04.恋愛初心者に厳しい世界
やいのやいのと好き勝手に騒ぐ騎士たちを祖父に任せ、手紙を片手に自室に戻って椅子に腰かける。専属の侍女であるクロエとミーシャにも出払ってもらい、ゆっくりと背もたれに体を預けてもう一度手紙を取り出した。やや筆圧の強弱が強い、それでいて読みやすい流れるような文字だ。強い意志を感じさせる簡潔な文章にどうしたものかと息を吐く。
『エイルーン嬢の竜を相手取る胆力と見返りを求めぬ懐の深さに敬服いたしました。ルーフォードの女主人として是が非でも来ていただきたく思います。エイルーン・キンゼル侯爵令嬢をアレクサンダー・ルーフォード辺境伯の妻として迎える許しをいただけないでしょうか』
会ったことがない相手にこんなにも直球な求婚の手紙を出せるルーフォード辺境伯、ただものではない。
さすがに姿すら知らない人物に嫁ぐのは抵抗がある、かといってまずは一度会いましょうと誘うのも婚約前提という文字が付きまとう気がして躊躇われる。さてどうやってお返事を書けばいいものかと頭を捻った。
人となりは不思議と短い手紙からも見てとれる気がした。世間的に言えば腕を失った不憫な令嬢に対して純度100%の肯定と、それぐらいでなければ魔の樹海を監視するルーフォード家には相応しくないと言わんばかりの使命感。哀れみだとか慈悲だとかそういったものと無縁そうな、竜に立ち向かう女!そこがいい!という主張が見てとれる文章自体はエイルーンにとって好ましいものではあった。
「ルーン、ちょっといいかしら」
ノックとともに聞こえてきた柔らかい声に顔を上げて立ち上がる。ドアを開けるとそこに立っていたのは少し心配そうな顔をした、エイルーンとは対照的な温厚そうな目をした女性。社交界では彼女が微笑むだけでその場の温度が上がると噂される、キンゼル侯爵家の長女ヴィヴィアン・キンゼルだった。その両手には青い百合に似た花を主軸とした小ぶりな花束。
姉を笑顔で招き入れ、廊下で待機していた侍女二人に合図を示す。てきぱきと姉妹それぞれの好みの紅茶を用意した二人は何も言わないまま静かに、どことなく何か言いたげに顔を見合わせてドアの横で待機の姿勢をとった。
はい、と渡された花束を困惑の表情で受け取り、これからお茶をしようというテーブルに静かに置く。
「この花束に添えられていた手紙は、もう貴女に届いていると思うのだけど……」
その一言で、この花束が誰から誰へ宛てたものなのか察することができた。なるほど、だから青を中心としているのかとチラリと自分の髪色と見比べる。キンゼル領やルーフォード領ではあまり見かけない色鮮やかな青。アガパンサスという名であることは辛うじてエイルーンも知っていた。
「……ルーンはきっと、ルーフォード領を怖いとは思わないのでしょうね」
「そうですね。緊張はしますが、恐れかと言われると悩ましいところです」
「そう、よね……ああ、もう!私はルーンにこれ以上怪我をして欲しくないの。でも、ルーフォードに行くのであれば、貴女はきっと」
「ま、待ってください姉上!まだ行くとは決まってませんよ!?」
わっと両手で顔覆って今にも泣きだしそうなヴィヴィアンの肩に手を置いて狼狽えるエイルーン。まだ返事すらしていないのに何故嫁ぐことが決まっているのだろうと目を泳がせていると、パチリと目があったのはドアを背にして傍で控えていた侍女クロエ。なんと彼女まで涙ぐんでいるではないか。どうして、と隣を見ればやはりというべきかもう一人の侍女であるミーシャも鼻先がほんのりと赤くなっている。
「んん……?え、私もう嫁ぐ流れになってるんですか?顔も知らないのに?」
不思議そうに首をかしげる姿に、早とちりだったと気付いた3人がほんのり頬を染める。それでもまだ不安は残っているようで顔を見合わせ、おずおずと口を開いた。
「だ、だってお祖父様が意気揚々と手紙を抜き去っていったから……」
「あれだけエイルーンお嬢様へのお誘いの手紙を突っ返していらした前当主様が縁談だと喜んでおられたのを見て、私どもはてっきり」
「ええ……ついに、エイルーンお嬢様が誰かの伴侶となる時がきたのだとばかり」
お祖父様、私への縁談握りつぶしてたのか……。
侍女であるクロエが知っていたということは恐らく家全体が黙認していたのであろう事実に怒るわけでもなく、除け者にされていたことにこっそりと落ち込むエイルーン。祖父の人を見る目は確かで、それは現国王のお墨付きでもあることから突っ返されたらしい手紙の送り主のことはさほど気にはならなかった。
「お祖父様はルーフォード辺境伯を快く思っているということでしょうか」
「そういうことでしょうね。……まあ、確かに……ううん……ルーンと並んでも良い風格はあったけど……」
歯切れ悪くどうにか思い出すように額を指で押さえて言葉を紡ぐ姉に、おや……と珍しいものを見る目を向けたのはエイルーンだけではなかった。
ヴィヴィアン・キンゼルという人物は自分が関心のある人物以外の姿をあまり覚えない傾向にある女性だった。その代わり話し方や仕草を覚えているから人と名前はすぐに一致するのだと言う。誰それの髪型がオシャレだった、あのドレスは有名デザイナーのものだった、そう言う話題を振られても全く思い出せないので上辺で返しているのだと。彼女が容姿を把握しているのは家族と屋敷で働く者の一部、そして婚約者である次期宰相殿ぐらいなものだった。
そんな王族すら覚える気のない彼女がたぐりたぐりではあるものの容姿を覚えており、なおかつ褒めたのだから珍しいこともあるのだと姉にそれだけのインパクトを与えていた辺境伯に関心が湧く。
「私と並ぶ云々はさておき、姉上が人の容姿を覚えているのは珍しいですね」
「そうね、目立っていたからかしら……。でも、まさかこんな花束を贈ってくるような御仁だとは思って無かったわ」
「花束は贈り物の定番では?」
「それはそうなんだけど……わざわざ貴女の髪色に近い色味のアガパンサスを贈るなんて。花言葉も相まってキザと言うか」
花の名前や見頃の季節は最低限覚えているものの、花言葉までは本当に有名なものしか把握していなかった。それに花言葉を潜ませるのは記念日が主流のはず。首を捻るエイルーンと侍女2人に、ヴィヴィアンはため息をついて百合に似た厚い花びらをつついた。
「この花の花言葉は『恋の訪れ』なのよ」
……。
会ったこともない令嬢にそこまでするなんて、いくらなんでも熱烈すぎやしないだろうか。
家族総出の婚約者候補選びと言う名のシャットアウトと、社交界を敬遠しがちな上にそこらの騎士より腕がたつものだから知らず知らずのうちに高嶺の花になっていたエイルーン。そんなエイルーンは、その環境ゆえにそういうキザな求婚への耐性がとんでもなく低かった。
「ど、どう、返事をしたら……」
顔に集まった熱を白銀の冷たさで冷やしつつ呻く妹の姿は、それは愛おしかったと姉はのちに語ったと言う。
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