第13話 【不老不死を象徴する花】
「実は、昨年の十月にロンドンからペテルブルグに移ったんだ。ロシアの首都だよ。今は、こっちに緊急の用事があったもんだから、ちょっと出張中というところさ。
日本と違って陸続きだから、簡単に動けると上役たちは思っているのさ。実際はおそろしく大変だということに気づいていない。とても遠いよ。お偉方は人を将棋の駒かなんかだと思っているようだ。役人だから仕方ないがね」
宗像は豪快に笑った。
「ペテルブルグですか──。寒そうですね」
「ああ──」
宗像の返事には全く感情がこもっていなかった。
「ところで、君はもう万里の長城にいってみたかい?」
「万里の長城ですか?」
「うん、秦の始皇帝が造ったと言われている、あれさ。人が造ったとは到底思えない代物らしいぞ。俺の知り合いに頼んでやるから、万里の長城見学にでもいってこいよ。北京からだと八達嶺という名所が見所らしい。そのついでといってはなんだが、ちょっと頼まれてほしいことがあるんだ」
宮内はあまりいい顔をしなかった。しかし、宗像の言う頼みごとが何なのか気になった。
「長城までは、どのくらいかかるんですか」
「金のことは気にするな」
「いえ、時間ですよ」
「ああ、時間かい。そうだな、のんびり馬車に揺られてだと半日かければ到着するんじゃないか。距離にすると二十里といったところかな。約八十キロさ。日本でいうと日本橋から小田原までってなところかな」
「到着するんじゃないかって? その言い方だと、宗像さんは行ったことはないということですね。それに、えらく遠いような……」
「ああ、俺はいったことはない。でも、観光話はくさるほど聞かされている。いいところらしいよ」
「なるほど……。それで、頼みごとというのはいったい?」
宗像から耳打ちされて、宮内は少し拍子抜けがした。
「それだけでいいんですね」
「それだけでいい。しかし、重要なことなんだ」
このような因縁で、宮内傳七は万里の長城にいくはめになってしまった。
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翌々日、宮内は早朝から宿を出て、でこぼこ道を馬車に揺られながら万里の長城へと向かっていった。
「単調な眺めだ──」
宮内はほとんど変化のない茶色がちな風景を眺めながら、大きくため息を吐いた。
「どうしたです?」
ガイドが気を遣ったような作り笑いを浮かべながら、変な日本語ですぐに機嫌をうかがうように対応してくれた。
「本当に、今日は着かないのかい?」
太陽はもうだいぶ高くあがっている。
「はい。万里の長城、そんなに近くないです」
文法的に、語尾がどことなく変である。
「今日着かないのなら、夜はどこかに泊まるということだな」
宮内はもう引き返したくなっていた。
「はい。わたしが契約している村に泊まるです」
その言葉によって、彼は宗像に頼まれたことを思い出した。彼からの要望は、途中で立ち寄る村の様子をじっくりと観察してきてくれということだった。
「その村はどの辺にあるんだい?」
見渡す限り茶色い山また山である。この先に人が住んでいるとは容易には想像できない。
「長城のすぐそばに、小さな村あるです。その村は造花で有名な村なのです。腕のいい職人がいっぱいいます。そこの村長さんの家に泊まるです。わたし、彼と契約しているです。食べ物もとってもおいしいです」
「食べ物もうまい?」
「本当です」
宮内の機嫌が少し直った。
それから宿のある村に着くまでの間、宮内は粛々(しゅくしゅく)と馬車に揺られていた。
お昼はガイドが用意してきた弁当を馬車の中で食べた。ものを食べている時間以外は、眠ることによって時間を過ごした。心地よい揺れが、彼を眠りへと誘ったのだが、ときどきがたりと強く揺れる度に、頭を打ちつけて目を覚ました。
「ほら、集落が見えてきたです。あの村に寄るです」
隣に座っていたガイドが宮内を揺り起こした。西の空に沈もうとしている太陽が、雲を赤紫色に染めていた。
「明日は良い天気です」
ガイドは嬉しそうに宮内に語りかけた。
いつのまにか、視界は大きくひらけていた。日本では想像できないくらい、四方の水平線の彼方まで田畑が続いているように見える。そのだいぶ先のほうに、その世界の中心になっているかのような、数十軒の集落が村のようなものを形成しているのが見えた。
徐々に近づくにつれて、その中に一際大きな平屋が建っているのがわかった。
しばらくして馬車はその立派な家屋の前に停車した。
馬のいななきでも聞きつけたのか、家の中からは宮内よりも背丈の低い、髪もひげも長くて真っ白な、殊にひげなどは太股あたりまで伸びた老人がゆっくりと玄関から歩を進めてきた。
ガイドはその姿を認めると走り寄って挨拶などを交わしている。
宮内には彼らが何を話しているのか全くわからない。暇を持てあました宮内は、この村のあちこちに無数に群生している見なれぬ紫色の花に目を奪われていた。
それは丈がひざくらいまでしかなく、こじんまりとしたかわいい花であった。
一通りの挨拶が終わったのか、老人が宮内のほうへ歩みよってきた。そして、「こんにちは」と日本語で言いながら手を差し伸べてきた。
自分のような日本人がよく立ち寄るのかもしれないと宮内は思った。少し面食らったが、「どうぞ、よろしく」と言って、彼はその手を握り返した。
屋敷の中に通された宮内は不思議な感覚にとらわれていた。なぜなら、家のいたるところに、外で見た紫色の花が活けられているからである。
玄関、廊下の曲がり角、神棚の下というように。そして、ひとつの部屋にひとつの花といった割合で、それは配置されているのである。
しかし、外で自生していたものよりも、なんとなくではあるが全体的に作りが少し大きいように宮内には感じられた。
「あの花は何という花ですか」
仙人を思わせる風貌をした老人にガイドが宮内の質問を通訳する。老人はにんまりと笑って答えを与える。
「あの花、そんなに気になるですか。あなた、目が高いです──と言ってるです」
「どうして?」
「あれは虞美人草といって、不老不死を象徴する尊い花だ──と言ってるです」
「不老不死──?」
「はい」
宮内はそんな類の花があるのかと不思議に思った。
「部屋の中に活けてあるのはすべて造花です。本物そっくりでしょう──と言っているです」
宮内は驚きを隠せなかった。どう見ても本物のようにしか見えない。しかし、触ってみると確かに生きている植物の感触ではなかった。
「ところで、宮内さん──。虞美人の話、知ってるですか」
宮内の反応を見て、ガイドが彼に問いかけた。
「虞美人というと、項羽と劉邦の話に出てくる絶世の美女のことで、項羽を追って自害したと記憶しているが──合っているかい?」
「おお、素晴らしい。でも、虞美人は死んでなんかないです。あの紫色の花になって生きている──と言っているです」
「ふーん、なんだか近代的でない物言いだね。僕にはよく意味がわからないけど」
虞美人の墓のそばに自然と花が咲いたという話は、宮内も何かの書物で読んだことがある。それが何の花だったかということは明確ではないようだが、一説によるとそれが虞美人草だったといわれている。
でも、それがなぜ不老不死の象徴の花とされているのか。宮内にはそこが謎だった。ほんの少し、そのいわれがどういうものなのか興味を持った。
(まあ、そんなおとぎ話みたいなこと、現実にはないからな──)
近代人の思考が、バカな考えを即座に打ち消した。
外は完全に日が暮れて、宮内の思考は夕食へと移っていた。
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