003話 誰が危ないって?
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「何ですか、あれ……」
さすがに気持ち悪すぎて嫌悪感が抑えられない。あれではポップコーンに虫が混入しているというよりは虫の中にポップコーンが混入していると言ったほうが正しい気がする。
「見りゃわかんだろ? ハエだろうよ」
「ハエがあんなに大きくなることがあるんですかね?」
「おいおい」
架橋さんが私に言う。
「ありえるもありえないもないだろ? 夢の中なら何でもありだよ。とにかくお前はお前の仕事をこなせ。頼んだぞ」
「ちょっ……!」
架橋さんが夢の中へと果敢に降りていく。
今まで色々な不具合を解決してきたけど、あんなサイズのものは見たことがない。さっきのハエは確かに普通のサイズのものと比べれば大きいかもしれないが、倒せないほどではなかった。
だが今見えているあのハエは明らかにサイズがおかしい。架橋さんよりも、もちろん私よりも圧倒的に大きい。
私は大声で架橋さんに呼びかける。
「倒せるんですかー!?」
「わかんねえよ! でも仕事だからな!」
架橋さんは夢の中に降り立つ。するとそのハエが架橋さんに気づいたようでポップコーンから離れて架橋さんに近づいていく。
「うおっ、近くで見ると余計にキモいな……」
そう言って架橋さんの右手に何かが現れる。そこに現れたのは見るだけでわかるような禍々しい気を放っている刀だった。
「そんなキモい虫はこの妖刀『千朝万夜之魔月』で切り捨ててくれるわ」
「す、凄い……。何か凄い刀なんですか?」
「いや、今考えた」
「……」
架橋さんは自分の思い通りのものを作ることができる。それが武器だろうと何だろうとカケハシが想像できるものであれば創造することができるのだ。
ハエが羽音を大きく響かせながら架橋さんのもとへ向かっていく。よく見るとハエの口が鋭く尖っており、あれに刺されたらひとたまりもないだろう。
「奥義の名前はどうしようかな……。何かをもじった感じがいいんだけど良いのないかな……。うーん」
「架橋さん! 名前とかどうでもいいから!」
「バカやろう! 俺は何でも形から入るタイプなんだよ! 野球をはじめるときにもグローブを磨くオイルをまず買ったんだ!」
「知りませんよ! 前見て! 前!」
架橋さんの目前にもうハエが迫ってきていた。ハエが顔だけを少し反らせている。勢いをより一層つけようとしているのがわかる。あの口で、しかも勢いをつけた状態で刺されてしまったら命の危険が。
でも架橋さんはそんなこと気にもせずにあーでもないこーでもないとどうでもいい奥義名を考えている。奥義って。通常技はないんかい。
「危ない!!!」
「……誰が危ないって?」
一瞬で架橋さんとハエの場所が入れ替わっていた。超能力を使ったわけではない。ハエが架橋さんを殺す勢いで架橋さんを刺しにかかり、架橋さんもまたハエを殺す勢いでハエを斬りにかかっただけだ。
架橋さんもハエも数秒の間、動きを止めていたが再び動き始めたのは架橋さんだった。手に持っていた刀が消えてこちらを向く。
「今のかっこよくなかった?」
「……それを言わなければそこそこかっこよかったです」
ハエの身体が上下で真っ二つに割れはじめる。架橋さんが勝ったのか。一瞬の勝負でまったく見えなかったが、どうやら架橋さんが傷一つ負うことなくハエを斬ったらしい。
「よし、今の技の名前は『朝之太陽』にしよう!」
「何でですか」
もっとかっこいいネーミングはないのか。
「バカやろう。『朝之太陽』ときて最終奥義は『夜之月』になるんだろうが。このかっこよさがわからんかね?」
「全然わかりませんね」
「はー。何で俺のネーミングの良さもわからんやつを助手にしてしまったのか」
「こっちのセリフですよ、それーーは!?」
「……何だ?」
「後ろ見てください! 後ろ!」
「後ろ? ……うおっ!」
上下真っ二つに斬られて死んだはずのハエが、二匹のハエに変化していた。おそらくは斬られた二つの身体がそれぞれ一匹のハエになったのだろう。
「まじかよ、こんなのどうやって倒せばいいんだ?」
架橋さんは完全に動揺していた。そりゃそうだ。おそらくこいつは斬っても斬ってもサイズが小さくなる代わりに数が増えていくのだろう。そんなのノーダメージみたいなものではないか。
「ある程度のサイズまで斬っちまえばハエ叩きでいけるか? いや……」
「危ない!」
ハエがまた架橋さんに襲いかかる。すんでのところで架橋さんは避けるがさっきとは明らかに違うことがあった。
「おい、桔梗! こいつら、さっきより速くなってねえか?」
「なってます!」
「だよなあ……」
ああ、めんどくせえと架橋さんが呟く。
「ちょこまかと。俺はさっさとこの仕事終わらせて寝てえんだよ」
「仕事終わっても寝ちゃいけませんよー?」
「もう今日の業務はこれを片付けたら終わりだ。それ以上力が持ちそうにない」
「……わかりましたよ。お好きにどうぞ」
架橋さんがさっきまでとは違って明らかに力を込め始めたのが側から見てもわかった。はじめからそうしろっての。
「おらぁ!!」
架橋さんの怒気の込もった声とともに巨大な鉄格子の檻が現れた。その鉄格子の檻は二匹のハエを閉じ込める。鉄格子の間隔がハエの大きさより小さいのでハエはそこから出ていくこともできない。
もう息も切れている架橋さんがもう一度力を込めた。
「こんの、くそがぁ!」
架橋さんがその場で倒れるのと同時にその鉄格子の中で火が燃えさかった。ハエは大慌てでその場から離れようとするが鉄格子に阻まれて逃げられない。
仰向けに倒れている架橋さんが静かに呟く。
「さすがに燃えちまえば……数も増えねえだろ……」
そうだ。斬って増えてしまうのなら、斬らなければいい。どんな生命も燃えてしまえば消し炭になるのだ。
「これで……一件落着だな」