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第16話 【村の因習】 

 空間すべてが真っ白になり、先ほどまでとは違った光景が浮かびあがる。


 三四郎は立体の活動写真でも見ているような気持ちになってきた。


 宮内の中で、どのくらい時間が経過したのかわからない。


 眠りから覚めた宮内は、得体の知れぬ異様さを感じている。その感覚が手に取るようにわかる。


 相変わらず、何やら視界は霞んでいるようでもあり、身体は気だるく、自分のものではないような気がしているようだ。


 宮内は軽く頭を振ってから、再び目を閉じた。そして、脳髄が覚醒をするのを待っている。同時に辺りの気配に神経を集中させている。


 話し声などは全くしないのだが、どこかで何かがというよりも、どこかの空間全体が動いているような気配を感じている。そのような気の流れがあるように思われてしまう。


 それがどうやら板戸のひとつ向こうにある中庭のほうから漂ってくることに、彼はようやく気がついた。


 宮内は目を開けて、たもとから懐中時計を取り出し時刻を見た。


丑三時うしみつどきか……」


 とても小さな声だったが、悠里と三四郎にはしっかりと聞き取れる。宮内は物音をたてないように気をつけて立ち上がった。


 宮内は、部屋の暗闇にも目がなれてきたようで、辺りの様子をうかがっている。


 どうやらこの部屋は項雲龍とガイドと三人で酒を酌み交わしていた部屋だとあたりをつけている。


(やはり、酔いつぶれて、そのまま眠り込んでしまったらしい)というようなことを思っている。


 老人とガイドの姿はこの部屋にはなかった。


 宮内は抜き足差し足で板戸の前までやってくると、戸越しに外の気配をうかがっている。


 何やら、木のぜるような音がしている。


(板戸一枚向こうの中庭では、何がおこなわれているのだろうか。それとも、防犯対策にかがり火が焚かれているだけなのだろうか)


 三四郎も気になり始めている。


 宮内よりも三四郎のほうが、好奇心に押しつぶされそうになっている。


 三四郎はたかぶる気持ちを静めて、もう一度耳を澄ました。やはり、多数の人間の気配がする。何かがそこでおこなわれている。


 三四郎は心の中で自問自答しながら、冷静になって考えてみた。


(こんな夜中に何をやっているのだろうか。それはわからない。果たして、それは部外者に見られてもかまわないことなのだろうか。

 もし、秘事であるなら、それが実施される日に客を泊めるようなことはしないだろうから、そんなに隠すようなことでもないのかもしれない)


 宮内は、ちょっとのぞいてみようと思いつつも、のぞいているのを知られたくないと思いためらっているようだ。


(ここで板戸を開けたら、すぐにばれてしまうだろう。いや、この部屋の中は真っ暗闇だ。外ではどうやらかがり火が焚かれているようだから、外のほうが明るい。ということは、音をたてずに板戸を少しだけ開けたくらいでは、中庭の人間にはのぞき見していることはわからないだろう。

 よし、開けてみよう。そっとだぞ、そっと──)


 そんなことを考えながら、音をたてないように気をつけながら、宮内は板戸をすっと開けて中庭をのぞき見た。


「…………」


 彼は声が出そうになるのをどうにか耐え忍んだようだ。そこには、見るからに奇異な光景が広がっていた。


 眼前に広がる中庭はおよそ三十畳敷くらいもあるだろうか。そこに数十人の、おそらくこの村の住人たちと思われる人々が一言も発せずに整然と集合して、ある一点に意識を集中させている。


 彼らの姿はかがり火の炎のために紅く浮き上がっていた。


 彼らが一心に見つめているものは何か。それは日本流にいえば、観音様のような衣服を身にまとった一人の女であった。


 ある者は恍惚の眼差しを向け、ある者は一心不乱に手をあわせている。


 時間的にも空間的にも、まさに因習的な、部外者が見てはいけないもののように三四郎には思われた。あくまでも自分は傍観者だが、それを自分がのぞいているのだと想像すると、ぞくっと全身に鳥肌がたった。


 三四郎は、気持ちが宮内と同化していっているように感じ始めていた。


 宮内は目を凝らして女の顔を見極めようとしている。気持ちは三四郎と同じだ。


 しかし、炎の赤い反射のために輪郭だけしかつかむことができず、はっきりと認めることはできなかった。


 ただ、観音様だと感じた第一印象には、どこか違和感のようなものがともなった。それはじっくりと観察していくうちに原因がはっきりした。


 台座が違うのである。


 たいていの観音様は蓮華を模倣した台に座っていたり、立っていたりしていたような記憶が三四郎にはある。


 ところが、自分が見ている観音様のような装束を身にまとった女は、何か紅っぽく丸い座蒲団のようなものの上にすらりと立っているのである。


 三四郎はさらに目を凝らした。そして、座蒲団みたいなものが何なのか見極めようとした。しかし、かがり火があるとはいっても夜である。詳細にそれが何であるのか理解することができなかった。


 ところが、あるものを思い出したとき、今まで座蒲団にしか見えなかったものが、一気に正体を現わすように像を結んだ。


 思い出したものは虞美人草で、座蒲団はそれで編まれた何かなのである。


 紅く見えていたのは炎が反射していたからで、それは虞美人草を加工した観音様の台座に違いなかった。


(いや、あの女はもしかすると虞美人なのかもしれない)


 何ら論理的な根拠があるわけではないのだが、三四郎は素直にそのような気がした。


 しばらくは何の変化もなく、ただ同じ光景が目の前に広がり、ゆっくりと時間だけが過ぎていった。


 だが、その異様な静寂をほんの少しだけ乱す出来事が生じた。


 一瞬、かすかに群衆の口々からどよめきとは言えないため息のようなものがもれたのである。すると、群衆はその最後部から虞美人に向かって真っ二つに割れ、中央に一本の道を生じさせた。


 その道を歌舞伎役者のように一人の若い男がゆるりと歩を進めながら登場した。


 彼はまるで学者のような、いや、皇帝といったほうがいいのだろうか。


 大陸の風俗に詳しくない三四郎には、その服装がどのようなものなのかを認識することはできなかったが、簡単に言えば高貴な感じのする男が登場したのである。


 項雲龍から聞かされた話が先入観となって刷り込まれてしまったのだろう。宮内は逡巡もせずにその男を項羽だと思っているようだ。三四郎も同じくそう思っている。


 項羽は虞美人の手をとって、彼女を台座からおろすと、すっと暗闇の中に姿を消してしまった。あとには、虞美人草で編まれた台座と群衆だけが残った。


 群衆の一番手前にあの老人がいるのを見た宮内は、今見たものがいったい何なのか聞こうと思って中庭に出ていこうとしている。


 しかし、そこで再び眠くなったようで、そのまま人事不肖に陥った。


 再び空間が真っ白になり、すぐに朝の気配をともなった景色に変わった


 宮内の意識が戻った。まだ、寝足りないようなそぶりだが、すぐに昨夜の異様な体験が鮮明によみがえってきたようで、意味のわからない声をあげている。


「中庭──」


 宮内は瞼を開けた。


「ん?──」


 何かが違っているような気がしているようだ。


 三四郎もまた、同意だった。そして、今の自分の状態を確認するために冷静になるように努めた。


 宮内はいろいろ考えこんでいる。


(ここは昨晩飲みつぶれて眠り込んでしまった部屋とは違う。明らかに少し洒落た客間である。ここは自分にあてがわれた客間だ)


 宮内は、そんなことを考えている。

 

(自分は蒲団の中に入っている。たしか、中庭に出ようとしたところで……。ということは、昨晩の出来事は、すべて夢の中の幻だったということになるのか──)


 宮内は蒲団から這い出して、茫然自失の状態で部屋の外へと抜け出した。そして、知らない間取りの家の中、老人を探して歩きまわった。


 そのうち、あの中庭を見渡せる廊下に出た。そこではガイドが変な踊りをしていた。これは、あとから知ったのだが太極拳というものらしかった。


「いやぁ、起きたですね。おはようございます」


 ガイドはすっきりとした顔で宮内に挨拶してきた。

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