トイレ 3
ナザが部屋を出ていってから、私は水鉄砲が存在しなかった場合のことを考えた。
ポンプで水タンクに空気を送り込み、圧力をかけて水を噴射するような構造は、制作が難しいだろう。棒かなにかで直接水に圧力をかけ、押し出す構造なら簡単に作れそうな気がする。つまりは注射器のようなものだ。
しかしフランソワーズの記憶に注射器はない。よって注射器をこの世界の言語に置き換えられない。だが血管に突き刺す中空になった針は作るのが難しくとも、それ以外の部分は十分に作れる気がする。大きさももっと大きくしても構わないのだ。
より簡単にその構造の道具を作るなら、材料には竹を使えばいいのではないだろうか。しかしフランソワーズは竹を知らない。この世界のこの地方に竹が生えているとも限らない。
「ノーラ、中が空洞になった植物ってある?」
「中が空洞と言うと麦わらでしょうか」
「もっと、もーっと大きいの。周りは固くて、中身は空っぽがいい」
「ちょっと分かりかねますね」
ノーラの反応を見る限り、ここらでは竹の存在自体が知られていないと見るべきかも知れない。竹があれば話が早いと思ったのだが、まあ大した問題ではない。木工細工の技術はそこそこあるようだし、職人に頼めば木を掘って望みの物を作ってくれそうだ。
「確かお城には大工さんがいたよね?」
「はい。何人かおりますが、彼らがどうかしましたか?」
「セドリック次第なんだけど、ちょっと作って欲しいものがあるの」
「どんなものなのでしょう?」
「えっとね、こう細長くって、中が空洞になってて、片方は大きな穴が、片方には小さな穴が空いてるの。で、中に水を入れて、大きな穴の方から、穴にぴったりの棒を差し込んでいけば、もう片方の穴から水がぴゅーってするでしょ?」
子どもの手振り身振りの混じった拙い説明をノーラは我慢強く聞いてくれた。
「なるほど。おっしゃりたいことは理解できます。片側から水を押し付けて、小さな穴から噴き出させるわけですね。それでお尻を洗うのですか?」
「そう! 水をぴゅーっとすれば、うんちも流れるでしょ!」
「確かにそうかも知れませんが、手間ではありませんか?」
「手で拭うよりいいからいいの!」
ノーラは首を傾げていたが、その有用性はとりあえずは私が分かっていればそれでいい。できれば大工に渡す用の図面を引いておきたかったが、この部屋には紙が用意されていなかった。紙とは本を作ったり、大人が大事な手紙をやり取りする時にだけ使われるものだ。子どものお遊びに使っていいものではない。
とりあえずナザの帰りを待つ間、私は自分の頭の中で、持ち運び式洗浄器の構造を作り上げていった。
押し出し棒を引くことで洗浄器の先端部から水を吸い上げるのは現実的ではないだろう。真空状態ができるほどぴったりには作れないに違いないからだ。となると水の補給は、押し出し棒を引っこ抜いて注ぎ込むことになる。完全な円筒形だと注ぐのに苦労しそうだから、注ぎ口は漏斗状にするのがいいかも知れない。
また水の噴出孔は先端ではなく、少し手前の横側につけなければならない。空き缶の横っ腹に穴を開けるのを想像してもらえればいいだろう。股の間に差し込んで使う関係上、先端からまっすぐに水が噴き出すのでは使いにくくて仕方ないからだ。
押し出し棒の先端部には布を巻くなりして密閉度を高めるのもいいかもしれない。木と木が直接擦れ合うと摩耗も激しいだろう。
あとは実際に作ってみて、動作を見ながら改良していきたい。
と、私が一息つきたいなと思ったところでナザが戻ってくる。
「申し訳ありません。お嬢様。セドリックも心当たりが無いようです」
ナザがひとりで帰ってきた時点でその答えは想像できた。心当たりがあるならばセドリックが来て説明してくれるだろうからだ。
「分かったわ。大工のところに案内して」
「ものについてはお聞きしましたので、私が伝えて作らせることもできますが?」
「ちゃんとお話したいの!」
伝言ゲームで想像しているのと違うものが出来上がってきてはたまらない。次の便意がいつやってくるとも限らないのだ。それまでに試作1号くらいは完成させておきたい。私は切羽詰まっているのだ。
なんとかノーラたちを説き伏せて、私は3人を引き連れて城の大工のところに向かった。
フランソワーズの記憶を探ってみると、驚くほど城のことを知らない。大工のところには当然行ったことが無かったし、それ以外にも城の地図を思い浮かべようとすると、ほとんどが空白だ。
大工のいる区画は城の1階の奥の方で、各種資材置き場になっていた。うす暗く、埃っぽく、見た目にも汚い。立ち入るのにちょっと躊躇した私を見て、ノーラが帰りましょうか? と声をかけた。
「行くわ」
ちょっと声が震えた。
資材置き場のさらに奥、部屋の隅っこに大工たちはいた。3人の薄汚れた男たち。ノーラたちが平然としていなければ、浮浪者かなにかが迷い込んだのだと思っただろう。男たちは木箱に腰掛け、木で出来たジョッキでなにかを飲んでいた。ちらりと赤紫色の液体が見えたので、ワインかもしれない。
彼らは私たちの存在に気付くと、ジョッキの中身を飲み干してから立ち上がった。
「こんなところに何の用でしょう? お嬢さんたちがいらっしゃるような場所ではありませんぜ」
「手が空いているなら作って欲しいものがあるの」
なんとか声は震えなかった。
正直に言って、この大工たちと向き合うのは怖いし、気持ち悪いし、臭い。城にいるのだからもっと身なりに気を使った者たちだとばかり思っていた。本当はもう逃げ出したいが、目的を達成しなければ私はまたノーラにお尻を拭かれることになってしまう。
いや、ちょっと待てよ。ひょっとしなくてもこれからこの男たちは私のシモの話をしなければならないのか?
振り絞った勇気がたちまち萎んでいく。それならまだノーラにお尻を拭かれるほうがマシだという気さえしてきた。
「そりゃまあ、お嬢さんの頼みとあれば聞かないわけにはいきゃしませんが」
とは言ってもここまで来てはもう後には引けない。私は使用目的をぼかしつつ、水鉄砲の亜種のようなその道具について大工たちに説明した。最初こそ首を傾げていた男たちだったが、技術的な話になると食いつきが良くなった。
「削りで綺麗な筒を作るのは難しいんでさ。中を削った半月状のものを二つ作って膠で接着するんじゃ駄目なんですかい?」
「中に水を入れるんだけど漏れたりしない?」
「お湯じゃねぇんなら問題ねぇです。噴き出し口も後から大きさの調整ができますから、とりあえず筒のほうを作ってみますわ。押し出し棒のほうはお嬢さんの言うように布を巻いたほうがよさそうみたいなんで、布を調達してきてもらえやしませんかね?」
男たちは見た目はともかく大工としては有能だった。レオニーが布を調達してくる頃には、二つに割れた筒の材料が削り出されていて、外側も内側もつるつるに見えるほど磨かれていた。
その間に大工たちと話をして彼らの名前を知った。親分の名前はラバ、あとの二人は見習い大工でシドとティノ。住み込みではなく、通いで城に勤めているらしい。とは言っても新しい建築なんてそうはなく、普段は壊れたものの修理をしているそうだ。
ラバが見事な手付きで筒の材料を作り上げた頃には、見習いの二人が膠を鍋で火にかけ、融かして準備を整えていた。ラバが木のヘラで膠を掬い上げると、筒の接合面にベタリと塗りつける。さっと伸ばして筒の材料をくっつけると、縄で縛った。それから膠を融かした鍋が掛かっている焚き火に筒を何度かくぐらせた。
「ニカワが融けちゃうんじゃないの?」
「こうやるとしっかりくっつくんでさ。なんでかは知りませんけどね」
「それでどれくらいでくっつくの?」
「丸一日、できれば二日は乾燥させないといけませんぜ」
「明後日!」
私は目眩がして、ちょっとふらついた。ノーラが慌てて私の体を支える。
「失敗した時のために何本か作っときまさ。押し出し棒も作っておくんで、また明後日に来てくだせぇ」
「分かったわ」
職人の言うことに逆らってはいけない。私は前世で嫌というほどそれを実感した。それは職人という生き物が気難しいからではない。彼らが言うことは筋が通っていないように思えても、きちんとなんらかの理由があるのだ。大抵の場合、彼らは口下手で、受け手側がその意図を掴みきれていないだけということだ。だからラバが明後日に来てくれと言った以上、明後日まで待たなければならない。
もちろんその間に便意が来ないなんて都合のいい話は無く、私は幾度かノーラの手のお世話になった。