天使とアマンディーヌ
バートリー夫人の悲劇から数ヶ月、アマンディーヌは喪に服す黒のドレスを身に纏っていた。
悪夢の夜と称された事件では、母の遺体は見つからなかった代わりに、膝から下の両足が森の中で発見された。
極秘とされていたが、母の右足の指は1つ多い。それを知る唯一の父や侍女が確認し、母の両足と立証された。足以外の部位はバラバラにして森に埋めたか近くの川に流されたのではと推測され、事件はあっけなく幕引きとなった。
アマンディーヌは、きっと残された両足は狐狩りの景品だと思った。
狐狩りが成功したことを示すためにその美しい尾を断ち切るように、母を手に入れたことを密かに示したのだろう。やはり叔父の愛は異常で理解しがたい。
一つ復讐を終えて、喪に服し母を亡くした哀れな娘を演じるアマンディーヌだったが、気持ちは憂鬱なままだった。喪に服してしまってからは社交界に繰り出せず、思うように伯爵の情報をつかめていないことだった。明確な伯爵の弱みを探しているのだが、どうやら狡猾な伯爵は遊び上手なようだ。
アマンディーヌには味方が少ない。
母の場合は叔父がいたから成し遂げられたが、伯爵の場合はさまざまな協力者が必要だった。それならば社交界に出られない今、復讐の下地作りを行う絶好のタイミングだった。
陽の光を浴びて、さきほどとはまるで違う生き物のように美しい繊細なステンドグラス。
衣擦れの音も響かない静寂の中、穏やかなオルガンの音色が教会中を包み込む。周りを見渡すと、みな頭を垂れロザリオを掲げながら神に祈りを捧げている。
アマンディーヌは教会で賛美歌に聴き入っていた。
喪服の黒いドレスがアマンディーヌの白い肌に映え、憂うように伏せられたまつ毛は聖母のように穏やかで、アマンディーヌは母を弔う献身的な娘そのものだった。しかし、腹の内では神への信仰など嘲るような計画を遂行するために教会に赴いていた。
一通りの儀式が終わると、あくびが出そうなくらい長い礼拝は閉祭となった。アマンディーヌは目的のため一通りの人がいなくなるのを待ち、しばらく椅子に座ったままでいた。
「お嬢さん、礼拝は終わりましたよ。」
ふと、もう一度聴きたくなるような、しっとりと艶っぽい質感の声が教会に響く。一人ぽつんと残り、俯いていたアマンディーヌは顔をあげる。
とても美しい人だった。
見上げたアマンディーヌの先に立つ人物は、教会のステンドグラスの光を浴びてより神々しく、まるで天使そのもののようだった。陽の光のようなブロンドは1つに編み込まれ顔の横に垂らしてあり、丈の長い外套の隙間から覗く手首や身体はほっそりと華奢だ。あまりの絢爛さにアマンディーヌは思わずじっと見入ってしまった。しかしそういった視線は慣れたものなのか、まったく気にしていないように天使は続けた。
「故人を想うのはほどほどにしておきなさい。貴女の人生はまだまだつづくのだから、そんなに思い詰めると息切れしてしまうわ。」
熱心に故人を弔っていると思ったらしい天使は、宥めるようにアマンディーヌに説教を始める。天使の美貌に引き込まれていたアマンディーヌは、天使の勘違いに正気に戻る。あやうく、目的を忘れるところだった。
「ええ、私の人生はこれから。まだまだやらなくてはいけないことがたくさんあるわ。それを成し遂げるためならなんでもするつもりよ。」
…例えそれが醜い復讐だとしてもね。アマンディーヌは心の中でそっと付け加える。
「ですから、今日はとある人を訪ねてきたの。なんでも、宮廷で話題の人気者だった人物だとか。それはそれは美しい吟遊詩人らしくて…。そういえば、先ほどのオルガンの音色とっても素敵だったわ。」
楚々とした笑みを浮かべるアマンディーヌに、天使の穏やかな顔がぴしりと固まった。
「初めまして。美しき吟遊詩人メデウス。叔父様から聞いてると思うけれど、私はアマンディーヌ・バートリーです。」
よろしくと淑女の礼を卒なくするアマンディーヌ。そっと天使を見上げると、さきほどまでの天使のような微笑はごっそりと消えうせ、眉根を寄せてとても不快そうに破顔していた。
「今はソフィアだ。迂闊に口にしないでくれ。」
はあとため息をつきながら長い前髪をかきあげる。その仕草はさきほどまでの女性らしい繊細さはなく、豪快な雄々しさがあった。
こんなに美人なのに、男とは…。
アマンディーヌは内心驚いていた。ついさきほどまではほんとうに男かと疑っていたくらいメデウスは繊細な美貌をもつ完璧な女性だった。中性的と呼ぶにはほとんど男らしさが皆無であった。
「失礼しました。ソフィア様。では、少しだけ私のお話を聞いていただけませんか?」
「断る。」
きっぱりと取り付く島もなくメデウスは告げる。厄介ごとを持ち込むアマンディーヌに、完全に心を閉ざしてしまったようで会話をする気もないようだ。たおやかな見た目に反して、かなり頑固な男のようだ。
「そういえば、メデウス様は各地を旅されてましたのよね?ぜひ色々なお話をお伺いしたいわ。それと、メデウス様は今どうして女人の格好をなさっているのかしら?何か事情でもおありなのかしら。」
すげなく拒絶されてしまったアマンディーヌは、お得意の楚々とした微笑で教会に反響するようにわざと大声でメデウスの話をする。それにソフィアに扮したメデウスは慌てたように声をあげる。
「アマンディーヌ様、他に誰か来てしまうかもしれないわ。場所を移しましょう。」
顔はさきほどの天使のような微笑みだが、アマンディーヌの腕を掴む力は細腕から出ていると思えないほど力強かった。アマンディーヌはメデウスに引きづられるようにして、教会の居住部分の一室に案内された。
「粗末なとこで悪いが、我慢してくれよ。」
「いえ、むしろ逆に悪いわ。一脚しかない椅子を奪ってしまって。」
「そんなこと気にするタマかよ。それで?お話とは一体なんのことでしょうか?お嬢様。」
案内された部屋は簡素で、本当に人が住んでるのかというくらい必要最低限の物しかなかった。アマンディーヌに椅子を取られたメデウスはベッドに腰掛け、長い足を組んで早急に話を促した。
アマンディーヌは佇まいを直し、軽く咳払いをする。そして、長い時間をかけてこれまでの復讐の経緯と行った復讐の話をした。
少しもごまかさず、あくまで客観的に内容を伝えるよう努めた。そして、少しばかり情報提供を手伝ってくれる人材を探している、と最後に締めくくった。それを黙って聞いていたメデウスだが、アマンディーヌが一通り話終わると、それで?とつまらなそうに頭をかいた。
「こんなただのオルガン弾きに何をさせたいんだ。」
「それは仮の姿でしょう。私は、吟遊詩人のメデウスをあてにして来たのです。」
同情で絆されないかと話してみたが、まったく響いていないようだった。思った以上に強情なたちのようで、アマンディーヌはなかなか骨が折れそうだと思った。
「あれは廃業した。だから手伝えない。これ以上俺から話すことはない。」
帰ってくれ。とガチャリと扉を開け、恭しい姿で退出を促すメデウス。
アマンディーヌはそれを真っ直ぐに見つめ、狭い一室には張り詰めたような沈黙が落ちる。しばしの睨み合いのあと、先にアマンディーヌが立ち上がった。
「あなたのことだわ、このままごねても余計突っぱねるでしょうね。いいわ、帰ります。」
スタスタと扉へと歩くアマンディーヌに、思いのほかの聞き分けの良さにメデウスは少し驚いていた。入り口をくぐり、アマンディーヌは一礼すると、去り際にくらりとするような一言を残していった。
「また来ますわ。」
今のアマンディーヌには時間が有り余っている。だから何度でも説得しに訪れるつもりだった。アマンディーヌがいなくなってからメデウスは、立ち眩みなような頭痛に襲われた。
「御機嫌よう。ソフィア様。」
あれからアマンディーヌは、頼まれてもいないのに毎日のように教会に通い詰めていた。そして雑事に追われるメデウスを時たま手伝ったりからかったり話をしたりして、すっかり教会の暮らしとメデウスに馴染んでいた。メデウスは、アマンディーヌのしつこさと順応力の高さに関してある種尊敬の念を抱きつつあった。
「はあー。一向に首を縦に振らないのね、あなた。気高いというよりいっそ頑固者だわ。」
木箱に座りながら、人参の皮を悪戦苦闘しながら剥くアマンディーヌは、隣に座る天使のような美貌の人物に当てつけるようにぼやいた。
「貴女はあれだよな、残酷な復讐者というよりただの腹黒令嬢だよな。」
同様に木箱に座りながら、まるで野菜を裸にするようにするすると器用に皮を剥く麗人。アマンディーヌは自分の皮の分厚さとメデウスの羽衣のような皮の薄さに顔をしかめる。
「あなたが手こずらせるおかげで、腑抜けてきたのよ。どうか責任を取ってもらいたいものだわ。」
そっとメデウスの分に自分の剥く野菜を移しながら、数ヶ月前と遜色ない口撃を繰り出す。メデウスはすかさず移された野菜をアマンディーヌの元に戻す。
メデウスは、アマンディーヌが苦手な作業のとき怠惰をすると、母親のように厳しい。アマンディーヌの1つ年上なのにもかかわらず、メデウスという青年は物知りで器用で、度胸と気高い信念を持つ、生きると言う意味では非常にたくましい人物だった。生来の面倒見の良さなのか、メデウスは手伝いをするアマンディーヌに家事の仕方や街の常識を教えてくれた。メデウスは、まるで出来の悪い妹でもできたような気持ちだった。
燦々と陽の光を浴びて仲良く並んで作業する2人は、まるで血生臭い世界とは無縁なようにのどかな風景だ。
屈託無く笑うアマンディーヌにメデウスは戯れる《じゃれる》のをやめると、真剣な表情でアマンディーヌに向き直った。
「復讐なんてやめればいいんだ。なにも奴らを許してやらなくたっていい、全て忘れて新しい生活を送れば、きっと復讐なんてどうでもよくなるさ。」
初めて会った時とは違い、慈しむような瞳でアマンディーヌを説き伏せるメデウス。天邪鬼な彼らしい、アマンディーヌを想う言葉だった。しかし、アマンディーヌは顔をうつむかせてなにも言わない。
「気を悪くしたなら申し訳ない。でも、貴女には復讐なんてせずに笑って過ごしてほしい人がいるという事を忘れないでくれ。」
相変わらず俯いたままのアマンディーヌに優しく穏やかな声をかけると、場をとりなすように話を切り上げるメデウス。これでこの話は終わりとばかりに野菜を剥く手を早めた。
すると、突然手首をガッと力強く掴まれた。
メデウスが隣を見遣ると、ゾッとするような、生命力にあふれた野生動物のような瞳でアマンディーヌがメデウスを貫いていた。メデウスを見据えたまま、口だけを動かして言葉を紡ぐ。
「復讐は、やめることはできないの。私の意思に関係なく、やらなければならないことなの。あなたの言うように、全て忘れて暮らせればいい。だけど、報われなかった私は一生恨みを募らせたまま、忘れた私を苛む筈だわ。あの人達のために私が不幸を背負うなんて、御免だわ。だから、復讐するしかない。それしかこの亡霊を葬る手段がないのよ。」
蛇のような執着というかもしれない、しかしこれはアマンディーヌの唯一の誇りを遵守するため、彼女を彼女足らしめるための自己防衛だった。復讐を手放してしまったら、アマンディーヌは死ぬまで世界を恨み続けるだろう。この世に美しい復讐などないのだ。アマンディーヌの復讐は、呪詛を吐き続けるもう一人の自分を殺すために、自分自身のためだけに遂行するものなのだ。
「だから、お願い。力を貸して、メデウス。」
そっとメデウスから手を離しながら、祈るように胸の前で手を組むアマンディーヌ。神はアマンディーヌを救ってくれない。けれど、目の前のメデウスは、アマンディーヌのことを想って正しい道に進むよう説得してくれた。しかし、アマンディーヌの呪いを昇華できるのもまたメデウスであった。
はあと深いため息が聞こえた。
アマンディーヌが俯いていた顔を上げると、メデウスは困ったように眉を寄せていた。
「助けてやりたいところだが、本当に廃業したんだ。また表舞台に出たら俺の方が先に抹消されてしまう。」
だから…と続けるメデウスに、アマンディーヌはなんてことのないようにいつもの楚々とした笑みで返す。
「知っています。エリザベート嬢のことでしょう。」
各地を放浪しながら物語の語り部となる吟遊詩人。それは時代の流れや場所によって在り方を変えてきた。各地の伝承や歴史を伝えるものや自国の騎士の物語、宮廷での恋物語や宗教による法律の話など、さまざまなものを音楽に乗せて語る者たちがいた。
その中でメデウスは、美しい容姿と歌声で各地の神話や儚い恋物語を紡ぐ、宮廷の精霊と呼ばれるほどの人気ぶりであった。そしてそれはもちろん商売のための顔で、メデウスは妖精でも天使でもない、年相応に粗野な青年であった。
ある日高位の貴族の屋敷に呼ばれたメデウスは、侯爵夫人と娘の前で歌を披露した。メデウスの輝かしい容貌と神の祝福のような歌声に、夫人と娘はすっかり魅力されていた。メデウスの美しさに取り憑かれた夫人と娘は、メデウスを独占しようとパトロンの契約や夜の誘いをもちかけてくるようになった。こういうことは幾度とあり、慣れていたメデウスは軽くあしらっていた。夫人たちもメデウスの背後にいる貴族の存在を恐れて、強くは出られないようだった。
しかし、メデウスを囲っているとされていた貴族が病に伏せ領地で療養したときくと、夫人たちはまるで自分たちの所有物とばかりにメデウスを束縛するようになっていった。そろそろ誘いを躱すのにも限界を迎え、高飛びすることを考えていたメデウスに夫人が先手を取った。
招き入れたメデウスを酒で酩酊させ、その場では襲わずにオークションに出品させたのだ。そしてメデウスを買い取り、正式に自分の物にしようという目論見だった。
侯爵夫人に競り落とされた後、メデウスは夫人を待つベッドから死ぬ覚悟で3階から飛び降りて逃走した。命からがら逃げた先で修道院に保護され、この協会に流れ着いたのだった。
風の噂で、夫人は夫の仕事に付き添い諸外国にいるということだったが、娘であるエリザベートが今のうちに母親を出し抜いてメデウスを物にしようと血なまこで探しているらしいと聞いた。
今メデウスが表舞台に戻れば確実に捕らえられる。メデウスはアマンディーヌに被害が及ぶことも気にしていた。
一通りメデウスの独白を黙って聞いていたアマンディーヌは、さきほどとはちがうニヤリとでもいうような笑みを浮かべる。
「だから、知っているわ。」
「知っているったって、貴女がどうにかできる相手じゃない。」
「それが、どうにかできちゃったのよね。」
アマンディーヌは、いたずらが成功した子供のようにからからと笑う。メデウスはその言葉が信じられず、アマンディーヌの顔を凝視していた。
「どういうことだ?権力も金も持たない貴女がどうしたっていうんだ。」
「失礼ね。事実だけれど。」
権力は多少利用したが、アマンディーヌの足で稼いだ成果だった。
叔父からメデウスの経緯などは聞いていた。それに顔見知りのエリザベート嬢とあって、事は簡単に進んだ。
まずは卿に、お宅の娘が婚約者を誑かしたせいでアマンディーヌは自殺寸前にまで追い詰められたと抗議文を送る。歯牙にもかけないであろう卿に、間をおかずに婚約間近のエリザベート嬢を幸せな花嫁にしたければ早急に対処しろと、叔父を後ろ盾に打診の手紙を送ったところ、早急に卿は対処してくれた。
来年式を挙げるはずだった予定を繰り上げ、早急に式を挙げ輿入れしたエリザベート嬢は、輿入れ先の領地にただちに送られ、30も年上の配偶者と仲良く暮らしているらしい。
「なにもこの数ヶ月、あなたに会っているだけではなかったの。ああそういえばつい先月、エリザベート嬢は新婚旅行に出発したらしいわよ。いいわね、仲睦まじいようで。」
ほんとうにおめでたいというように微笑むアマンディーヌに、メデウスはさきほど真剣にアマンディーヌを説教した自分はバカだと思った。この女は目的のためなら手段を選ばないし何だってする。ここしばらく無邪気なアマンディーヌにすっかり絆されていたが、油断していると足元をすくわれるような強かな女だったのだ。
だがまだ本質的な問題は解決していない。夫人がメデウスを競り落としたのだ。それをアマンディーヌに問うと、ああとげんなりした顔をする。
「復讐のためならなんだってするつもりだったわ…でも今回はほんとうに断腸の思いだわ。」
「何が。」
メデウスはもうアマンディーヌが何を言っても驚かないが、そんなに身を切るようなものならいくら自分のためとはいえ辞退したかった。
そんなメデウスの配慮をものともせず、アマンディーヌはまるで髪型を変えたと話すときと同じトーンであっさりと告げる。
「あなたを競り落とすために借金をしたの。」
「はあ?!」