小さく抵抗を試みるが、彼女は何も聞こえなかったかのように言った。
「運良く隣の席が取れました」
「え?なんの話?」
「もうすぐ大学生の集団が来るはずですよ。隣の席に七人の予約が入っていました。当然、噛みつき魔と思われる美男美女のカップルも含まれています」
僕たちが前回大学に行ったのは一週間ほど前だ。その間に噛みつき魔について調べてみるとは言っていたが、飲み会の情報なんてどうやって手に入れたのだろうか。
「君の友達が集めた情報かい?」
「ええ。写真を元に調べてもらいました。名前もわかりましたよ。女性の方が遠山サヨコさん。男性は五十川トバネさんです。二人は幼馴染のようで、小中高と同じ学校に通っています」
「吸血鬼だって証拠は見つかったのかい?」
美智は首を横に振ったが、表情は明るい。
「証拠はないですが、面白いことが分かりました。高校の時、五十川トバネはクラスメイトの女の子に怪我を負わせて停学を食らっています。当時付き合っていたその女の子の首筋に噛みついたとか。これはなかなか期待できると思いませんか?」
「もしその五十川くんが吸血鬼だったら、幼馴染の遠山さんも吸血鬼の可能性が高いよね」
「その通りです。二人の吸血鬼と友達になれるかもしれません。私たちはラッキーですね」
僕はそうは思わないけど、という言葉を飲み込む。美智の話を聞く限り、五十川トバネは吸血衝動をあまり抑制できないのではないだろうか。大学に入っても噛みつき魔という噂が立っているくらいだから、高校の事件を反省しているとは思えない。そんな吸血鬼とお近づきになりたいだろうか。断じて否だ。
怪しまれないよう、僕も梅酒とつまみをいくつか注文する。久しぶりの酒を舐めていると、がやがやと楽しげな声が近づいてきた。さりげなく視線をやれば若者の集団であり、僕たちが待っていた大学生の飲み会メンバーに違いなかった。隣の席に着いた彼らの中には五十川トバネと遠山サヨコの姿もある。
「善君、見過ぎです。今日はひとまず偵察ですから目立つ真似はやめてくださいね」
そうして三十分ほど飲み会の様子をうかがっていたのだが、明らかに様子のおかしい盛り上がり過ぎた飲み会に、僕はなかなか視線を逸らせずにいた。
「美智さん」
「分かっています。どう見てもおかしい。でも五十川と遠山は普通の様子です。この状態に私は心当たりがある。もう少しだけ観察しましょう」
囁く美智に従い、横目で彼らを観察することにする。大声で騒ぎ立てる若者たちは更にエスカレートしていって、遂にはじっと座っていられず立ち上がる者もいた。他の客も不審げに彼らを眺めていたが、ただ安いだけの居酒屋に多くを求めてはいないようで、店員に文句を言ったり直接注意したりする客はいない。
飲み会が最高潮に盛り上がり、一際大きな歓声が上がった直後だった。ちりちりちり、と鈴の音が驚くほど鮮明に聞こえた。音の出所を探せば、五十川トバネが自分の顔の前でさくらんぼほどの小さな鈴を鳴らしていた。
「みんな、そろそろお開きにしようか」
彼の形の良い唇から発せられる声はよく通った。先程まで正気を失ったように騒いでいた大学生たちは、ぴたりと動きを止めて彼を見つめている。彼の切れ長な瞳は全員をぐるりと見渡し、それから薄らと笑みを浮かべながら何人かに指をさす。
「アキヒコとユカ、カズサは俺の家においで。それ以外は帰っていいよ。コウヘイはお会計よろしくね」
全員が一斉に席を立つ。その顔からは何の表情も読み取れない。五十川トバネは手慣れた様子で鈴を懐にしまい、両手で女子学生の肩を抱きながら店を去っていった。
彼の姿が見えなくなるのを確認し、僕はいつの間にか握り締めていた拳を開いた。恐ろしい男だ。彼は自分以外の大学生全員を好きなように操れるようだった。そして、そこに躊躇いはない。彼は連れ帰った三人の首筋に歯を突き立て、新鮮な血を啜るのだろうか。
「顔色が悪いですよ」
美智の表情も苦いものだった。僕は気分の悪さを残っていた梅酒と共に流し込む。悪酔いしそうだ。
「あれは、催眠術か何かかい?あの様子じゃ、彼は何十回も同じ手口で人を操っているだろう」
「思ったより手強そうです。少し考える必要が……」
不自然に途切れた美智の言葉に視線を上げると、すぐ隣に女性が立っていた。
「あの、もしかしてオニヒメちゃんですか?」
話しかけてきたのは、店を去ったはずの遠山サヨコであった。
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