それからのこと……
最初は気のせいだと思った。
毎朝あんなに満員の電車に乗っていれば"事故"だって起こると思ってた。
でも、その事故も、2日3日と続けば事故じゃないって気付いた。
だから、電車の時間を変えた。それで終わると思った。
だけど、違った。
乗る車両を変えたり、クラスメートや部活の後輩と一緒に乗るようにもした。
だけど、止まらない。
朝起きると、登校するのが恐くて仕方がなかった。
だけど、休むわけにはいかなかった。
私は三年生。
今年が高校生活最後の年だから、こんなことに負けていられない。
学校の最寄り駅まで我慢すればいい。
我慢……!!
「な、なんだ、君は!?」
我慢なんて必要無かったんだって気付くのに時間がかかったけど、言いたいこともちゃんと言えた。
うん。今日は良い日だ。
ーーーーー
事情聴取なんて初めてだから緊張したけど、なんとか無事終了。
「あ、あの……あの痴漢の人は?」
「別室で取り調べ中だけど、魂が抜けたみたいでさ。まあ、あとはこちらの仕事だから。ご協力ありがとうございました。被害に遭った女子生徒ももうすぐ終わると思うよ。……ああ、ほら出てきた」
奥の部屋から彼女と女性警官が現れた。
彼女はいつもと同じ凛とした姿をしている。
強い人だな。
「ありがとうございました」
警官達はボクと彼女に敬礼をした。
「こちらこそありがとうございました。あとはよろしくお願いします」
「よ、よろしく……お願いします」
彼女は深々とお辞儀をするから、ボクもそれに倣った。
時刻は10時過ぎ。
もうとっくに授業は始まっている時間だ。
でも、正直学校に行きたくない。
疲れた。
帰ってゲームしたい。
「おはようございます。三年の……」
そんなボクとは正反対に彼女は学校に電話をかけている。
何があったのか、今どういう状況なのかを淡々と電話越しの先生に伝えていた。
「はい……はい……いえ、大丈夫です。ただ電車の時間が……はい……はい……わかりました。失礼します」
「あ、あの……」
ボクは声をかけてしまった。
「え?」
「学校……行くんですか?」
「え?ええ……もちろん行くよ。練習もあるし。ああ、でも次の電車まで時間があるから、ちょっと付き合ってくれないかな?」
「へ?わ、わかりました」
正直帰りたい。
でも、彼女からのお誘いに心が踊らないわけがない。
「ほんとビックリしちゃうよね?よりにもよって私なんかに痴漢するなんてね」
彼女は平気そうに笑っている。その笑顔は眩しいくらいだ。
それに!!
……ボクには十分過ぎるくらい魅力的です。
なんて気持ち悪いことは言えるはずもなく、
「アハハ……どう……なんでしょう……」
と苦笑いするしか出来なかった。
「フフフ……ちょっと意地悪だったね。えっと……駅の反対側に広場があるから、そこで時間を潰そ」
そう言って彼女はボクを広場に案内してくれた。
心臓がバクバクと漫画みたいな音を起てて鳴ってる。
憧れの人と並んで……いや、ちょっとだけボクが後ろを歩いているけど、それでも憧れの人と一緒に歩いているのが夢のようです。
ただ……こんなに幸せな時間を過ごしているのに、幸福感と興奮に隠れて、何か"嫌な予感"がした。その予感に気付かないように、ボクはこの瞬間を噛みしめながら歩いた。
駅を横切った先にある広場にはいくつかベンチがあるけど、使っている人は誰もいない。
いや、むしろ通行人とかそういう人もいない。
平日だから?
「えっと……はじめまして、だよね?」
「え?は、はい、初めてです。あ、で、でも、部活紹介の時に見ました」
「君、一年生?そっか、どおりで見たことないなって思った。そっかそっか」
彼女はしっかり振り向いてボクを見た。
ボクは実は背が低い。こないだの身体測定で164cmだった。
対して彼女は180cmはあろう長身。
ちょっと首が痛い。
「えっと……改めて、助けてくれてありがとうございました」
幸福感と興奮に隠れていた"嫌な予感"が正体を現した。
彼女は深々とお辞儀をしていて、スポーツ選手らしい礼儀正しさや本当に感謝していることがわかる。
誠意が伝わるというのは本当にあるんだと身を以て実感した。
だからこそ、急に恐くなった。
全身の血液という血液から熱が無くなるような感覚がした。
「あ、あの……えっと……す、すみませんでした!!」
ボクも深々と頭を下げて謝った。
ヤメロ、イウナ!!
「ぼ、ぼぼ、ボクは……そ、その……えっと………………お礼を言われるようなことはしてません……」
ヤメロ!!
ダマレ!!
「ボクは……その……最初……最初見て見ぬふりを…………誰か他の人が助けるのを待って…………だから……だから!!…………お礼を言われる筋合いは……」
オワッタ……
キラワレタ……
バカ……
「でも、君は助けてくれた」
エ?
「え?」
「君が私を助けた事実は変わらないよ。だから、ありがとう」
眩しくて、曇りのない笑顔。
直接被害に遭っていないボクですらあんなに恐くて目を背けた出来事だったのに、被害に遭っていた彼女とっては想像を絶する思いをしたはずなのに。
だからこそなのか、ボクの心には罪悪感というトゲが刺さったままだった。
「う~ん……まだ納得してない?じゃあさ…………はい」
彼女はおもむろに財布から500円玉を取り出し、ボクに差し出した。
「あそこに自販機があるでしょ?何か飲み物買ってきてよ。それで見て見ぬふりをしたことをチャラにします。どう?」
「え?は、はい……えっと、飲み物は何が……」
「君のオススメでいいよ。じゃ、お願いね」
「はい……」
「君の分も買ってきていいよ」
「いや、それはさすがに……」
「いいから。さっ!!ダッシュダッシュ!!」
ボクは思わず苦笑い。
拝啓 おばあちゃん様
ボクは今、地元から少し離れた高校に通っています。
友達は……
でも、凄い素敵な人と出会いました。とても笑顔が素敵な人です。
そして、今、その人にパシりをしてます。
ちょっと複雑な気持ちです。
あなたの孫より
敬具