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第7話 【襲撃される悠里お嬢様】

 上野公園の不忍池しのばずのいけから流れ出している忍川しのぶがわには三つの橋が架かっている。そのため、この界隈は一般的に三橋町みはしちょうと称されていた。この三橋が一目で見渡せる、見晴らしのいい洋食屋の二階に三四郎は悠里を連れてきていた。


「三四郎さん、いいお店を知っていらっしゃるのね。わたくし、精養軒にいくのかと思っていたのに」


 三四郎を見直したというような表情を浮かべつつ、悠里は店内の西洋風に統一された装飾に目を奪われているようだ。


 しばらくして、給仕がメニューを持ってやってきた。


 豪華な金の唐草模様でふち取られた二つ折りの若草色のメニューを開いて、悠里は目をきらきらと輝かせている。


 三四郎はふところから敷島しきしまという銘の入った紙巻煙草を取り出しかけて思いとどまった。


(一緒にいるのは、ただの女学生ではなくお嬢様だ。そして、お嬢様はどうやら普通の人間ではない……)


「わたくし、アイスクリームとコーヒーをいただくわ。三四郎さんは何になさいます」


 首を傾げながら、悠里が興味深げに三四郎を見つめてきた。その美しさに、三四郎はどきりとする。


(目の前のお嬢様は、まだ十四歳のはず。しかし、この大人びた雰囲気は、いったいどういうことなのだろう?)


 という感慨を抱きながらも、三四郎は緊張感を維持しながら、


「亡国の菓子でも頼もうかと思ってたんですけど、僕も同じものをもらいます」


「亡国の菓子って何ですの?」


「書生の食い物です。カステラのことですよ」


 悠里は意味がわからないといった感じで、本当の意味で首を傾げているように見えた。


 三四郎は給仕に注文をしてからも、この状況を飲み込めないでいた。しばらくは悠里からの一方的な質問に答えていたのだが、そのうち質問がやんで、悠里は窓の外の景色を眺めるようになった。しかし、その目はどこか遠くのほうを見ていた。


 三四郎はそんな悠里に対して、何か物足りなさを感じていた。どこかで無視されているような気がして、少し寂しい感じがした。その見えない溝のようなものを埋めようとして、三四郎は抱いていた疑問を尋ねてみることにした。


「お嬢様は、どうして僕などを誘ってくれたのですか?」


 悠里の視線が三四郎へと戻ってきた。


「三四郎さん、あなた──とても不器用な人ね……」


 悠里はすっと真顔になった。


 そのとき、ちょうど給仕がアイスクリームを持ってきたので、三四郎はその表情の変化には気がつかなかった。


「やっぱり恋愛って、永遠のテーマだわ。わたしにも岩崎の御曹司のような人が恋をしてくれないかしら」


 先程までの大人びた雰囲気から打って変わって、唐突に女学生の悠里が顔を出した。


 三四郎はこの変化についていけなかったし、突拍子もなく飛んだ話題にもついていけなかった。それでも、三四郎は悠里の会話を拾わなくてはと頭を回転させた。


 かたわらでは、給仕がアイスクリームをテーブルに配膳しようとする動作に入っている。そして、お皿がテーブルに置かれようとした瞬間、世界が音もなく反転した。


 要するに、三四郎と悠里を除いて、誰も、何も動かなくなったのだ。


「あら、三四郎さん──あなた、やはり動けるのね」


「これは、どういうことなのですか」


「詳しい話は後で、何かが来ますわよ」


 その言葉が終わらないうちに、このホールの入り口にどこにでもいそうな小柄な男が姿を現した。


「ふん、この状況で動けるのか。しかし、標的がこんな小娘だとは、俺もみくびられたものだ。お前には何の恨みもないが、死んでもらう。大丈夫だ、あっという間で痛みも感じないから──」


 三四郎には、この男が何を言っているのかわからなかった。話している言葉が、日本語ではない。


「三四郎さん、どうやら清国の道士のようね。変な術を使ってくるかもしれないから気をつけて」


 と言われても、何をどうすればよいのか三四郎にはわからなかった。そもそも、置かれている状況が理解できていない。


 男が何やら呪文のようなものを唱えると、いきなり目の前に動きのおかしい人間が出現し、ぎこちない動きのまま三四郎にとびかかってきた。三四郎はどうすることもできず、呆然と座っているだけで、逃げることもできなかった。


 その変な人間はいびつに大きく口を開けて、どうやら自分の首筋にでも噛みつこうとしているのだなということは理解できた。しかし、恐怖のあまり、三四郎は目をつむってしまった。


 悠里は、いきなり現れて三四郎にとびかかった人間のような何かに対し、目には止まらぬ速さで身を寄せると、その首筋と両ひじと両ひざに手刀を入れた。手刀は本物の刃物のように首と両ひじと両ひざを切断した。


 人間のような何かは、動きを止めて、首、胴体、両手、両足に分かれて、床に転がった。不思議なことに血は一滴も流れなかった。


 想像していた最悪の出来事は起きず、どさどさと重い何かが転がるような音を聞いてから、三四郎は恐る恐る目を開けてみた。目の前には、恐ろしい光景が広がっていた。


「おそらく、僵尸キョンシーという化物か何かね。とりあえず、動きは止めてみたけれど、これで死んだわけではないのかしら」


 この悠里の動きを、清国の道士と悠里から呼ばれた男は、目でとらえることができなかった。だから、いったい何が起きたのか認識することができなかった。


 床に転がっているいくつかの物体は、それぞれがまだもぞもぞと動いている。やはり、悠里が言ったように、死んでしまったわけではないようだ。


 三四郎は、あまりの不気味さに吐き気がしてきた。悠里の様子をうかがってみたのだが、表情ひとつ変えずに、清国の道士とやらを見ている。しかし、その目から感情を読み取ることはできなかった。


「小娘──いったい何をした……」


 悠里はその問いには答えずに、


陽炎かぎろいの」


 と小声でつぶいやいた。


 その刹那、それまで床で虫のようにうごめいていた物体に、ぼっと火がついた。どのような原理なのか、その火はじりじりと物体を灰に変えていき、数秒で燃え尽くしてしまった。


「さて──」


 悠里が男へとあらためて視線を向ける。


「どのようなご用件でしょうか。せっかくお茶を楽しんでいるというのに、少し無粋ぶすいではないかしら」


僵尸キョンシーを消したくらいで、いい気になるなよ。ここからが本番だ──」


 男は懐から経典のようなものを取り出して、何やら唱え始めた。それと同時に、男の周囲に濃密な気のようなものが集まっていく。


 その濃密な何かは、よくわかっていない三四郎が見ても危険なものように思えた。


「お嬢様──」


 悠里はにこりと微笑んで、


「大丈夫よ、三四郎さん。それよりも、そろそろ、そのお嬢様という呼び方をやめてくれないかしら。私には悠里という、おじい様がつけてくれた名前があるのだから」


 この場にそぐわないとしか思えないことを聞かされている間に、男が何やら奇声を発した。その瞬間、ものすごい光を帯びた何かが、こちらに向かって飛んできた。


 三四郎は、再度目をつむるしかなかった。

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