死神の仕事
男は、温かい家族に囲まれ、最期の時を迎えようとしていた。
「ダルウィン…ポーター…後の事は任せる…」
「父上!」
悪くない人生だった。
男は貴族の家に産まれた長男。
将来を期待され、それに応えて来た自信もある。
騎士であった父に憧れ、己も騎士になった。
若くして騎士団長の座に就き、退役するまで多くの勲章を得た。
美しい妻に出会い、二人の息子にも恵まれ、死ぬ前に孫を抱く事まで出来た。
妻に先立たれた時こそ落胆したが、『あちら側』に逝った時、多くを聞かせてやるだけの土産話もある。
息子達に不安も無い。
それぞれ家庭を持ち、長男は騎士として腕を上げ、何時の日か騎士団長にもなれるだろう。
次男は剣の才にこそ恵まれなかったが、妻に似て賢い子に育った。
王城にも勤める事が出来たし、父としても鼻が高い。
思い残す事などない。
これ以上の幸せを味わっては、妻に恨まれてしまう。
この辺りが潮時だろう。
「…いい人生だった。さらばだ…我が……自慢の息子達よ―――――」
こうして、一人の男が夢へと消えた。
◆
身体が浮かび上がるような感覚に、目を見開く。
慌てて周りを見渡せば、自らの傍に嘆き悲しむ息子達が見えた。
どうしたのかと声を掛けようとして―――――自分に起きた事を思い出した。
息子達が縋っているのは、自らの身体。
それを、息子達の後ろから眺めている。
「そうか――――私は死んだのだったな」
どうやら、自分は死した後であるらしい。
自らの手を見れば、薄く透き通っている。
霊体と言う事なのだろう。
身体の重さは感じない。
寝込んでいた時より調子がいいぐらいだ。
「――――息子達よ。達者でな」
未だ自分の抜け殻に縋る息子達にそう呟いて、男は振り返る。
この後どうすればいいか、どこへ向かえばいいか。
一先ずは知り合いの元へ向かい、最期に顔を見るのもいいだろう。
そう思いながら顔を上げた時、一番見たかった顔がそこにあった。
「イアリス!!」
次男を産み、そのまま亡くなってしまった妻。
その当時と同じく、美しい姿に涙が溢れて来る。
「ああ、ああ…迎えに来てくれたのか? お前に話したい事が沢山あるんだ」
そう言って抱きしめようとすれば、妻はそれを手で制した。
「私は死神。お前を相応しい場へ導く者」
それは、氷のように冷たい声だった。
生前見せた事のないような冷め切った目で男を見つめている。
冷たく…しかし、あまりにも強すぎる意思を宿した瞳が、煌々と輝いている。
「―――死神? 何の冗談だ?」
「冗談などではない。私の姿はその者が会いたい死者に映る。お前にとってはそれが妻だったのだろう」
見慣れた姿、一番見たかった姿。
だが、その口調、雰囲気は明らかに別人のもの。
それを頭で理解する間もなく、『死神』は続ける。
「死者が向かう先は五つ。それぞれが死者を裁く断罪の場であり、それぞれに特色がある。そこで魂を見定め、天界か冥界へと送られる事になる。死神とは、死者がどの断罪を受けるに相応しいかを判断し、その場へと送るのが使命だ」
呆気に取られたまま、よく見知った顔の見知らぬ人物を見つめ続ける。
「何時まで呆けている? これより、お前がどこに相応しいかを決めさせて貰おう」
「…ど、どうするのだ?」
未だ受け入れられないまま、しかし自分が置かれた状況だけはなんとなく理解出来た。
今、男は死神に試されているのだ。
「お前は、自らの生を振り返り――――懺悔する事はあるか? 自身に恥じる事は無かったか?」
「……無い。私は騎士として生き、息子達、部下達の手本となれたと自負している。国に忠誠を誓い、国の為に尽した。やれるだけの事をやった。後を託すべき若者達にも出会えた。誇りこそすれ、恥ずべき事など無い」
それは清々しい顔であった。
あるべき姿を貫き遠し、戦い抜いた騎士の顔がそこにあった。
死神は男の心中を見透かすように、その冷たい瞳を向ける。
「――――そうか」
死神は男に背を向ける。
その瞬間、辺りの景色が変わった。
そこは、森の傍を通る街道。
国の外れにある場所で、男も何度か通った事があった。
「この場所に覚えは?」
「騎士団に居た頃、何度か通った事がある」
「お前は、ここで何が起きたか、覚えているか?」
…少しの間、沈黙が流れる。
すぐには思い当たらなかったが、そういえば、と男は口を開いた。
「以前、魔物討伐の為に訪れた際、魔物の奇襲に合い部隊が散り散りになった事がある。私の傍に居た若い隊員が怪我を負い、一時は危ない状況にあった。しかし、たまたま通り掛かった馬車を借り受け、隊員達を救い出す事が出来た。結果的に人的被害は無く、任務も達成した。苦い思いもしたが、これが戦術理論の構成に役立ち、後の任務に活かされたのだ。この出来事が無ければ、後に大きい被害を被ったかもしれん」
思い出を語るように、男は言葉を紡ぐ。
怪我を負った隊員からは感謝され、その親からも礼を言われた。
だが何より嬉しかったのは、隊員が…若い命が助かった事。
今後は足を引っ張らないと、その後に大きな成長を見せた事。
「過程はどうあれ、結果を見れば大団円。あれが、今の騎士団の糧になったと言うなら、それ以上の事は無い」
そうにこやかに言って見せれば、僅かに目を細めた死神と目が合った。
「………馬車はどうした?」
「…? 馬車?」
意外な所を気にするものだ。
そう思いながら、あの馬車はどうしたかと思い返す。
「…確か、若い娘が乗っていたな。使用後は城の者に探させたが、名乗り出て来なかったと記憶している」
死神は街道へと視線を戻す。
視線の先では、若い隊員二人を担いだ男が、通り掛かった馬車を呼び止めていた。
男の顔は、若き日の自分。
あの日の出来事が、今目の前で再現されていた。
「これは…?」
『娘! 止まってくれ! 若い隊員が怪我を負っているのだ! 馬車を借りたい!!』
死神は何も言わず、その光景を見つめる。
当時の切羽詰まった状況が、男の語気に現れていた。
『騎士様!? 騎士様、お願いがあるのです!』
『すまぬが今はそれ所ではない! 王都にて名乗り出て貰えば報奨金を出す! 馬車は借りて行くぞ!!』
『騎士様!?』
『む、子供が乗っているのか? すまないが、降りてくれ! すぐに王都に向かわねばならんのだ!!』
……当時は急ぎ、焦りの中での行動だった。
半ば強引な形で娘や男の子を降ろす姿は、やや強引に感じる。
あの状況では仕方無かったとは言え、もう少し娘に対する気遣いが出来れば良かったのだが。
「…私も、当時はまだ若かったな。淑女の扱いがなっていない」
怖がらせただろうか。
出来る事なら、当時の事を謝りたかったものだ。
「それだけか?」
「せめて名を聞いていれば、馬車も返せたのだが…」
「本当に、それだけか?」
繰り返し尋ねる死神に、男は訝し気な顔を浮かべた。
「…何が言いたいのだ?」
死神はただ、去って行く馬車と娘達の背を見つめた。
何があるのかとその背を見つめれば、娘は膝を付き――――やがて泣き出した。
「…なんだ? 何があったのだ?」
死神の瞳が、再び男に向く。
それは刺すような鋭い目であり、男を責める意図がはっきりと見えていた。
愛する妻の顔でそんな目を向けられれば、男の方も狼狽えてしまう。
「あの娘が、何故馬車で移動していたと思う? あんな小さな男の子を連れて」
少女の年は十代前半、男の子の方は僅か二、三歳と言った所だった。
確かに、大人も連れずにこんな場所を移動しているのは不自然に思える。
あの当時では気付けなかった、今でこそ感じるこの違和感。
「……娘の村は、この数時間前に盗賊に襲われていた」
「…盗賊に?」
「そうだ。大人たちが馬車に乗せ、彼女達を逃がしたのだ」
「……では、あの時、私に願おうとしたのは―――――」
村を救って欲しい。
その願いを伝えようとしていたのではないか…そこまで考えて、血が無いはずの男から血の気が引いた。
「こ、この二人はこの後どうなった!? 誰かに救われたのか!?」
男はつい死神に詰め寄ってしまう。
だが、掴もうとした肩はすり抜け、男は死神の後ろへと倒れ込む。
「…帰る場所を失い、足も失った。彼女達が逃げた事は盗賊達にも見られている。追撃を恐れた二人は、街道を外れ…森の中を彷徨う事になった」
「馬鹿な! 子供二人でこんな森の中へ入るなど……!!」
「だが、実際に盗賊は追っ手を放っていた。街道に残ったとて助かる見込みは無かっただろう」
自らの知らぬ間に、自らが関わっていた悲劇。
男は無意識に自分の腕を掴み、強く握りしめた。
「娘はその後、森の中を一週間彷徨った。食べる物も飲む物も無い、泥水を啜り、雑草を食んでな」
未だ泣く少女の背を、男は見つめる。
今すぐ助けに行きたい衝動に駆られるが、これが記憶でしかない事は男にも解っていた。
「…だが、娘はともかく、幼い子には厳しい環境だった。三日目の夜、男の子は息を引き取る」
「…っ」
男は俯き、歯を食いしばる。
何が恥ずべき事は無いだ。
あの時話を聞いていれば、あるいは、馬車を奪うような真似をしなければ、彼女達の悲劇は違う物になったかもしれない。
だが、とも思う。
それが無ければ、若い隊員は死んでいたかもしれない。
あの隊員が居たからこそ助けられた命もある。
何が正しかったのか、男には解らなくなって来ていた。
「娘は逃げ回い、一週間後に人に出会った」
「…! 助かったのか!?」
「出会った人間は、奴隷商人だった」
「…奴隷商人…?」
景色が変わる。
痩せ細り、倒れ込んだ娘の前に現れた奴隷商人が彼女の顔を見つめている。
虚ろに開いた瞳が、奴隷商人の顔を見つめ返していた。
『まだ息があるな。折角だ、こいつも連れて行くぞ』
『売れますか?』
『生きてるだけで欲しがる奴がいるもんさ』
奴隷商人は娘の腕を掴むと、雑に引き摺って行く。
まるで物のように荷台に詰め込み、奴隷商人の馬車は動き出した。
「こんな事が…」
「娘は結局、十四歳でその生を閉じた。性病と望まぬ妊娠。物のように扱われ、助けを呼べぬよう喉を潰され、ボロボロになった身体ではその負担に耐えられなかった」
王都で馬車の持ち主を探したが、見つかるはずなどなかったのだ。
その頃、持ち主は―――――。
「…思い出したか? この近辺で滅びた村があると報告されていたはずだ」
「…確かに…この件から暫く経って、住人の居なくなった村が発見されている…まさか、それが?」
「その通りだ。それが、娘の故郷」
男が見過ごしたのは娘だけでなく、村人全員だ。
胃の奥底から吹き上がるこの感覚は、自らへの怒りか失望か。
自然と、顔付きが苦いものへ変わった。
「…私は、救えていなかったと言う事か。騎士であろうとして来た。民を守る為に身を盾にして来たつもりだった。だが――――」
「さてな」
膝を折り、頭を抱えたくなる衝動を抑え、男は前を向く。
ここで嘆く事こそ、娘に対する侮辱のように思えた。
「騎士として敵兵を殺した事もあるだろう?」
「それは国を守る為――――」
「国と言う枠組みなど人が勝手に決めた事。人間以外から見ればただの共食いだ」
愛しい者の顔で男の人生を否定するような事を言う。
男の心にこれほど刺さる事も無いだろう。
「私は……私の生き方は間違っていたのか…?」
「何かを守る為に戦う事を否定する訳ではない。だが、お前は殺した敵兵の家族について考えた事はあるか?」
「当然だ。だからこそ、敵兵に対する敬意は忘れていない。無駄に命を奪う真似もして来なかった」
「だが、父や夫を失った家族の中には、先ほどの娘のような末路を辿った者も居る」
どんどんと積み重なる重み。
頭では解っていたつもりでも、娘の生を聞かされた後では割り切れない。
「……」
「娘を送ろうとした時、何と言ったか知りたいか?」
「送ろうとした時…?」
「娘を断罪の場へ送ったのは私だ」
目を丸くし、死神を見つめる男。
それを肯定と取ったか、死神は男から視線を外し、形の良い唇を動かした。
「お前にしたように、何か恥じる事は無いかと聞けば、彼女はこう言った。『誰かを頼ろうとした事』と。『誰も信じるべきではなかった』とも言っていた」
「……」
「人を信じられぬ事、それは断罪の場では罪とされる場合もある。…あの娘は、どこへ行き着いたのだろうな」
その状況を作った男は、自らの生に恥じる事は無いと言った。
娘がそれを聞いたら、どれほど憤る事だろうか。
「お前は自らの生涯に恥じる事は無いのだろう? ならば、お前が逝くべき断罪の場は『第三法廷、プラウディアン・サンクチュアリ』だ」
死神がそう宣告すれば、すぐ横の空間に大穴が空く。
その先には石材で作られた荘厳な建物が見えた。
「…いや、私は――――」
「逝くがいい。さらばだ、人間よ」
自分の人生に疑念を抱いた男は、大穴に吸い込まれるようにして消えて行く。
残されたのはただ一人佇む死神。
「……お前への罰は―――――」
◆
男が辿り着いた場は、まるで城の中を思わせる石造りの空間。
城のようだと思ったのには理由がある。
男の真正面に、玉座に座る威厳のある男性が座っているのだ。
足元には赤いカーペットが敷かれており、辺りを見渡せば騎士達が並んでいる。
まるで、勲章を与えられた時に訪れた王宮のようだった。
「来たか、人間よ」
重々しい声に、思わず膝を付く。
騎士としての自分が、敬意を示せと強制する。
「ここは第三法廷、プラウディアン・サンクチュアリ。魂の高潔さを測る法廷である」
「高潔さ…?」
「この法廷において、高潔でない者は有罪とされる」
人間の法や正義と言ったものは、こちら側の存在にとって取るに足らないもの。
その現実を突きつけられ、男は瞳を閉じる。
「高潔なる者よ。お前は騎士として生き、騎士として死んだ。その魂が高潔である事を認めよう」
娘の事を思い出し、男は顔を上げた。
「わたくしは、救うべき人々を救えませんでした。いえ…その苦しみに気付く事も出来ず、己が信じた正義に酔っていた。あまりに…視野が狭すぎたのです。もっと出来る事があった。高潔など…わたくしには相応しくない…」
懺悔するように顔の前で手を組む。
男は自分のして来た事に疑問など持たなかった。
死して初めて、自分の在り方が間違っていたのではないかと思い至ったのだ。
それが……浅慮であったと言う何よりの証拠であっただろう。
「―――――お前は、その時に出来る最善を尽くした。その上で生まれた犠牲にまで心を砕く。これを高潔と呼ばずして何とする?」
「いえ、自分などッ!!」
「高潔なる騎士よ。覚えておこう。お前には天界への道が開かれる」
男の足元から光が溢れ出した。
世界が揺らぎ、本能的に別の場所へ飛ばされるのが解ってしまう。
「どうか、どうか裁いて頂きたい! あの娘は私が殺したも同然!!」
「――――逝くがいい。願わくば、再び地上に産まれ落ち、その魂を人々に刻み付けよ」
「待っ―――――」
溢れ出した光が、目を開けていられないほどの光を放つ。
それが納まった頃には、そこには誰も残されては居なかった。
静寂に戻った法廷で、王は呟く。
「…死神も性格が悪い。この法廷に送られた時点で、あの者が断罪される事は有り得なかった」
断罪されないままでは、罪の意識が来世にも残る。
それは記憶として残らずとも、その行いに忌諱感を覚え、強く憎むようになるだろう。
敢えて言うのであれば、それが彼の者に課せられた罰だと言える。
次の者が送られて来たのを見て、王は意識を切り替えた。
今日もまた、人は死に逝く。
その後、男は天界で妻に出会えた事でしょう。