読めない気持ち
「手帳が燃えなかった…ね」
アデラインが黒い手帳を観察しながら呟いた。
「暖炉の火が消えるまで入れっぱなしにしておいたのにこの通りよ」
絶望的な状況に私の気持ちは沈んでいたが、アデラインはニヤリと笑った。
「これで一つ問題が解決したわね」
手帳をテーブルに置きながら私を見据えた。
「この手帳は外部からの衝撃では破壊できない。だから今のやり方で物語を妨害していくのが一番いいかもしれないということよ」
確かに駄目だったと嘆くよりはいいのかもしれない。
「でも王太子殿下も暴走し始めているし、クリスティアナ様も…」
チラリと隣に座るクライヴを窺うも何かを考え込んでおり話を聞いていないようだ。
「焦っても仕方ないでしょ。それよりも今出来る最善を尽くす事を考えなさい」
その日は結論が出ないまま話し合いはお開きとなった。
帰りの馬車に乗るとアデラインがクライヴを呼び止め何か話していた。
「クライヴ様もお忙しいのに今日は付き合わせてしまって申し訳ありませんでした」
馬車が出発したのを見計らいクライヴに謝罪した。
「ルネールが謝る必要はないよ。俺が勝手に付いてきただけだから…」
そうは言っても今日一日ずっと難しい顔をしているクライヴに不安は募る。
「…あのクライヴ様…」
「ルネール…」
同時に声をかけてしまった。
お互い譲り合ったが私の用件はこれ以上付き合わせたくないという想いを伝えるだけだったから先にクライヴに譲った。
するとクライヴは決意に満ちた眼差しで私を見つめた。
「ルネール…俺と結婚しないか?」
今、何て言った?
結婚?
誰と誰が?
「ルネールは俺と結婚するのは嫌?」
私とクライヴが結婚!?
嫌とか以前の問題だよ!
「手帳の問題を解決するために好きでもない人との結婚なんて決めては駄目です!!」
「俺はルネールとなら結婚してもいいと思ってる。ルネールは嫌なの?」
嫌どころか私にはメリットしかない…でも!
「一時の感情に流されて結婚されてはきっと後悔することになります。私はクライヴ様には幸せになって欲しいと思っていますから」
「俺の気持ちは俺が決める。俺はルネール自身がどうしたいか聞いているんだ」
私自身…。
クライヴに出会ってから自分がクライヴに惹かれ始めていることは分かっていた。
正直芽生え始めた恋心に蓋をしようと必死でもあるから。
だからこの話を受けたらきっと私はこの人に嵌るだろう。
でも…この結婚はお互いが愛してあって望んでする結婚でもなければ政略結婚ですらない。
強く目を瞑った。
「わ…私は…」
ガタリと馬車が止まった。
気付くと伯爵邸に到着にしていた。
「突然のことで驚かせてごめん。でも真剣に考えて欲しい」
馬車から降りる私をエスコートしながらクライヴは呟き帰って行った。
自室に戻るとベッドにうつ伏せで寝転がった。
どうして突然結婚などと言い出したのだろう。
もちろん物語を妨害する目的もあるのだろうが。
それにしたって私とクライヴが出会ったのはつい最近だ。
いくら王太子やクリスティアナを助けるためとはいえ、そこまで自分を犠牲にするだろうか?
もしクライヴが本当に私を好きだとしたら…。
いや、ないな。
胸が高鳴るもすぐに冷静になった。
そうよ。この婚約だっていつかは解消されるんだ。
結婚なんかしてしまったら婚約よりも離れるのが難しくなってしまう。
たぶんクライヴは二人のために早く問題を解決したいのだろう。
きっとそうだ。
だって彼は…クリスティアナが好きなのだから。
胸から何か嫌な気持ちが込み上げてきて一筋の涙が私の頬を伝っていった。
そんな矢先、王太子から王宮への招待状が届いた。
私とお茶を飲みたいということらしい。
しかも来なければクライヴを左遷すると脅してきた。
これ以上王太子の暴走を止めないと正気に戻った時大変なことになる。
危険だとはわかっているがその招待を受ける事にした。
「ああ。やっと会えたね、ルネール」
今日も饒舌な王太子が私に会うなり手に口付けをしようとした。
しかし私の手に巻かれた包帯を見て眉間に皺を寄せた。
「この手はどうしたんだ?誰かにやられたのか!?」
王太子の表情が険しくなった。
「ちょっと手首を捻っただけです。これ以上お見苦しい姿をお見せするわけには参りませんし、本日はこれで失礼を…」
「何を言うんだ。ルネールに見苦しいところなど何一つない。包帯に巻かれている君も美しい」
そう言いながら包帯に口付ける王太子に寒気がした。
アデライン!あんたこんなの望んでたの!?
すぐに王太子の口から手を引いた。
「さあルネール、一緒にお茶でも飲もう。今日は邪魔な奴等もいないことだし」
邪魔な奴等ってまさかクライヴとクリスティアナの事!?
どうしよう…。これ以上王太子と周りの人間との溝が深くなったら取り返しがつかないことになる。
早く解決しないと!
落ち着かずカップに手を添えたまま考え込んでいると王太子が私の手に手を重ねてきた。
クリスティアナの時の事を思い出し硬直した。
「ルネール。私にはもう、君しかいないんだ」
王太子は私の手をなぞるように指を動かしてきた。
その仕草が気持ち悪くて手を引こうとするも逃がさないとばかりに掴まれた。
こ…怖い…。
「ルネール…。愛しのルネール…。今すぐ君を奪い去りたい」
もうムリーーーーー!!
勢いよく手を引いて立ち上がった。
「殿下!気分がすぐれませんので今日はこれで失礼致します!」
行儀が悪くてもいい!とにかく今はこの場を離れたい!
私は走って逃げだしたのだった。
ぐったりとしたまま家に帰るとクライヴが玄関先でウロウロと歩き回っていた。
「ルネール!王太子の招待に応じたのか!?」
私の帰宅に気付いたクライヴが物凄い剣幕で私の両肩を掴んだ。
というか思い出させないで欲しい。
身震いする私にクライヴも状況を察したようだ。
「今日は殿下が午前中で帰れと言って来たから何か怪しいと思ってすぐにここに駆け付けたんだが…行き違いになったようだな」
「ご心配をおかけして申し訳ありません。お茶を飲んできただけですから大丈夫です」
王太子の言動以外は普通にお茶しただけだから。
苦笑いを浮かべる私をクライヴは心配そうに見つめた。
「ルネール。俺は頼りない?」
頼りないなどとんでもない。
むしろ頼り過ぎて申し訳なく思っているくらいだ。
「クライヴ様を頼り過ぎてしまうのが怖いのです…」
これ以上頼ったら私はクライヴなしでは生きられなくなりそうで怖いのだ。
「俺は君に頼られたい。君が俺を必要としてくれるなら俺は…」
熱を帯びたクライヴの瞳に鼓動が早くなった。
告白されているみたいに感じるのは…気のせい?
「いいところ邪魔して申し訳ないけど、そういうことは二人きりの部屋でやってもらえるかしら?」
入口に立っていたのはキャンディーの入った瓶を持ったアデラインだった。
読んで頂きありがとうございます。