手洗いに命を賭けた男、センメルヴェイス・イグナーツ
「手を洗えば人の命を救えるのだ」
生涯を賭けて手洗いの大切さを訴えた男がいる。
その名は、センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ。
1818年産まれのドイツ系ハンガリー人の医師だ。
今でこそ、うがい、手洗いが病気の感染を防ぐというのが常識となっているが、その手洗いの必要性を必死になって訴えたのが彼、センメルヴェイスだ。
「なんだこれは!?」
ウィーン総合病院に勤めるセンメルヴェイスは驚愕の声を上げる。
ウィーン総合病院、そこにある二つの産科。第一産科と第二産科での産婦の死亡率に、異常な開きがあることを、センメルヴェイスは発見した。
産婦の主な死亡の病名は産褥熱。
第一産科では死亡率が10%。
しかし第二産科では死亡率が4%未満だった。
「薬も治療法も環境も大きな違いは無い筈、それが何故、これほど違いが出る?」
第一産科の死亡率は噂としても広まり、中には第一産科で産むよりは、自分の家の方がマシと言う人も現れる。
センメルヴェイスは困惑する。
「まさか、病院の方が街中よりも産褥熱になりやすいというのか?」
センメルヴェイスは第一産科の死亡率を改善するために、調査と研究を行った。
第一産科と第二産科の違いは何か?
この二つの産科の違いとは、働いている人間が違うというものだった。
第一産科は医学生の教育のための医院であり、第二産科では選ばれた専門の産科医だけが勤務していた。
学生とプロの産科医の違いか? しかし、センメルヴェイスが調査しても、医師の診察も治療も大きな違いは無い。
観察する中でセンメルヴェイスはひとつの仮説に辿り着いた。
医師を目指す学生と産科医の違い。学生が勉強の為に死体を解剖したりなどする。そのまま妊婦の診察や治療などを行う。
「もしや、死体に人を産褥熱にする何かがあり、その死体に触れた者が妊婦に触れることで、産褥熱になるのではないか? 第二産科で働く者は解剖室に用は無く、死体に触れてはいない。死体に触れるのは、第一産科の学生だ」
センメルヴェイスはこの『手についた微粒子』『死体粒子』が産褥熱を起こすという仮説を立てる。
「ならばその謎の粒子を妊婦に近づけさせねば、産褥熱は防げる!」
センメルヴェイスは訴えた。解剖で死体を触ったら手を洗おう、と。これで妊婦が救えると。
しかし、
「え? いちいち手を洗うなんてめんどうな」
「それに産褥熱は腸の病気が原因だろう」
「手を洗ったくらいで病気にならないとか、そんなバカな」
当時、1847年、病原菌はまだ発見されてはいない。センメルヴェイスの仮説を実証する『死体粒子』は、その存在が確認されていない。
しかし、観察から『死体粒子』の存在を確信したセンメルヴェイスは、第一産科で強引に手洗いを進める。
「手を洗わない者は病室に入れさせん!」
扉の前に立ち塞がり、学生たちに手洗いを強制した。学生達は首を傾げ、不承不承に手を洗うことにする。
その結果はすぐに現れた。
1847年4月、このときの第一産科の死亡率は18.3%。
センメルヴェイスが強引に手洗いを進めたのが5月半ば。
6月には第一産科の死亡率は2.2%に減少。
7月には1.2%と産婦の死亡率は激減した。
「やはり、死体についている『何か』が産褥熱の原因なのだ。死体に触れた手を洗うことで、その『何か』を洗い落とせば産褥熱は防げる。妊婦の命を救うことができる」
センメルヴェイスは己の説の確信を強めた。
そして、手洗いによる消毒が産褥熱を防げると発表する。
しかし、その理論はあまりにも革新的過ぎて、当時の医学界には受け入れられなかった。
「医者が病気を移すだと? ふざけるな!」
「医者とは高貴で綺麗なのだ! それを穢れていると言うのか? 貴様、何様だ! この狂人め!」
「医者が病気を移すというなら、医者は自殺しなければならんな!」
「根拠の無い妄想で、医学を語るな!」
センメルヴェイスは医学界から批判された。当時、医者とは高貴な者であり、それを汚れているように言うセンメルヴェイスの『死体粒子』論は、大きな反発を呼んだ。
それでもセンメルヴェイスは必死に自説を訴えた。一人でも多くの妊婦を救おうと。
次亜塩素酸カルシウムで手を消毒することで、劇的に産婦の死亡率を下げることが出来るという発見を、強く訴えた。
「手を洗えば、人の命は救えるのだ! 何故、それがわからない!?」
当時の研究では、センメルヴェイスの言う『死体粒子』が発見できなかった。それでもセンメルヴェイスは、手洗いを実践することで死亡率を下げられることを主張した。
しかし、医学界からは無視され、否定され、ときには根拠の無い狂信に囚われた狂人と嘲笑された。
センメルヴェイスの批判者たちは、自分達のことを実証主義の科学者だと自認していたが、『死体粒子が人間を死体に変える』という部分を非科学的な妄想だと嘲笑った。
センメルヴェイスの理論は否定され続け、センメルヴェイスは病院を追われ、ウィーンの医学界からも追放されて、故郷のブダペストに帰ることになる。
「手を洗えば、手さえ洗えば、救える命があるというのに……」
センメルヴェイスは分からず屋の医学界に怒りを向け、ヨーロッパ中の主要な産科医たちに、
「この無責任な殺人鬼め!」
と、非難する怒りの手紙を出した。自身の理論を否定され続けたセンメルヴェイスは、深刻な鬱状態となる。
1865年、センメルヴェイスは精神病院に入院。そのわずか14日後、敗血症で死亡した。
生涯を賭けて、手洗いでの消毒を訴えた男が、精神病院内での怪我がもとで感染症にかかり死んだ。
人の命を救おうとした男の、あまりにも皮肉な最後。
センメルヴェイスの理論の正しさが認められたのは、彼の死後、ジョセフ・リスターが消毒法を確立してからのことになる。
細菌、病原菌、ウィルスが発見され、今ではセンメルヴェイスの理論は、世界で広く認められている。
病気の予防に、うがい、手洗いが効果があるというのが常識となった。
1800年代には狂人の妄想と呼ばれたセンメルヴェイスの消毒法が、200年後、常識へと変化した。手を洗えば感染を防ぐことができると。
通説に反する新たな知識に触れた人間が、それを反射的に拒絶し理解を拒む現象は、センメルヴェイス反射と呼ばれるようになる。
これは、自らの説が同時代人によって嘲笑の的になり、否定され拒絶され続けた、センメルヴェイスの名をとった用語である。
あなたが病気の予防の為に手を洗うとき、思い出して欲しい。
その手洗いの大切さを、生涯を賭けて訴えた男の名を。
『院内感染予防の発見者』
『妊婦の救い主』
『消毒の父』
その男の名は、
センメルヴェイス・イグナーツ
医学界全てを敵に回しても、産婦を救おうとした、
偉大なる医師の名だ。