002話 ボランティアやってるわけじゃないんだ
3
「今回の依頼って、あのハエを退治することだよな?」
「ええ。そうだと思いますけど」
「……ならいっか」
「……何ですか?」
「いや、何も。さっさと戻ろうぜ」
架橋さんが言うので私たちは元の世界に戻っていく。
「あとは、あの女性が戻ってくるのを待つだけですね」
「ああ。それにしても毎回毎回夢が終わるのを待つのが面倒なんだけど。誰か夢を強制的に終わらせる技術を開発してくんねえかな」
夢は途中では終わらない。なにか不具合がない限り、夢を見終わるまでは夢の擬似体験は終わらない。だから私たちは夢の不具合を治したあと、依頼人の夢が終わるまで待たなければいけないのだ。
人によってはこれが五分程度で終わる人もいれば、五時間経っても帰ってこない人もいる。今回のお客さんはいったいどれくらいかかるのか。暇になったらこの部屋には暇つぶしのアイテムが何もないので架橋さんとしりとりでもして時間を潰さないといけなくなる。それは絶対にイヤだ。
「別にしりとり以外でもやれる遊びはあるでしょ」
「具体的にはなんですか?」
「……よく考えたらお前と遊ぶこと自体ありえなかったわ。俺は周回作業でもするよ。イベントが明日までなんだ」
「こいつ……!」
人と二人っきりでいるのに普通スマホをいじるか? そんな奴は今すぐ自分以外がゴキブリになってしまったあの伝説の夢に閉じ込められてしまえばいいんだ!
とか思っていたら割とあっさりその女性は帰ってきた。私たちがこっちに戻ってきてから二十分ぐらいだろうか。まだ短い方だ。
でもその女性は「不具合が解決した。あーよかった」という感じではなく、むしろ怒りの表情を浮かべていた。
「ちょっと!」
「どうしました? 夢の不具合治りませんでしたか?」
「確かに昼食の虫はいなくなったわよ。でもまた出たの!」
「また?」
「映画館で買ったポップコーンにまた虫が入ってたのよ!」
「……え?」
私は架橋さんの方を見る。架橋さんはいつもと同じように気怠げな表情を浮かべていた。私の視線に気づいたようで弁明を始める。
「だってあのハエをなくせっていう仕事だろ? それ以外は知ったこっちゃない」
「架橋さん、知ってたんですか?」
回る椅子でクルクル回っていた架橋さんは立ち上がって依頼人の女性に言った。
「知ってたよ。だってヤバイ感じがしたもん。でもそれを責められるのはお門違いだぜ? 俺はちゃんとやるべき仕事はやった。もしこれ以上俺に働けって言うんならちゃんと金をよこせ。こっちもボランティアやってるわけじゃないんだ」
「そんな言い方……!」
「……わかりました。払います。私の夢のためですから」
「夢のため、ねえ……」
まだうだうだ言うので架橋さんを睨む。
架橋さんは私の視線に気づいたあとに、元の位置に戻った。
「ウチのものが失礼な言い方をして申し訳ありません。あとできつく言っておきますので」
「何で年下に怒られなきゃいけないんだ」
私は架橋さんの態度の悪さはもう無視して依頼人との話に戻る。
「ではもう一度依頼内容を確認させていただきます。依頼内容は、お客様の夢の不具合をすべて修正するということでよろしいでしょうか?」
「はい」
「不具合の質や量などによって料金が変化します。不具合が多ければその分だけの料金をいただくことになりますがよろしいでしょうか?」
「問題ありません」
「わかりました。今の会話も録音してありますのでご注意ください。それでは仕事にあたりますので準備をお願いします」
そう言って私は彼女にドリームシェアの機体を渡した。彼女は少し思案してから頭にそれをつけてやがて動かなくなった。
私は架橋さんの方へ向き直る。
「何ですか? さっきの態度は」
「別にいいだろ。俺が思ったことを言っただけだ」
「それにしたって言い方ってもんがあるでしょうに」
「知らねえよ。俺は別に誰に嫌われようがどうでもいいんだ」
そうだ。この男は他人に好かれようが嫌われようがどうでもいいとしか思わないのだ。架橋 桜架には他人の気持ちを考える力が圧倒的に欠如していた。何かの病気というわけではない。ただそういう性質なのだ。
「とにかく、あなたは依頼人との会話に口を出さないでください。そのために私がいるんですから」
「へいへい。わかりましたよ」
本当にわかっているんだか。
と思ったら案の定、わかっていなかった。
「でもさ、お前よく考えてみろよ? さっきの依頼人だってどうせあの夢を高値で売り捌くようなやつだぜ? 別にそれが悪いとは言わないが、どうも好きになれない」
「好きになれないとしても仕事は仕事です。だーだー言ってないでやりなさい」
へいへい、と返事してまた扉を作る。何度見ても意味のわからない光景だ。頭がバグりそうになる。なにもなかったその場所に突然光を放つ扉が現れる。
そしてその中に入ると。
「…………うお」
身体が空気に包まれるようになって浮遊感に襲われる。もし宇宙に行けばこんな感じだろうか? 行ったことがないし、行く予定もないのでわからないけど。
私たちがいる真っ暗な空間とは別の空間で依頼主の夢が形成されている。女性が有名俳優とデートをする夢。今は映画館に向かっているところだった。
「確かポップコーンの中にまた虫が入ってるんでしたっけ?」
「…………」
「架橋さん?」
「…………」
架橋さんがいつまで経っても私の言葉に反応してくれないので私は夢の方を確認する。
「!?」
信じられない光景が目の前に広がっていた。
彼女のもとに手渡されたポップコーン。
その中にさっき退治したハエの十倍はあるハエがいた。人間のサイズよりはるかに大きなそのハエはさっきのものと比べて何十倍も不気味だった。
「だからイヤだったんだ。この客にこれ以上関わるのは」