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トイレ 4

 二日後、憔悴しきった私はノーラや、レオニー、ナワール――彼女も私付きの侍女だ――とラバのところを訪れた。


「お疲れのようですが、大丈夫ですかい?」


「大丈夫かどうかは筒の出来しだいよ」


「へぇ、噴き出し口の大きさ違いでいくつか作ってみました。ところでお嬢さん、これは水をいっぱいに入れると穴をある程度大きくしないと全然押せないんですがね。水をいっぱいに入れてもなんとか押せる穴の大きさがこちらで、水を半分くらいにしとくと押せるのがこちらになりまさ」


「ふぅん、そうなの?」


 まずは水をいっぱいに入れてもなんとかなるという筒を受け取る。準備のいいことに水桶と手桶が用意されていたので、そこから水を汲んで筒に流し込んだ。すると穴が大きいのか、入れた水があっという間に流れていってしまう。筒を傾けてなんとか水を入れて押し出し棒を押し込んだが、水は噴水になるというよりは流れ出すだけだった。


「これはダメね」


 もうひとつの方を受け取って、言われたとおりに水を半分くらいだけ入れる。小さな穴からはちょろちょろと水が漏れるが、押し出し棒を当てると止まった。ぎゅっと押し込むと、しゃああと水が噴き出す。少々勢いが弱いかなと思ったが、強く押し込むとなんとか望み程度の勢いになった。ただ水量がどうしても少ない。あっという間に無くなってしまう。

 だが最低限の機能はちゃんと備えている。試作1号としては十分な出来だ。


「すごいわ。ラバ。私の作ってほしかったものはこれよ」


「へぇ、そう言っていただけると作った甲斐がありますでさ」


 ラバも褒められて嬉しそうだし、私も望みのものが手に入って嬉しい。水を入れては、ぴゅーって押し出してを繰り返していると、シドが本当に何の気なしに呟いた。


「子どものおもちゃじゃねぇか」


 私の耳に届くとは思っていなかったのだろう。けれど黙ってはいられなかった。私はこれが手に入って本当に嬉しかったのだ。ラバがなにも聞かずに作ってくれて、本当に嬉しかったのだ。


「このおバカ! これはすごいのよ! 世界を変える可能性のあるものだわ!」


「そんな出来損ないの如雨露(じょうろ)みたいなんで、なにが変わるってんですか?」


「今は言えないわ。でもすぐにたくさん作ることになるんだから! 本当だから!」


「言わなきゃ分かんねぇよ」


「この馬鹿モンが! すみません。お嬢さん。こいつには厳しく言ってきかせますんで」


「いいわよ。ラバが言うなら許したげる。本当にありがとう。ラバ。また相談に乗ってくれる?」


「もちろんでさ。思いついた改良点とかもあるんで、もう2、3本作ってみます。また顔を出してくだせえ」


「うん!」


 私は試作1号を胸に抱え、スキップしながら部屋に戻った。さあ、来いよ、便意。今ならお前なんて怖くないぞ。ノーラたちに見られずに、というわけには行かないだろうけれど、少なくとも手を煩わせなくて良くなるはずだ。

 だけどそんな風にいざ待ち構えると意外と便意というのは来ないものだ。うんこがやってくるのをずっと待ち続けるなんて建設的じゃないので、私はお勉強をして時間を潰すことにした。

 この世界についてもっと学ばなければならない。すぐに話すことになるだろうが、この世界の問題点はトイレだけじゃない。パンツが無いこともどうにかしたいしな! ちなみに下着を履く習慣は無いのかと聞いたところ、すぐにおトイレできないじゃないですか、と返事が返ってきた。どんだけものぐさなんだよ! せめて履くか履かないかの選択肢をくれ! 私は断然履きたい派だ。

 お勉強は一般常識に始まり、魔術の基礎にまで及ぶ。

 魔術というのが四属性を操る技術であるということはフランソワーズも知っていた。だがその具体的な手段についてはまったくの無知だ。ノーラの話によると、頭の中のイメージを固めて、なんか体の中の魔力をどーんと使えば、ばーんと発動するとか、そんな簡単なものではないらしい。

 具体的な技術についてはいずれ学校で学ぶということなので、今は先入観などを与えないように、本当の基礎の基礎を学ぶだけだ。自然界にあるマナについて、そして体内にあるオドについて、それらを感知する才能を持つ者だけが魔術師を名乗れる。だからノーラは魔術が使えるが、魔術師ではない。私にもどうやら才能が無いらしい。

 だが魔術を使うのにそれらを感知する才能は必要ない。火が上に登ろうとするように、水が低いところに流れようとするように、法則性を理解していれば、後は技術の問題なのだという。

 はー、なんだかよく分からないけど、魔術が使えなければ生活に困るということはない。私自身が魔術を使えなくとも、魔術を使える人を雇えばいいからだ。実際、私の周りにいる乳母や侍女たちはみんな魔術が使える。私の護衛を兼ねているからだ。だから私が魔術を使う必要に迫られることはまず無い。彼女たちに頼めばいい。

 私はこの人生で頑張るつもりは毛頭ないから、魔術のお勉強に本腰を入れるつもりはない。ただ魔術でどんなことができるかをある程度は知っておかなければ、彼女たちに頼むこともできないし、社交の場で恥をかくこともあるかもしれない。楽をするための先行投資を惜しむつもりはなかった。

 そうやってお勉強をしているうちに、ついに来るべきものが来た。

 具体的に言うと、うんこがしたくなった。


「おトイレに行くわ」


 私は高らかに宣言する。ノーラたちももう慣れたもので、レオニーとナワールがおまるを抱えた。私たちはトイレに移動する。

 トイレの中におまるを設置してもらって、いざ排便!

 今日も健康的なうんこが出て満足だ。

 そしてついに試作1号の出番がやってきた。

 筒から押し出し棒を引き出して、手桶から水を半分くらいまで注ぐ。そして押し出し棒をセット。股の間に差し入れて、押し出し棒をぐっと押し込む。臀部に吹き出した水が当たり、私は位置を微調整しながらお尻の穴の周辺に小さな噴水を当てる。

 一回では心もとなかったので、もう一度水を入れて押し出し棒をぎゅうう!

 一種の高揚感すら味わいながら、私はお尻から水を滴らせた。


「できたわ!」


「確認をさせていただきます」


 ノーラはそう言って、有無を言わさず私のお尻の下に手を差し入れる。私がふぎゃあと悲鳴を上げるのも構わず、お尻をぐりぐりと弄って、その手を確認する。


「確かに洗えているようですね」


 そう言って手桶の水を使ってその手を洗うと、ハンカチで拭いた。


「どうよ!」


「確かに便利な道具のようです。私の役割がひとつ減って寂しい感じもしますが、使ってみたくもありますね」


「改良ができたらこの試作1号はノーラにあげるわ!」


「それもよろしいですが、旦那様や奥様に見せてみてはどうでしょう?」


「それもそうか」


 いずれ設置型の洗浄機も導入したい。であればこの城の実権を握っている私の両親に許可をもらわなければならないだろう。そうなるとまずは洗浄器の良さを知ってもらわなければならない。


「まずはお母様からかな?」


「それがよろしいかと」


 いきなりお父様にシモの話をするのは抵抗があるし、お父様に説明するときにお母様の援護射撃があるほうがいい。

 私は三人を連れて城の中をお母様を探して歩き出した。洗浄器はノーラが持ち、レオニーとナワールはすぐに実演ができるように水を入れた手桶を持ってきている。

 通りすがりの侍女などに聞いてみると、お母様はサロンで来客の対応をしているようだ。来客が帰るまで待ったほうがいいだろうかとも思ったが、お母様は忙しい。少なくとも私から話があるということだけでも伝えておいたほうがいいだろう。

 サロンの戸を叩き、中に入る。

 そこにはお母様と見知らぬ年配の男性がいて、なにやら話をしている。

 お母様、オーレリア・デ・ラ・ジラルディエールは緩やかなウェーブを描いたブロンドの髪に深い青色の瞳を持つ美しい女性だ。この世界の貴族としては一般的な年齢で結婚し、すぐに私を生んだから、まだ20代の始めのほう。前世の私よりもずっと若い。実際、少女と呼んでも差し支えないような見た目をしている。私と並べば少し年の離れた姉妹のようにだって見えるだろう。

 もうひとりは小太りの40歳前後に見える男性だ。濃い茶色の髪色に、ブラウンの瞳、温和そうな顔をしている。着ている衣服は上等で、貴族か、そうでなくとも金持ちに見えた。


「あら、フラン、どうしたの?」


「お邪魔してごめんなさい。お母様、少しでいいので聞いて欲しい話があるの」


 お母様は少し驚いたような顔をしたが、男性のほうにちらりと視線を向けた。その時にはすでに男性は席を立ち、私に向かって深くお辞儀をしていた。


「マクレム商会の会頭をしております、マクレムと申します。以後お見知りおきを」


「フランソワーズです。お母様の娘です」


 ぺこりと私もお辞儀を返す。そうするとマクレム氏は相好を崩した。


「礼儀正しくて可愛らしい、良いお嬢様ですね。オーレリア様が羨ましい」


「いえ、お客様とのお話を邪魔するような娘でごめんなさい。フラン、後では駄目なの?」


 もちろん後でも一向に構わない。スケジュールの詰まっているお母様に、少し予定を調整してもらおうというつもりでやってきたのだ。しかしニコニコと笑みを深めたマクレム氏が機先を制した。


「まあ、良いではないですか。フランソワーズ様、そのお話は私が聞いてもよろしいのでしょうか?」


 良いか悪いかで言うとあんまり良くはない。まだ男性に対して洗浄器の話をしたことはなく、見知らぬ男性に私のシモの話を聞かれたくはない。しかしどうせお父様にも話さなければならない。マクレム氏の好意で時間をもらえるならもらっておこう。


「うん。話していい?」


「しょうがないわねぇ。マクレムさん、あんまり娘を甘やかさないでくださいね」


「ははは、いいではありませんか。子どもは甘やかすくらいでちょうどいいんですよ」


 マクレム氏はよい考えをお持ちのようだ。ぜひともお母様にもその教えを伝えてもらいたいものである。

 私はノーラに振り返って、試作1号を受け取る。


「これなの」


「?」


「ふむ」


 お母様は首を傾げ、マクレム氏は興味深そうに洗浄器の試作1号を見ている。押し出し棒を引き抜き、レオニーに水を入れてもらう。そして押し出し棒を押し込んで、水を噴き出させた。もちろん絨毯が濡れないように手桶に向けて、だ。


「小さな噴水ね」


「手押し如雨露(じょうろ)とも言えますね。フランソワーズ様、これは何に使うものなのですか?」


 マクレム氏が核心をついた。


「え、っとね。おトイレの後、これでお尻を洗うの」


「まあ!」


「ほう」


 お母様が驚いた声を上げ、マクレム氏は笑みを消し考え込んだ。


「申し訳ありません。マクレムさん。娘がとんだ話を」


「いえ、オーレリア様、これは便利ですよ。トイレの後に手を洗わなくていいということです。水がある程度用意されていることが必要ですが、この発想は面白い。フランソワーズ様、これはどこで手に入れられました?」


「私がラバに言って作ってもらったの」


「ラバというのは?」


「城に勤める大工にございます」


 マクレム氏の問いにノーラが答えた。


「ということはそのラバさんの発案ですか?」


「いえ、これはフランソワーズ様のお考えです」


「ほう……」


 マクレム氏が目を細めて私を見る。さっきまでの人のいいおじさんという雰囲気ではない。そこにいるのは切れ者の商会の会頭だった。


「少しお借りしても?」


「はい、どうぞ」


 私はマクレム氏に試作1号を渡す。彼もレオニーに水を入れてもらい、洗浄器から小さな噴水を作り出す。


「これを股の間に、ううむ、男だとちょっと使いづらそうですな。それに持ち手も改良の余地がありそうだ」


「今ラバに改良してもらってるの。それは最初のだから」


「非常に興味深いです。フランソワーズ様。これに名前はあるのですか?」


「それはまだ考えてないの」


「なるほど。ふむ。オーレリア様、フランソワーズ様の考えたこの道具の販売権を私にいただけないでしょうか? 利益に応じた権利料のお支払いを考えております」


「そんな道具にですか?」


「ええ、この道具にです。利益の20%ではどうでしょう?」


「そうですね……」


「50%!」


 お母様がマクレム氏の提案をそのまま受け入れそうに見えたので、私は思わず声を上げた。


「フランソワーズ?」


「売り上げの20%じゃなくて利益の、でしょ。それじゃ少なすぎるわ!」


「これは手厳しい。実際に販売するのは私どもなのですけれど。30%では駄目でしょうか?」


「考えたのは私よ。私がイヤと言えばマクレムさんはそれを売ることができないんでしょ」


「それを言われると辛いところです。ですが模倣品が出回るかも知れませんよ?」


「それは私のアイデアを盗むってこと?」


「ジラルディエール家に私の販売権を保護していただけると言うことでしたら、40%お支払いいたします」


 むむむ、これ以上は私の一存で交渉を続けることは難しそうだ。お母様に視線を向けると、流石にこれが子どものおもちゃを巡る交渉ではないということに気付いたのだろう。お母様は難しい顔をして言った。


「販売権の保護となると私たちにとっても手間がかかることになりますわ。その分の手間賃は別途いただけるのですわよね?」


「……分かりました。手間賃込みで50%です。まさかここから引き上げようとはされませんよね?」


 マクレム氏が尋ねたのはお母様ではなく私だった。


「50%なら計算も楽でいいじゃない」


「改良されたものができたらまた見せてください。その時に大工のラバさんにお目通しいただけたらと思います」


「分かったわ」


 私は満足してマクレム氏から試作1号を返してもらい、優雅に一礼して部屋を出ていった。


 この後、ラバの手によって改良された手持ち式お尻洗浄器は、大ヒット商品となり、マクレム商会も、ジラルディエール家も潤うことになるのだが、その商品名がフランソワーズとなり、私がうんこ洗い姫と陰で呼ばれるようになったことは納得がいかない。

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