第25話 【悠里お嬢様の古いお友達】
いつもお立ちよりいただきましてありがとうございます。
登場人物がごちゃごちゃしてきましたので、相関図を作成してみました。
「早く食べないと溶けますよ」
三四郎は匙を口に運びながら、考え事をしている悠里に話しかけた。
先日、この店に来た時には落ち着いて味わうことができなかったが、今日は今のところ大丈夫なようだ。
「何よ、三四郎さんったら。人がせっかく浪漫的な気持ちになっているというのに……。花より団子とはよく言ったものだわ」
悠里はふんと鼻を鳴らしてから、美味しそうにアイスクリームに手をつけ始めた。口に入れた瞬間、きりりとした切れ長の目元がゆるんだ。
浪漫的の意味がわからず、三四郎の頭の中は混乱していたのだが、どうやら機嫌が悪いわけではなさそうなので、とりあえず放っておくことにした。
「まあ、やはり良い味よね。本当に他では、こんなアイスクリーム食べられないわよ」
それからは何も言わずに、ただ黙々と食べ続けた。
アイスクリームの減り具合をチェックしていたのか、ちょうど二人が食べ終わった頃を見はからって給仕がコーヒーを運んできた。
三四郎が何も入れずにカップに口をつけたのを見て、悠里もストレートのまま一口含んでみたのだが、自然と眉間に皺がよった。それでも、悠里はすましてそれをぐっと飲みくだした。
その様子を見て、三四郎は目だけでにやっと笑った。
「何よ、三四郎さん」
悠里はぷっと頬を膨らませた。
「いいえ、すみません。悠里お嬢様にも苦手なものがあるのだなと」
この言葉を聞いて、さらに向こうっ気をくすぐられた悠里は、やせ我慢をして最後までミルクや角砂糖を入れずに飲み干した。
三四郎は我知らず、怖いものでも見ているような表情になっていた。
「あの──、大丈夫ですか。水でも頼みましょうか」
「いいえ、結構です。ところで──」
悠里の目が輝いているように、三四郎には見えた。
「例のものは手に入ったのかしら?」
「肖像写真のことですね。ええ、どうにか手に入れました。でも、こんなものをどうするのですか。この前、知り合いになった新聞記者の宮内さんの伝手で、なんとかなりましたが、恥ずかしくてしかたありませんでした。宮内さんから変に探りをいれられて、本当に困りました」
そう言いながら、三四郎はカバンの中から、本来の大きさからはかなり縮小された数枚の肖像写真を取り出して、悠里に渡した。
一枚ずつ、悠里はじっくりと写真を眺めていった。そして、すべて見終わった後に、
「やっぱりね──」
とつぶやきながら、軽くため息をはいた。
「何が、やっぱり──なのです?」
「こういうお話を知っているかしら?」
悠里が真剣な眼差しを三四郎に向けながら語り始める。
「昨年、上野公園で東京勧業博覧会が開催されたのはご存じよね?」
東京勧業博覧会は、1907年に予定されていた政府主催の内国勧業博覧会(第6回)が、日露戦争後の財政悪化により延期されたため、東京府が主催となり開催された。会期は3月20日から7月31日まで、来場者は約680万人であったといわれている。
「ええ、知っていますが、行きはしませんでした」
悠里はその言葉には反応せずに、
「その博覧会で、良家の御令嬢を肖像にして撮影された写真が何枚か出展されたのよ」
「ああ、なるほど。それが、これらのわけですね。ですが、どうして悠里お嬢様が、これらの写真に興味を持たれたのですか」
「それは、こういう話。その中のある一枚の写真を偶然見かけた大財閥岩井家の御曹司が、写真の中の女性に一目惚れしたということなのよ。そして、それが高じて寝込むまでになってしまった。その女性の素性は、飛ぶ鳥を落とすほどの勢いを持った海軍大佐の御令嬢だったということよ」
「海軍大佐ですか──。もしかして、東郷閣下の配下だったのでしょうか」
三四郎は日露戦争の日本海海戦を思い浮かべていた。
「そんなことは知りません」
変に意気込んだところをぴしゃりと悠里にたしなめられた。
悠里が話を続ける。
「御曹司の恋心をくみ取り、まずは某伯爵夫人がその仲を取り持とうとしたみたい。しかし、父親の海軍大佐は『わが家と岩井家では提灯に釣り鐘』と家の格式の違いを理由に申し出を固辞したそうね。そのため、今度は某外務大臣が調停に乗り出し、外交さながらの手腕を見せて、この縁談は見事にまとまったということらしいのよ」
「なるほど、浪漫的というのは、この話のことだったのですね」
三四郎は勝手に一人で納得している。
「まあ、そうなんだけれど、やっぱり変ではありませんか。あなた、たとえ珍しい肖像写真であろうと、そこに写っている女性に恋をして寝込むまでになりますか」
「まあ、それは人それぞれではないでしょうか。いろいろな説話の中にも、似たような話はあるかと思います」
「でも、説話にとりあげられるくらいだから、やはりそれは珍しい話なのでしょう?」
悠里の話し方に、何らかの含みがあるような気がして、三四郎は自分が持参した写真が気になってきた。
「ええっと、何がおっしゃりたいのでしょうか」
「要するに、説話になるくらいなのだから、そういう話の類いには、普通ではない意図が含まれているのですよね」
三四郎は、テーブルの上に並べられた五枚の肖像写真を、はじめてじっくりと眺めていった。お空につながる感覚を有しながら、順番に一枚ずつ丁寧に確認していったとき、四枚目の写真に違和感を抱いた。
(ああ、これだ──)
そう思った。
「悠里お嬢様──」
「気づきましたか?」
「はい、この写真から、おそらくですが人を魅了する妖しい気配が漂っています。岩井家の御曹司は、これにやられたということですか」
「おそらく、そういうことね。普通の男性なら魅了されるだけでしょうが、下手にお金や権力を持っている殿方なら、それらにものをいわせて、今回のようなことも起きるということだと思います」
「まったく、浪漫的ではないではありませんか」
そこで悠里がふふっと笑った。
「ええ、これはわたしのような物の怪の仕業ですね。まあ、人を籠絡するときの常套手段ですわ」
三四郎は、庭にいた悠里を見た時に感じた畏怖のようなものを思い出して、少し膝が震えた。
「冗談に聞こえないのですが……」
三四郎は気を取り直して、妖気を放つ肖像写真を裏返した。書かれている素性を読もうと思ったのだ。しかし、氏名の読みに見当がつかなかった。
「これは、ルビなしでは読めませんね。海軍大佐・九玉一郎氏令嬢・九玉藻子・十九歳・学習院女学部卒業」
ルビが振ってあったので、どうにか読むことができた。
「ところで、悠里お嬢様──。どうして、このことに気づいたのですか?」
「実はね、御曹司が写真の女性に魅せられたという話が、女学校で話題になって、その御令嬢のお名前が九玉藻子だったから、もしやと思ったのよ」
三四郎は意味がわからず首を傾げた。
「どういうことです?」
「お名前の中に、『たまも』と入っているでしょう」
「たまも?」
「ええ、わたしの古いお友達と同じ名前だし、この写真に面影もあるし──」
三四郎には、悠里がいったい何を言っているのか理解できなかった。
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