初恋の人(クライヴ視点)
王太子の執務室で仕事をしていると頬を押さえながら、これ見よがしに溜息を吐く王太子の姿が…。
手帳の呪い事件が解決してからずっとこの調子だ。
だが俺は敢えて触れない。
王太子のため?
いや、俺自身のために。
あれはまだ呪い事件が起こる前の事だ。
夜会が開かれる当日に王太子が俺に声をかけてきた。
「今日はお前も参加しろよ」
王太子の唐突な誘いに顔を歪めた。
「そんなに嫌がるなよ。私の愛しのクリスティアナみたいな女性に出会えるかもしれないぞ」
王太子は婚約者のクリスティアナに執心しており、結婚も秒読み状態で幸せそうだ。
確かにもう一度探してみてもいいかもしれない。
俺は古びたハンカチを取り出して歪んだ花びらの刺繍を眺めた。
「お前、そんな古臭い汚い刺繍が入ったハンカチなんかいい加減捨てろよ」
横からハンカチを覗き込む王太子を睨んだ。
汚いってなんだ!
この刺繍は何度も俺を励ましてくれた大事な物なんだぞ!
ルネのあの小さな手で一生懸命刺繍したのを想像して、俺も負けていられないと頑張った結果が今に繋がっている。
俺にとってこのハンカチは俺の人生を変えた、何物にも代えがたい代物なのだ。
そんな価値も分からない人間にこの刺繍は見せてやらないとハンカチを大事に内ポケットに仕舞うと王太子が首を傾げた。
「お前、なんでそのハンカチをくれた女性と婚約しないんだ?」
痛いところを突いてきた。
正直ルネが何者なのか分かっていないのが現状だ。
ルネの理想の男になるまでは会わないと決めていたのが災いしてしまったのだ。
大人になってから気が付いた。
ルネはどこの令嬢なのかと…。
ルネと会ったあの日は多くの貴族が我が家に集まっており、ルネという名の子供がどこの子なのか、本当にそのような子供がいたのか大人になってから尋ねても誰一人覚えている者がいなかった。
そのため夜会で探してみようと試みたのだが…毎回、令嬢達に囲まれて探すどころの騒ぎではなくなってしまう。
そこで俺に届く求婚申込書の中からルネという名前、もしくはそれらしい愛称になりそうな女性に会ってみるも俺の知っているルネとは全く異なる女性ばかりだった。
ルネのあの自信に満ちたキラキラとした綺麗な瞳は今も覚えている。
会えば必ずルネだと分かる自信はあるのだ。
そんな中、ほぼ強制的に参加させられた夜会で俺はルネを感じさせる女性を見た。
それは王太子とともに会場に入った時だった。
うっとりと俺達に見惚れている令嬢達とは違う視線を感じ振り返ると、こちらを興味深そうに真っ直ぐ見つめてくる視線があった。
しかしその視線はすぐに下に逸らされて確認出来なかったが、何故かその視線が庭で初めて俺を見たルネの視線によく似ていると感じたのだ。
俺はもう一度彼女が何者なのか確認したいと次の夜会にも参加したのだが…そこで信じられない光景を目にした。
それは王太子が彼女と踊る姿だった。
「あれってルネールでしょ?」
「なんであの子が王太子殿下と踊っていらっしゃるの?」
不満気にひそひそと話をする令嬢達から聞こえてきたのは彼女の名前がルネールだということだ。
その名前は俺の求婚申込書の中には無い名前であり、ルネを連想させる名前でもあった。
踊りを終えて会場を出て行った彼女を追おうとして王太子に声をかけられた。
「見たか、クライヴ…。よく分からないが、なんだか彼女に惚れてしまいそうだ…」
ちょっと待て!?
クリスティアナという婚約者がいるのに何を言っているんだ!?
「殿下!落ち着いて下さい!俺が彼女が何者なのか探ってきますので、それまで変な気を起こさないで下さいよ!!」
慌てて会場を飛び出し彼女を追った。
一体何が起きているんだ??
彼女はすぐに見つかった。
というよりもなぜか廊下に座り込んでいたのだ。
俺が近付くと彼女は立ち上がろうとしてバランスを崩し、倒れそうになるところを支えてやった。
すると前髪で隠れてはいたが大きく見開かれた目を見て確信した。
彼女がルネだと。
髪の色、瞳の色、なにより当時の面影が残されている。
俺は足を挫いたと思われるルネを抱き上げると最初こそ暴れていたが大人しくなった彼女を見て当時の事を思い出した。
ルネを抱っこ出来るようになるまで成長したよ。
そんな俺の想いを知らないルネは怪訝な顔をしていた。
足の腫れは思っていたよりも酷く、固定のため包帯を巻いてあげた。
「器用なんですね」
これくらい普通の事だと思っていた俺はルネの唐突な言葉に目を丸くした。
しかしハンカチの刺繍が頭に浮かび思わず吹き出しそうになってしまった。
そういえばルネは不器用だった。
そんな俺にまたしてもルネは怪訝な顔で見つめていた。
ルネと再会した後から俺はルネの事を思い出す時間が多くなった。
俺を押しのけようとするちょっと強気なところや興味深そうに眺める姿などは以前と変わらないのに、何故彼女は前髪で顔を隠し自信なさ気な女性を演じているのか?
それに他の女性ならあれだけの事を俺がしたらすぐにでも勘違いして擦り寄ってくるのに彼女にはそれが一切なかった。
たとえ彼女がルネでなくてもそれだけで彼女への好感度は高い。
そんなことを考えているとおもむろに王太子がクリスティアナに会いに行くと言い出した。
確か今日は茶会が開かれていると言っていなかったか?
「実はこの前の女性がクリスティアナの茶会に参加しているみたいなんだ」
王太子の耳打ちに心臓が嫌な音を立てた。
ルネに会いたい気持ちはあるが王太子が完全にルネに興味を持っていることが不安でならなかった。
「殿下。女性のお茶会に参加するのは賛成しかねます。それにあなたはクリスティアナ様の婚約者なのですよ。他の女性に会うために行かれたらクリスティアナ様がどう思われるか…」
「バレなきゃいいんだよ。あの日から彼女の瞳が私の心を掴んで離さないんだ。顔だけでも見ないと暴走しそうだ…」
王太子は本当にどうしてしまったんだ??
ルネに一目惚れ?
あれだけクリスティアナを愛していたのに?
「彼女は私のモノだから手を出すなよ」
手を出すなったってあんた婚約者がいるだろう!!
王太子が変わってしまった原因を知ったのは路地裏で揉めている会話からだった。
ルネが捕らえた令嬢から発せられた言葉に俺は耳を疑った。
呪いだって!?
ルネと会話している令嬢を確認すると魔女の血筋を引いており、王宮でもブラックリストに上がっているエイベル伯爵令嬢だった。
呪いをかけた者は即火あぶりの刑だ。
エイベル伯爵令嬢を役所に突き出すのは簡単だが、今回はルネも関わってしまっている。
本位ではなかったとはいえ、会話を聞く限りではルネが発動者になっているようだ。
呪いをかけた魔女を発見したらすぐに通報すること。
これは文官、武官ともにこの国に殉ずる者の務めである。
だけど…。
ハンカチを取り出し握り締めた。
俺を救ってくれたルネを見捨てられない!
俺は国を裏切ってでもルネに協力すると決めたのだった。
俺とルネの突然の婚約発表に一番動揺したのは王太子だった。
「手を出すなって言ったのになぜ婚約したんだ!?」
「このハンカチの持ち主がルネールだと分かったからです。それに王太子殿下には婚約者のクリスティアナ様がいらっしゃるではありませんか」
怒鳴る王太子に対し、努めて冷静に切り返した。
クリスティアナの名を出されては王太子も黙るしかない。
しかしその日から嫌がらせともとれる仕事量を回されるようになるのだった。
ルネと初めて行く夜会の日も朝から捌ききれない程の仕事量を回された。
しかも王太子は俺が終わらないと踏んでニヤつきながら夜会の準備をしている。
「その仕事が片付くまで夜会には参加出来ないからな」
王太子の念を押すような物言いに嫌な予感がした。
まさかルネのところに行く気じゃないだろうな!?
急いで仕事を片付け、そのまま着替えもせずに真っ直ぐルネの家に向かうと王太子がルネに迫っているところだった。
なんとか王太子を引き剥し不安気な表情のルネに視線を移すと俺の胸が高鳴った。
どうして今日に限ってこんなに綺麗になっているんだ!?
王太子が迫る気持ちが分かる…待てよ?このルネが会場に行ったら…。
嫌な予感が的中した。
会場ではルネが何者なのか探る者や見惚れる者の視線で溢れかえっていた。
気分が良いのか悪いのかよくわからない感情に支配された。
ダンスの間もそこら中でルネに頬を染める男共の視線を感じた。
俺が踊りながら男共を一睨みするとすぐに視線を逸らされた。
「クライヴ様。私と一緒にいることで恥をかかせてしまっていたら申し訳ありません」
ルネが眉尻を下げて俺に謝罪するも何の事か俺にはさっぱり見当がつかない。
「いや。むしろルネールが綺麗過ぎて恥どころか他の男に奪われないか心配しているだけだから」
本音爆発なのだがルネはお世辞だと思ったのか「そんな男はいない」と可笑しそうに笑っていた。
ルネと踊り終えると王太子の姿が無い事が気になった俺は、ルネをエイベル伯爵令嬢に任せて様子を見に行く事にした。
会場を出て庭に差し掛かったところで男女の揉める声が聞こえてきた。
「殿下の婚約者は私なのですよ!他の女性をパートナーにするなど言語道断です!」
「だから悪かったと言っているだろう!しつこい女は嫌われるぞ!」
どうやら声の主は王太子とクリスティアナのようだ。
王太子は嫌気がさしたのか会場とは違う方向へと去って行き、クリスティアナはその場で泣き崩れた。
ハンカチくらい差し出すべきか迷ったが、俺が手を出す事で話がややこしくなるのだけはご免だと判断しその場を離れた。
その判断が正しかったのか戻った会場では由々しき事態が発生していた。
それはルネが他の男に求婚されていたからだ。
エイベル伯爵令嬢は一体何しているんだ!
慌ててルネの元に駆け寄り肩を抱き寄せ相手を威嚇するとすぐに立ち去って行った。
頼むから、ルネ。これ以上綺麗にならないでくれ…。
そう思わずにはいられなかった。
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