結婚とアマンディーヌ
「君からの誘いは珍しくないけれど、今回はどういった趣きかな?」
ブルネットの髪の少年が、憂うように頬杖をつくと、サラサラと灰色の瞳に少しかかる。
その姿はいたってリラックスしたものだが、その表情はまるで氷の彫刻のように怜悧だ。
「大切な友人に、ちょっとしたサプライズがあるんだ。」
爽やかで明るいユラの声が室内に響くが、ノエルの向かいのソファには人の姿はない。
「サプライズ?言ってしまったらサプライズにならないだろう。」
ノエルがくつくつと笑うと、ユラは恍惚に微笑む。
「ああ、でも驚くと思うよ。
じつはぼく、……結婚するんだ!相手のお腹にはすでに子供もいる!」
ユラが弾むように告げると、ノエルはわずかに顔をしかめる。
「…君が結婚?それは気の毒だな。もちろん、相手が。こんなマゾヒストな旦那だと、知っているのかい?」
ノエルの冷ややかな声色に、反応するようにノエルの足元で何かがもぞもぞと蠢く。
「ああ、もちろん。彼女はノエルにも匹敵する僕の愛しい人だ。」
爽やかに告げるユラだったが、その姿はノエルの足元で四つん這いになり、フットマンとしての役割を果たしている。背中に乗るノエルの足が、時たまわざと負荷がかかるたびに恍惚に顔を歪めている。
ノエルは無感情にユラを見下ろすと、ユラの背中からスッと足を下ろす。
ユラは少し名残惜しそうにしながらも、にこやかに微笑みながら立ち上がり入り口近くのドアに近づく。
「ぜひ君に紹介したい。きっとこれから長い付き合いになるだろうから。」
ドアノブに手をかけて、子供のようにはしゃぐユラ。
それに対し、どうでもいいと全身で醸し出したノエルだったが、「ああ。」と口角だけあげた笑みを見せる。
ユラは扉を開けると、甘やかな声で愛しい人を呼ぶ。
「入っておいで。」
その声に応えるように、ゆったりとした仕草で、女性が入室する。
一歩を踏みしめるように入ってきた女性は、ユラの瞳の色と同じブルーの、くつろぎのあるドレスをみにまとっている。
華奢で可憐な印象とは裏腹に、意志の強そうな…紫がかった深い青色の瞳の女性だった。
ユラはにこやかに女性の腰に手を添え自身に引き寄せると、うっとりと告げる。
「紹介するよ、ノエル。ぼくの愛しい人、アマンディーヌ・バートーリー嬢。ぼくと彼女の愛の結晶を授かっているんだ。」
ユラがアマンディーヌにとびきりの笑顔でねっ、と囁く。
アマンディーヌはゆっくりとまばたきをすると、近づいたユラの鼻先に今にも口づけをしてしまいそうなほど顔を近づける。
その光景に、室内はひりつくような沈黙に包まれた。
アマンディーヌはそっとノエルを見遣ったが、ノエルはぴくりとも表情を動かさずアマンディーヌとユラを見つめていた。何を考えているのかわからない無表情だが、その瞳に一切の温度はなく、淡々としている。
アマンディーヌは、恥ずかしさと悲しみで今すぐこの場から消え去ってしまいたかった。
まだノエルは嫉妬してくれるのではないかと、驕っていた自分がどうしようもなく愚かに思える。それと同時に、ノエルの気持ちが自分から離れてしまったことに、悲しむ資格はないと思いながらもどうしようもなく胸が締め付けられる。
うつむき加減になったアマンディーヌに、ユラはさっと跪く。
「アマンディーヌ、産まれる子供は女の子かな、男の子かな。でも、君に似たらどちらでも可愛いだろうな。」
ユラはまるで縋るような体勢でアマンディーヌの下腹あたりに顔を埋める。
「…あら、もう子供を産んだ憶えはないわよ。」
無邪気に振る舞うユラは、アマンディーヌの心情を察しているのかわからないが、少しばかりアマンディーヌの気持ちを落ち着けた。思わずアマンディーヌは、ユラの猫のように柔らかい髪をやさしく撫であげる。
窓から差す陽の光も相まって、その姿はまるで慈しみに溢れた聖母のように神々しかった。
「二人とも、下手な芝居は終わったかい。」
ハッとするほど冷たい声が、二人を切り裂くように響く。
音もなく、ノエルはいつのまにか距離を詰めていた。
「芝居…なんのことだい?」
埋めていた顔をゆっくりと引き上げたユラはにこやかに問う。
ふ、と短くため息をつくと、ノエルは聞き分けのない子供に言い聞かせるように語り始める。
「僕が離れている間はアマンディーヌが誰と会って何をしていたのか詳細に知っている。君とアマンディーヌが観せてくれた素敵なショーも、あらすじは知っていた。」
そこで区切ったところで、ノエルは素早くユラの背後に回り込むと、首根っこをつかみアマンディーヌから引き剥がす。
「だからね、ユラ。君がご褒美がほしくてこんなことを画策したのは知ってるんだ。」
ノエルが蠱惑的に囁いた瞬間、ひゅっという音とともにユラの首に太いベルトが巻きつけられる。
「僕からこういうめに合うのを期待していたんだろう。」
ギリギリと革のしなる音が、少し離れた位置にいるアマンディーヌの耳にも響く。
「っっ、…っは……。」
ユラは窒息感にもがきながらも、恍惚と苦しみに顔を歪ませている。
ノエルはゾッとするほど冷たい表情でユラを見下ろすと、 ベルトをぎゅっと引き上げる。
ユラは口から泡を吹き出すと、ぱたりと動きを止めてしまった。
ぴくりとも動かなくなったユラに、アマンディーヌはおそるおそるノエルに尋ねる。
「殺して…ないわよね?気を失っているだけよね?」
アマンディーヌの問いに、ノエルはゆっくりと顔を上げると、ブルネットの隙間からのぞく冷たい眼光がアマンディーヌを写しだす。
まるで狩りを終えたばかりの獣のような雰囲気に、思わずアマンディーヌは胸の前でぎゅっと手を握りしめる。
「死んでいません。」
それだけ呟くと、ノエルはふらふらとアマンディーヌに近づく。
たしかに冷静にユラを見てみるとかすかに胸が上下しているが、いまアマンディーヌは目の前の獣から目が離せずそれどころではなかった。
ノエルはぐっとアマンディーヌの鼻先まで顔を近づけると、ぽつりと呟いた。
「僕に嫉妬させたかったんですか、アマンディーヌ。」
「……は。」
不意をついた直接的な言葉に、アマンディーヌは間の抜けた声が出てしまった。
しかしそんなアマンディーヌをお構いなしにノエルはつづける。
「不安にさせてごめんなさい、アマンディーヌ。僕の気持ちを試したかったのですよね。」
軽いパニックを起こしているアマンディーヌの隙をついて素早く身を寄せると、腰に手を添えするりと下腹に左手を這わせる。
「だから、ほんとうに妊娠なんて…していませんよね。」
下腹に這う手にぐっと力がこもる。
もし本当に妊娠でもしていたら、腹を掻っ捌いて子供を引きずり出す、そんな声が聞こえてきそうだった。
アマンディーヌは恐怖を感じるとともに、頭の片隅では冷静であった。
いつもそう、いつもこの人は全てを把握してて、操られて、思うがままになってしまうの。
だから少しは見返したかったの。
いつも優雅な貴方のその顔を、焦燥にまみれさせたかったの。
アマンディーヌは、「妊娠していないわ」と小さくかぶりを振る。
その姿を見てノエルは小さく微笑んだが、直後にサッと顔色を変える。
かぶりを振ったアマンディーヌの髪の隙間から、白い肌に痛々しいほど浮かび上がる赤い鬱血痕。その鬱血痕は首筋から鎖骨に流れるようにしてあり、胸元にまで及んでいた。
アマンディーヌは楚々とした笑みを浮かべ、ノエルに蠱惑的に囁く。
「妊娠はしていないけれど、純潔は守った、とは言ってないわ。」