オークションとアマンディーヌ
金に縁取られ職人の技術をいかんなく発揮された繊細で優雅な家具。見たこともない技法で描かれた異国の絵画。持ち主を呪う不幸のヴァイオリン。この世にいくつとない色彩をもつとされるジュエリー。
ここにあるのは全てオークションに出品される予定の品たちだ。目を見張るように美しく、そしていわくのあるものや珍しい物で溢れていた。
このオークションはとある辺境伯が開催されたとされる秘密のオークションだ。参加する貴族たちはみな仮面をつけ、見せびらかすように飾られた品たちを我が物にしようと鑑賞している。
そんな貴族たちがひしめく賑やかな会場で、真ん中にぽつんと天鵞絨に包まれた品物が置かれている。みなこれが今日のメインなのだと、天鵞絨の中身が気になって仕方のないようだった。
「けっこうな盛況ぶりなのね。貴族って生き物はほんとうに酔狂ね。」
縁取られたレースと散りばめられた宝石が上品で美しいデザインの、真っ黒な鴉を思わせる仮面をつけた淑女がつぶやく。
「君も充分酔狂だよ。アマンディーヌ。」
道化の仮面を顔一面に覆った長身の紳士がアマンディーヌにワイングラスを手渡す。
このオークションは叔父の知り合いが開催しているらしく、またも叔父のコネを使ってオークションに参加できることになった。愛する母のいる領地から離れたがらなかった叔父は、今回は珍しくアマンディーヌの付き添いに来ていた。
なんでも、母がオークションに出品される人魚の鱗がほしいとねだったそうだ。わがままをなんでも受け入れる歪な愛情だと思っていたが、存外あけすけなわがままを聞き入れるのは甘やかしているのではなく、母のわがままを受け入れてあげるのを楽しんでいるのだと少し理解してきた。
「酔狂を超越して狂人の叔父様に言われたくないわ。今だって母は遠出した隙を狙ってきっと出し抜くつもりよ。」
「わかってるとも。じたばたもがくメディアはとても可愛いらしいが、絶望に打ちひしがれる姿もまた愛おしいのだよ。」
「……。」
平然といいのける叔父にアマンディーヌは絶句する。ほんとうに趣味が悪い。
かと言っても、叔父はアマンディーヌのために色々と力になってくれた。このオークションも叔父がいなくては参加できなかった上、侯爵夫人をおびき出すことも叶わなかっただろう。
叔父と会話をするふりをしながら会場を見渡すと、狙い通り侯爵夫人はオークション会場に訪れていた。黒地に金縁の模様が華美な、猫の仮面をつけた顔の丸い女性だ。胸も大きくおおらかそうな女性で、社交界での評判も悪いものでなかった。とてもメデウスの逸話と同じ女性に見えないが、彼女の元々の性質だったのか、それとも夫人を魅了するメデウスの美貌が罪だったのか。どちらにしてもアマンディーヌには、関係のないことだった。
「そろそろ開催かしら。」
会場の中心に置かれた天鵞絨に近づく侍従らしき服装の仮面の男。男が天鵞絨の横に待機したのを確認すると、会場は水を打ったように静まり返り固唾を飲んで天鵞絨に注目する。
「本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。みなさんお待ちかねの、本日のメインのご紹介をしたいと思います。」
男が場を盛り上げるように声を張ると、貴族たちは興奮したように囁き合う。中身を知っているアマンディーヌは冷めた気持ちでそれを眺めていた。もったいぶるようなやり方は好きじゃない。
男は会場が静まるのを待ち興奮の余韻に浸ると、それではと天鵞絨の裾を掴む。ご覧ください と高らかに告げられたと同時に、ばさっと重たい布の擦れる音が響く。
すると中からは鳥籠が現れた。そしてみな、鳥籠の中身を見て感嘆のため息を漏らした。
鳥籠の中には、捕らわれた1羽の天使が舞い降りていた。
伏せられたまつ毛はこの世を憂う聖母のようで、その奥に潜む深い碧の瞳はこの場にあるどんな宝石よりも美しい。鳥籠の天使はレースのヴェールをかぶり、神に祈りを捧げるように組まれた手首には拘束具が嵌められ、よりいっそう背徳的で耽美だった。
遠目から見ていたアマンディーヌでさえも、その美しさに目を見張ってしまった。
「素晴らしい美しさだ…。だが、今ので競争率が跳ね上がったようだね。」
アマンディーヌの横に立つ叔父でさえもメデウスの美しさを賛美する。
その言葉にアマンディーヌは周りを見渡す。会場中が天使の降臨に心を奪われ、魅了されていた。しかしそれと同時に、欲しいおもちゃを見つけた無邪気な子供のように目を輝かせている者もいた。侯爵夫人をそっと覗いてみると、侍従に何か囁いていた。もしこのまま他の者の手にメデウスが渡ったら、ただではすまないだろう。アマンディーヌは手に入れようとしているものの重みを改めて噛み締めた。
それぞれ目当ての品物を競り落とす会場に移動するよう案内される。そこで叔父と別れたアマンディーヌは、迷いなく天使のオークション会場へ向かう。すでに部屋は満室で、仕方なく後ろに並び立つ野次馬に混じる。
侯爵夫人を探すと、やはり会場の手前の席に鎮座していた。だが今回は夫人だけがライバルでない。前回夫人が競り落としたメデウスは、夫人と開催側の癒着関係があったため落札金額が仕組まれていた。しかし今回は、夫人が前回メデウスを競り落とした金額からスタートする。そこにどこまで食い下がるか、はたまたそこらの貴族に掠め取られるか。アマンディーヌは会場中の誰よりも、今回のオークションでメデウスという人物の人生を買う覚悟はできていた。
「大変お待たせいたしました、みなさま。今宵は一羽の天使のためにお集まりいただきありがとうございます。」
さきほどとは違う侍従が、ざわめく会場でも響く声で前説を述べる。途端静まり返る会場では、男が淡々とルールを説明し始める。
「みなさまには入札をしていただき、最高価格を提示された方を落札とさせていただきます。この3種類のカードは増額の種類を表すもので、カッパーカラーが銅貨、シルバーカラーが銀貨、ゴールドカラーが金貨、単位はそれぞれ100枚づつで競っていただきます。ちなみに、こちらとして提示する即決価格がございますが、時間制限がございますので時間内に最高価格を提示された方を落札とさせていただきます。」
会場に入るときに手渡された3色のカードをまじまじと見つめるアマンディーヌ。イカサマなどは仕組まれていないようだ。
ちなみに、即決価格はアマンディーヌの実家の領地で得られる15年分ほどの収益とほぼ同額だった。
男が一通り説明を終えると同時に、鳥籠に捕らえられたままのメデウスが運び込まれてきた。
再びの天使の再臨に会場は騒がしくなる。
「神に背いてこの美しい天使を堕天させるは神のみぞ知る。…きっと閨ではその美しい歌声を響かせることでしょう。」
男が鞭でぴしゃりとメデウスの腕を弾くと、思わずといったようにアッと声をあげる。漏れ出た声は少女のように甘やかで、それに反するように背徳的な色気があった。
隣の貴婦人がごくりと喉を鳴らしたのを、アマンディーヌは見てしまった。
男はオークションの開催を告げると、小型犬ほどの大きさの砂時計を逆さまに返した。
異様な空間の中、血走った目で人々は金額をつぎ込んで行く。かなりハイペースで金額が釣りあがっていくため、相当な人数がふるいにかけられていった。
釣り上がる金額にも銅貨が加わり、消耗戦のようになったころ、残るは侯爵夫人と数名の者だけになっていた。その間アマンディーヌは一度も札をあげていない。様子を見ていたが、そろそろ出方を考えなければと思っていたアマンディーヌに、思考を裂くような声があがる。
「30,000!」
侯爵夫人が他を蹴り落とそうと金額を莫大に釣り上げた。すると他の者たちは尻込みしてしまい、矢継ぎ早にされていた釣り上げも止まってしまった。
制限時間も残りわずかの中、会場中の人々がこれで決まったと思った。
「50,000」
低くしゃがれた声が、ざわめく会場に落ちる。告げられた金額は、即決価格とされているものだった。
しんと静まり返った会場で、もう一度言い聞かせるように金額が告げられる。会場の一番後ろで発せられたその声にみなが振り返ると、白髪をなでつけた老紳士がコツコツと杖をついて手前に歩いてきていた。
人が波のように老紳士を避け、侯爵夫人の隣へと誘導する。そこに老紳士は緩慢に腰掛け、捕らわれているメデウスを楽しそうに観察していた。
夫人は顔中の血の気が引いた顔で、仮面をつけていない老紳士の顔を凝視する。
「もうおしまいかな?夫人。」
老紳士が横目で問うと、夫人は慄くように口をぱくぱくさせ後ずさる。戦意を失った様子に、興味をなくした老紳士は砂時計を見遣る。
ひと匙ほど残っていた砂は、サラサラと落ちていき制限時間の終了を告げていた。
たった今、メデウスを競り落としたのはこの老紳士に決まった。
全てのオークションが終わり、騒がしくも夢のような一夜は終わりをつげた。
さきほどまで楽曲や話し声などであふれていた喧騒が、人気がなくなりさきほどの賑やかさは幻のように鳴りを潜めている。
会場の奥まった一室に、現在アマンディーヌは居た。
部屋ではアマンディーヌを含め、円卓を囲うように4人がそれぞれ座り、その内紳士と老紳士は少々の酒を嗜んでいた。
「閣下。本日は私のわがままを叶えてくださりありがとうございます。療養中にも関わらず、煩わせてしまい申し訳ございませんでした。」
アマンディーヌが老紳士に頭を垂れると、横に座るメデウスも深々と頭を下げる。そんな2人を眺める老紳士は、愉快そうに微笑む。
「いや、なかなかに面白い余興だったよ。もう人生ある程度のことはやり尽くしたと思っていたが、まさかメデウスを買うことになるとは。最後に面白い土産話ができたよ。」
その言葉に、深く頭を下げていたメデウスがばっと顔を上げると、親しみを込めた口調で話す。
「もうすぐ死ぬみたいに言わないでください。閣下はまだまだ長生きするんだから。」
「メデウス、お前は私を化け物にするつもりかい。」
冗談めかして笑う老紳士に、メデウスも声をあげて快活に笑う。まるで孫と祖父のような雰囲気に、アマンディーヌはほっとしていた。
この老紳士は、かつてメデウスを囲っていたとされる貴族だ。
公爵の爵位を賜るほどの実力と権力を兼ね備えた貴族の重鎮で、メデウスの後見人のような役割をしていた。ところが急に肺を患い、領地の田舎で療養していたところ、あれよあれよと言う間に孫のように可愛がっていたメデウスが行方知れずとなってしまっていた。どうしてくれようかと画策していたところ、とある伯爵令嬢からの奇妙な提案が届く。
オークションで私の代わりにメデウスを買っていただけませんか、と。
「しかし貴女、一体どうやって借金を返すつもりだ?借金返済が大変で復讐が疎かになったら、本末転倒だろう。」
すっかり気が緩んでいたアマンディーヌに矛先を向けるメデウス。さきほどの儚い天使のような姿は見る影もなく、心配性の口うるさい姉のようだ。
「それは、もちろんちゃんと考えてるわよ。」
ねっと公爵と顔を見合わせてにっこりと笑う。それにメデウスは、また何か企んでるのか…と呆れた様子だ。
アマンディーヌの家の領地の運営は全て使用人に任せていた。その間両親は王都に入り浸り、ろくに経営について携わってこなかった。
しかしアマンディーヌは、全ての帳簿の流れを抑える使用人が横領をしていることに気づいた。なんと15年にも及ぶ横領は細々と続けられ、年々と過激さを増していたようだ。
そこでアマンディーヌは横領をしていた使用人と平和的解決を求めて話し合い、15年分の横領の金額を2倍にして返すという契約を結び、馬車馬の如く働く人材を得た。
それだけでは心許ないと思っていたところ、金には鼻の効く馬車馬の情報によると領地内に珍しい鉱石を保有する金山があると。それを元手に事業を起こせば儲けられるが、流石に領主の許可なく山をほじくり返せなかったらしく、金山を目の前に指を咥えているしかなかったらしい。
しかし領主の許可を得ても、それを扱う知識と技術がなくまさに宝の持ち腐れ状態で苦悩していたアマンディーヌだったが、メデウスのパトロンの公爵は鉱山を保有していることを思い出した。どうせ頼みごとをするなら公爵にも旨味のある話を手土産にしよう。
そうして鉱山を保有する公爵の知識と技術の提供を得る代わりに、利益の20%は公爵に支払うという、破格の契約を結ぶことができた。
そしてアマンディーヌの代わりにメデウスを買ってもらい、侯爵夫人へ釘をさすことができた。
「うまくいきすぎて、罠かと疑ったくらい。でも、それは叔父やあなたの助けがあったから。いつも内気に考えて気づかなかっただけで、私の周りには色々な可能性があったのね。」
まつ毛を伏せてしおらしくするアマンディーヌに、メデウスはばしんと背中を叩く。
「いった。」
「貴女はやればできるんだ。少し鈍臭いところもあるが、その分知恵が回る。まあ、多少悪知恵が過ぎるのも、貴女の強みだ。」
かなり失礼な励ましをするメデウスに、少し強張っていた顔がほぐれるようだった。
「2人は随分といい関係のようだね。もしメデウスの伴侶になるようなら、メデウスを養子に迎えて盛大に結婚を祝うよ。」
小猿のように戯れるアマンディーヌとメデウスをつまみに、ワインを舐めていた公爵がさらりととんでもないことを言う。それにアマンディーヌは瞠目しメデウスは複雑そうな顔をするのを、たいそうおかしそうに公爵は声を上げて笑う。
「まだ若い蕾をからかってはいけませんよ、閣下。アマンディーヌの婚約者はまだ健在しているのですから。」
公爵の隣でワインの芳香を楽しむアマンディーヌの叔父。アマンディーヌへの助け舟のつもりなのだろう。
「その婚約者も、もうすぐ籠絡しますわ。」
アマンディーヌの真っ赤な唇が三日月をえがく。
「メデウス、支払った金額分きっちり働いてもらうわよ。」
楚々とした微笑みのアマンディーヌに、メデウスは呆れたように返す。
「金額以上の働きをしてみせるさ。」
円卓を囲む4人の宴は、夜が明けるまでつづいた。