005話 架橋相談事務所まで
6
「本当にありがとうございました!」
「いえ、夢が元通りになったらよかったです」
私は少し気になって依頼人に聞いてみる。
「あの夢って、あなたにとってどんな意味があるんですか?」
「……どういう意味ですか?」
「いえ。あそこで座っているどうしようもない人間の架橋が大人のデートにしては子供っぽい夢だと言っていたものですから。やはり、あの有名な俳優さんとデートできたというところが大事なんでしょうか?」
「おい! 人に責任をなすりつけるな!」
それを聞いて依頼人の女性が口元に手を当てて静かに笑った。
「子供っぽい、ですか。確かにそうかもしれませんね。あの夢は、私が高校生のときにできた初めての恋人と巡ったデートコースなんです」
「え?」
「はじめにレストランで昼食を取ってーーもちろん現実では貸切ではありませんでしたがーー映画館に行って、カフェに行ってお好み焼き屋さんで夕食をとってそのまま何もなく帰宅。映画館でポップコーンを食べてカフェでコーヒーを飲んで、お腹がいっぱいだったのに彼が食べ放題に行きたいって言うものですから笑ったのをよく覚えています」
女性はその思い出を笑いながら語ってくれる。
「自慢じゃないですけどその彼がとてもかっこよかったんです。夢に出てきたあの俳優さんにそっくりの。だからとてもうれしくなってしまって」
「……大切な思い出だったんですね」
私は言葉を選んで発言していく。
彼女の思い出を決して汚さないように。
「今も十分幸せですけど、あの思い出もとても大切なものなんです。だから自分で楽しむために毎日のようにこの夢を見ていたんです。良い時代になりましたね、これは浮気には入らないでしょうから」
彼女は左手の薬指を見せながら私に向かって微笑んだ。
「すみません、自分の話ばかりして。まだ追加の分の料金を払ってませんでしたよね。ええっと……」
「あーおほん!」
わざとらしく大きく架橋さんが咳払いをした。私と依頼人の女性の目が架橋さんの方へ向く。架橋さんは私たちには背を向けたまま言う。
「実は二個目の不具合はたいしたことなかったんだよなー。あんな簡単な単純作業でお金をもらっちゃったら、俺たちがぼったくりみたいになっちゃうなー」
「…………」
ちらちらとこちらを伺いながら棒読みの大根演技で架橋さんが言う。
「でも、そんな悪いです。ちゃんと料金は払います」
「いやいやいや、ここで依頼人の方にお金を払ってもらったら事務所として悪評立っちゃうかもしれないからなー。うん、その方が困るわなー」
いつもはやる気のない腹立つ男で、こんな上司ぜってえお断りだわっていう男だけど、こういうところは嫌いじゃない。
私が架橋さんのひどい演技に息を潜めて笑っていると、依頼人の方が私の方を向いたので私は立ち上がって改めて言う。
「ウチの架橋もああ言っておりますので、これ以上のお代は結構です。どうぞ気をつけてお帰りください」
私はまだお金を払おうとする依頼人の女性の背中を押して無理やり帰らせようとする。扉まで行ったところで女性が私たちの方に振り返った。
「あの、本当にありがとうございました!」
「いえ。依頼人様の夢が、素敵な夢に戻ったことを私どももうれしく思います」
右向け右で女性が扉を開けて事務所を出ていくところで頭を下げながら最後の声をかけた。
「もしまた夢のお悩みがございましたら、架橋相談事務所までお越しください」
6
夕日の差し込む事務所で二人。まだ背を向けたままの架橋さんに声をかける。
「素直じゃないですね。あれだけ死力を尽くしたというのに」
「別にそういうわけじゃない」
「じゃあどういうわけなんです?」
「……少し乱暴な口調で言ってしまったからな。口止め料の代わりみたいなもんだ」
それが素直じゃないって言ってるんですよ、とまでは言わない。
まだ私に背を向けたままの架橋さんもきっとそれがわかってる。
「これだからウチは貧乏なんですよ」
「……」
架橋さんからは何の反論も返ってこない。それが事実だからだ。
「……ま、嫌いじゃないですけどね」
架橋相談事務所は、今日も貧乏なままだ。でも、それで良い。
お金より、もっと大切なものを手に入れたから……なんて言ったら架橋さんに中学生みたいだと笑われるだろうか? ガラスにうっすらと反射している架橋さんの顔は満足したような顔をしている気がした。