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メデウスとアマンディーヌ

 





 あの夜会から、アマンディーヌはまた屋敷に引きこもっていた。



 あれからの伯爵はというと、アマンディーヌとの婚約破棄ばかりか、大罪人として『死の島』と呼ばれる監獄島に流されることとなった。


 マリア・ミカエラ夫人の実家である公爵家は、王家を支える臣下の一つだ。

 そして産まれたカトリーヌは、現王妃が産んだ王子の婚約者候補とされていた。

 それは前王妃である、西の大国から迎えた姫の産んだ王子が、このまま継承権を強めるのを周囲は忌避していたからだ。なので王族の血を引く娘を嫁に迎えることによって、現王妃の嫡子の継承権をより強くしようと秘密裏に計画されていた。


 ところがカトリーヌが暗殺されかけるという事件がおきる。

 西の大国の刺客や亡き前王妃の信奉者の策略などと、さまざまな憶測が飛び交った。しかし、とある密告によって実行犯が炙り出された。

 それがエドモン伯爵だ。


 彼は西の大国との交易も盛んに行い、特に前王妃やその侍女たちとも親しくしていた。そして西の大国を妻に迎えた侯爵家にも何度も領地に足繁く通っていた形跡がある。

 もしかしたら女狂いはカモフラージュで、西の大国と繋がっているスパイではないかと推測された。そうしながら調査を進めると、前王妃の王子につく侍女との手紙のやり取りや、決定的となるカトリーヌを殺す指示を出した手紙などが、まるで何者かに誘導されるように発見された。


 侯爵家の娘を婚約者候補に据えるために、婚約者候補の最有力であるカトリーヌから殺そうとした。これが伯爵に下された罪の内容だ。


 婚約者であるアマンディーヌの家も疑惑の目は向けられたが、公爵(デューク)である閣下の援護もあり身の潔白を証明できた。


 そうして伯爵は、婚約破棄ならびに家との絶縁、政治犯として『死の島』へと送られることとなった。

 判決が下る獄中、伯爵は気が触れたようでおかしなことを何度も訴えていたという。「燃やしたはずなのに、何故」や「すべてアマンディーヌが仕組んだことだ」などと。

 しかしスパイである彼の言葉に耳を傾ける者は誰もいなかった。




 これでアマンディーヌは復讐を終えた。

 勝者である彼女は、これから母や元婚約者を嘲笑いながら自分の人生を謳歌できる。それが何よりも最高の復讐になる。


 それにも関わらず、現在アマンディーヌは屋敷に引きこもり、誰にも会うことなく絵を描きなぐる日々を送っていた。



「おい、引きこもってばかりだと体に毒だぞ。少し陽の光を浴びたほうがいい。」


 部屋中の締め切っていたカーテンを開けて回りながらメデウスはアマンディーヌに苦言する。

 突然入ってきた陽光に目を眩ませると、キャンバスをいじめていた手を止める。伏せていたまつ毛をゆっくりと上げると、カーテンから差し込む陽を浴びた、天使が降臨したようなメデウスが眩しかった。


「メデウス…来ていたのね。」

 ぽつりと呟くとまたキャンバスに目を向けるアマンディーヌ。それを止めようと筆を持つ手首を掴んだメデウスは、小さい子に言い聞かせるように囁く。

「アマンディーヌ、外に散歩に行こう。庭に植えてある樹木が随分と変わったんだ。それを眺めながら、お茶をしよう。」

 いつになく優しいメデウスの声に、アマンディーヌはつ…と左目から涙が一筋落ちる。こくりと幼子のようにアマンディーヌが頷くと、メデウスは優しく手を引いて部屋から連れ出した。

 静まり返った部屋には、描きかけの絵と大小さまざまなキャンバスがひっそりと佇む。しかし描かれているものはどれも、血のような赤が一面に広がる呪いのような絵画たちばかりだった。





 領地の庭と比べるとかなり手狭だが、庭師たちが丹精込めて育てた花たちは美しく、アマンディーヌの心を少しばかり慰める。無表情に花を見つめるアマンディーヌを、メデウスは花の名前や素敵な逸話などの知識を添えて楽しませてくれた。

 少し回ったあとは、テラスでお茶を用意してもらい、そこで休憩することにした。



 メデウスはお茶やお菓子を食べるたびに、「美味しい」と子供のように顔を綻ばせる。それによってアマンディーヌも、少し和らいだ表情を見せる。

 それに気づいたメデウスは、そよぐ風にたなびくアマンディーヌの横髪を耳にかけてやりながら、なんて事のない話のように呟く。


「もう一人の自分は殺せたか、アマンディーヌ。」


 一瞬、なんのことだか分からず(ほう)けたアマンディーヌだったが、問われた内容の意味を理解する。

 アマンディーヌはメデウスを説得するときに吐き出した言葉を思い出していた。


 私は、呪詛を吐き出すもう一人の自分を殺すために復讐をしていたんだったわ。


 しかしそれを忘れていたほど、アマンディーヌはよく分からなくなっていた。頭では自分のせいではないと分かっているのに、もう一人の自分は「全てこいつのせいだ」とアマンディーヌを引きづりだし、傷つけようとする。傷つくべきだと、思っている。


 きっと貴族の浮気なんて珍しくない。けれど、ブルームとマリアがそうでないのはアマンディーヌが一番よく知っていた。

 あの仲睦まじい夫婦が、どうしてあんな目に合わなければならなかったのだろうか。

 カトリーヌに会いに領地へ伺ったとき、マリア・ミカエラ夫人は優しくアマンディーヌを歓迎してくれた。カトリーヌについて話をした時、既に夫婦は伯爵の子であることを認知し、受け入れていた。マリア夫人の妊娠の兆候から、マリア夫人からブルームへ打ち明けたらしい。

 あの夜会でマリア夫人は薬を盛られ、朦朧とする意識の中伯爵に犯された。そして妊娠が発覚し、一悶着ありながらもブルームは受け入れ、無事カトリーヌが産まれた。

 そして苦難を乗り越え平和に暮らす家族に、またしても魔の手が伸びる。

 カトリーヌを邪魔に思う伯爵と、西の大国側の王子を持ち上げたい連中が結託し、カトリーヌの暗殺が決行された。幸いにも一命を取り留めたカトリーヌだったが、夫婦は失意に陥っていた。不義の子といえど、可愛い我が子を殺されかけるのが何よりも耐えがたいものだった。

 アマンディーヌは思った。この夫婦は以前のアマンディーヌに少し似ている。嵐が過ぎ去るのをじっと耐え忍ぶ小鳥のように、彼らは被害者であり続ける運命にあるのだと。食い物にされ、利用され、それでも微笑み続けるしかないのだと思った。

 アマンディーヌは自分と、ブルーム夫妻のために復讐をすることを決意してしまった。


 けれど伯爵との問答で、原因は自分にもあったのだと知ると、とてつもない虚無感に襲われた。

 自分のしていたことはただの義憤と私怨で、周りを不幸にした結果だけが残った。

 真っ暗な気持ちに陥ったアマンディーヌに、あの呪いの言葉がざわざわと這い寄るように遠くで聞こえる。


 屋敷にいたアマンディーヌはある日ふと、布が外れた姿見を見つめた。するとそこには、赤に彩られたキャンバスに埋め尽くされた部屋で、幽鬼のように佇む自分の姿が映っていた。アマンディーヌは金切り声のような悲鳴を上げ、頭から毛布をかぶった。そしてあの呪いの言葉が蘇る。


 出来損ないの要らない子、一生誰にも愛されずこの屋敷で看取るものもなく死ぬのだわ。


 アマンディーヌは寒くもないのに激しく震えた。

 私はこの屋敷で死にたくない!この屋敷で一人で死にたくない!誰か助けて!誰か!!


 アマンディーヌはメデウスが来るまで、ずっとこの葛藤の日々を繰り返していた。




 俯き黙りこくりアマンディーヌに、メデウスは紅茶をすする。沈黙を破るようにさあっと風が吹くと、それきりメデウスは何も言わない。


「…責めないのね。あなたは唯一復讐を止めてくれた人なのに。それでも突き進んで、こんな状況になった私を何も言わないのね。」


 髪の毛が紅茶に浸りそうなほど俯きながら、アマンディーヌは陰鬱な表情を浮かべる。


「責めてほしいのか。」


 メデウスはカップをソーサーに置きながら、アマンディーヌのつむじを見据える。

 その言葉に、アマンディーヌは膝に置いた手をドレスがシワになる程握りしめる。

「そんな訳ないでしょ…。」

「じゃあ何も言うことはない。」

 あまりにも淡々と答えるメデウスに、アマンディーヌはずっと俯いていた顔を、ゆっくりと上げる。


 するとメデウスは、以前と変わらない慈しみの瞳でアマンディーヌを見つめていた。


 その姿にアマンディーヌは、またぽつりと瞳から涙をこぼすと、今度は堰を切ったように涙がとめどなく溢れてきた。


「おい、さめざめと泣くな。そんなんじゃ泣いた気がしないだろう。声を抑えるな、アマンディーヌ。」


 アマンディーヌの側に近寄ると、袖口で乱暴にアマンディーヌの涙を拭うメデウス。されるがままのアマンディーヌは、しばらく袖口に涙をこぼしつづける。

 やがてアマンディーヌは、メデウスに縋るように声を上げて泣いた。

「うわああああ!ああああ!」


 最後に泣いたのはあの裏切りの夜以来だった。しかし以前とちがい、今はアマンディーヌの背中を優しく叩くメデウスがいることだった。







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