01.隻腕令嬢、急に婚約を迫られる
「喜べ、ルーン!縁談が来たぞ!」
「えっ、まだ諦めていなかったのですかお祖父様」
鍛錬所の門を壊さんばかりの勢いで開け放ち、同じだけの勢いを持って投げかけられた言葉に心底驚いたという声音が返される。しかしその驚きは彼女だけのものではなく、周囲にいた騎士達も同様に瞬きも声も忘れて元気な声の主を凝視していた。
ルーンと呼ばれた女性の名はエイルーン・キンゼル。歴代多くの近衛騎士を輩出しているキンゼル侯爵家の次女であり、大柄で暇さえあれば剣を握っているような娘だ。父親仕込みの剣の腕は並の騎士を圧倒してしまうほどで、周囲からはもしも男であったならとよく噂話をされている。
裁縫より学問、ダンスのレッスンより馬術、社交界よりも鍛錬所。手のひらはつぶれたまめの上からさらにまめが出来て固くなっており、身体には討伐の際に出来た縫い傷だってある。極め付けは左腕に装着された魔法仕掛けの義手。褒め言葉で1番貰う言葉はかっこいい……エイルーンはそんな嫁ぎ先に困るくらいとことん華やかさに欠ける姫君だった。
「諦めるわけないだろう!?メルヴィンはお前の幸せは家にあると言うが、せっかく母親に似た容姿なのだ!ウエディングドレス姿を拝むまで死んでも死にきれん……!」
「そりゃあお母様は誰が見てもお美しい方ですよ。ですが姉上と違い私が似たのは髪色ぐらいで……」
「まーだそんなことを言っておるのか。ビビだってお前のことをいつも褒めているだろうが」
「姉上は素晴らしい人ですから」
エイルーンが自慢げに口角を上げていう姿に、祖父であるスチュワード・キンゼルは深いため息をついた。しかしそれも一瞬のことで、顎髭をひと撫でして勿体ぶるように一通の手紙を彼女に差し出す。
その手紙に押された家紋にエイルーンは目を見開く。知ってはいるが実際に目にするのは初めてのものだった。
「これ、ルーフォード辺境伯の印では」
『ルーフォードォ!?』
勢いに気圧されて鍛錬を止めていた騎士達が揃って驚きの声をあげる。爵位からすれば、辺境伯が侯爵家の娘を嫁にと打診するのは何もおかしくはない。なんならルーフォード辺境伯は代々国王より魔の樹海の管理を任されている、国の治安の要とも言える由緒正しい名家なのだから喜ばしいことこの上ないだろう。それでも歓喜よりも動揺の声が上がったのは、辺境伯の当主の異名が黒獅子の騎士という物々しいものだからだろうか。身の丈ほどの大剣を雄々しく振るい、その黒髪は数多の返り血を頭から被り染まったものだという噂は社交界へほとんど参加しないエイルーンですら聞いたことがあった。
「よ、よりによってルーフォード辺境伯ですか!?そりゃあお嬢様なら黒獅子様に気圧されることもないでしょうけど……」
「辺境伯の屋敷は魔の樹海を監視するためにそびえる要塞のようだって話じゃありませんか!その様な危険なところへ嫁ぐなんて!」
「それにルーフォード辺境伯は女性嫌いだって噂ですよ!」
女性嫌い・女に興味がないという話は貴族の噂に疎いエイルーンも姉経由で知っていた。なんでも夜会や生誕祭でルーフォード辺境伯を見かけたが、どれだけ見目麗しいご令嬢達から声をかけられようとも軽く挨拶だけで済ませそれ以上は寄せ付けない雰囲気があったのだという。
もう一つの屋敷についての噂に関してはきっと事実なのだろうと納得していた。この国には魔の樹海と呼ばれる魔力が極めて濃い地帯があり、その地帯で生まれた魔獣は通常に比べて凶暴性が高いことで有名なのだ。その中でも特に危険な個体が樹海の外へとでない様に撃退・討伐するのが辺境伯の役目なのだから拠点となる屋敷はそう樹海から離れてはいないだろう。
それにしても、とエイルーンは首を傾げる。
「もう私が隻腕令嬢であるという噂は貴族の間でとっくに広まっているはず。なのに何故なのでしょう」
半年前に失った腕には銀色に輝く義手がはめられていた。不思議そうにその金属を撫でる姿を見て祖父は楽しげにえくぼを作る。
「その隻腕のご令嬢を探してたんだとさ」
「え?」
「お前が助けた行商の馬車、アレにルーフォード辺境伯が乗っていたらしい」
「ええ!?」
噂を聞くためにサボりがちだった社交界へ何度も姿を見せていたそうだ健気じゃねえかと髭を撫でながら笑う姿には目もくれず、エイルーンはただただ信じられないという目で手紙の一文を何度も読み返していた。
『エイルーン・キンゼル侯爵令嬢をアレクサンダー・ルーフィード辺境伯の妻として迎える許しをいただけないでしょうか』
流れるような文字は、とても物騒な噂が付きまとう御仁のものには見えなかった。