4話:青天の霹靂
姿勢を正し、身嗜みを整える。髪を軽くセットし、爪先で地面を叩いて靴の音を響かせる。まるでこれから舞台に立つ役者のように、ラスティはバックを手に馬車へと向かう。
「行くとしようか」
数日前、帝都で開催された『祭』の見学と観光を終え、ようやく自らの屋敷に帰還したラスティ。時刻は深夜に差し掛かるが、彼の足は止まらない。
『慈善活動組織アーキバス』の拠点へと馬車を走らせる。夜の闇を切り裂くように、馬車の車輪が軋む音が響く。それはまるで、ラスティの決意を鼓舞する戦鼓のようだ。
「おっ、帰ってきたな。我が親愛なるボスが。待たせやがって。寂しかった」
「ただいま、デュナメス」
緑髪をロングヘアに揺らし、犬系獣人の女性デュナメスが飛び込んでくる。その勢いは、まるで嵐が人型に凝縮されたかのよう。ラスティは彼女を受け止め、抱き締め、拳と拳を合わせる――それは、信頼と絆の儀式だ。
デュナメスはアーキバスの戦闘の要。超優秀な戦闘要員であり、場を明るくするムードメーカーだ。だが、頭脳面では他のメンバーに大きく水を開けられる。戦闘100点、その他0点。緑色の髪をした、純粋でまっすぐな女の子。それがデュナメスだ。
「ああ、もうこの馬鹿っ!! また主に甘えて……」
デュナメスに注意を向けるのは、オレンジのショートヘアを揺らす猫獣人、キュリオス。アーキバスにおいて諜報活動を担う彼女は、まるで万能の鍵のようにあらゆる役割を器用にこなす。
エクシアに次ぐ才能と上達の速さを持つが、飽きっぽさが玉に瑕。極める前に興味を失うのが彼女の欠点だ。全科目80点のオレンジ色の髪の女の子。それがキュリオスだ。
「構わないさ。ただいま。キュリオス」
「ぅ……はい、お帰りなさい」
デュナメスと離れ、ラスティはキュリオスを抱き締める。そして拳を突き合わせる。彼女の堅い表情も、ラスティの前ではほんの少し柔らかくなる。
「ふふ、ボスにかかればお堅いキュリオスも形無しだな」
「なんで君が自慢げなのか理解に苦しむよ、馬鹿。主様、二人が待っています。どうぞ、エクシア様たちにも顔を見せてあげてください」
自慢げなデュナメスに苦笑するキュリオスに寄り添われ、ラスティは拠点へと足を進める。そこには、メイド服に身を包んだエクシアが出迎える。
「……お帰りなさいませ。ラスティ様」
「エクシアは屋敷の外でもメイド服なのか……」
「いちいち着替えるのも面倒だし、身分保障してくれるこの姿は便利なのよ。じゃあ、はい」
エクシアが近づき、ラスティを抱擁する。彼もまた、その温もりに応える。まるで二人の間に流れる時間が、一瞬だけ止まったかのようだ。
「ただいま。暖かい出迎え感謝するよ」
「ふふ、何をいまさら……当然の事よ」
微笑みを交わす二人。その瞬間は、まるで戦いの合間に咲く一輪の花のように穏やかだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様。貴族としてのお勤めお疲れ様です。ご気分の方は大丈夫ですか?」
「ああ、私の体調や感情は安定している。心配にしてくれてありがとう、ヴァーチェ」
次に声をかけたのは、紫色の長髪を揺らすヴァーチェ。文官としてラスティとエクシアを補佐する彼女は、まるで組織の頭脳の一部だ。
慣れない環境のストレスに悩まされていた彼女が、ラスティの転生前の世界の物語を聞いて物語創作を趣味にし始めたのは、ちょっとした奇跡のよう。さらに、彼女は『科学分野』の技術に長け、設備さえあれば転生前の文化すら再現可能な才能を持つ。
ラスティは『高い社会的身分』と『高水準の頭脳と戦闘能力』、そしてアーキバスのパトロンとして救われぬ者たちの居場所を提供する存在。エクシアは『メイド』と『文武両道』の才で実質的なリーダー。
デュナメスは『圧倒的な戦闘能力』で攻守を支える戦闘員。キュリオスは『器用万能』の諜報活動でゲームを有利に進めるゲームメイカー。ヴァーチェは『演算処理』の才で情報を整理し、報告する管制室。
それぞれの得意と苦手が交錯し、補い合い、まるで歯車が噛み合うように、より良い世界を目指して動き続ける。それが、アーキバスの姿だ。
◆
翌朝、アーキバスから帰還したラスティは、妹メーテルリンクと手合わせの前に瞑想による魔力制御の鍛錬に励む。静寂の中、魔力がまるで川の流れのように体内を巡る――その瞬間、異変が起きた。
「っ、うくっ!! あああ!? あああ!!」
「なんだ……何が起きた!?」
メーテルリンクの魔力が突如、制御を失い、激しく暴走を始める。それは、ダイモス細胞の活性化によるものだった。彼女の体は巨大な肉塊へと膨張し、破裂する。
「ダイモス細胞……その活性化現象か! まさかメーテルリンクがダイモス細胞を宿しているとは……」
暴走状態の沈静化や治療は経験済みだ。だが、今は戦いつつ治療しなければならない。目の前の巨大な怪物――その中心に、巨大な瞳から涙を流すメーテルリンクの面影がある。それは、彼女の苦痛の叫びそのものだ。
初めての状況。失敗の可能性。メーテルリンクの死の危険。だが、放置などありえない。
「戦闘と治療。両方しなければならないのが辛いところだ……だが安心しろ、メーテルリンク。全力でお兄ちゃんを遂行する!! 変・身ッ!」
そ の声に応え、ゴーレムコアを用いた装備が光と共に全身を覆う。姫を救う騎士が、今、誕生した。剣に魔力を流し、刃と盾への変形を軽く確認。両手足を振るい、装備の重量と調子を確かめる。
(コンディションはノーマル。天気は晴れ。気分もプレーン。やや心拍数が早いが……誤差の範囲)
わずか三秒の確認作業。それは意識するより先に始まり、終わるや否や体が前へ飛び出す。まるで雷鳴のように、ラスティは全力で跳躍し、メーテルリンクを空へ引きずり上げる。数百メートルを一気に駆け上がり、空気を踏みしめる。
その衝撃で金属音が響く。全身を覆うアーマー、隠す気のない踏み込みの威力。大気が震え、叫びを上げる。
その音は、荒ぶる怪物を目覚めさせた。メーテルリンクから触手が現れ、ラスティの跳躍と同時に襲いかかる。だが、彼は加速を緩めない。
ダイモスは人類の敵。他者に寄生し、増殖し、殺すモンスター。そして今、妹がその魔の手にかかっている。ならば、殺すしかない。
「魔力循環・始動」
全身に魔力が宿り、視界が鮮明になる。暴走したメーテルリンクの背中には巨大な口と牙、喉には槍のような突起が無数に並ぶ。次の瞬間、十数本の槍がラスティへ向けて射出される。真っ直ぐ進めば衝突必至の軌道。
だが、焦りは微塵もない。呼吸を整え、空気を踏みしめ、風を切り裂いて前へ突き進む。
「属性変形・雷槍穿ち」
雷の槍で殴り抉る。手首を捻り、拳が沈むと同時に表面を削ぎ、肉を抉る。ダイモスの流動する肉体だからこそ、金属すら通じる一撃だ。
「属性変形・炎舞一閃」
大気を蹴り、呼吸を整える。全身に力が漲る。メーテルリンクの顔面に炎を纏った三連撃を繰り出し、回転蹴りで後方へ跳ぶ。暴走したメーテルリンクが黒いガスと発光を放つ。
即死級の攻撃と判断し、空中で回転しながら着地。炎と発光が収まるメーテルリンクを注視する。
状況を整理。メーテルリンクは空に浮き、雷と炎のダメージを受け、落下中。対するラスティは高速移動魔法格闘戦で魔力を消費したが無傷。地面に立つ。
「もう少し、削る必要があるな」
ラスティの戦い方は、先手必殺、後手必殺。相手が反撃する前に完膚なきまでに破壊し、蹂躙し、狩り殺す。
「属性変形・水鳥飛来と冷冷気」
魔力の水鳥が氷の鎧を纏い、頭上から降り注ぐダイモスの肉槍を認識しつつ、メーテルリンクの落下地点へ移動。背後で地面が抉れる音を聞きながら、空を蹴り、彼女の真下へ一瞬で到達。
氷の水鳥が飛翔し、メーテルリンクに突き刺さる。内部で口を開き、ダイモス細胞を引きちぎる。
金属と生体の混じる嫌な音が響き、パーツが分解される。水鳥は左側を力任せに引きちぎり、正面の肉の壁を抉り、内部を噴出させる。
「属性変形・最終展開」
ラスティの手のひらに小さな花が生まれる。
「空想具現・極之番・顕象:理想夢物語」
魔力で現実を塗り替える、属性変形の最高難度技。宙をキャンバスに、色彩を加える神業。都合の良い理想、夢のような妄想。それで現実を押し潰し、塗り替える。最愛の妹が無事に帰る姿を、ラスティは描いた。
メーテルリンクが地表付近でキャッチされた時、彼女は元の美しい姿を取り戻し、ダイモス細胞の後遺症は一切なかった。
「凄いな、我らがボスは」
「主様の属性変形……初めて見ました。私達は一つの属性変形がやっとなのに」
「全部使えるラスティ様は最高です」
デュナメス、キュリオス、ヴァーチェが魔力反応を感知して駆けつけ、戦いの感想を口にする。エクシアが静かにラスティの側に寄る。
「今の数十秒の戦いで気付ける者は少ないでしょう。しかし念には念を入れて警戒レベルを上げます。周囲数キロに警戒網を配置しておきます。もしかしたら『ロイヤルダークソサエティ』が動くかもしれません。何かあればご報告します」
「すまない、手間を取らせる。ありがとう」
「では他のものを下がらせます」
エクシアの指示で、メーテルリンクの一件は終わりを迎えた。