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叔父とアマンディーヌ

 





 あの忌まわしい悪夢の夜から半年が経った。


 あれから季節は2つほど過ぎ、息を吐くと白い吐息が出るほど辺りは寒い季節になっていた。半年の間に、あの忌まわしい社交シーズンは終わりまた新たなシーズンを迎えていた。

 現在アマンディーヌは、雪深い田舎の領地カントリーハウスで過ごしている。通常であればこのぐらいの季節には王都の屋敷にいるのだが、普段王都の屋敷に入り浸る両親も珍しく田舎の領地で過ごしていた。

 それは父の社交のためで、友人を招いて狐狩りをするためだった。

 狐狩りは、銃を用いず馬で駆けながら猟犬に狐を追いつめさせる競技なのだが、アマンディーヌは父の自慢気に見せてくる狐の尾に、残酷な狩りの方法を思うと苦笑するしかなかった。


 そしてまた父たちが狐狩りに出かけたころ、アマンディーヌは暇を持て余した母を狙ってお茶に誘っていた。




「珍しいわね、あなたから誘いなんて。すっかり怯えられていると思っていたのよ。」

 冬仕様に整えられた応接室に、母の耳障りな高笑いが響く。ソファに座って落ち着く間もなく喋り出す母に、アマンディーヌはよく口が回ると呆れていた。アマンディーヌの母は、普段ないアマンディーヌの誘いに何かあるようだと警戒している。そのため先手を打ってアマンディーヌを牽制したいらしい。


「そんなことはないわ。ただお母様とゆっくりお話をしたいと思っただけよ。」

 楚々とした微笑みを浮かべるアマンディーヌ。

 そんなアマンディーヌを、母は口元を扇で隠しながら注意深く観察している。


「何かしら…。ああ、もしかしてあの事かしら。」

 ニヤッと笑ったその顔が、世界で一番卑しく感じた。悪意に細められた瞳がアマンディーヌの真意を暴こうとする。

 とりあえずアマンディーヌはとぼけてみることにした。


「あの事…とは?」

「ふふ…案外往生際が悪いのね。あなたがあの日以来私を避けていることで明白よ。」

 あの日、とはあの悪夢の夜のことを指しているのだろう。アマンディーヌが沈黙したのをいいことに、母親は底意地の悪い顔を歪ませながら続ける。


「あなたの婚約者、とぉっても良かったわ。」



 この発言で、アマンディーヌは理解した。

 この女はずっと分かっていたのだ、アマンディーヌが伯爵との密会を見てしまったことを。なのに口止めするつもりもなく、平然と今まで過ごしてきたのだ。何も言わないアマンディーヌに高を括っていたのか、それともアマンディーヌなら何も言わないと思っていたからなのか。

 しかし、自分を保守することを何よりも大切にする母が、アマンディーヌを泳がせたのは楽観的すぎる。むしろわざとアマンディーヌに分かるように逢い引きした可能性が高い。

 わざわざアマンディーヌの部屋で致したくらいだ、年をとっていても若い娘より自分の方が魅力的だと、誇示したかったのだろう。


 ….完全に馬鹿にしてるわ。


 アマンディーヌはふつふつと湧く怒りの感情をなんとか押しとどめた。

 ここで感情を剥き出しにしたら相手の思うつぼになる。

 気持ちを落ち着かせるために紅茶を一口含み、いつもの感情の読めない楚々とした微笑みを浮かべる。

 まるで貴女のいう言葉など気にしてませんよ、というように。


「自室を変えなくてはならなかったのは残念でした。」


 アマンディーヌの言葉に母は眉をしかめる。

 もっと取り乱したり、傷つくと思っていたのに当てが外れたのだろう。手応えのない感触にわずかに苛立ち始めていた。


「あら、イケない場所でイケないことをすると盛り上がるのよ。あなたはご存知ないかもしれないけど。」

 きっと扇で隠した口元は歪んでいるだろう。挑発的にアマンディーヌを睨め付ける。

 アマンディーヌは涼しげな顔で受け止め、わざとらしく頬に手を添えて、心底心配している風に続けた。


「ええ、そうですわね。私、お母様のように経験が豊富でなくて。でも、母親が魅力的で殿方に言い寄られるのは誇らしいですが、いつか病に伏せってしまうのではと心配もしておりますの。」

 暗に性病のことを指摘したアマンディーヌに、母は怒りに顔を真っ赤にさせ扇を握る手はぶるぶると震えている。

「な、あなた、親に向かってなんてはしたないことを!」

 憤怒で鬼のように顔を赤くする母に、アマンディーヌは白けた気持ちになった。母に受けた屈辱の数々を思うと、アマンディーヌの小言などかわいいものだった。人を貶すのは意気揚々としているが、自分が言われる分には一時も我慢ならないようだ。このままヒステリックを起こす前に、アマンディーヌは早く話を終わらせようと思った。言い負かすことが目的じゃない。


「…もうそろそろお父様たちが帰って来る頃ですわ。」

 だから矛先を収めろ。そう遠まわしに怒り狂う母に告げると、窓にむけたアマンディーヌの横顔に、ぴしゃりと目が眩むような衝撃が走った。

 横目に視線を向けると、母はソファから立ち上がり、肩を激しく上下しながら興奮した様子でアマンディーヌを睨め付けている。手にはアマンディーヌの頬を叩いた扇がみしみしと音を立てて握られている。


「調子に乗るのも大概になさい!私は出来損ないのあなたより美しくて、誰にも相手にされないあなたより愛されているのよ!私が持っているもの何一つ持たないくせに、なんて生意気な小娘なの!あなたの人生は私がどうとでもできるのよ?そう、謝りなさい!謝れば寛大な処置をしてあげるわ!謝りなさい!!」

 めちゃくちゃなことを金切り声で叫ぶ母。

 興奮のあまり目は血走り、口の端に泡をつけて唾を飛ばしながら罵倒の言葉を吐き出す。


 まるで醜いモンスターのような母に、アマンディーヌは眉をひそめる。


 淑女らしからぬ本音と罵詈雑言を吐き出すこの女は、若く美しいアマンディーヌに嫉妬し自分を鮮やかな華と思い込みつづけた。

 いつまでも少女のときのように、男にかしずかれ愛を囁かれ美しいと讃えられつづけると思っているのだ。それは母親になっても変わらず、男に媚びては偽物の愛を囁かれ自尊心を保ち、若く美しい侍女には辛く当たっていた。そして、大きくなった年頃の娘にまで敵意を向けた。

 アマンディーヌ1人では、この化け物の対処はできない。若く、美貌を持つアマンディーヌでは母は聞く耳を持たず、暴走するばかりだ。だから、アマンディーヌはとある人に託そうと思っていた。母がこうなってしまった原因に一役買った人物に。そして、その人は母の人生最大の天敵でもある。



「久しぶり、メディア。どうしたんだい、そんなに興奮して?」

 ぎゃーぎゃーと騒がしい応接室に、低く耳障りの良い声が響いた。応接室の入り口に、夜会で出会ったときのようににこやかに微笑む叔父が立っていた。

 アマンディーヌが立ち上がり淑女の礼をすると、つい先ほどまで喚いていた母がゆっくりと振り返る。やあ、と手を振る叔父に、母は先ほどまでの鬼ような姿は引っ込み、幽霊でも目撃したかのように顔から脂汗が噴出している。

「え、あ、…どう、して…。」

 どうしてこんなところにいるの。と体全体で訴えていた。そんな姿に叔父は、サプライズが成功したとでもいうように明るい調子で答える。

「狐狩りに誘われてね。遅くなってしまったが、参加させてもらっていたんだ。」

 そう言って叔父は帽子を脱ぎながら、アマンディーヌの母親に歩み寄る。


「会いたくてたまらなかったよ、メディア。」


 叔父は母の腰に手を添えて、耳元で囁く。

 下手な男がしたら不愉快でしかない動作も、叔父がしたら絵画のように優雅に見える。叔父は母と同年代にもかかわらず、髪は豊かで年を重ねるごとに深みの出る顔立ち、すっと伸びた背筋はさぞ若い頃は貴公子ともてはやされたことだろう。そんな美中年に言い寄られたならば普段はうっとりとする母も、今は顔の血の気がサッと引いて青白い顔をしている。


 ようやく大人しくなった母に、タイミングを見計らっていたアマンディーヌは、叔父に今晩泊まってほしいと歓迎した。



 その日の夕食では、父が狐狩りで手に入れた狐の尾のことを自慢し、それに叔父が珍しい銀色の被毛をもつ狐の話をして今度狩りを行く約束などして盛り上がった。叔父は話上手で、気難しい父も興が乗ったようで和気藹々と話し、すっかり友人になったようだ。

 その間母は目を伏せて一言も喋らず、料理をほとんど口にしなかった。元々小食ではあったが、美食好きな母は出された料理には一口だけでも口にすることが多い。そんな母のいつもとちがう様子に、すっかり叔父に夢中な父や使用人は気づく様子もなかった。デザートも食べ終わると、ワインを嗜む父と叔父のために、母とアマンディーヌは席を外した。

 母は逃げるように自室に急いでいた。










 夜も更ける頃、辺りは身を切るような寒さに包まれていた。しかし風は穏やかで雲も少ないため、満月がよく見えて街灯が灯っているように明るい夜だった。煌々ときらめく星の海の中、ひときわ輝く満月が美しかった。月は寒くなるほど輝きが増す。


 今日は絶好の狐狩り日和だ。


 屋敷の者たちがみな寝静まったころ、アマンディーヌは屋敷の近くの森が見渡せる3階のテラスに出ていた。吹く風は刃のような冷気でむき出しの頬をなでるが、今はそんなことは気にならなかった。

 これから起きる出来事に、血がたぎるように興奮していた。



 満月にかかっていた雲があけ、光が差し始めたタイミングで、1階の玄関にバタンと乱暴に扉を開ける音がした。飛び出すように屋敷から出てきた女は裸足で、ときおり後ろを振り返っては髪を振り乱して無我夢中で走っていた。女の寝間着はズタズタで、芯から冷える夜にも関わらずかわいそうなくらい薄着であった。

 両手はベルトで拘束され口には猿轡がされており、叫ぶこともできず呻くような声を上げていた。女は一瞬立ち止まって、どこに逃げようか逡巡していたようだが、庭のほうから追い立てるように犬の吠え声がだんだんと近づいてくる。女は、まるで牧羊犬に追われる羊のように誘導され、森へと駆けて行った。


 アマンディーヌはその様子を、オペラグラスで静かに観賞していた。女が森に逃げると、犬たちは森に入らず厩舎に向かって引き返していた。アマンディーヌは、もう1人の役者の遅刻にハラハラしていた。

 そろそろ焦れて様子を見に行ってしまうというころ、コツコツと乗馬ブーツの音が静かな屋敷に響く。アマンディーヌが横目で玄関を見遣ると、にこやかに微笑む紳士がアマンディーヌに右手を挙げていた。それにアマンディーヌが楚々とした微笑みで手を振り返すと、叔父は満足したように頷いてから厩舎に向かった。


 しばらくしてから馬のいななきと、犬の興奮した吠え声が聞こえた。オペラグラスで確認すると、主人の指示を得た犬は解き放たれたように全速力で女の逃げた森へと駆けて行った。その後を追うように、叔父を乗せた馬が駆ける。あたりが静寂に包まれ、叔父や母の姿が見えなくなってもアマンディーヌは懸命にオペラグラスで森を見渡していた。



 アマンディーヌはこんな楽しい観劇はみたことがなかった。



 あの忌まわしい夜から、アマンディーヌは協力者を探していた。口が堅くて、金をせびらない、権力のある立ち回りのうまい人物を。そして思い当たったのが、母の叔父だ。

 嫁入りしてから一度も会ってないという叔父。あの母なら家格も高く美形の兄をまるで自分の手柄のように自慢してもおかしくないのに、母の口から叔父の名前が出たことはアマンディーヌが生まれてから一度もなかった。しかし夜会で会った、アマンディーヌに母の面影を探す叔父は母を嫌ってる様子はない。ちぐはぐな態度の2人に何かあると思った。そして、両親に怪しまれないよう接近し、叔父と話し合ってお互いの利害が一致したのだ。

 アマンディーヌは母に復讐したい、叔父は妹を愛している。一見真逆の目的だが、2人の手段は一致していた。

 叔父は実の妹である母を愛していた。しかし彼の愛し方は常人のものとは逸脱していた。叔父は母を自分なしでは生きていられないように甘やかし、つけあがらせ、自分ひとりでは食事もできないほどにしていた。そしてついには彼女の純潔を奪い、快楽を植え付けもてはやすだけもてはやした。叔父は母を一生領地から出さずに、地下に幽閉しようとしていた。そのために周到に準備をしていたところ、その目論見に気づいた母は家出するように結婚し、領地を離れてしまった。


 しかし叔父はあきらめることはなかった。ずっと、この機会を待ちわびていたのだ。

 叔父は母を形成した責任がある、とアマンディーヌは思っているが、叔父には責任などではなく純粋に母のためにこの計画に乗った。多少痛めつけるのも彼の愛の範疇らしい。だから母は、この劇の脚本家アマンディーヌに既に人生を掌握されてしまっていたのだ。


 きっと明日にはこのようなあらすじになるだろう。


  バートリー家に押し入った強盗によって屋敷中の者たちは睡眠薬を盛られ、ぐっすり眠ってしまっていた。そこに食事を残した母だけが運悪く1人だけ薬が切れてしまい、出くわした強盗に追われ、森で殺されてしまったーーー。

 睡眠薬を盛って手引きしたのは母の侍女にしてしまおう。あの侍女には母と共にさまざまな嫌がらせをされた。

  あとは全て叔父がうまくやり込めてくれる。叔父の狂気は生まれつきのもので、こういった隠蔽に長けていた。


  この事件はバートリー家に起きた悲劇として社交界では噂され、やがて忘れ去られるだろう。

  しかしほんとうは母は叔父の領地に幽閉され、叔父の愛を一身に受けながら一生を過ごす。


 なんて完璧なハッピーエンドなんだ。


  アマンディーヌは夜風に髪をたなびかせながら心の底から微笑んだ。

 普段の楚々とした作り物の微笑みではなく、月を纏い煌めくほどハッとするほど美しい笑みだった。



 そして森では、つんざくような女の悲鳴が響き渡った。










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