表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/18

誕生日とアマンディーヌ

 




 社交シーズンも始まって間もなくの雪深いころ、アマンディーヌは二十歳の誕生日を迎えようとしていた。

 完全な行き遅れ、結婚の予定もなし、寂しい孤独な独身令嬢のレッテルを社交界では貼られているが、本人はさほど深刻になっていない。

 母は死んでいることになっているし、実質的に引退している父も遠くで囀るばかりでまったく影響力もない。

 正式な爵位の譲渡はまだだが、アマンディーヌは自由な独身貴族を謳歌していた。


 しかし精神的には充足しているアマンディーヌだが、今年の誕生日の予定は真っ白だ。

 昨年は母の喪中で控えられたため、それを皮切りに友人らしき人物たちの儀式的な祝いの手紙やプレゼントも途絶えてしまった。

 アマンディーヌの人望のなさに、メデウスは哀れみの目を向けていた。

 拗ねたアマンディーヌは王都の屋敷で、ひっそりと美味しいものを食べる会を開くことにしていた。もちろんメデウスは強制参加である。


「貴女には、誕生日を共にする友人もいないのか…。」

 普段より贅沢な食材を使い、奮発したアフタヌーンを堪能するアマンディーヌに、向かいに座るメデウスは深いため息を吐く。

 それにアマンディーヌはじとりとメデウスを睨み付ける。

「その話、一体あと何回すれば飽きてくれるのかしら。」

 誕生日までに、社交界で一生分の憐憫の視線を浴びたというのに、家でもメデウスがこんな調子でアマンディーヌは呆れと苛立ちが止まらなかった。

 メデウスは「すまん」と慌てて謝るが、やはりアマンディーヌに何か言いたげな視線をさ迷わせている。


「…まだ言い足りないのかしら。私に意地悪するのは楽しい?」

 けんのあるアマンディーヌの言い草に、メデウスは首をふる。さらさらと眩いブロンドが美しいが、今回はメデウスの顔面に免じて許す気はない。

「その….、本当に誰とも約束はないのか?」

「どうゆうことかしら。」

 片眉を上げるアマンディーヌに、メデウスはためらうように告げる。

「例えば…年下の男性、あー、侯爵位ほどの男性との約束はしていないのか?」

 アマンディーヌは、くるくると回していたティースプーンの手を止める。

 アマンディーヌより年下の侯爵なんて、そうそういない。

 すぐさま頭に思いついた人物に、アマンディーヌはげんなりとする。


「メデウス、正気?彼はエリザベート嬢を唆してあなたを攫わせようとしたのよ?そんな男と私がどうして誕生日を共に過ごすのよ?」

 顔をしかめながらまくしたてるアマンディーヌ。

 しかしメデウスは深く頷き、諭すような口調で語りかけてくる。

「たしかに彼は油断ならない男だが、それは俺の問題だ。一番大事なのは、アマンディーヌが侯爵様をどう思っているか。アマンディーヌの気持ちが大切なんだ。」

 メデウスの説教に、アマンディーヌはぐうの音も出なかった。こうしてたまに教会での癖が現れるメデウスに、敵う気がしないのだ。

「……。」

 黙りこくるアマンディーヌに、逡巡していると思ったのかメデウスは優しい瞳でアマンディーヌの頭を軽く撫でる。

「よく考えろ。」

 そう告げられても、アマンディーヌは考えたくなかった。

 ノエルについて明確な答えを出したくなかったのだ。

 だからアマンディーヌはケーキを食べることに集中し、考えるのをやめて問題を先送りにしてしまった。



 アフタヌーンティーを終え、自室に戻ったアマンディーヌに、侍女から声をかけられる。

「お嬢様、先ほどカストル侯爵様から贈り物が届きました。ご確認ください。」

 先ほど話題に上ったばかりの名前に、ついアマンディーヌは「えっ!?」と声を上げてしまった。侍女はアマンディーヌの珍しく取り乱した様子に、目をぱちくりと瞬かせる。それに気付いたアマンディーヌは、すぐさま咳払いをしてごまかすと、にこやかに侍女にお礼を言う。


 侍女を下がらせ、ソファに座ったアマンディーヌは目の前の箱をじっと睨む。

 箱は少し大きく、バケツほどの大きさで、白地に金箔のロゴが描かれている上品なデザインの箱だ。

 なんだか高価そうなプレゼントに、アマンディーヌは気後れしていた。

 贈り物を貰ってもそれを返せるだけの見返りを与えられない。だから本当は、形式ばかりのプレゼントや手紙に返事をしなくていいことに安堵を感じていた。

 こういう時に、そう素直に喜べない卑屈な自分が嫌だった。元婚約者にも「贈り物しがいのない女」と言われたのだ。

 誕生日にもかかわらず暗い表情でプレゼントを睨むアマンディーヌ。

 落ちるところまで気分を落とし、アマンディーヌはようやく箱を開ける決心がついた。


 アマンディーヌはそっと蓋を持ち上げる。

 そして中身を確認したアマンディーヌは、「ん?」と間の抜けた声を上げる。

「これは…何かしら…?」

 箱の中には、ふかふかの中敷の上に鎮座する…繊細な細工が施された鉄製品。

 見たことのない工芸品の上、奇妙な形をしている。胴を一周するほどの直径の輪っこに、その下に対になるように細工の施された2枚の鉄板が繋がっている。

 不思議な品物を、さまざまな角度で見遣るアマンディーヌは、箱の中にメッセージカードがあることに気づいた。

 それを手にとって読んでみると、衝撃的な内容が書かれていた。

『親愛なるアマンディーヌ

 これは貴女の純潔を守る物です。もし、この間のようなことが起きてしまった場合、私は貴女の子宮を抉り出してしまうかもしれない。

 ですから、どうかご自愛ください。

 ノエル』

 アマンディーヌは、鉄細工を持つ手がわなわなと震えていた。

 少し前、たしかにアマンディーヌは野盗の男たちに襲われそうになった。思い出すだけでぞっと身の毛のよだつ事件は、褪せることなくアマンディーヌに恐怖を植え付けた。そのため警備を強化し、常にメデウスをそばに置いていた。

 それにノエルも気遣い、けして指先すらアマンディーヌの体に触れることはなかった。


 だからといって、…貞操帯を送ってくるなんて本当に頭がイかれてるわ!


 顔を真っ赤にさせたアマンディーヌは、鉄の下着を箱に押し込み勢いよく蓋をする。もう二度とこの箱は開けないと誓った。




 夕食の前、アマンディーヌは侍女に勧められ新しいドレスをおろした。

 それはアマンディーヌも覚えのないドレスだったが、メデウスや侍女など使用人たち一同のプレゼントらしかった。

 ネイビーのドレスを映えさせる、ライトグレーのレースが雅で繊細な素敵なドレスだった。

 思わず、アマンディーヌは瞳を潤ませてしまった。

 まさかメデウスのみならず、他の使用人たちにまでプレゼントを貰えるとは思っていなかったのだ。

「お嬢様、たいへんお似合いです。」

 普段は表情の乏しいはずの侍女は、アマンディーヌの髪を結わいながら、口角を上げて微笑む。

 レイチェルは、母が亡くなったとされてから入れ替えた新人も同然の侍女だった。

 しかし彼女は黙々と仕事をこなす、優秀な侍女だった。余計なことをせず、言わず、主人の影に徹し必要な役割を果たす、最高の侍女だった。レイチェルのおかげでアマンディーヌの生活の質は上がった。

「…ほんとうに、ありがとう。」

 アマンディーヌがはにかんだように微笑むと、レイチェルはふっと一瞬だけ慈愛に満ちた表情で微笑む。

 貴族たちからしてみれば、アマンディーヌは絢爛な誕生会もプレゼントも手紙もなく、一人寂しい最悪な誕生日と思うだろう。

 しかしアマンディーヌにとって今日は、人生最高の誕生日と言いたかった。



 通常より豪華なディナーに気持ちを浮つかせながら晩餐室に向かったアマンディーヌは、先ほど思ったことを早々に撤回したいと思ってしまった。

「誕生日おめでとうございます。アマンディーヌ。」

「……どうしてあなたがここにいるの…。」

 メデウスが座るはずだった席には、すらりとしたスタイルの、ブルネットの髪と灰色の瞳がグラデーションのように芸術的な美少年。ノエルがにこやかに微笑んでいた。


 アマンディーヌは、何か気づいたようでハッとした表情で侍女を振り返る。

 おろしたてのドレスの、ネイビーとライトグレーカラーの組み合わせはノエルの特徴をよく表している。つまりノエルの訪れを見越して、このドレスを誂えたというわけだ。

 侍女はいつものポーカーフェイスで、アマンディーヌに小さく頷く。

 先ほど涙ぐんで感動した自分を返して欲しい。


 ノエルに振り回されるのは慣れてきたつもりだったが、すでに外堀を完璧に埋められグルになるほどとは思わなかった。この少年貴族は一体どんな人身掌握術を有しているのだ。


 ため息をつきながら晩餐の席についたアマンディーヌに、ノエルは少しいたずらな子供のような微笑みを見せる。

「プレゼントは喜んでいただけましたか?」

 ノエルに問われ、あの鉄製の下着を思い出したアマンディーヌはノエルを睨みつける。

「ええ、あなたの性癖や嗜好を疑う、最高のプレゼントでしたわ。」

 精一杯冷静に嫌味を告げたつもりのアマンディーヌだが、頬や耳が燃えるように熱を帯びている。

 顔を赤らめるアマンディーヌに、ノエルは口元を手で隠しうっとりとアマンディーヌを見つめる。

「…まさか貴女がこんなに動揺するとは思いませんでした。想像以上に初心(うぶ)だったのですね。申し訳ありませんでした。」

 ノエルの余計な一言に、アマンディーヌは今度は怒りの感情で顔に熱が集まる。こと男女の営みに関しては、アマンディーヌは純真無垢に近い。

「あ、あなたこそ、乙女にあんなものを送るなんて、一体どういうセンスをしていらっしゃるの。」

 アマンディーヌの苦し紛れの反発に、それをノエルは愛おしく見つめる。

「そうやって、動揺する貴女を見たかったのかもしれません。僕は欲張りなので、怒った顔ばかりでなくアマンディーヌのさまざまな表情を見たい。」

 暖簾に腕押し、感情を昂らせるアマンディーヌに、ノエルは柳のようにさらりとかわす。しかもちゃっかりと口説き文句を混ぜ込むのだから、アマンディーヌはますます腑に落ちない。アマンディーヌの反応を伺うためと言ったけれど、半分本気だったように思える。


 これ以上話していても、さらに恥ずかしいことを言われるだけだと思ったアマンディーヌは口をつぐんだ。


 そのタイミングを見計らったように、夕食が運ばれてきた。

 普段より奮発したディナーは、アマンディーヌの好きな食べ物ばかりだ。



「ほんとうに、美味しそうに食べますね。」

 一通りの食事を終え、デザートを満喫するアマンディーヌに、紅茶を嗜むノエルは朗らかに言う。

「あら、美味しくなかったかしら?あなただって、以前に比べてよく食べていらっしゃったわ。」

 大好物のアイスクリームに、とろけるような笑みを浮かべすっかりご機嫌だ。それをノエルは微笑ましく見つめる。

「アマンディーヌが言ったのですよ、もっと逞しい方が好みだと。」

「…そんなこと言ったかしら?」

 素で忘れているアマンディーヌに、ノエルは苦笑する。

「貴女のそういうところが好きですけどね。」

 さらりとのたまうノエルに、アマンディーヌは呆れた目を向ける。

「あなた、ほんとうに変わっているわ。」

「変わっているのはアマンディーヌの方です。」

 ノエルは頬杖をついて、美しく微笑む。


 ノエルと話していると、上っ面の仮面を剥がされ上手く取り繕えなくなる。

 今までは、たとえ人に酷いことを言われても感情をコントロールできていたのに、ノエルを相手にすると感情を剥き出しにしてしまう。

 それにも関わらず、ノエルはまったく気にせず微笑むのだから、アマンディーヌは遠慮をなくしてしまうのだ。けれど、それはノエルが優しいだけだからじゃない。何があっても、自分が全てを掌握できるという自信があるからだ。

 彼の芯は冷血で残酷だと理解しているのに、どうしようもなく惹かれてしまうのだ。




「お嬢様」とレイチェルに声をかけられる。

 会話に割り込むなど珍しい、とレイチェルを見遣ると、相変わらず表情の乏しいまま両手に銀盆を携えている。

「カストル侯爵様より、お嬢様へのプレゼントでございます。」


 さっとノエルに目配せすると、「どうぞ」と微笑まれた。

 銀盆の上には、手のひらほどの大きさのジュエリーケースがぽつんと乗せられている。

 小さなケースに嫌な予感がするものの、無視するわけにもいかず開けてみる。

 …そして、やはりと言うべきか、ジュエリーケースにはこぶりな指輪が収められていた。

 まるで猫の目のような形にカットされた、深い藍色の石がはめ込まれた指輪。

「……。」

 指輪を持ったまま固まるアマンディーヌに、ノエルは妖艶に囁く。

「初めて見た瞬間、アマンディーヌの瞳にそっくりだと思いました。」


 紫がかった深い青の石は、アイオライト。石言葉としては道を指し示すものとして有名だが、一途な愛を貫くとして結婚を導く意味もある。

 そしてもっと色気をもたせると、『初めての愛』という含みもある。


「相変わらず気障たらしいことをする人ね。」

 眉尻を下げて困ったように微笑むアマンディーヌ。

 婚約を強く意識した贈り物に、アマンディーヌは困惑していた。

 まさか、ノエルがここまでするとは思っていなかったのだ。


「貴女はいつも僕の好意をはぐらかすけれど、僕はいつだって本気でしたよ。」

 普段のにこやかな微笑みは消え、真剣な表情でアマンディーヌに向き合うノエル。

 アマンディーヌは、ノエルの真摯な眼差しを避けるように顔をうつむかせる。

「これから先、何があっても貴女を殺せるのは僕です。たとえ誰であろうと、貴女に触れることは許さない。そしてもし僕が死ぬのなら、それは貴女が(あい)してほしい。」

 地下室の時よりも、もっと独占的で心酔した言葉。けれど心の底からの言葉だ。


「…どうして私なの。あなたみたいな人が、どうして私なんかにそんなに傾倒するの。私はあなたに釣り合う人間じゃないわ。」

 うつむいた顔は髪の毛で隠れ、表情がうかがえない。

 アマンディーヌは、ノエルの甘い言葉の数々や嫉妬を、一時の(あそび)だと思っていた。いずれ時が過ぎれば飽きて、他の人へと移っていく、そんな恋愛ゲームのターゲットにされているのだと自分に言い聞かせていた。

 でなければ、爵位も格下でノエルにとって何も得のない嫁ぎ遅れの自分を選ぶはずがない。ノエルが自己的で残酷なことを、一番理解しているからこそ、ノエルを信じられなかった。


 胸の前で強く握る手がかすかに震えているアマンディーヌに、ノエルは甘やかな声を出す。

「アマンディーヌ、顔を見せてください。」

 ゆっくりと顔を上げたアマンディーヌは、今にも泣きそうに瞳に涙の膜がはっている。

「貴女は、か弱そうに見せかけて(したた)かで、逞しいと思ったら脆い。その矛盾が、その儚さが、僕は好きです。…ですから、どうか僕に貴女を愛させてください。」

 そっと指先でアマンディーヌの涙を拭うノエル。アマンディーヌの涙を口元へ持っていき、愛おしげに口づけをする。


 アマンディーヌは、つ…と涙が頬を伝った。

「…ごめんなさい。」





石のカットは、マーキスブリリアントカットをイメージしています。(平べったいレモンのような形)「侯爵」という意味もあるらしいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ