序 【転生】
※大変申し訳ありません。序章として、途中でこのお話を割り込ませました。
明治41年4月某日。
その風貌に似合わないお転婆な調子で、高辻小路家のひとり娘である悠里は学友たちとのおしゃべりに夢中になっていた。退屈な女学校での講義が終わり、神田錦町三丁目の停車場で路面電車が来るのを待っていたときのことである。
程なくして、電車が停車場に入ってきた。
幾人かが降車し、その流れが止まったので悠里と学友たちが電車へ乗り込もうとしたとき、身なりのいい老婆が悲鳴をあげながら、ホームへと転がり落ちてきた。
悠里は老婆を受け止めるような形になって、そのまま後ろへと倒れ、おもいきり後頭部を地面に打ちつけた。
そして、そのまま気を失ってしまった。
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それから、どれくらい時が経ったのかはわからないが、悠里が再び目を覚ましたとき、隙間風が入ってくる粗末なあばら家に寝かされていた。
自分の身の上に何が起きたのかわからず、そのまま上を見上げていたのだが、そこには天井はなく、わらぶきのような屋根がむき出しになっていた。
悠里は身体を起こしてみた。そして、自分が身に着けているものに驚いた。草で編んだような、いわゆる「貫頭衣」というやつだ。
(これは……、時代をさらに、さかのぼったということなの?)
自分の身に何が起きたのか、これが二回目だった悠里は、なんとなくのみ込めたのだが、それでも居住空間のひどさに、かなりうろたえてしまった。
悠里の様子に気づいたのか、見覚えのない男と女があわてた素振りで近づいてきた。
「サト!」
女が悠里を抱きしめた。
「良かった。おまえ、十日も目を覚まさずに眠っていたんだよ。あたしは、もうてっきりこのまま死んでしまうのかとあきらめていた」
悠里はなんとなく状況を理解した。
(この二人は親だ。そして、『サト』っていうのが、わたしの名前らしい)
「おれが、あんないかがわしい肉なんてもらってきたばっかりに、こんなことになっちまって──。でも、良かった。身体の具合はどうだ?」
悠里は自分の身体に意識を集中してみた、すると、これまでには感じたことのない全能感のようなものが、体中にみなぎっていることに気づいた。不思議なことに、どのようなことでもできるような気がした。
この親らしき男女二人の話を聞いていてわかったことは、この時代の自分は、何か変なものを食べて意識を失い、十日もの間、眠り続けていたということ。
(ああ、令和から明治にとんで十年、華族のお嬢様という身分で優雅に暮らしていたのに、どうしてこんなことに……)
「お父さま、お母さま、ここはどこで、今はいつでしょうか」
「お父さま……、お母さま……」
男女の目が点になっている。
「サト、いったいどうしたのだ。それに、今はいつ──とは、何のことだ」
「元号のことです」
「げんごう……? はじめて聞く言葉だ」
(あっ、これはダメなやつだ。身分が低すぎて教養がないってことか。わたし、これから先、生きていけるのだろうか)
「では、天皇陛下はどなたなのです?」
「てんのうへいか……??」
(ダメだ、通じない)
「この国を治めている方はどなたなのです」
「この国……大和の大王のことか」
悠里はため息をついた。
父親は泣きそうな面持ちで悠里を見ている。母親はすでに口を開こうとしない。
「サト、お前は本当に『サト』なのか」
「わたしは……」
それだけ言うと、悠里は気を失ったふりをした。次に目を覚ましたときには、記憶を失ったことにして、この二人に話を合わそうと思った。あまりに神がかっていると、どこかに幽閉されてしまうかもしれないということに思い至ったからだ。
その後、サトの身の上に何が起きたのかはわかった。どうやら、サトは父親が宴会から持ち帰った「人魚の肉」なるものを隠れて食べて、十日ほど気を失っていたのだそうだ。
(たしか、伝承では人魚の肉を食したものは不老不死になるという話ではなかったか。いや、八百歳だったか。たしか、八百比丘尼といったはずだ。そもそも、人魚などいるのかしら──?)
そこまで考えて、否定的な考えを持つことなど無意味だと気づいた。なぜなら、悠里自身に降りかかっている理解できない出来事を考えると、この世界は何でもありなのではないかと思えるようになってきているからだ。
いろいろ拾い集めた情報からすると、悠里がいるのは、神宮と呼ばれている神社のそばの漁村で、父親は漁師を生業としている。この神宮が何なのかよくわからないが、大和の大王と関係が深いそうである。しかし、ここの地名はいっこうにわからない。
ときどき、悠里は村の中を徘徊する。呆けたふうを装って、少し愚鈍な感じを見せながら歩いている。
色が白く、見目麗しい少女なので、最初は村の男たちがちょっかいをかけてきたりしていたのだが、悠里の軽い一撃で、誰もが気を失ってしまうので、そのうち誰も声すらかけなくなった。
ある日、いつものように村の中を歩いていると、目の前で幼子がつまづいて、ひざをすりむいてしまった。幼子は痛いと言いながら泣き始めた。そんなにたいした傷ではなかったが、悠里はなんとかならないかなと思った。
何気なく、「神様、幼子のケガを治してください」と心の中で祈りながら、治っていく状況を思い浮かべたとき、いきなり自分の意識と遥かに遠い天空とがつながったような気がした。
その刹那、神という言葉から、和歌の枕詞である「ちはやふる」という言葉をつぶいやいていた。すると、幼子のケガがみるみる治癒していった。
「空とつながったような気がした──」
自然と空を見上げていた。夕方の少しほの暗い空に、月が二つ浮かんでいる。
(月が二つ──。明治と同じ世界線なのかしら)
一度目の転生前、悠里は中古文学を研究していた大学院生で、特に和歌の知識については秀でたものがあった。だから、自然と枕詞が口をついて出たのだったが、それがあのような現象を生じさせることになるなど思いもしなかった。
(今のは、もしかして魔法……。いや、呪術に近いのかもしれない。それよりも、空とつながったような先程の感覚が──呪術の原理原則なのかもしれない。現象は想像力、引き金は枕詞。もしかすると、先程の場合では引き金が枕詞だっただけであって、他の言葉でもいけるかもしれない)
そう思って、いろいろ試してはみたのだが、想像した現象が具現化するのは、必ず枕詞だけだった。
(理由はわからないが、わたしにはこれしかできないみたいだ)
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あれから1200年以上の時が過ぎて、悠里はようやく明治時代に戻ってきた。そして、容姿を赤子に変えて、高辻小路家の令嬢として生まれたことにした。
それから覚醒するまでの間は、普通の人間として生を享受することにした。
それが、明治27年初夏のことである。
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