第23話 【ある外交官の回想】
ほんの少し目を離した隙に、何かが起きてしまったのかもしれない─。
宗像順一は焦燥感を抱いていた。
鴻野真吾と高辻小路悠里との約束を反古にして、自宅を飛び出した後、彼の思いはそのことでいっぱいだった。
彼は人力車に乗って、宮内傳七が勤める新聞社へと急いでいた。
知りたい情報を収集するためには、腕や才能がどうであれ、新聞記者である宮内を利用することが得策であると考えたのだ。
四月になれば、宮内が北京から東京へ戻ることは本人から直接聞いていた。しかし、宮内とは北京の繁華街で別れたきり会っていないので、約束もせずに訪問して、すぐに会えるかどうかはわからなかった。折りよく、在社していてくれたらと宗像は願っていた。
その道すがら、昨年の春からの目まぐるしい出来事を宗像は回想していた。
あまりに激動の一年だったように思えて感慨深くなったが、大島勘三の死が自分の任務と接点があるのだとすれば、ただ懐古趣味に陥っているわけにもいかなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
昨年の春に外交官試験に及第した宗像順一は、その夏にはすでにロンドンの人となっていた。そこは霧の都というだけあって、たしかに見事に晴れ渡るという日はほとんどと言っていいほどなかった。
親交を結んだ英国人の大多数が寡黙な紳士であったが、彼にはただの陰気臭くて消極的な「異人さん」としか思えなかった。ただ、国家的な文明の進歩という点に関しては、さすがに驚かされることばかりであった。
日露戦争が起きる前、政府内にはイギリスと友好関係を結ぶか、それとも手を結ぶのはロシアにするかという大変な論争があった。いわゆる、日英同盟論と日露協商論の対立である。しかし、結果的には英国と条約を結んで正解だったということになる。
大都会ロンドンのひとつの構成要素になったときの、その実感がひしひしと肌からしみ込んできた感覚を、彼は今でも忘れられなかった。
この進んだ文明と英国人の紳士淑女ぶりとのとり合わせは、憎たらしいほど様になっていた。
たとえば、英国人は他国と交戦状態のときでさえも、対面上はその体裁を崩したりはしないようであった。特にロンドンっ子は、まるで他人事のように無関心を装って、シェイクスピアの劇なんかを観て悦に入っていたそうである。
日本人が日清・日露の戦争のときに新聞を広げては一喜一憂していたのとは天と地との差がある。
どこかで、自分の肉親が命を落とすという悲劇に遭遇しているかもしれないというのに、そんなことはどこ吹く風と顎をあげて歩いていたというのだ。国民性の違いもあるのだろうが、ここまでシニシズムな風潮になると、それが正しいのかどうかもわからない。
ロンドンに赴任して二ヶ月くらい経った頃だった。親友であり親戚でもある鴻野真吾から小難しいことばかり書かれた手紙が送られてきた。内容を一言で片づけるなら、いわば、シェイクスピアの「生か死か。それが問題である」ということの自説を展開したものであった。
彼は返事を一言で片づけた。
ここでは喜劇ばかりが流行る──。
喜劇は場末の酒場でも感じることができた。よく出かけていったパブがあったのだが、そこでは小麦の衣をつけて天ぷらにした鱈と馬鈴薯の揚げ物がメインディッシュとして出されるのだ。醤油なんかはもちろんなかった。
ロンドンっ子はそれを「フィッシュ&チップス」と呼んで、美味そうにたいらげる。彼はというとそれに塩をたっぷりとかけ、コニャックを嘗めながらどうにかのどに流し込むといった感じだった。
実際に食事のまずさには辟易していた。だから、時には英国人の真似をして、ぽつりと「オーマイガッ、ジーザスクライスト──」とつぶやいてもみたが、どことなく言葉にしっくりとしたものを持てなかったので、宗旨がえをするまでには至らなかった。
しかし、ロンドンにいる間は口癖のように無理やりにでも使うように努めていた。この言葉を吐くと、なぜだか気分だけはすっきりしたからだった。
こんな日常性喜劇の中でひとりの俳優を演じるような生活は、幸か不幸か数ヶ月で幕を閉じることとなった。その年の九月に彼は日本に呼び戻され、翌月にはすぐさま新しい赴任先を命じられ旅立っていったのである。
行先はロシアの首都ペテルブルグであった。
今年(一九〇八年)の五月一日をもって、ロシアの帝国公使館は帝国大使館に昇格となる予定だが、その下準備のために彼は首都ペテルブルグへ赴任していったのである。
宗像順一が赴任した年の冬のペテルブルグの気候は想像していた以上に厳しいものであった。予備知識は多分に仕入れていった彼だったが、聞くと見るとではまさに大違いであった。
なんといっても驚かされたことは、水を空に向かってまいてみると、それが瞬時に凍って小さな氷の粒となって降ってくることだった。
英文の辞書に載っていたダイヤモンドダストとはこのことかと彼は思った。それだけ気温が極端に低いのである。
破竹の勢いで侵攻を続けたナポレオンがロシアに負けたのも当然だと素直に思った。ナポレオンはロシアに負けたのではなく、冬の寒さに負けたのである。
この厳冬の地、ペテルブルグにやってきて命じられた彼の任務は外交官とはかけ離れたものであった。
それは、ある人物を見張れという不可思議な用向きだった。その人物はグレゴリー・ラスプーチンという名の修道僧で、霊的な力を備えていると巷間ではもっぱらの噂であった。
ラスプーチンは日露戦争を前年にひかえた西暦一九〇三年の夏、ふらりとペテルブルグに現われたという。しかし、この頃にはラスプーチンの聖者としての名声は、すでにペテルブルグにも伝わってきていていた。
ペテルブルグにやって来る直前にはサロフという小さな町で列聖式に参加し、ニコライ二世に皇太子が生まれると予言した。次の年、予言を実証するかのように皇太子アレクセイが誕生した。
一九〇五年、一度身を隠していたラスプーチンは再びペテルブルグに現われた。そして、かねてから面識のあった大公妃ミリッツァの仲介によって、ニコライ二世への謁見を許され、同時に病に伏せっていた皇太子アレクセイの健康を回復させた。
これを間近に見たニコライ二世はラスプーチンを本当の聖者だとして、厚き信任を置くようになった。
その年のペテルブルグは、政情不安を引き起こす事件が度々起こっていた。重要人物の暗殺などは日常茶飯事であり、一月九日には「血の日曜日事件」が、六月十四日には戦艦ポチョムキン号の水兵の反乱などが起きている。
これら一連の事件を危険視したニコライ二世は十月十七日に、立法議会の召集と言論・集会・結社の自由を約束した「十月宣言」をおこなった。このような時代背景からも、ニコライ二世が預言者的なラスプーチンを頼りにするようになっていったのはうなづけなくもない。
だが、宗像順一にとってそのような風聞のあるラスプーチンは不気味な存在だった。なぜ、そのような男を見張らなければならないのか。そんな疑問がふつふつと沸き起こって仕方がなかった。その理由をいくら上役に尋ねても教えてはくれなかった。だから、理由もわからずに、ラスプーチンの背後をひたすら歩き続けた。
ときには不満に思ったりもした。
これではまるで探偵ではないか──。
ある体験をするまでは、ただ理解に苦しむ仕事だという憤懣やるかたない思いを抱きながら任務にあたっていた。そして、終日のラスプーチンの行動を毎日記録し、それを報告する義務を負わせられた。
しかし、その任務は思ったほど難しいものではなかった。なぜなら、ラスプーチンの行動は毎日規則正しく繰り返されていたからだ。もちろん、日によって立ち寄る場所などは違っていたが、ラスプーチンが出宅する時間とそこに帰宅する時間が、ほぼ毎日同じだったのである。
一度屋敷に戻ったラスプーチンが、再び外出することは皆無だということが、それまでの調査でわかっていた。だから、ラスプーチンが帰宅した時点で彼は職務から解放されることになるのであった。
ラスプーチンの行動は一般人と何ら変わりばえするところはなかった。ただ、彼が不思議に思っていたことは、ラスプーチンほどの重要人物が、なぜ堂々と供もつけずに市中を悠々と徘徊できたのかということだ。
ラスプーチンほどの国家的有名人になると、政治的にラスプーチンを好ましく思わない輩も多々いるはずである。これだけの不穏な空気が、異国人の彼にもひしひしと感じられるペテルブルグの街中で、ラスプーチンは泰然自若としていた。
たしかに、市井の一般大衆はラスプーチンという名前は知っていても、仮にその姿を見たとして、その人物がラスプーチンだということを認めることはできなかったであろう。だから、そのことを計算づくで自分の素性を隠すようなこともせず、もちろん変装のようなこともしなかったのかもしれない。
それとも、ラスプーチンには襲われはしないという余程の自信があったのか。または、襲われたとしてもその窮地から脱出する術を心得ていたのか。
体格は五尺七寸ある宗像順一よりも頭半分くらい低く、ひょろりと痩せぎすであった。その外見からも体力がそんなにあるとは思えなかった。しかし、ラスプーチンの立ち居振舞いには、とてつもない偉丈夫のように見せるだけの凄みがあった。
年が明けてすぐのこと、いつもは夕刻に屋敷へ戻るラスプーチンがまっすぐ帰宅せずに場末のパブへ立ち寄った。宗像は何の変哲もない定刻通りの任務になれ始めていたので、一瞬戸惑い、そして軽い緊張感を覚えた。
この四ヶ月の間、何の変わりばえもしなかった報告書に、少し変化をつけることができるかもしれないと考えた。その程度の気持ちで酒場へ足を踏み入れた。
店の中をさりげなく見渡してみると、ラスプーチンはカウンターの隅のほうに陣取って、ウォッカのようなものに口をつけている。こちらが様子をうかがうには、うってつけの場所にいた。
店の入口から一番離れたところにラスプーチンはいるので、彼は同じくカウンターの全く正反対の場所に席を決めた。ここなら出口のそばで店を出ていくラスプーチンを見逃すこともないだろうと思ったからだ。
「マスター、ウォッカをくれ」
だいぶ使えるようになったロシア語で注文する。
すると、マスターはほんの一瞬、視線をこちらによこして、ウォッカの注がれたグラスを差し出した。
「あんた、日本人だろ」
「どうしてわかる?」
「東洋人にしちゃ、身なりがいいからね」
誉められているのか、ばかにされているのかわからなかった。表情からはまったく心情を読むことができない。
「ロシアは日本に負けてなんかいないよ」
面倒なことになるかなと少し身構えた。
「まあ、俺にはどっちでもいいことなんだけどな」
マスターは目に愛嬌をたたえて彼を見た。それ以後は全く口を開こうとはしなかった。
なんだ冗談かと気をゆるめながら、彼はすっと視線を店の奥に流した。
「あっ!」
宗像順一の頭の中は真っ白になった。
ほんの少し目を離したすきに、ラスプーチンはいなくなっていた。彼はマスターを睨みつけたが、マスターは素知らぬ顔で口笛を吹きながら仕事を続けていた。
「続けて読んでもいいかな」という方は、評価、ブックマーク、感想、いいね、をしていただければ何よりの励みになりますので、よろしくお願いします。




