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夜会とアマンディーヌ

 





 あれからパタリと、ノエルはアマンディーヌの前に姿を現さなくなった。

 ノエルとの親交は短いものだったが、時たまふらりと訪れては甘い言葉を紡いでアマンディーヌを呆れさせていた日々が、今となっては遠い昔のように感じる。

 アマンディーヌの書斎の引き出しに仕舞われた指輪は、あれから日の光を浴びることなく奥底に眠りつづけていた。




 現在アマンディーヌは、とある公爵家が開催する、大規模な夜会へ向かう馬車の中にいる。

 大勢が集まる夜会のため、ドレスを新調し薔薇のような美しさのアマンディーヌだが、見た目の華やかさとは裏腹に、アマンディーヌの瞳は蝋燭の火が消えたように陰っている。

 向かいに座るメデウスは、眉尻を下げてアマンディーヌを見つめる。中性的でシックな装いのメデウスは変わらず麗しく、今回はアマンディーヌのエスコートだ。

 メデウスは、アマンディーヌがこんなにも憂鬱な理由を知っている。

 今回の夜会には、カストル侯爵も参加するという情報を得ていたからだ。


 あの日からノエルの訪れがなくなっても、アマンディーヌは普段通りに振舞っていた。しかし、カストル侯爵の名を聞くととたんに暗い表情を浮かべるのだ。

『そんなにも未練が残るなら、何故彼を受け入れなかったんだ』

 思い浮かんでは何度も言いかけた言葉を、メデウスはまた飲み込む。アマンディーヌは覚悟の上で断ったのだ。それを今更周りが口出しすることでない。

 しかし、アマンディーヌの悲痛な様子を見ていると、こちらまで悲しくなる。どうして変わってやれないのかと歯がゆい気持ちになるのだった。




 今日の夜会は、公爵家開催ということもさることながら、とてつもない人でごった返していた。

 変わり者として名を馳せる公爵は、今回の夜会は『ありのままの自分』というコンセプトらしく、社交界で一躍時の人となった人物は身分関係なく呼び寄せたらしい。

 だからか、妻の妹と不倫騒動で大騒ぎした紳士や、ここらでは見かけない珍しい服装の淑女などが混在する、たいへん賑やかな会となっていた。

 今回アマンディーヌはおまけで、メデウスが招待されたようなものだった。


「メデウス、少し開放的になっている方が多いようだから、私から離れてはだめよ。…あなたすぐ誘拐される癖があるから。」

 一通りの挨拶を終えて、賑やかさから少し遠ざかった壁際に落ち着いたアマンディーヌ。すでに疲弊した様子もあるが、軽口を叩く元気はあるようだ。

 メデウスは内心ホッとしたものの、アマンディーヌにはしかめた顔を見せる。

「一応貴女の護衛でもあるんだぞ。」

「そうだったかしら?」

 場所や状況が変わっても、変わらず兄妹のように戯れる2人。

 先ほどまでのぎこちなさが消えたメデウスに、思いのほか心配をかけてしまったようだとアマンディーヌは反省した。


 まだ気持ちの整理がついていないだけなのだ。

 突如としてアマンディーヌの世界に現れたノエルは、アマンディーヌをかき回すだけかき回して、嵐のように去ってしまった。

 後悔は何度もした。一生に一度の出来事だったかもしれない。

 ノエルと出会ってからは現れなくなった、もう一人の自分が、『やっぱり、あの屋敷で一人寂しく死ぬのだわ』と何度も囁いてきた。

 しかし、たとえこのまま独身で一生結婚できず、あの世話係の老婆の言うとおり一人で死ぬことになったとしても、悔いはないと思っていた。

 アマンディーヌが自ら一人で生きることを選んだからだ。

 アマンディーヌは、ノエルに惹かれていた。けれど結局、ノエルを通して自分自身を信じることができなかったのだ。だから一人で生きる道を選んだ。

 ノエルが嫌いなのではない、アマンディーヌが自分を受け入れなかったのだ。



 ぽつりとメデウスにそう打ち明けると、むっとした表情でアマンディーヌを睨む。

「貴女は1人で抱え込むな。もっと早く話してくれるほど俺は信用されていると思っていたが。」

 拗ねた様子に、アマンディーヌはふふっと吹き出す。

「そうね、お姉様には何でも相談してきたものね。ごめんなさい。」

 からかうようなアマンディーヌに、ジロリとメデウスが睨む。

 以前のような、口達者な部分が見えてきたことに安堵する。出会ってからずっと、アマンディーヌは不器用だけれど強かな、可愛い妹だ。


 2人がいつもの調子に戻り、軽口を叩き合っていた。

 すると、突然ドンという音とともに、メデウスが前のめりにバランスを崩してよろける。

 アマンディーヌが慌てて手を伸ばしたところ、流石にまずいと思ったのかメデウスはなんとか体幹だけでおしとどまった。


「申し訳ありません、お怪我はありませんか!?」

 焦った様子の声は、ぶつかってきた少年のもので、よろけたメデウスを前にオロオロと手をさ迷わせている。

 歳は13ほどだろうか、メデウスよりも頭一つほど小柄だ。

 焦る少年を落ち着かせようとしたのか、「大丈夫です」とアルカイックスマイルを浮かべるメデウス。あまりの神々しさに、少年はぽーっと魅入ってしまっている。

 純朴な少年まで誑かして…と呆れていたアマンディーヌだったが、この少年の燃えるような赤髪に覚えがあった。


「あら?メルリック殿下ではありませんか。」

 淑女の礼をすると、ハッとした表情で見返される。

 辺りを警戒しているのかリスのように落ち着きのない仕草だ。

「たしか…ブルーム卿の従姉妹でしたよね、お久しぶりです。」

 この少年の赤い髪は、西の大国の王族によく見られる色。つまりこの少年は、西の大国から迎えた今は亡き妃の忘れ形見だ。

 社交デビューして間も無くの頃、ブルームに紹介されたので顔に覚えがあった。今や政治的な事情やカトリーヌがらみのことで交流はないらしいが、似た者同士のブルームと親しかった。


 アマンディーヌはすっかり大きくなったと感心していたが、メルリックはキョロキョロと何かに追われるように辺りに視線を泳がせている。

 どうやら、これほど目立つメデウスにぶつかってしまうほど、何者かから慌てて逃れていたようだ。

「殿下、差し支えなければ匿いますわ。」

 楚々とした笑みを浮かべたアマンディーヌがメデウスを横目に見遣ると、小さく頷く。

 メデウスはばさりと丈の長いマントを払うと、ぐいっとメルリックを引き寄せる。

 すっぽりとメデウスのマントの中へと収まってしまったメルリックは、「えっ!?」と声を漏らした。

「お静かに、辺りを伺う男が近づいておりますので。」

 耳元で囁かれた艶のある声に、メルリックはびりびりと痺れるようだった。

 ぴったりとメデウスの体が密着した部分はほのかに温かく、さらさらと絹のような髪が頬を撫でる。それに、とてつもなくいい香りがする。メルリックは頭が沸騰してしまいそうだった。


「もうよろしいかと。」

 どれほどそうしていただろう。アマンディーヌの声に、現実に戻されたメルリック。そっと離れる熱を名残惜しく思う。

「ありがとうございます。助かりました。…ご令嬢とその取り巻きに鬼気迫る様子で囲まれまして、つい逃げ出してしまいました。」

 頬を火照らせながらも、礼儀正しくお礼を述べる様子に、アマンディーヌは意地の悪い笑みを浮かべる。

「それは大変でしたね、メルリック殿下。よろしければ、メデウスと共にお見送りいたしますわ。」

 また誰かに追われてはいけない、という建前で、メデウスと過ごす時間を増やしてやろうという気を利かせたのだ。


 メルリックは「いえ!」と即座に答えると、丁重に断りをいれる。

 いちいち律儀な様子に、微笑ましくアマンディーヌとメデウスは見守る。

「急ぎますので。…バートリー嬢、本日はたいへんありがとうございました。感謝いたします。」

 アマンディーヌに謝礼を述べつつも、視線は横のメデウスを見つめている。

 アマンディーヌは目を細めると、可憐に微笑む。

「いえ、殿下のお役に立てて光栄ですわ。しばらく夜会にはこのメデウスを連れておりますので、いつでもお呼び出しください。」

 あけすけな物言いにメデウスはぎょっとするものの、メルリックは顔を真っ赤にさせ首を振る。

「そんな、あの、…でも今度お見かけした際はご挨拶させていただきます!」

 動揺で口を滑らせたのかちゃっかりとした返事に吹き出しそうになる。

 しかしメルリックは恥ずかしさで逃げ出したいだろうに、きちんと挨拶を述べてから早足に去っていく。その可愛らしい姿にいよいよ吹き出してしまう。


「たいへん不敬だぞ。」

「あら、メデウスに擦り寄る人物はごまんと見てきたけれど、殿下はとっても初々しくて可愛らしいじゃない?」

 けろりとした様子のアマンディーヌに、調子が戻りすぎた…とメデウスは反省した。


 2人が楽しげに声を上げていると、メデウスのせいで注目を集めてしまう。メルリックをからかって気分が昂ぶったアマンディーヌは、注目されるならいっそのことダンスにでも行こうと誘った。

「俺はダンスより奏でる方がいい。」

 とぶつぶつ言いつつも、付き合ってくれる。



 緩やかな音楽が流れはじめると、メデウスが手を差し出して麗しく微笑む。

 近くにいた令嬢がほう…と感嘆のため息を漏らしていたが、アマンディーヌは楚々とした笑みでその手を取る。

 メデウスの顔をじっと見つめながら、ゆったりとステップを踏む。こうしてみると、本当に美しい顔をしている。社交界でもさんざん語り継がれているほどだ。

 けれど、メデウスは美しいだけでない。少し厳しいけれど優しくて、過ちは説き伏せてくれる、気高い人だ。殿下を虜にしてしまうのも納得だ。

(…私もメデウスを好きになれればよかった)

 絶世の美しさを前に、凪いだ気持ちで見つめていたアマンディーヌだったが、若い女の黄色い声で我に返る。


 何事かと周囲が注目した先には、まるで妖精のように可愛らしい少女。アマンディーヌとメデウスも見遣るが、不思議そうに顔を見合わせる。

 たしかに愛くるしいが、男性の歓声ではなく女性?と思っていたところ、騒いでいる女性の様子から、どうやらパートナーの男性に向けたものらしかった。

 一体どんな貴公子だ…と横目で盗み見たアマンディーヌは、表情を強張らせる。


 可憐な少女に跪く…ブルネットの髪を撫で付けた、灰色の瞳の美少年。

 ノエルが少女の指先に口づけし、ソツのないエスコートでダンスの輪に加わる。


 その姿はまるで、物語の中の一幕のようだった。



「隣にいる女性は…。」

 ノエルと少女を凝視しながら呟くメデウスは、少女のことを知っているようだった。

 しかしアマンディーヌにも、あの少女に見覚えがあった。

 ノエルがたくさんの令嬢を招いたお茶会。そこで他の令嬢に圧倒されていたところ、目が合って会釈したあのご令嬢だ。

「可愛らしい方…。」

 滑らかな白い頬は今はほんのりとピンクを帯び、色素の薄い髪は動くたびにふわふわと楽しそうに揺らぐ。

 そして、常に潤んだようなヘーゼルの瞳は思わず吸い込まれそうなほど魅力的だ。


「…侯爵様は、相応しい女性を見つけたのね。」

 仲睦まじく微笑み合う2人から目を背けながら、アマンディーヌは消えいりそうな声で囁く。

 元婚約者の浮気には、呆れた感情しか湧かなかった。ブルームが結婚した時でさえも、こんなに苦しくなかった。

 アマンディーヌの恋はいつも叶わなかった。だから、今回も簡単に乗り越えられると思っていた。

 けれど今はノエルを見てしまうと、涙が溢れそうになる。


 メデウスが「抜けようか」と囁いたが、ダンスを抜けると悪目立ちしてしまうため、虚ろな目でダンスを続ける。

 先ほどの楽しい気持ちがしぼんでいく。空虚なステップをしばらくつづけていると、音楽が少し変わる。

 このダンスは音楽と共にパートナーを変えていく。

 パートナーが変わるとき、メデウスは手を伸ばしてアマンディーヌを見送っていた。その顔は悲しそうに歪んでいた。


「まるで引き裂かれた恋人のようですね、アマンディーヌ。貴女たちは相変わらずのようだ。」

 次にアマンディーヌの手を取ったのは、少し華奢なブルネットの髪の少年。ノエルは以前と変わりなく、軽やかに微笑んでいる。

 アマンディーヌはゆっくりとまつ毛をあげると、華やかな笑みを浮かべる。

「…お久しぶりですわ、侯爵様。」

 声が震えなかっただろうか。アマンディーヌは精一杯楽しげに微笑む。

 それをノエルは一瞬ぞくりとする瞳で見つめたが、すぐさま微笑みに変わる。

「お久しぶりです、アマンディーヌ。」


 いまさら、どうして目の前に現れたのか。もう興味もなくして、可愛らしい恋人がいるはずなのに。…なぜそんなにも、飢えた瞳で見つめてくるのか。

「侯爵様も、隅に置けないわ。あんなにお似合いのお相手がいらっしゃったなんて。」

 ノエルに気圧されながらも、低い声でおっとりと呟く。

 鋭く睨みあげたものの、ノエルはふっと柔らかく微笑んだだけで何も言わない。


 気まずくて彷徨わせた視線の先に、眉根を寄せてアマンディーヌを見つめているメデウスと目が合った。ダンスの相手の女性はあの令嬢で、うっとりとメデウスに魅入っている。

「…メデウスはほんとうに罪作りだわ。ごめんなさい、侯爵様の大切な方に…。」

 メデウスは何故あんなにも人を魅了するのだろう。主人として述べた謝罪だったが、ノエルは突き放すように告げる。

「貴女が謝ることではないですよ。」


 ノエルの冷たい声に、アマンディーヌはサッと血の気が引く。

 確かにもうアマンディーヌには関係のないことだ。ノエルとあの令嬢の仲に、アマンディーヌが介入する余地はない。

 少し出しゃばってしまったかもしれない、そう思いまつ毛を伏せたアマンディーヌはぐっと体を引き寄せられる。

「貴女は誰の物でもない、そうでしょう、アマンディーヌ?貴女と彼はただの主従だ。ましてや…夫婦ですらない。」

 目の前で煌めく灰色の瞳には、呆気にとられるアマンディーヌが写りこんでいる。

 まるでメデウスに嫉妬しているような言葉に困惑する。

「今日の催しは、『ありのままの自分』ですから。」

 さっと普段のにこやかな微笑みを浮かべたノエルは、変調した音楽と共にすっと身を引き、一礼する。

 アマンディーヌも戸惑いつつ一礼すると、ダンスは終わりを告げる。



 すれ違ったアマンディーヌとノエルは、お互いを振り返ることなくパートナーの元へと帰っていった。






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