一話:自己鍛錬
「ラスティ。我が息子よ。お前も我が一族の闇を知る年齢になった。明かそう、我が家の闇と繁栄の歴史を」
「それは『麻薬』と『暗殺』と『奴隷』ですか?」
「どこでそのことを!?」
◆
ほんの少し前。
ラスティは現代日本という凡庸な現実から、異世界の貴族という非凡な役柄へと華麗にスライドした転生者である。彼の新たな居場所は、ミッドガル帝国の片隅、田舎と呼ぶにはあまりに風光明媚、自然の抱擁に浴した穏やかな土地に聳える、豪奢にして絢爛、しかしどこか陰を帯びたヴェスパー家の屋敷だ。
この屋敷は、まるで歴史の重みをその石壁に刻み込んだかのように、静かに、しかし確実に存在感を放っている。
ヴェスパー家――それは、体の奥底に宿る『魔力』を自在に引き出し、戦場を駆ける『魔法戦士』を代々輩出してきた軍人家系の名門だ。血と剣と魔力が織りなす伝統は、まるで一本の糸のようにこの家の歴史を貫いている。
「ふっ!!」
「やあっ!!」
屋敷の中庭では、剣戟の音が空気を切り裂き、まるで嵐が地上に降り立ったかのような激しいぶつかり合いが繰り広げられていた。片方は、暴力的なまでに鋭い攻撃を繰り出す少女。黒髪を背中で切り揃え、端麗な容姿に似合わぬ気の強さを湛えた、ヴェスパー家の次女、メーテルリンク。
八歳にしてその剣はまるで嵐の化身、予測不能の旋風だ。そしてその旋風を受け止めるのは、黒髪をオールバックにまとめ、唇に傷を刻んだ色男――ヴェスパー家の長男、ラスティその人である。彼の剣は、まるで地盤を固めるように堅実、しかし臨機応変に状況を切り開く柔軟さを併せ持つ。まるで二人の剣戟は、動と静、嵐と岩盤の対話だ。
「最近、俺の子供たちが怖くなってきたんだが……」
「そう? 将来安泰そうで良いじゃない」
中庭を見下ろすテラスで、父親は娘と息子の戦いを眺めつつ、内心で軽い戦慄を覚えていた。教え始めてわずか数年、なのに二人はすでに父を超える域に足を踏み入れつつあるのだ。剣技も、魔力の扱いも、まるで成長曲線が常識を嘲笑うかのように急上昇している。無理もない、彼の背筋を冷たいものが走るのも。
対して、妻はそんな夫の心中をよそに、穏やかな微笑みを浮かべていた。彼女の目は、まるで我が子の未来をすでに予見しているかのように、柔らかく、しかし確信に満ちている。子供たちの才能は、彼女にとって誇りであり、希望であり、まるで絵画のように美しい光景だ。
『凄い……』
ヴェスパー家の使用人たちもまた、兄妹の戦いに目を奪われていた。彼らの視線は、まるで磁石に引き寄せられた鉄片のように、剣と剣が火花を散らす中庭に釘付けだ。感嘆の声が漏れるのも無理はない。この戦いは、単なる手合わせを超え、まるで一つの芸術作品のようだった。
「また腕を上げたな、メーテルリンク」
「はい。ありがとうございます。お兄様も強くなられました」
「ああ。日々の鍛錬の重要性を改めて実感するよ」
剣を交えながら、二人は互いの成長を讃え合う。言葉は簡潔だが、その背後には互いへの敬意と、競い合う情熱が宿っている。メーテルリンクの剣技は、まるで天性の才能が刃に宿ったかのように鋭く、冴え渡る。一方、ラスティの剣は、基礎を積み重ねた堅実さが生み出す、臨機応変の妙技だ。彼女が嵐なら、彼はそれを迎え撃つ要塞。
戦況は拮抗し、まるで均衡の天秤が揺れるように、どちらも一歩も引かない。
「準備運動は終わりでよろしいでしょうか?
「構わない。本気で来い、メーテルリンク」
「参ります!!」
刹那、二人の体から『魔力』が迸る。まるで空気が震え、大気がうねるような感覚。魔剣士としての本領が、今、解き放たれたのだ。剣に宿る魔力は、まるで光と闇が交錯する絵巻のように、戦場を彩り始めた。
◆
夕暮れまで決着のつかぬ手合わせを終え、ラスティは風呂で汗と疲れを洗い流し、食事を済ませ、書庫へと足を運ぶ。
そこは彼にとって、知の聖域であり、新たな世界への扉だ。転生者であるラスティは、前世の記憶を携えつつ、この異世界に適応すべく、貪欲に知識を吸収している。
『魔力』とは何か。『魔法戦士』とは如何なる存在か。『貴族』という立場がこの世界で何を意味するのか。
すべてが前世とは異なるルールに支配されたこの世界で、彼はまるで探検家のように、未知の地図を自らの手で描き上げようとしている。魔力を体から引き出し、定着させる訓練。格闘の基礎を磨き上げる鍛錬。
そして、書物を通じてこの世界の情報を貪欲に吸収する姿勢。すべては、彼がこの世界で生き抜くための基盤だ。
彼の行動指針は、シンプルにして高潔。『ノブレスオブリージュ』――持つ者の義務。恵まれた者は、弱者を守り、育て、導く。それがラスティ
の信念であり、彼の剣と心を支える柱だ。
「気になるワードがいくつかあるが……さて」
書庫の机に広げられた書物。その中から浮かび上がる、謎めいた単語たち。『歩く地獄』。『人間、エルフ、獣人の三人の勇者』。『現実改変』。『ロイヤルダークソサエティ』。
これらの言葉は、まるで暗号のように彼の好奇心を刺激する。いつか自由に動ける日が来れば、これらの謎を自らの足で追い、解き明かすつもりだ。彼の目は、まるで未来を見据える冒険者のように輝いている。
「失礼します」
「どうした、メーテルリンク」
「相変わらず、勉強家ですね。お兄様は」
思索の海に潜っていたラスティの耳に、妹メーテルリンクの声が届く。ふと顔を上げれば、彼女は机の脇に夜食をそっと置いている。なんて心遣いだ。彼女の気配りは、まるで春風のように柔らかく、しかし確実に彼の心を温める。
「おお、ありがとう」
「どういたしまして……頑張るのは良いですが、根を詰め過ぎては駄目ですよ」
「そうだな、気をつけよう。体を壊してしまっては元も子もないからな」
長男として、家督を継ぐ使命を背負うラスティ。実務面では、メーテルリンクの方が貴族としての風格や才覚に優れているかもしれない。
だが、ラスティが明確に劣っているわけでも、特別な理由があるわけでもない。魔法戦士としての実力は、二人とも互角。
いや、ラスティには秘めたる切り札がある。彼は体の奥底で魔力を圧縮と爆発を高速に繰り返し、肉体の強靭さを極限まで高めている。さらに、魔力を強固に練り上げ、蓄積し続けることで、自身に負荷をかける鍛錬を重ねているのだ。
日中の手合わせでは、魔力の使用を制限し、あえて引き分けに持ち込んでいる。そこには、ラスティなりの計算と戦略がある。
「お兄様〜、お兄様〜、私だけのお兄様」
メーテルリンクが照れながらも微笑み、ラスティに抱きついてくる。その無垢な愛情に、ラスティもまた微笑みを返す。まるで兄妹の絆が、目に見えない糸でしっかりと結ばれているかのようだ。
「ねぇお兄様。お兄様は私にとって、自慢のお兄様ですよ。それだけは覚えててくださいね」
「ありがとう。私としても、メーテルリンクは自慢の妹だ」
「ふふ……それじゃあ、夜更かしは程々にしてちゃんと寝てくださいね。睡眠は大切ですから」
「勿論だとも」
『魔力』を巧みに操れば、体の回復力を増幅できる。この世界では、一分の睡眠が八時間の休息に匹敵するのだ。
ラスティはそうして削った睡眠時間を、鍛錬と勉学、自己研鑽の時間へと惜しみなく注ぎ込む。彼の人生は、まるで一本の剣のように研ぎ澄まされ、どこまでも突き進む。未来の闇を切り開くために