表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

死神の仕事

作者: シシロ

 男は、温かい家族に囲まれ、最期の時を迎えようとしていた。


「ダルウィン…ポーター…後の事は任せる…」

「父上!」


 悪くない人生だった。


 男は貴族の家に産まれた長男。

将来を期待され、それに応えて来た自信もある。

騎士であった父に憧れ、己も騎士になった。

若くして騎士団長の座に就き、退役するまで多くの勲章を得た。


 美しい妻に出会い、二人の息子にも恵まれ、死ぬ前に孫を抱く事まで出来た。

妻に先立たれた時こそ落胆したが、『あちら側』に逝った時、多くを聞かせてやるだけの土産話もある。


 息子達に不安も無い。

それぞれ家庭を持ち、長男は騎士として腕を上げ、何時の日か騎士団長にもなれるだろう。

次男は剣の才にこそ恵まれなかったが、妻に似て賢い子に育った。

王城にも勤める事が出来たし、父としても鼻が高い。


 思い残す事などない。

これ以上の幸せを味わっては、妻に恨まれてしまう。

この辺りが潮時だろう。


「…いい人生だった。さらばだ…我が……自慢の息子達よ―――――」


 こうして、一人の男が夢へと消えた。





 身体が浮かび上がるような感覚に、目を見開く。

慌てて周りを見渡せば、自らの傍に嘆き悲しむ息子達が見えた。

どうしたのかと声を掛けようとして―――――自分に起きた事を思い出した。


 息子達が縋っているのは、自らの身体。

それを、息子達の後ろから眺めている。


「そうか――――私は死んだのだったな」


 どうやら、自分は死した後であるらしい。

自らの手を見れば、薄く透き通っている。

霊体と言う事なのだろう。


 身体の重さは感じない。

寝込んでいた時より調子がいいぐらいだ。


「――――息子達よ。達者でな」


 未だ自分の抜け殻に縋る息子達にそう呟いて、男は振り返る。

この後どうすればいいか、どこへ向かえばいいか。

一先ずは知り合いの元へ向かい、最期に顔を見るのもいいだろう。


 そう思いながら顔を上げた時、一番見たかった顔がそこにあった。


「イアリス!!」


 次男を産み、そのまま亡くなってしまった妻。

その当時と同じく、美しい姿に涙が溢れて来る。


「ああ、ああ…迎えに来てくれたのか? お前に話したい事が沢山あるんだ」


 そう言って抱きしめようとすれば、妻はそれを手で制した。


「私は死神。お前を相応しい場へ導く者」


 それは、氷のように冷たい声だった。

生前見せた事のないような冷め切った目で男を見つめている。

冷たく…しかし、あまりにも強すぎる意思を宿した瞳が、煌々と輝いている。


「―――死神? 何の冗談だ?」

「冗談などではない。私の姿はその者が会いたい死者に映る。お前にとってはそれが妻だったのだろう」


 見慣れた姿、一番見たかった姿。

だが、その口調、雰囲気は明らかに別人のもの。

それを頭で理解する間もなく、『死神』は続ける。


「死者が向かう先は五つ。それぞれが死者を裁く断罪の場であり、それぞれに特色がある。そこで魂を見定め、天界か冥界へと送られる事になる。死神とは、死者がどの断罪を受けるに相応しいかを判断し、その場へと送るのが使命だ」


 呆気に取られたまま、よく見知った顔の見知らぬ人物を見つめ続ける。


「何時まで呆けている? これより、お前がどこに相応しいかを決めさせて貰おう」

「…ど、どうするのだ?」


 未だ受け入れられないまま、しかし自分が置かれた状況だけはなんとなく理解出来た。

今、男は死神に試されているのだ。


「お前は、自らの生を振り返り――――懺悔する事はあるか? 自身に恥じる事は無かったか?」

「……無い。私は騎士として生き、息子達、部下達の手本となれたと自負している。国に忠誠を誓い、国の為に尽した。やれるだけの事をやった。後を託すべき若者達にも出会えた。誇りこそすれ、恥ずべき事など無い」


 それは清々しい顔であった。

あるべき姿を貫き遠し、戦い抜いた騎士の顔がそこにあった。


 死神は男の心中を見透かすように、その冷たい瞳を向ける。


「――――そうか」


 死神は男に背を向ける。

その瞬間、辺りの景色が変わった。


 そこは、森の傍を通る街道。

国の外れにある場所で、男も何度か通った事があった。


「この場所に覚えは?」

「騎士団に居た頃、何度か通った事がある」

「お前は、ここで何が起きたか、覚えているか?」


 …少しの間、沈黙が流れる。

すぐには思い当たらなかったが、そういえば、と男は口を開いた。


「以前、魔物討伐の為に訪れた際、魔物の奇襲に合い部隊が散り散りになった事がある。私の傍に居た若い隊員が怪我を負い、一時は危ない状況にあった。しかし、たまたま通り掛かった馬車を借り受け、隊員達を救い出す事が出来た。結果的に人的被害は無く、任務も達成した。苦い思いもしたが、これが戦術理論の構成に役立ち、後の任務に活かされたのだ。この出来事が無ければ、後に大きい被害を被ったかもしれん」


 思い出を語るように、男は言葉を紡ぐ。


 怪我を負った隊員からは感謝され、その親からも礼を言われた。

だが何より嬉しかったのは、隊員が…若い命が助かった事。

今後は足を引っ張らないと、その後に大きな成長を見せた事。


「過程はどうあれ、結果を見れば大団円。あれが、今の騎士団の糧になったと言うなら、それ以上の事は無い」


 そうにこやかに言って見せれば、僅かに目を細めた死神と目が合った。


「………馬車はどうした?」

「…? 馬車?」


 意外な所を気にするものだ。

そう思いながら、あの馬車はどうしたかと思い返す。


「…確か、若い娘が乗っていたな。使用後は城の者に探させたが、名乗り出て来なかったと記憶している」


 死神は街道へと視線を戻す。

視線の先では、若い隊員二人を担いだ男が、通り掛かった馬車を呼び止めていた。

男の顔は、若き日の自分。

あの日の出来事が、今目の前で再現されていた。


「これは…?」

『娘! 止まってくれ! 若い隊員が怪我を負っているのだ! 馬車を借りたい!!』


 死神は何も言わず、その光景を見つめる。

当時の切羽詰まった状況が、男の語気に現れていた。


『騎士様!? 騎士様、お願いがあるのです!』

『すまぬが今はそれ所ではない! 王都にて名乗り出て貰えば報奨金を出す! 馬車は借りて行くぞ!!』

『騎士様!?』

『む、子供が乗っているのか? すまないが、降りてくれ! すぐに王都に向かわねばならんのだ!!』


 ……当時は急ぎ、焦りの中での行動だった。

半ば強引な形で娘や男の子を降ろす姿は、やや強引に感じる。

あの状況では仕方無かったとは言え、もう少し娘に対する気遣いが出来れば良かったのだが。


「…私も、当時はまだ若かったな。淑女の扱いがなっていない」


 怖がらせただろうか。

出来る事なら、当時の事を謝りたかったものだ。


「それだけか?」

「せめて名を聞いていれば、馬車も返せたのだが…」

「本当に、それだけか?」


 繰り返し尋ねる死神に、男は訝し気な顔を浮かべた。


「…何が言いたいのだ?」


 死神はただ、去って行く馬車と娘達の背を見つめた。

何があるのかとその背を見つめれば、娘は膝を付き――――やがて泣き出した。


「…なんだ? 何があったのだ?」


 死神の瞳が、再び男に向く。

それは刺すような鋭い目であり、男を責める意図がはっきりと見えていた。

愛する妻の顔でそんな目を向けられれば、男の方も狼狽えてしまう。


「あの娘が、何故馬車で移動していたと思う? あんな小さな男の子を連れて」


 少女の年は十代前半、男の子の方は僅か二、三歳と言った所だった。

確かに、大人も連れずにこんな場所を移動しているのは不自然に思える。

あの当時では気付けなかった、今でこそ感じるこの違和感。


「……娘の村は、この数時間前に盗賊に襲われていた」

「…盗賊に?」

「そうだ。大人たちが馬車に乗せ、彼女達を逃がしたのだ」

「……では、あの時、私に願おうとしたのは―――――」


 村を救って欲しい。

その願いを伝えようとしていたのではないか…そこまで考えて、血が無いはずの男から血の気が引いた。


「こ、この二人はこの後どうなった!? 誰かに救われたのか!?」


 男はつい死神に詰め寄ってしまう。

だが、掴もうとした肩はすり抜け、男は死神の後ろへと倒れ込む。


「…帰る場所を失い、足も失った。彼女達が逃げた事は盗賊達にも見られている。追撃を恐れた二人は、街道を外れ…森の中を彷徨う事になった」

「馬鹿な! 子供二人でこんな森の中へ入るなど……!!」

「だが、実際に盗賊は追っ手を放っていた。街道に残ったとて助かる見込みは無かっただろう」


 自らの知らぬ間に、自らが関わっていた悲劇。

男は無意識に自分の腕を掴み、強く握りしめた。


「娘はその後、森の中を一週間彷徨った。食べる物も飲む物も無い、泥水を啜り、雑草を食んでな」


 未だ泣く少女の背を、男は見つめる。

今すぐ助けに行きたい衝動に駆られるが、これが記憶でしかない事は男にも解っていた。


「…だが、娘はともかく、幼い子には厳しい環境だった。三日目の夜、男の子は息を引き取る」

「…っ」


 男は俯き、歯を食いしばる。


 何が恥ずべき事は無いだ。

あの時話を聞いていれば、あるいは、馬車を奪うような真似をしなければ、彼女達の悲劇は違う物になったかもしれない。

 だが、とも思う。

それが無ければ、若い隊員は死んでいたかもしれない。

あの隊員が居たからこそ助けられた命もある。

何が正しかったのか、男には解らなくなって来ていた。


「娘は逃げ回い、一週間後に人に出会った」

「…! 助かったのか!?」

「出会った人間は、奴隷商人だった」

「…奴隷商人…?」


 景色が変わる。

痩せ細り、倒れ込んだ娘の前に現れた奴隷商人が彼女の顔を見つめている。

虚ろに開いた瞳が、奴隷商人の顔を見つめ返していた。


『まだ息があるな。折角だ、こいつも連れて行くぞ』

『売れますか?』

『生きてるだけで欲しがる奴がいるもんさ』


 奴隷商人は娘の腕を掴むと、雑に引き摺って行く。

まるで物のように荷台に詰め込み、奴隷商人の馬車は動き出した。


「こんな事が…」

「娘は結局、十四歳でその生を閉じた。性病と望まぬ妊娠。物のように扱われ、助けを呼べぬよう喉を潰され、ボロボロになった身体ではその負担に耐えられなかった」


 王都で馬車の持ち主を探したが、見つかるはずなどなかったのだ。

その頃、持ち主は―――――。


「…思い出したか? この近辺で滅びた村があると報告されていたはずだ」

「…確かに…この件から暫く経って、住人の居なくなった村が発見されている…まさか、それが?」

「その通りだ。それが、娘の故郷」


 男が見過ごしたのは娘だけでなく、村人全員だ。

胃の奥底から吹き上がるこの感覚は、自らへの怒りか失望か。

自然と、顔付きが苦いものへ変わった。


「…私は、救えていなかったと言う事か。騎士であろうとして来た。民を守る為に身を盾にして来たつもりだった。だが――――」

「さてな」


 膝を折り、頭を抱えたくなる衝動を抑え、男は前を向く。

ここで嘆く事こそ、娘に対する侮辱のように思えた。


「騎士として敵兵を殺した事もあるだろう?」

「それは国を守る為――――」

「国と言う枠組みなど人が勝手に決めた事。人間以外から見ればただの共食いだ」


 愛しい者の顔で男の人生を否定するような事を言う。

男の心にこれほど刺さる事も無いだろう。


「私は……私の生き方は間違っていたのか…?」

「何かを守る為に戦う事を否定する訳ではない。だが、お前は殺した敵兵の家族について考えた事はあるか?」

「当然だ。だからこそ、敵兵に対する敬意は忘れていない。無駄に命を奪う真似もして来なかった」

「だが、父や夫を失った家族の中には、先ほどの娘のような末路を辿った者も居る」


 どんどんと積み重なる重み。

頭では解っていたつもりでも、娘の生を聞かされた後では割り切れない。


「……」

「娘を送ろうとした時、何と言ったか知りたいか?」

「送ろうとした時…?」

「娘を断罪の場へ送ったのは私だ」


 目を丸くし、死神を見つめる男。

それを肯定と取ったか、死神は男から視線を外し、形の良い唇を動かした。


「お前にしたように、何か恥じる事は無いかと聞けば、彼女はこう言った。『誰かを頼ろうとした事』と。『誰も信じるべきではなかった』とも言っていた」

「……」

「人を信じられぬ事、それは断罪の場では罪とされる場合もある。…あの娘は、どこへ行き着いたのだろうな」


 その状況を作った男は、自らの生に恥じる事は無いと言った。

娘がそれを聞いたら、どれほど憤る事だろうか。


「お前は自らの生涯に恥じる事は無いのだろう? ならば、お前が逝くべき断罪の場は『第三法廷、プラウディアン・サンクチュアリ』だ」


 死神がそう宣告すれば、すぐ横の空間に大穴が空く。

その先には石材で作られた荘厳な建物が見えた。


「…いや、私は――――」

「逝くがいい。さらばだ、人間よ」


 自分の人生に疑念を抱いた男は、大穴に吸い込まれるようにして消えて行く。

残されたのはただ一人佇む死神。


「……お前への罰は―――――」





 男が辿り着いた場は、まるで城の中を思わせる石造りの空間。

城のようだと思ったのには理由がある。

男の真正面に、玉座に座る威厳のある男性が座っているのだ。


 足元には赤いカーペットが敷かれており、辺りを見渡せば騎士達が並んでいる。

まるで、勲章を与えられた時に訪れた王宮のようだった。


「来たか、人間よ」


 重々しい声に、思わず膝を付く。

騎士としての自分が、敬意を示せと強制する。


「ここは第三法廷、プラウディアン・サンクチュアリ。魂の高潔さを測る法廷である」

「高潔さ…?」

「この法廷において、高潔でない者は有罪とされる」


 人間の法や正義と言ったものは、こちら側の存在にとって取るに足らないもの。

その現実を突きつけられ、男は瞳を閉じる。


「高潔なる者よ。お前は騎士として生き、騎士として死んだ。その魂が高潔である事を認めよう」


 娘の事を思い出し、男は顔を上げた。


「わたくしは、救うべき人々を救えませんでした。いえ…その苦しみに気付く事も出来ず、己が信じた正義に酔っていた。あまりに…視野が狭すぎたのです。もっと出来る事があった。高潔など…わたくしには相応しくない…」


 懺悔するように顔の前で手を組む。

男は自分のして来た事に疑問など持たなかった。

死して初めて、自分の在り方が間違っていたのではないかと思い至ったのだ。

それが……浅慮であったと言う何よりの証拠であっただろう。


「―――――お前は、その時に出来る最善を尽くした。その上で生まれた犠牲にまで心を砕く。これを高潔と呼ばずして何とする?」

「いえ、自分などッ!!」

「高潔なる騎士よ。覚えておこう。お前には天界への道が開かれる」


 男の足元から光が溢れ出した。

世界が揺らぎ、本能的に別の場所へ飛ばされるのが解ってしまう。


「どうか、どうか裁いて頂きたい! あの娘は私が殺したも同然!!」

「――――逝くがいい。願わくば、再び地上に産まれ落ち、その魂を人々に刻み付けよ」

「待っ―――――」


 溢れ出した光が、目を開けていられないほどの光を放つ。

それが納まった頃には、そこには誰も残されては居なかった。


 静寂に戻った法廷で、王は呟く。


「…死神も性格が悪い。この法廷に送られた時点で、あの者が断罪される事は有り得なかった」


 断罪されないままでは、罪の意識が来世にも残る。

それは記憶として残らずとも、その行いに忌諱感を覚え、強く憎むようになるだろう。

敢えて言うのであれば、それが彼の者に課せられた罰だと言える。


 次の者が送られて来たのを見て、王は意識を切り替えた。

今日もまた、人は死に逝く。





 その後、男は天界で妻に出会えた事でしょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ