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第24話 【聖者か悪魔か】

「誰かをさがしているのかな?」


 条件反射のように振り向くと、隣にはラスプーチンが座っていた。宗像は絶句するしかなかった。


(気配を感じることができなかった……)


「ここ数ヶ月くらいの間、お前の姿をよく見かけるようになった。もしかして、俺に何か用でもあるのか」


 ラスプーチンはグラスを瓦斯ガスランプにかざしながら、不敵な笑みを細面ほそおもての顔に刻んでいた。それはまさしく悪党の顔だった。


 宗像は開き直るしかなかった。


「ばれていましたか」


「もちろん、俺には人知を超えた能力があるからな」


 宗像の目を見ながら、ラスプーチンは口元を歪めた。


「目的はいったい何だ。お前は日本政府に関わりある人間だと俺は思っているのだが、図星だろう」


「おっしゃる通り。わたしは日本の駐ロシア公使館の人間です。目的はわたしにはわかりません。ただ、あなたを見張れと命令を受けているだけですから。理由は聞かされていません」


「ほほう」


「逆に、あなたに問いたい。あなたは日本政府に監視されるような理由をお持ちなのですか。人知を超えた能力を身につけてらっしゃるんでしょう」


 ラスプーチンは何も答えなかった。


 しばらく沈黙が続いた後、ラスプーチンはいきなり大声で笑い出した。


「お前は面白い男だな。それに正直者だ」


「それだけが取り柄のような人間ですから」


「でも、頭はいい。わかった。俺はお前を気に入った。俺の情報をひとつ教えてやろう。俺はもうすぐ北京へいくことになっている。その後に、もしかすると日本へも足をのばすかもしれない。今後、どこかで会うことができたら、こうやって話をする機会もあるかもしれない。再び、会うことがあったらの話だがな」


 ラスプーチンは意味ありげな笑みを浮かべながら席を立った。


 つられて立ちあがろうとすると、ラスプーチンは手で制した。


「心配しなくても、俺はまっすぐ屋敷へ戻る。ここに立ち寄ったのは、お前と話をしてみたかったからだ。お前はゆっくりしていけばいい。ここのマスターは俺の知己ちきだから安心しろ」


 宗像がカウンターの中に視線を向けると、マスターはウインクを返してきた。


 どうすべきか彼は迷った。このまま忠実に職務を果たすべきか、それともラスプーチンの言葉を信じるか。


 結局、出した結論は、「今日は店じまいだ」というものだった。面が割れている以上、じたばたしても始まらない。


「明日からも監視は続けますよ」


「ご自由に。ただ──これからもこれまでと全く変わりはないと思うがな。念のために言っておくが、ペテルブルグにいる間はという条件つきだ。お前は俺が北京に向かったら、追いかけてくるつもりか」


「さあ、それは上からの命令次第ですよ」


「そうか、楽しみにしているよ。そうだ、お前の名は?」


「宗像です」


「ムナカタ──。その名前、覚えておこう。おっといけない。重要なことを忘れていた。しっかりと聞いておけよ」


 ラスプーチンは一本の紙巻き煙草を差し出した。宗像順一はただなんとなく自然にそれを受け取った。


「お前は悪魔の存在を信じるか──。くれぐれも用心してくれ。俺は不公平なことが嫌いでな。では、また明日──」


 ラスプーチンは滑るような足並みで店外に消えた。


 宗像順一は緊張感から解放されてウォッカを一気に飲み干した。


「悪魔って何だ。どういうことだ」


 自問した後、彼はひとつの結論に達した。


 ラスプーチンが去った以上、この店にいる理由はない──。


 そして、時を移さずに下宿へ戻ることにした。ただ、帰る途中、酒場で最後にラスプーチンが言った謎解きのような言葉が、いつまでも耳に残っていた。


 下宿に戻ってから、その日に起きた出来事を振り返ってみた。何といっても、あのラスプーチンが接触してきたということに対して、それが現実のことであったのかどうかということを考えた。夢を見ていたのではないかと疑ったりもしてみた。


 一度、眠りにつこうとしてベッドに入ってはみたものの、気持ちがたかぶってしまい、なかなか寝つくことができなかった。


 宗像はベッドから起き出して、ランプもつけずに暗闇の中でしばらく机に向かい、精神を平常に戻そうと深呼吸したりなどした。


 煙草を探すために机の引き出しを探ってみたが、ちょうど手持ちを切らしてしまっているようだった。壁にかけていた外套がいとうの内ポケットも探ってみたが残りは一本もなく、ラスプーチンから手渡されたものだけが、シャツの胸ポケットから半分折れ曲がった形で見つかった。


「これでよしとするか」


 火をつけて、思いっきり煙を吸い込んだ。


 そのとき、階段の下のほうで何か物音がしたような気がした。そっとドアに近づき気配を探ってみた。しかし、その後しばらくは何も聞こえてこなかった。


 壁にかけてある時計を窓から差し込んでいる月明かりを頼りに見てみると、二時までもう少しのところをさしていることがわかった。


「草木も眠る丑三時うしみつどきだな」


 苦笑しながらつぶやいたとき、パブでラスプーチンが言っていた「悪魔の存在を信じるか」という言葉を唐突に思い出した。背筋にぞくっと寒気が走った。


 みしりと音がした。しばらくするとまた、みしりと音がした。それは断続的に続いた。


 誰かが階段をあがってくることは間違いなかった。


 手で持っていた灰皿に吸いかけの煙草を押しつけ、灰皿を床の上にそっと置いた。そして、ドアのすぐ横に身を潜め、息を殺して気配を探った。


 やがて、その気配はドアの前までやってきた。どうやら、その気配も部屋の中の気配を探っているようであった。もしかすると外の気配は鍵穴から中の様子をのぞきこんでいるかもしれないと思った。


 やがて、微かにカチャリと鍵の開く音がした。そして、ゆっくりとドアが開き始めた。


 ドアが内側に開いてきたとき、宗像はドアの影になるほうに身を潜めていたので、部屋に入ってきた人物の背後をとることができた。


 無言のまま、首筋に手刀を入れたつもりだったが、頭まですっぽりと隠れた修道服のようなものを着た人物は、こちらを見もせずにその一撃をかわし、振り返りざまに襲いかかってきた。


 しかし、宙を舞ったのは修道服のほうであった。宗像は襲撃者を軽くいなして、足払いをかけたのだ。彼には少なからず柔術の心得があった。


 床に転がされた襲撃者が体勢を立て直す前に、宗像は馬乗りになって胸ぐらをつかんだ。精神を集中して、最大限の力を手元に送り込んだ。


「目的は何だ!」


 そう言ったと同時に、みぞおちに一発強烈な突きを食らった。信じられないことに、宗像はその突き一発で身体が宙に浮いた。


 その一瞬の隙をついて襲撃者は束縛から自由の身となった。そのとき、胸ぐらをつかんでいた宗像の手が何かを引きちぎった。


 襲撃者はそのまま体勢を立て直すと、さっと身をひるがえしてドアの外に姿を消した。彼はすぐに追いかけてドアの外へと飛び出したが、襲撃者の影はすでにそこになかった。


 やがて、バタンと玄関の閉まる音がし、戸外を駆けていく足音が、しばらく深夜の町並に響いていた。


 宗像は手が握り締めていたものに目をやった。それは敬虔けいけんな信者や修道増が身につけているような十字架のネックレスの残骸であった。


「ロザリオという代物だな。悪魔じゃなくて、聖者がやってきたということか。それとも、聖者の衣をかぶった悪魔だということなのか」


 ほんのりと手のひらに滲んでいる血はズボンでぬぐって、十字架はズボンのポケットにねじ込だ。

 

「どうかなすったんですか」


 部屋の中へ戻ろうとしていたとき、いきなり階下から声をかけられた。この下宿の管理をしている老女が、階下からおそるおそる見上げている姿が視野に入った。


「お騒がせして、すいません。たぶん、泥棒だったんでしょう。いま、撃退したところです。おばさんも注意してください」


「おお、なんてことなの。お怪我は?」


「大丈夫です」


「おかしいわね。ちゃんと戸締りをしていたのに。もう一度、戸締りを再確認してみるわ」


「わたしも一緒に回りましょう。物騒ですからね」


 襲撃者は合鍵を持っていたから、部屋の戸締りをしても意味はないが、老女の気休めにはなるだろうと思った。


 一通り確認した後、宗像は部屋へと戻った。 


 部屋に入るとすぐに、宗像はベッドに身体をあずけた。そして、引きちぎった十字架をポケットから取り出して、それをしげしげと見直した。


 襲撃してきた人物の特徴を思い出そうとしたが、部屋が暗かったせいで、顔をはっきり見ることはできなかった。背は自分よりだいぶ低いと感じた。修道服と十字架からラスプーチンに関係しているのだろうということだけは推定できた。


 しかし、襲撃者の動きが尋常ではなかった。


 壮大な何かとつながっている感覚のときに出せる、最大出力の力で抑え込んだはずなのに、一突きではね返された。


「くそ坊主め」


 傷ついた手のひらは、興奮のためか痛むことはなかった。


 夜がふけるにつれて興奮がおさまってきた。思考力に冴えが戻り始めたとき、彼は何かを思い出したかのように床下を調べ始めた。そして、探しているものがベッドの下に転がっているのを見つけ、それをハンカチで摘み上げた。


 翌朝、公使館へ言ってみると、上役からすぐにラスプーチンを追って北京にいけという指示があった。どうやら、ペテルブルグには影武者を残して、隠密裏に北京へ旅立ったということだ。


 宗像は珍しく闘志が湧き起こってくるのを感じていた。


 おそらく、ラスプーチンは昨日の言葉どおり、北京から日本へ入るだろうと直感に似たものさえも抱いていた。そして、こうなったら、どこまでもついていってやろうじゃないかと決心していた。

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