王太子の右腕
怖くなり慌てて手帳を閉じた。
こんなの誰かに見られたらまずいよ!!
すぐに処分しなければと火の気を探していると誰かが入って来た。
「王太子殿下と踊るのは私のはずだったのに…!」
その言葉に驚き振り返ると入口に立っていたのは伯爵令嬢のアデラインだった。
「殿下と踊るって…。この手帳はまさか…!?」
「それは私が書いた物よ!返して!!」
呆然と立ち尽くす私の手から手帳を取り上げた。
「これで王太子殿下と結婚するのは私になるわ。ずっと夢見ていたのよ。クリスティアナ様に取って代わる日を!」
歪んだ笑みを浮かべるアデラインに震えた。
「何を言っているの!?王太子殿下はクリスティアナ様を愛していらっしゃるのよ!それを引き裂くようなことなど…!」
アデラインはうるさいとでも言いたげな顔で私を睨んだ。
「それにただの物語が本当に現実で起こるわけがない!!」
「でも現実に起こったでしょ?」
鼻で笑うアデラインに血の気が引いた。
確かに先程の王太子は明らかに様子がおかしかった。
「で…でも、偶然かもしれないし…」
自分で言っていて分かっていた。
偶然で王太子が私に「恋をしてしまいそうだ」などと言わない事を。
「『あなたに恋をしてしまいそうだ』…私が聞きたかったのに…」
真っ青な顔の私をアデラインは一瞥すると手帳を持って出て行った。
あの危険な手帳をすぐに取り返さないと!
追いかけようと慌てて廊下に出て足を挫いた。
きっとダンスでバランスを崩した時に痛めたのだろう。
動けないまま呆然と廊下に座り込んでいると誰かが近付いてくる気配がした。
早く立たないと。
怪しまれると思った私は立ち上がろうとするも足の痛みが強く床に突っ伏しそうになった。
「大丈夫ですか?」
突っ伏す直前に背後から逞しい腕に支えられた。
「あ…ありがとうございます」
立たせてもらった私は相手を確認して瞠目した。
どうしてここにこの人がいるの!?
私の体を支えているのは王太子の右腕でもあるクライヴだった。
「足を挫かれたのですか?」
私の足を確認しようとするクライヴに見られないようドレスの裾で隠した。
「大丈夫です。少し捻っただけですから」
誤魔化すように微笑むもクライヴは黙ったまま私を見据えた。
何?この空気…。
ダラダラと嫌な汗が流れる。
「無礼をお許し下さい」
沈黙を打ち破ったクライヴが突然私の背中と足に手をかけて抱き上げた。
今日は一体何なの!?
これも手帳の影響なの!?
「あの…!大丈夫ですから降ろして下さい!!」
混乱した私はクライヴの腕の中でもがいた。
「暴れると危ないですよ」
危ないったってどれだけ重いと思っているのよ!
「オースティン侯爵令息のお手を煩わせるわけにはいけませんので…!」
「怪我をされた女性をそのままにはしておけませんから。それに暴れられる方が重くなりますから大人しくなさって下さい」
重いと言われてしまっては黙るしかない。
大人しくなった私にクライヴがクスリと笑った。
何がおかしいのよ…。
クライヴは私が出てきた控室に入ると椅子に座らせてくれた。
「失礼」と私の足を確認すると足首が赤く腫れあがっていた。
クライヴはここで待つように言い聞かせるとその場を離れ、包帯と氷水を持って来てくれた。
「侯爵令息にこのような対応をさせてしまい申し訳ありません」
恥ずかしさと不甲斐なさから俯くとクライヴが私の顔を覗き込んできた。
「…俺が好きでしていることですから気になさらないで下さい」
柔らかく笑うクライヴにドクリと心臓が大きく跳ねた。
さ…さすがは今一番お婿さんにしたい男NO1。
女性キラーの異名は伊達ではない。
ドキドキと高鳴る胸に動揺していると器用な手付きでクライヴが包帯を巻いてくれた。
「器用なんですね」
あまりの手際の良さに思わず呟いてしまった。
するとクライヴは目を瞬いた後、おかしそうに笑った。
「剣の稽古での怪我は日常茶飯事ですから」
そうですよね…。当たり前のことを聞いてしまった。
きっと呆れていますよね。
クライヴの処置のお陰で足の腫れは数日で引いた。
参加出来て良かったと意気込んで来たのは恒例のクリスティアナのお茶会だ。
もちろんアデラインに会うために参加したのだが…。
逃げられた。
私に真相がばれた今、さすがに顔は出さないか。
今日もいつものよいしょ祭りにうんざりしていると、王太子がクライヴを連れてやってきたのだ。
初めての事態に令嬢達は色めき立った。
「殿下。どうされたのですか?」
クリスティアナも聞かされていなかったのか動揺しているようだ。
「いつも私の婚約者がお世話になっているからね。皆に挨拶でもしようと思って」
王太子は令嬢達を見渡して私と視線が合うとふわりと微笑んだ。
まさか…まだあの物語が継続しているわけじゃないよね!?
手帳はもう手元にないのに!
嫌な予感に心臓がバクバクと激しく鳴り響く。
私は俯き関わらないように徹したため気付けなかった。
クリスティアナから不穏な空気が発せられていたことに…。
お茶会が終わり帰ろうとした時だった。
視線を感じて振り返ると塀からこちらを睨むアデラインが。
私と目が合うと逃げ出したため捕まえようと追いかけ、クリスティアナの屋敷から少し離れた路地で追い付き腕を掴んだ。
「あの手帳はどうなっているの!?」
私が問い詰めるとアデラインは苦々しい顔をした。
「どうもこうも今日の殿下の反応を見ていたら分かるでしょ!」
アデラインは私の手を振り払い手帳を私に投げつけた。
「どうして私じゃなくてあなたなのよ!この手帳に呪いをかけたのは私なのに!!」
呪いってそんな非現実的な物でこれほどの威力を発揮するの!?
「ならこの手帳が私の荷物の中に入っていたのはなぜ?」
「効果がなかったから他の人で試そうと思ったのよ」
つまりその呪いは何故か私に作用したということ?
「もうこの物語の主人公はあなたよ。煮るなり焼くなり好きにしなさい」
「待って!これがなんの呪いか教えてよ!」
私に背を向けて走り出すアデラインに私の声は届かなかった。
とりあえず帰ったらすぐに燃やさないと!
「今の話は一体どういうことですか?」
手帳を眺めている私に聞き覚えのある声がかけられた。
恐る恐る振り返るとそこに立っていたのは眉間に皺を寄せたクライヴだった。
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