第9話 【仙人の研究を始めた男①】
一年前の春、桜が散り始めたのはちょうど今頃だったと大島勘三は記憶していた。窓越しに見える古木の桜からは、ひっきりなしに花弁が舞い落ちている。その光景を何気なく眺めていたとき、自分の手からするりと逃げた女のことが脳裏をかすめた。
彼女は麗らかな春たけなわなる世界に紫の滴を垂らしたような女であった。その女は詩の世界に棲んでいた。そして、紫色の着物がよく似合った。
艶やかな黒髪を庇髪にまとめ、それを紫のリボンで飾っていたが、その顔をはっきりと思い出すことはできなかった。はて、どんな顔だったかと記憶の澱をかき回してみても、鮮明に焦点が結ばれることはなかった。
ただ、きりりと締まった蒼白き頬に、仄かに薄化粧がのり、そこから浮き出すように美しく線を引かれた一重瞼の奥から、いつも気高く自分を眺めていた瞳だけは強烈に印象に残っていた。
一重瞼からのぞく黒き瞳に見つめられれば、どんな男も必ず金縛りにあったように動くことはできなかったであろう。
何かを思い出したように座卓のひきだしを開けた大島は、奥のほうにしまってあった銀の懐中時計を取り出した。これは東京帝国大学を卒業したときに、成績優秀だということで天皇陛下から下賜された恩賜の時計である。博士になればさらに名誉がいただけるという。
座卓の上には、もうすぐ書き上がる博士論文の原稿が山のように積み上げられている。大島勘三は文学者である。
しかし、その名誉よりも大島にはもっと欲しかったものがあった。それは、詩の世界に棲む紫の女が持っていた金時計であった。
紫の女の言葉が記憶の彼方からよみがえってくる。
こうすると引き立ちますよ──と女は言って、余興でメルトン地のチョッキの胸に金時計を飾ってくれたことがあった。松葉型に組まれた金の鎖がボタンの穴を左右に抜けて、黒い生地を背にして燦爛と輝いていた。
その時計を手に入れるということは、紫の女を妻にするということだった。そして、紫の女を妻にするということは、同時に莫大な財産がくっついてくるということだった。その実現は寸前のところまでいって消滅した。
大島の性格を投射したような金縁の眼鏡が光の加減でキラリと反射した。徐々に夢想の深みへと陥っていく。
仙人は霞を食べて生きているという。詩人の糧は想像だ。大島もまた詩の世界の住人である。
人の考えつかないような想像を描くためには余裕がなくてはいけない。その余裕を作り出すためには、生活に困らないくらいの財産が必要だ。紫の女には財産があった。だから、是が非でも手に入れる必要があった。
一年前、大島はこの座卓の前でこういう理論を発明した。
しかし、それは実現を目前にして泡となって消えた。その引き金が引かれたのは、五年前に京都に捨ててきたはずの過去が東京まで追いかけてきたことに由来する。彼の脳裏には、忘れてしまいたい過去の残滓が鮮明によみがえってきた。
京都で孤児同様に育った大島は幼少の頃から貧乏であった。そのままでは、とてもまともな教育さえ受けることのできない境遇であった。けれども、京都の吉田義堂という先生が目をかけてくれて、どうにか東京にまで出してくれた。
吉田義堂は東京の私塾で教鞭を執っていたことがあったが、十数年前に京都に新しい職を見つけて東京の生活に見切りをつけた。その娘に千賀子というのがあった。彼女は母親と東京に残り、父親とは別に暮らしていた。しかし、その母親が亡くなったので、六年前に父親のいる京都へと移り住んだ。
東京に出てくる前の一年間、大島はひとつ屋根の下で千賀子と暮らすことになった。彼は必然のごとく千賀子に仄かな恋心を抱くようになっていた。義堂も行末は千賀子を大島に添わせようと考えていた。
しっかりとした口約束は交わしてはいなかったが、それは暗黙の了解になっていた。いわば、千賀子は大島の許嫁であった。
ところが、大島は東京に出てきて徐々に変わり始めた。はじめのうちは、こまめに出していた手紙も、月に一度となり、半年に一度となり、年に一度となった。そして、その存在さえもほとんど忘れてしまいそうになっていたとき、というよりも忘れてしまおうと思っていたとき、吉田父娘は博士になろうとするまでに出世した大島を頼りに上京してきたのである。
唐突に、大島は紫の女の顔を思い出した。まさしくクレオパトラを日本人にすれば、あのような顔になるのではないか。
紫の女は自分を信じていたに違いない。あのとき、自分がとった行動は本当にあれでよかったのか。ちょうど一年前の出来事を大島は昨日のことのように覚えている。ときどき彼の頭の中で、それは堂々巡りを始める。
昔の何かが大島に近づきつつあるという気配を察した紫の女──鴻野真吾の腹違いの妹である綾子──は、それでも大島との結婚を疑ってはいなかった。おそらく、自然の流れに身を任せていれば、そこにどのような道義に反したことが生じたとしても、大島と鴻野綾子は結ばれていたかもしれない。
しかし、そこに横やりが入った。紫の女の父方続きの親戚である宗像順一が大島に道義を説いて非を認めさせ、千賀子と再び結びつけてしまったのである。それを知った紫の女は自らの命を縮める道を選んだ。我が強く虚栄の塊であった彼女は毒を飲んで死んだのである。
道義に縛られて、自らの発明を捨て去った大島は、蒼白き額を垂れたまま綾子の通夜に出向いた。
綾子は北を枕にして横たわり、薄い小夜着をかけられていた。その小夜着には朝顔と半分ほど色づいた蔦が一面に染め抜かれていた。
豊かな黒髪は乱れ、あるに任せて枕にこぼれていた。
敷布の上には、手に入れ損なった壊れた金時計がおもむろに置かれていた。金時計が壊れたのは一年前に宗像順一が暖炉に叩きつけた結果である。鎖に埋め込まれたガーネットだけが、きらびやかに輝いていた。
大島はその金時計を呆けたような気分のまま、虚ろな感覚で眺め続けていた。目の前に横たわる死が現実のものとは思えなかった。
彼は死者の弔いに線香をあげた。藍色の煙がすっとゆるやかに立ち上がった。その煙の先端を無意識に目で追ったとき、床の間にかけられている一幅の掛軸が目にとまった。
それは、銀色の背景に描かれた紫色の花弁を持った虞美人草であった。
その掛軸に描かれた虞美人草を見たとき、大島はなぜだか二つの話を同時に思い出した。それはある作家がまだ構想の段階だがという断りのもとに語ってくれた白い百合の物語と秦朝末の時代に大陸で活躍した武将・項羽に慕われた虞美人にまつわる逸話である。そして、その二つの話は大島の頭の中でひとつの物語として融合した。
それはこんな空想である。
~~死にそうもない女が「わたしはもうじき死にます」と言った。男にはそんなことは信じられなかった。続けて女は、「百年、墓の前で待っていてくれたら、わたしはきっと生き返ります。待っていてくれますか」と聞いた。男は冗談だと思い、その場しのぎのために黙ってうなづいた。すると、女は本当に死んでしまった。
男は女を埋葬し墓碑を立てた。約束だから墓碑の前で女が生き返るのを待つことにした。そして毎日毎日、太陽が東から昇り西へ沈むのを眺めくらしていた。はじめのうちは過ぎていく年月を数えていたが、そのうち時の流れの感覚を失っていった。
もう、どのくらい経ったのかわからなくなった頃、男は女に騙されたのではないかと不安になった。そして、こんなことはもうよそうかと考え始めるようになった
そんなある日、墓碑の手前の地面から小さな芽が顔を出した。それは日に日に成長し、ついには紫色の花をつけた。男はその花を見たとき、「ああ、もう百年経ったんだな」とつぶやいた~~
この空想は帳面に書きつけてある。それを開いて読むたびに、大島はいつも決まり悪げに笑わずにはいられない。
当時、横たわる鴻野綾子の前で大島が正気に戻ったとき、そばに座っていた鴻野真吾が怪訝そうな視線を自分に向けていたことは、今でも鮮明な記憶として残っている。
自分はどのような顔をして座っていたのだろうか──。
大島は手の中の銀時計を無意識にもてあそんでいる。彼の記憶はゆっくりと一年前へと戻っていく。
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鴻野家を辞した後、我ながらおかしな話を作り出したものだと彼は苦笑せざるを得なかった。ところが、それからすぐに大島の表情はにわかに狂気とも言えるくらいの真剣味を帯びていった。
俺はいったい何を望んでいたのだろう──と道々歩きながら彼は自問していた。
ただ、朝から晩まで夢を想像しながら暮らしたかっただけだ。一日を書物とともに過ごしたかっただけだ。しかしながら、それではこの近代の文明社会の中で食っていくための糧を得ることはできない。いっそのこと、御一新の前にでも生まれていたとしたら、人里離れた山の中で田畑を耕しながら、年がら年中、空想の中に自分を漂わせることも可能だったかもしれない。
けれども、近代はそれを許してくれない。そんな生活でさえ、この明治の世では金がいる。近代はすべて金で世界が回っている時代である。
鴻野は財産を綾子に全部くれてやると言っていたのだ。そのうえで彼は家を出ると言っていたのだ。だからこそ、鴻野家の婿にでも入って、世間に何の遠慮もなく暮らしていけたらいいと思っただけなのだ。ただ、文学者として余裕が欲しかっただけなのだ。その他には何の他意もない。
しかし、それは大島の翻意と綾子の死によって夢と消えた。それは彼の道義心から始まっている。彼女の死は大いに自分の責任であると彼は考えている。
通夜の席で彼女の死顔と掛軸を見たときに、自分が財産を欲していたのか、綾子を欲していたのか、大島にはよくわからなくなっていた。たとえ、綾子を愛していなかったとしても、綾子に対する道義も通さねばいけないのではないかとも、そのときから考え始めるようになっていた。
その道義とは何か。それは百年後に綾子が花となってよみがえってきたならば、そのときは心の底から彼女を愛するということである。
百年後などという考えが現実離れしたものであることは大島にもわかっていた。だからこそ、それを実行するという意志を持ち続けることが道義に叶うことであると大島には思われて仕方がなかった。
そして大島の頭の中には、それなら百年待ってみようかという考えが無邪気にも浮かんだのである。その思いの現実味のなさに、彼は思わず失笑せずにはいられなかった。
そうすると、綾子が生き返る百年後まで死ぬことはできないということになる。はたして、そんなことができるだろうか──。
しかし、彼の到達した結論は、これまで想像を糧にしてきた詩人を辞めて、霞を食らう仙人になるしかあるまいということだった。
仙人になれば、不老不死を手に入れられるというではないか。人間の死があの世とこの世を分かつ瞬間なのであれば、その瞬間が訪れることを永遠に放棄すればいい。
そのとき、二十世紀の詩趣と元禄の風流とは別物であると考えていた近代人は、これまでこつこつと研究してきた近代文学研究の成果を博士論文という形で結晶させることを放棄した。
大島は学問としては異端ともいうべき仙人の研究を始めたのである。彼にとっては、博士論文のことはどうでもよくなっていた。
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