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カトラリー 1

 手持ち式お尻洗い洗浄器の完成によってようやくトイレの時間が憂鬱ではなくなった私だったが、相変わらずこの中世っぽい異世界の生活には慣れることができない。下着が存在しないという致命的な問題もあるものの、差し当たって不快なのはそちらではない。

 それは食事の時間である。

 この世界では食事は一日に二度しか食べない。

 日が昇ってある程度時間が過ぎてから一食、日が沈む前くらいにもう一食の二回だ。その間にもお茶の時間などに軽食のようなものを挟むので、お腹が減るということはないのだが、問題はその回数ではなく、すべて手づかみというところだ。

 つまりフォークやスプーンと言ったカトラリーが存在していないのだ。どんなものでも手で掴んで食べ、フィンガーボールで手を洗って、テーブルクロスで拭う。おいおい、ノーラにお尻を洗ってもらってた私はまだいいけど、お父様やお母様はうんこを直接拭いた手でご飯を食べていることになる。まだ右手左手で使い分けしているインドのほうがマシである。

 私自身は石鹸で――こいつが臭い上に柔らかい――手をしっかり洗ってから食事に望んでいたが、手についた臭いや、周りの状況を見ているだけで食欲も失せるというものだ。ラバのところに手持ち式お尻洗浄器を受け取りに行ったときの私が憔悴しきっていたのも、これが原因だったりする。

 給仕をしている侍女にしたって、うんこをその手で拭いて、水で洗っただけの手で仕事をやっているはずだと思うと、さらに食欲ダウンである。手持ち式お尻洗浄器の城内への普及と、設置型のお尻洗浄器の開発は急務と言えた。

 もちろんただ手をこまねいているつもりはない。これまではお尻洗浄器にかかりきりだったが、今日からはカトラリーの開発に取り組むつもりだ。


「お城には鍛冶職人も居たはずよね?」


「ええ、いますが、今度はなんですか?」


「手づかみで食事をしないようにしたいの」


「ひょっとしてお嬢様は手を使うのがお嫌いなのですか?」


「そういうわけではないけれど、いえ、いいわ。そういうことにしておいて」


「はあ、まあ、よろしいですけれど」


 首を傾げながらもノーラは鍛冶職人のところに案内してくれる。

 大工のときとは違い、鍛冶場は城から一度出て庭を歩き、裏手の城壁のそばにあった。近づいただけで、トンテンカンと金属を叩く物音が聞こえてくる。ノーラは扉を強く叩き、大きな声で中に呼びかける。

 しばらくそうしていると、扉が開き、煤で顔と服の薄汚れた男が現れた。


「なにか用ですかい?」


 男はじろりと私たち一行を睨めつける。


「手が空いているときでいいから、作って欲しいものがあるの」


 ラバたちと接したことで、こういう薄汚れた無骨な男にも少しは慣れた。私は虚勢を張って、男に要求を伝える。


「ラバたちの次は俺たちですかい。いったい何を作ればいいんで?」


「金属製の食事に使う道具を作って欲しいの。具体的にはこれくらいのサイズのナイフと、先が三叉に分かれた突き刺す道具に、スープなんかを掬う先が丸くくぼんだものよ」


「他の二つはともかく、ナイフは危ないんでないですかね?」


「先は尖って無くていいし、切れ味もよくなくていい。そのかわりギザギザをつけて、引いたり押したりすればなんとかお肉とかが切れるようにして欲しいの」


「そらまた難儀な注文ですこって」


「できないの?」


「そりゃできますがね。材料はなんですか? 鉛ですか?」


「とんでもない! 銀か銅にして」


 鉛中毒の恐ろしさはこの世界では知られていないのだろうか?

 私はゾッと背筋に冷たいものが滑り落ちるような感覚に陥った。


「もしかしてこの城で使われている鍋やフライパンにも鉛は使われてるの?」


「そりゃ使ってますよ」


「ダメ! それはダメよ。全部、銅製に入れ替えて!」


「そう言われましてもなあ。お嬢さんの一存で俺らが勝手にはできやしませんぜ。旦那か、せめて奥さんの許可がないと」


「分かったわ。すぐに取り付けてくる! 私の注文のことはいったん忘れて!」


「あんまり期待しないで待ってますよ」


 そう言って男は扉の向こうに姿を消す。私は駆け足になりそうなのを必死に抑えながら、早歩きで城内に戻った。


「お嬢様、鉛の鍋がそんなにいけないのですか?」


「鉛には毒があるわ。それも強い毒が」


「鉛の鉱山で働く者に体調を崩す者が多いというのは聞きますけれど、現に鉛の鍋で調理したものを食べている私たちは平気ではないですか?」


「鉛の毒は溜まっていくのよ。知らない内に毒されているんだわ」


「はあ。失礼ながらお嬢様はどこでそのような知識を得られたのですか?」


「それは――」


 私は四六時中ノーラと一緒にいる。そりゃ寝ているときまでは一緒じゃないし、ノーラにだって休みの日はあるけれど、それでも大抵は一緒にいる。私が知っていることをノーラが知らないのはおかしい。つまりこの知識は茉莉花の知識で、フランソワーズの知識じゃない。鉛の毒性について私が知っているのはおかしなことなのだ。

 しかしそうだとしても私自身や、家族、ノーラたちが鉛中毒の危険に晒されていると知って放っておくなんてことはできない。

 いい言い訳など思いつかなかった。そこで私は子どもらしい癇癪を爆発させることにした。


「どうでもいいでしょ! とにかく鉛は毒なの! 鍋や食器に使うのはダメだし、直接食べたり、肌に塗ったりするのもダメ! とにかくダメなの!」


「そう申されましても……」


「とにかくお父様かお母様に話さなきゃ!」


 お尻洗浄器のように快か不快かという問題ではない。これは命に直結した問題で、決してそのままにはしておけない。私は鼻息も荒く、お父様の執務室に乗り込んだ。


「お父様!」


「おお、どうしたんだい、私の可愛いフラン」


 お父様もお母様と同じで金髪碧眼で、イケメンの好青年と言った感じだ。雰囲気がよく似ている。というのもこの二人、遠縁とは言え親戚らしいのだ。血の濃さとか大丈夫? と不安になるが、おそらくこの世界、この時代では珍しいことではないのだろう。


「城中の鍋やフライパン、食器などから鉛の使われたものをすべて無くして欲しいのです」


「それはまた急な話だね。フランがどうしてそうしたいのか聞いてもいいかい?」


「鉛は毒です。すぐには分かりませんが、時間が経てば徐々に体を蝕んでいきます。鉱山でも鉱夫が体調を崩すのでしょう?」


「うーん、フランは鉛が嫌いなのかい?」


「ええ、はい、鉛の鍋で調理されたのであれば、もう何も食べたくありません」


「そうか、うーん、鉛の代わりに何を使えばいいんだい?」


「銅ではいけませんか?」


「いけなくはないけれど、値段が違う。城中の鉛製品を銅に入れ替えるとなると結構な出費だ」


「私の作ったアレの収入では足りませんか?」


「ああ、アレは面白い道具だね。庶民に普及するかは分からないけれど、僕たちは面白いと思っているよ。でもアレの利益はフランのお小遣いにしていいんだよ?」


「全額家に入れて構いません。鉛製品をどうにかしてください。お願いします」


「ふーむ、フランがそこまで言うのならいいよ。分かった。鉛が有毒なんじゃないかという話は無いわけではないんだ。だけど鉛はいろいろ便利だからね。こういう機会でもないと使わなくはならないだろうしね」


「ありがとうございます。お父様! さっそく鍛冶師のところに行ってまいります」


「フランがあんなところに行くことはないよ。僕の方から人をやらせよう。アナ、行ってくれるかい?」


「分かりました。旦那様」


 部屋の隅で控えていたお父様付きの侍女がすっと部屋を出ていく。

 城の中から鉛製品が一掃されるのには少しばかりの時間がかかった。鍋、フライパンだけではなく、コップや、食器、はては白粉にまで鉛が使われていたのだ。おっそろしいな、中世。いや、異世界だし、中世とは違うんだろうけど。

 そうしてようやく私はカトラリーの制作を鍛冶師に依頼できる環境ができあがったのである。

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